4日目 洋渓郷に移動後ミャオ族、トン族、ヤオ族の村訪問

 今日は牛肉麺を食べて8時5分に榕江を出発、321国道を都柳江に沿って走る。このあたりはトン族が住んでいて天秤棒で荷物を担いでいるトン族の女性がしばしば見られる。

 
食堂          牛肉麺

 25分ほど走ると停洞鎮に到着、さらに30分ほど走ると対岸に巨洞村が見えてきた。川岸にたくさんの材木が見られるが、半年前に酒に酔った老人の寝タバコが原因で村中の家が焼けてしまい、建て直しの工事が始まったのだ。道路の脇でも大勢の人が材木を削っているが、トン族の人は建築が得意で大工でなくても家を建てられるのだ。


巨洞村(拡大)

 さらに40分ほど走ると大きな鼓楼があった。屋根が29層もあり高さが46.8mで榕江の三宝鼓楼を抜いて世界一の鼓楼になった。


従江の鼓楼

 近くで市場が開かれていて民族衣装を着たトン族の女性が大勢歩いている。

  
トン族の女性

 さらに10分ほど走ると従江県の県城に出た。今日は辺鄙な村で泊まるので劉さんは食べ物の買い物をする。


従江県の県城

 県城から40分ほど走ると洋渓郷に到着した。この村の周囲にはミャオ族の村がいくつもある。


洋渓郷の通り

 今晩泊まる慶雲酒家の食堂で昼食をとる。料理は都柳江で獲った魚だったが臭みがなくおいしく食べられた。

 
慶雲酒家          川魚のあんかけ

 食事の準備を待つ間に村の中を歩く。国道の川よりに旧道があり古い家並みと舞台も残っている。

 
旧道            舞台

 川岸に出ると材木の集積所があった。昔は材木の売買で栄えていたという。


材木の集積所

 慶雲酒家の主人の案内で安馬村奴図屯というミャオ族の村を訪れる。車で未舗装の山道を15分ほど走った後、辺四屯というトン族の村で車を降りて山道を登る。木々の間から美しい棚田が顔を覗かせた。

 
 山道             棚田(拡大)

 日差しが強くなり大汗をかきながら坂道を登っているとミャオ族の女性が降りてきた。彼女たちは毎日この坂を上り下りしているのだ。


ミャオ族の女性

 1時間10分ほど坂道を登ってやっと村に着いた。人口は500人でミャオ族だけが住んでいる。トン族の村ではないのになぜか広場に鼓楼がある。

 
安馬村奴図屯           鼓楼

 広場の隅で老人が将棋を指していた。おばあさんは日向に座っておしゃべりだ。

 
おじいさん          おばあさん(拡大

 1軒の家の中を見せていただくと織りかけの機織り機があった。今でも民族衣装は自給自足しているのだ。ただ民族衣装を着ているのはおばあさんばかりで中年の人は上着は民族衣装だがスカートを穿かずズボンを穿いている。


機織り機

 おばあさんにお願いして民族衣装の写真を撮る。

 
民族衣装(拡大)

 畑に白菜が植えられていた。日本の白菜とは異なり葉が青く根元の部分が細い。これなら青菜と呼んだほうがよいのでないかと思ったが青菜という野菜が別にあるので青菜とは呼べないのだ。

 
白菜             青菜

 このあと別の道を下り岑夜屯を訪れる。この村にはミャオ族とトン族が住んでいるが1本の溝の上側がミャオ族、下側がトン族と住み分けている。ただ、ミャオ族とトン族も家の造りは同じになっている。


岑夜屯

 トン族の民族衣装を撮ろうと思ったが村の人は畑に出てしまいおばあさんしかいないのでまたおばあさんに写真を撮らせてもらう。

 
普段着の民族衣装

 この村の下にヤオ族の井板村がある。この村には若い娘さんが残っていて機織りをしており髪型も伝統を守っている。今どき珍しいことだ。


機織り

 早速民族衣装を着てもらう。貴州省や雲南省のヤオ族の民族衣装は地味だが、この村の民族衣装は華やかだ。

  
民族衣装(拡大)                   髷
 
袖の刺繍(拡大)            背中の刺繍(拡大)

 このあと山を下る。途中の棚田が素晴らしい。

 
棚田(拡大)           (拡大)

 辺四屯まで下ると店屋に隣の村の女性が買い物に来ていた。日用品を買うのにも1時間以上も歩かなければならないので大変だ。

 
畑から戻る女性         買い物に来たトン族の女性(拡大)

 17時10分慶雲酒家に戻る。宿代は50元と招待所並みだが部屋も招待所並みでトイレは共同である。寒いので夕食は鍋料理だ。劉さんが寒がりの私のために電気毛布を用意してきてくれたので助かった。


鍋料理

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