総会における来賓祝辞と激励



10年間の大飛躍を目の当たりにして(第14回総会)
矢面(やおもて)に立っての御奉公、後方から撃つ者に仏罰あり15回総会)
正法正師に信伏随従を(16回総会)
妙観講は法華講の精鋭部隊 異体同心でさらなる折伏を(17回総会)
妙観講々員である歓(よろこ)びを持て!!(18回総会)
不思議の妙法唱題を根本に「悪」の学会折伏と講中発展へ(19回総会)
妙観講員となり二十回総会に集った因縁 唱題と折伏でさらなる御奉公を(20回総会)
信心は「大きな場の中」で育つ 総会契機にいよいよ折伏・育成を(第21回総会)
護法の一念で悪質な癌(がん)を克服!!(第20回総会)

 


10年間の大飛躍を目の当たりにして  

遠寿坊御住職(当時) 駒井専道御尊師

 一言、御祝辞を申し述べさせていただきます。十年ひと昔と申しますが、十年前の、あの大化城の一室での総会に出席させていただいたことが、まことに懐かしく思い起こされてまいります。
 その当時、まだ人数も少ない状況であったと思いますが、十年経ちました今日、このように大発展、このように大飛躍を成し遂けました皆様方の、この総会に出席させ ていただき、そしてまた御挨拶をさせていただける――、この上ない光栄と、心より感謝申し上げるものであります。
  本日は、新緑の深さに、つつじの鮮やかさが一際(ひときわ)美しく映える総本山におきまして、御法主上人猊下の御慈悲を腸わり、妙観講第十四回総会が、かくも盛大に挙行されまして、まことにおめでとうございます。

 御先師日達上人の御慈悲と、また深き因縁の上から生まれました皆様方妙離講が、当時、日達上人の御指南を根本に信心なされ、今日、御法主日顕上人猊下の御指南に信伏随従され、小川御住職御指導のもとに、そして、大草講頭様の指揮のもとに、日々、正法弘通に御精進なされておりますことは、まことに時に適(かな)った信心であり、また宗門の衆目の認めるところであると、私は確信するものであります。
  とりわけ、先程のお目通りにて、御法主上人猊下よりお言葉がございましたが、私も『妙観』等を拝見させていただき、昨年破門された邪教創価学会に対する妙観講の破邪顕正の実績には目をみはるものがあり、心から敬意を表しているものであります。
  さらに、破門以後の自称「平和団体」とか名乗る人達の、なり振り構わぬ嫌がらせ、脅迫、暴行等により、危惧(きぐ)されます、「及加刀杖者(ぎっかとうじょうしゃ)」の迫害から、御法主上人猊下を御警護申し上げようと、全国の各法要での、それこそ男女選ばずの妙観講青年部の方々の不借身命の信心とその赤誠は、心から賛嘆し、敬服申し上げるものです。

 先程来、お話を承っておわかりいただいておると思いますけれども、仏法におきましては、相承ということが、たいへん重要なのでありまして、御法門は師より弟子、師より弟子と、師弟相対して広められていくのであります。
  宗祖日蓮大聖人様は、『身延相承書』に
  「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す」 (御書一六七五頁)と、
 また『池上相承書』に
  「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す」(御書一六七五頁)と
仰せられ、また『百六箇抄』にも
  「但し直授結要付嘱は一人な り、 白蓮阿闍梨日興を以て惣貫主 (そうかんず)と為して 日蓮が正義悉く以て毛頭程も之れを残さず悉く 付嘱せしめ畢(おわ)んぬ、上首巳下並に末弟等異論無く尽未来際に至るまで(中略)総貫主と仰ぐ可き者なり」(御書一七〇二頁)
と 仰せられ、唯仏与仏の御境涯 により、大聖人所立の御法門の一切を日興上人様に御相承あそばされ、滅後の化導を委(ゆだ)ねられたのであります。
 この所伝の御法門を寸分違わずに了解(りょうげ)なされた日興上人様は、『遺誡置文』に
「富士の立義聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事」(一八八四頁)
と、大聖人より受け継がれた一切の仏法を、寸分違わないで御所持あそばされている、ということを世に顕示あそばされ、また弟子にも訓戒なされたのであります。

 さらに、日興上人様は、『佐渡国法華講衆御返事』に
「なおなお、この法門は、師弟子を正して仏に成り侯。師弟子だにも違い侯へば、同じ法華を持ちまいらせて侯へども、無間地獄に堕ち侯也」(歴代法主全書一巻一八三頁)
と、いかに同じ法華経を信じ、南無妙法蓮華経を唱えても、師弟子を正さなければ堕地獄である、と仰せられて、正しい師に随うという重要性を諭(さと)されているのであります。
  さらに大聖人様は、『生死一大事血脈抄』で
「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」(御書五一五頁)
と仰せられています。これもまったく同じことであります。

  さらにまた、その師匠につきましては、前述の『百六箇抄』にありますように
「予が存日の如く日興嫡嫡(ちゃくちゃく)付法の上人を以て総貫首と仰ぐべき者なり」(御書一七〇二頁)
と、また『御本尊七箇相承』に
「日蓮在御判と嫡嫡代代と書くべしとの給う事如何。師の日く、深秘なり、代代の上人悉く日蓮なりと申す意なり」(聖典三七九頁) と、まことに明確に、代々の法主上人への信を御教示あそばされているのであります。
  さらに九世日有上人も、「手続(てつぎ)の師匠の所は、三世諸仏高祖己来代代上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能(よ)く能く取り定めて信を取るべし。又我弟子も此 くの如く我に信を取るべし。 (聖典九七四)
と仰せられているのであります。
  さらに三十一世日因上人も、
「師弟血脈相続なくして。即身成仏にあらず」
と示されているのであります。

  以上、縷々(るる)述べてまいりましたけれども、本宗におきましては、宗祖大聖人以来七百年にわたり血脈相伝の仏法であり、その深秘の御法門は、他門の輩はもちろんのことながら、同じ御本尊を持っている者であっても、信心の血脈なくしては、もとより了解することはまったくできないのであります。
  創価学会の今日の姿は、たった一人の無信心の者のために、まことに、悲しくも哀れで気の毒な状態に成り果ててしまっているのであります。したがいまして私共は、まず血脈付法の御法主上人猊下の御指南を現在の大聖人様の御指南であると拝し、猊下の御指南、猊下の仰せのままに、 どこまでも正直の心を持って、自らの身口意(しんくい)をもつて信行に精進(しょうじん)していかねばなりません。

 そして、
「日蓮が弟子等は臆病にては叶ふべからず」(御書一一〇九頁)
また、
「我が弟子等は師子王の子となりて、群狐に笑わるる事なかれ」(御書一三二二頁)
との御金言のとおりに、謗法の人をはじめ、今日苦しみに喘(あえ)いでいる創価学会の人々を、一人でも多く、この魔の手より救うべく勇猛果敢に破折していっていただきたいと念ずるものであります。

 私の尊敬申し上げております、教学に明るい、また人格的にもたいへん立派で素晴らしい 御住職の御指導をいただき、また、信心強盛な若き指導者であります大草講頭さんを中心に、真の大聖人の仏法の広宣流布に向かい、全国に先駆け正しい僧俗和合の実証を示していっていただきたいことを、心より念願いたしまして、御祝辞とさせていただきます。
  本日はまことにおめでとうございました。

戻る

 

 


矢面(やおもて)に立っての御奉公
後方から撃つ者に仏罰あり
 

本住坊御住職 秋元意道御尊師

 全国各地から、信心の志で御身をこの総本山にお運びになり、一致団結して開催されました妙観講第十五回の総会、まことにおめでとうございます。
 先程来、さまざまな方々からの体験発表、あるいは、また、決意発表等々、お伺いをいたしまして、たいへん有り難く、そして、また感激もいたしました。他の講中では、なかなかお伺いすることができない、また感ずることのできない感激を、新たに感じさせていただいて、心から感謝を申し上げる次第でございます。

 「名は体に至る徳あり」と申します。先程来、妙観講のできてきた因縁等もお話の中にございましたが、御承知のように、この妙観講の御命名は、御先師日達上人の阿闍梨(あじゃり)号をお取りになって、付けられたものと、お伺いしております。
  我々、日達上人によって発心をし出家をした者にとっては、そういう意味において、意義も、そしてまた親しみも感ずる次第であります。

 さらにはまた、これは爾前(にぜん)経の中でありますけれども、四智・五智といわれる仏様の智慧の中に、「妙観察智」という智慧があります。この妙観察智は、「一切衆生・一切世間の中における差別の姿を示して、一切の人々に、自由自在の利益を与える智をいうのである」ということが説かれてあります。
 今、かの邪教創価学会において盛んに言われている、「自由である」とか「人間主義である」とか「平等である」とか――、こうした、仏の説かれた教えを自らの考え・思考によって邪義と化して、我が意を他に植えしめるための、悪平等の姿、そういうものを破ることが、また「妙観察智」の説かれた意義にも相通ずるものと思います。

 ともあれ、妙観講が、創価学会の邪教に対して、指導教師、そしてまた講頭を中心とされて、日蓮正宗の矢面に立って第一線でそれを破折されている姿を、その姿を五百に過ぎる各講中が、目標とし、また手本として続いている、ということを、 どうぞ皆さん方には、誇りとし、また、それを大きな責務とお考えいただいて、今後、いよいよ講頭を中心にして、前進せられることを、心から御祈念申し上げる次第であります。

 過日、御法主日顕上人猊下が、我々僧侶に対して、「流溢(るいつ)」ということを仰せられました。流れ溢(あふ)るる、という言葉でございます。
 今日、この総会に参加させていただいて、妙観講の現在の活動の活力、それはやはり、お一人お一人の信心、そして御法主上人猊下の心を心として励んでいる修行のところに、本が存するということを感じさせていただきました。
 この、「流溢」という言葉――自らの境涯に妙法の功徳を充満せしめて、それを溢れさせて他を化するという、この御法主上人のお言葉そのままに、いま妙観講が、一致団結し講中一丸となって、大聖人様が仰せの
 「彼の万祈を修せんより、此の一凶を禁ぜんには」(御書二四一頁)
という御金言を実践し、そして、また先程も申し上げたように、他の講中の手本になっているという現実――。

 もし、皆さん方の背中に礫(つぶて)を当てる者、矢を射(い)る者が、皆さん方の背中の方からあったとすれば、それは、我々僧侶においても、信徒においても恥ずべきことであり、御本仏様からのお叱りを受けることであると、今日は、深く感じた次第でございます。

 どうぞ妙観講の方々が、いっそう、それぞれの信心を堅固に、そして日蓮正宗の他の講中のさらなる牽引(けんいん)力となって、いよいよ発展し前進せられることを心から御祈念申し上げ、一言お祝いに替える次第でございます。  
  まことに、おめでとうございました。

戻る

 

 

 


正法正師に信伏随従を  

総一坊御住職 山崎慈昭御尊師

 理境坊所属妙観講第十六回総会まことにおめでとうございます。また支部総登山が重なりまして、おめでとうございます。
 先程来、終始皆様方のお話を聞かさせていただきまして、非常に感銘を受けた一人でございます。

 さて、私たちは、何が大切かといいますと、御法主上人猊下に一結して信伏随従し、その目的に向かって、心を一つにして何事も成就していくことが、大切ではないかと思います。
 御法主上人猊下のお言葉の中に常に言われていることは、内にあっては「祖道の恢復(かいふく)」と「異体同心の確立」の二つ、そして、外に向かっては「広布への前進」ということを、常におっしゃられております。

 先ほど小川御住職からお話しがありましたように、先般の教師指導会の折にも、一番に私たちが救っていかなければならないのは、創価学会員であるということをお示しあそばされております。ですから私たちは、一にも、二にも、慈悲の心をもって創価学会員の人たちを救い、なおかつ、自分の境涯を高めていくことが肝要ではないかと思います。

 中国のことわざで「遺児を託す」ということをご存知かと思いますが、 私の知っている限りでは、自分の大切な子供を、自分のこれだと思う人に託すことであります。
  そして自分の思いを成就するために、その子に、さらに孫に、子孫に、伝えていくことであります。日蓮正宗でいえば、法統相続ということがそれに当たると思います。

 大聖人様が私たちに御指南されている中で、一番大切なことは、立正安国ということだと思います。「正を立てて国を安んずる」――、一人一人がこの大聖人の教えを心に刻み、私たちがそれを成就するために闘っていくということが大切だと思います。
 大聖人の御金言に  
「命限り有り、惜しむべからず。遂に願うべきは仏国なり」(御書四八八頁)
とおっしゃられたことが、それに当たると思います。
 私たちの一番の根幹は、大聖人様の建立された戒壇の大御本尊様、そして法体を所持あそばされている御法主上人猊下に信伏随従し、しっかりとこの御聖訓を心に染めていくところに、そのまことの成就がある、ということだと思います。

 私たちは、一人一人が御聖訓を身に体し、嬉しいこと、悲しいこと、いかなることがあっても、常に御本尊様の前に座って御題目を唱える。そして功徳をいただいたならば、それをもって、さらに他に広めていく――という心掛けでありたいものだと思います。
 皆様ご存知だと思いますが、
「深く信心を発(おこ)して、日夜朝暮に又懈(おこた)らず磨(みが)くべし」(御書四六頁)
という御言葉がありますが、どのように磨くかといえば、ただ余念なく、南無妙法蓮華経と唱えることが一番大切なことだと思います。

 総会を契機に、御法主上人猊下の御慈悲に包まれてのいよいよの御精進と、指導教師・小川御住職の御指導のもと、また大草講頭の適確なる御指導を得て、一人一人のさらなる前進をお祈りして、祝辞に代えさせていただきます。
本日は大変ありがとうございました。また、おめでとうございました。

戻る

 

 

 


妙観講は法華講の精鋭部隊
  異体同心でさらなる折伏を

東之坊御住職 佐藤彦道御尊師

 本日は、妙観講第十七回総会が、かくも盛大に開催されますこと、心よりお喜び申し上げます。まことにおめでとうございます。
 僭越ではありますが、一言、御祝辞を述べさせていただきます。

 宗祖日蓮大聖人様は、 『異体同心事』に
 「日本国の人々は多人なれども、同体異心なれば諸事成(じょう)ぜん事かたし。 日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候へども大事を成じて、一定 (いちじょう)法華経ひろまりなんと覚へ候。悪は多けれども一善にかつ事なし」(御書一三八九頁)
と仰せであります。

 大聖人様の時代は、念仏をはじめとして、禅宗、真言宗、律宗等の謗法が、非常に盛んだった時代であります。この諸宗が権力と結託して、大聖人の一門を弾圧したのであります。
 しかし、この時は、日本国の人々が多くても、皆それぞれ、信心が別々でありました。
  ですから、これら諸宗は、同体異心≠ナあります。しかし同体異心≠ナあれば、あらゆることは成じ難いのであります。  
  反対に、大聖人門下は 異体同心=Aすなわち、人それぞれの生活、立場はさまざまでありますが、その志が一つである故に、必ず大事を成じて、大聖人様の教えが広宣流布してゆくのであります。悪は多くても、けっして一善に勝つことはないのであります。

 現在の日本は、いまや大謗法団体と成り下がった創価学会をはじめとして、オウム真理教のようなカルト教団、既成仏教、また新興宗教と、数多くの宗教団体があります が、しかし、どれもが大聖人様の教えに背く、法華経の心に背く邪義でありまして、これらの宗教では、けっして救われることはないのであります。
 ましてや、池田創価学会のように、名聞名利(みょうもんみょうり)を追求するようでは、組織はすでに崩壊寸前であるということ、疑いないのであります。

 一方、我が日蓮正宗は、「人々すくなく候へども」とありますように、謗法団体と比べれば、人数は少ないかもしれません。しかし、本日ここに参集された妙観講の方々をはじめとする、日蓮正宗法華講は、志を一つにして、いかなる謗法団体をも打ち破っていかなければならないのであります。
 妙観講の方々は、いまや、日蓮正宗法華講の精鋭部隊であります。
 私は、本日、この妙観講の総会に参加させていただきまして、非常に心強く感じました。
 この妙観講があれば、日蓮正宗は安泰である、どのような謗法団体をも必ずや打ち破ることができる、と確信するものであります。

 御存知のように、七年後の平成十四年は、宗旨建立七百五十年を迎えるのであります。妙観講の方々は、非常に若い方が多いように見受けられますので、皆さん方が漏れなく、この記念すべき大法要に参加することができる、たいへん福徳厚い方々であると存じます。
 せっかくこの記念すべき大法要に巡り合うことができるのでありますから、より盛大に、より胸を張って、より堂々と参加したいものであります。
 そのためには、まず本年より御法主上人猊下の御指南のごとくに、
一年に一人が一人の折伏を
  これを合言葉に、必ずやるんだ、成し遂げるんだ、との信念・気迫をもって日々精進することが肝要と存じます。

 大聖人様は、『如説修行抄』に  
  「されば末法今の時、法華経の折伏の修行をば誰か経文の如(ごと)く行じ給へる。誰人にても坐(おわ)せ、諸経は無得道・堕地獄の根源、法華経独(ひと)り成仏の法なりと音(こえ)も惜しまずよばはり給ひて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵来たらん事は疑ひなし」(御書六七三頁)
と、このように仰せであります。
 声を惜しまず、大聖人様の仏法の正しさをもって、謗法は堕地獄の根源であることを訴えてください。それが、自分自身の成仏の道であり、家族一同の幸せの道であり、ひいては、日蓮正宗外護の道であります。

 最後に、注意していただかなくてはならないことは、このような仏道修行をする時には、それを妨げようとして、必ず魔の働きが起こってまいります。それは、自分自身の信心に隙(すき)があるときや、信心が伸びようとしているときに、元の迷いの生活に引き戻そうとして、魔が競い起こってくるのであります。
 そこで大聖人様は、この魔を打ち破っていくためにはどうしたらよいのか、ということについて、『聖人御難事』に
 「月々日々につより給へ。すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(御書一三九七頁)
と仰せであります。すなわち、月々日々に、常に油断・怠(おこた)りなく、真剣に強盛(ごうじょう)に信心を進めてゆくことが大切である、ということであります。
 強い一念で御本尊様に祈り、折伏し、精進(しょうじん)を重ねていく、そこに仏様の御加護を頂戴し、魔が付け入る隙はなくなるのであり、あらゆる魔を打ち破っていくことができるのであります。  

  皆様方の、いっそうの御精進と、この妙観講のますますの御発展をお祈り申し上げまして、本日の私の御祝辞とさせていただきます。

戻る

 

 

 


妙観講々員である歓(よろこ)びを持て!!
日々の信仰を基(もと)に、
ますますの講中発展を

総一坊御住職 山崎慈昭御尊師

 妙観講第十八回総会の大成功を、心よりお祝い申し上げます。小川御住職、大草講頭、そして講中の皆さん、本日はまことにおめでとうございます。(拍手)
 また、全国各地から総本山に登山され、たいへん御苦労さまでございました。
 この記念すべき良き日に、小川御住職より、 「祝辞を」との御命がありましたので、来賓の御住職方を代表し、ほんの少々お話をさせていただきます。

 ただいま、さまざまな体験・確信発表をお聞きし、深く感銘を受けました。このすばらしい総会にお呼びいただき、「山内の住職で良かった」と、こう思いました。
 皆さんも「理境坊妙観講々員で良かった」と確信いたしましたか?いかがでしょう!(大拍手)
 力強い拍手、ありがとうございました。これで私の役目は終わりです(笑い)と言いたいのですが、もうしばらくがまんして聞いてください。

 私もわずかではありますが、御信徒をお預かりしています。その中のお一人お一人から、功徳の実証を聞くたびに、大変にうれしく思います。この大いなる功徳の源は、常に仏様の前に座り、唱題に唱題を重ねることから始まります。

 しかし、人間は少し物事が良くなると、すぐに「ことの重大さ」「ありがたさ」「大切さ」そして「貴さ」を忘れてしまいます。これでは絶対に良くなるはずはありません。
 信心即生活を本当に実践しようとするならば、今一度、自分の姿を、そして心根を、御本尊様というすばらしい明鏡に映し出して見てください。そこには必ず何かが映るはずです。否、映るまでしっかりと磨くということが、大切なのであります。
 猊下様は、  
「何といっても、人間は鍛えなければならない。磨かなければならない。その磨くという意味の一番の根本は、勤行なのであります」
と仰せられています。
  それは、御書に
 「深く信心を発こして、日夜朝暮に又懈(おこた)らず磨くべし。何様にしてか磨くべき、只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云ふなり」(御書四六頁)
と仰せのように、我々は日々、鍛え磨くということを念頭に置き、精進していくべきであると存じます。
 しっかりと磨くとは、御本尊様の「妙」の字を見て、目を開き、真剣に「南無妙法蓮華経」と、声を惜しまず拝することなのであります。これで変わらない人は、「自己に欠陥あり」と、大いに反省すべきではないでしょうか。

 結論として、「自行化他に亘(わた)る信心」とは、自行である勤行・唱題が日々真剣にできておれば、自然に折伏・再折伏がしたい、という気持ちが起き、このすばらしい法を伝えたいという気持ちが働きます。
  さらに、折伏ができると大いなる歓喜に満ち溢れ、充実し、すべてが最高の状態に なるのであります。

 されば、功徳の根本は、 常に正直な心で、素直に南無妙法蓮華経と信じ、唱え、持(たも)ち、行ずることが肝要と存じます。
 この事を生涯忘れず、日蓮正宗の宗旨の根幹である、独一本門戒壇の大御本尊様に対する絶対の信心と、歴代御法主上人の御指南をどこまでも受けきることにより、「成仏の境涯は間違いなく得られるんだ」と確信してください。
 大聖人様の正しい仏法を多くの方に「知っていただきたい」「信仰していただきたい」という精神、気持ちがこの時局に当たり、非常に重要であります。すなわち、折伏する人も、される人も、共に大きな功徳があるということを再確認をすべきと存じます。

 今年は「開拓の年」であります。開拓の基本は、遠くにあるのでなく、あなた方の信心から始まります。  
  ですから、今一度、初信に帰り、 「仏壇に埃(ほこり)はないですか?」 「おしきみは青々としていますか?」 「毎日香炉(こうろ)の灰は増えていますか?」「ローソク、お水、仏飯は大丈夫でしょうか?」 「仏壇が物置になっていないでしょうか?」と、自己診断をしてみることも、時には必要と存じます。

 過日、「第三回講頭・副講頭指導会」の砌(みぎり)、猊下様より、
 「『日蓮正宗の信仰に入って良かった』『この講中に入って良かった』という支部を作ってもらいたい」
旨のお言葉がありました。
 どうか、このお言葉のとおり、猊下様の御指南に信伏随従され、小川御住職の御指導と、大草講頭の熱き激励のもと、信心にお励みいただくことが肝要と存じます。
 猊下様の御命題である宗旨建立七百五十年を目指し、本日を機会に一致団結・異体同心の信心に住して、「一人一人が立つ」という気迫のもと、ますますの講中発展をお祈り申し上げます。

 宗祖日蓮大聖人『松野殿御返事』に曰く、
 「然るに在家の御身は、但余念なく南無妙法蓮華経と御唱へありて、僧をも供養し給ふが肝心にて候なり。それも経文の如くならば随力演説も有るべきか。世の中ものう(憂)からん時も今生の苦(く)さへかなしし。況(ま)してや来世の苦をやと思(おぼ)し食(め)しても南無妙法蓮華経と唱へ、悦ばしからん時も今生の悦びは夢の中の夢、霊山浄土の悦びこそ実の悦ひなれと思し食し合はせて又南無妙法蓮華経と唱へ、退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ」(御書一〇五一頁)
と。

 最後に、講員の皆さま方の、 いよいよの御活躍と御健康を心よりお祈り申し上げ、私の祝辞といたします。  本日は本当におめでとうございました。また、ありがとうございました。

戻る

 

 

 


不思議の妙法唱題を根本に
 [悪]の学会折伏と講中発展へ

総一坊御住職 山崎慈昭御尊師

 新緑のさわやかな五月晴れの今日、日蓮正宗総本山大石寺塔中広布坊の御宝前における妙観講第十九回総会、衷心よりお喜び申し上げます。
  その上、池田大作の率いる、心ない職業幹部等に操られた、哀れな学会員の嫌がらせ・妨害をものともせず、素晴らしい異体同心の、みごとな大結集、心よりお祝い申し上げます。
 小川御住職、大草講頭、そして講中の皆さん、本日は、まことにおめでとうございます。(大拍手)

 この良き日に、小川御住職より「祝辞を」とのお話がありましたので、来賓の僧侶を代表し、少々、お話をさせていただきます。
 ただいま、代表の方々による、御本尊様よりいただいた多くの功徳の実証、飾り気のない、真の宿命転換できた喜びの体験発表、そして、佐藤副講頭をはじめ講中幹部の方々の正法護持の赤誠ある確信発表をお聞きし 、 「本当に大聖人様の御法、日蓮正宗の信心は尊い、素晴らしい、そして有難い」 と、今、私は充実感に満ち溢(あふ)れています。
 心から仏祖三宝様へ御報恩申し上げ、出席の機会を与えてくださった小川御住職をはじめ、妙観講の皆様に感謝申し上げます。ありがとうございました。

   さて、皆様御承知のごとく、今年は充実の年であります。御法主上人猊下は、新年のお言葉で、
 「充実とは、一言もっていえば、ただ、不思議の妙法の実践にあります」
と御教導あそばされています。
 また、今年元日より、猊下様の大導師を賜わり、仮客殿で一ヶ月間の唱題行が奉修され、不思議の妙法の実践を示されました。

 猊下様は、この唱題行の意義を三つに括られ、
 一には、一月は年の始め、物事の始めのため
 二には、総本山が全国僧俗の範を示すため
 三には、この一年間の糸口とするため
と御指南あそばされています。
 その上、唱題こそ、すべてを開く元であることを随所で御教示くだされ、もったいなくも、御自ら、今年一年間で百万遍以上の唱題をなされ、その功徳を遍(あまね)く多くの方々へ御回向くださり、正法護持・興隆に励まれる、との有難いお言葉をしっかりと受け止め、私達は、猊下様の陣頭指揮のもと、広布へ前進できる喜びを大いに知ることが大切であります。

 去る平成六年、まだ、記憶に新しいことなので御存知だと思いますが、六百億遍の尊い唱題行の実証をもって、 日蓮正宗全僧俗の真心の御供養の結果として、あの平成の六万塔と、この広布坊が建立されました。
 さらに、今また、大聖人様の御法が日本から全世界に向かって流布される前兆として、来年四月、新客殿が、僧俗一体となった信心の実証により建立されます。  この時こそ、日寛上人が『依義判文抄』に仰せの、  
「一心欲見仏とは即ち是れ信心なり、不自惜身命とは即ち是れ唱題の修行なり」
とのお言葉を、皆様が心肝に染められ、信行具足(ぐそく)の題目を実践し、「信心とは、折伏・再折伏なり」と心得てお励みいただくことが肝要であります。

 さて、話は変わりますが、「悪」という字は亜細亜(アジア)の「亜」に「心」と書きます。「亜」とは、主なものに次ぐ、醜いことの意で、そこに、「心」を添えて、「心が醜い、その様(さま)」という意味を表わすそうであります。
 ですから、悪人、悪意、悪口、罪悪などの熟語があり、そこから害毒や損害をもたらすさま(悪条件、悪知識)などをいい、美しくないさま (悪食、悪筆、醜悪、俗悪)などを表わすそうであります。
 以上の例に挙げた言葉の音は「アク」ですが、 ほかに「オ」とも発音します。 悪寒、好悪、嫌悪などがあります。
   聡明な皆さんは、なぜ、私が「悪」の字について、お話したか、おわかりですね。そのとおりです。皆さんが思っているとおり、「悪」とは、すなわち創価学会なり、と申したく、悪の字についてお話しました。

 大聖人様は『一代聖教大意』に、
 「上品の十悪は地獄の因業、中品の十悪は餓飢(がき)の因業、下品の十悪は畜生の因業」(御書九五頁)
と仰せられ、また、有名な御聖訓であります『異体同心事』には、  
「悪は多けれども一善にかつ事なし」(御書一三九〇頁) と、悪について御教示あそばされております。
 ともかく、私達は、「正直」の二字をもって、不思議の妙法の実践である自行化他の信心、すなわち、勤行、唱題行そして折伏行、なかんずく学会員の再折伏に励むことが、現時局に適(かな)った最高の御信心なのであります。
 どうか、猊下様の御指南のままに、指導教師小川御住職のもと、大草講頭をはじめ幹部の方々の適切な激励を受け、御信心にお励みいただきたいと念願いたします。

 五年後に迫った平成十四年、宗旨建立七百五十年を目ざし、本日を機に、全講員の皆様お一人おひとりが、再出発・再発心され、小川御住職・大草講頭と共に、僧俗一途・異体同心され、「我こそ、創価学会の邪悪の根源を断ち、妙観講を充実・発展させるのだ」という気迫をもって、自行化他にわたる御信心と講中発展に御精進ください。
 皆さん、いかがですか。(大拍手)  ぜひ、頑張ってください。

 宗祖日蓮大聖人、『義浄房御書』にいわく、
 「日蓮云はく、一とは妙なり、心とは法なり、欲とは蓮なり、見とは華なり、仏とは経なり。此の五字を弘通せんには不自惜身命是なり。一身に仏を見る、心を一にして仏を見る、一心を見れば仏なり。」(御書六六九頁)

 最後に、本日ここにお集まりの皆様方の、いよいよの大法流布への御活躍と御健康をお祈り申し上げ、簡単ではございますが、お祝辞とさせていただきます。  本日はおめでとうございました。(大拍手)

戻る

 

 

 


妙観講員となり二十回総会に集った因縁
唱題と折伏でさらなる御奉公を

総一坊御住職 山崎慈昭御尊師

 清々しい初夏の爽やかな今日、日蓮正宗総本山大石寺大講堂において、妙観講第二十回総会、心よりお喜び申し上げます。  
 それにしても、 いつも見事な異体同心の団結による、 御信心に即された大結集、心より敬服申し上げます。小川御住職、大草講頭そして講中の皆さん、本日は本当におめでとうございます。(大拍手)

 第二十回という栄えある筋目に、小川御住職より「祝辞を」との御話がありましたので、来賓の僧侶を代表し、少々お話をさせていただきます。
 只今は、それぞれ代表の方々による体験発表、経過報告などをお聞きし、「日夜正法護持に、真剣に活躍されている妙観講の皆様方の御信心は、本当に素晴らしい」とエールを送るものであります。
 どうぞ、これからも、指導教師小川御住職そして大草講頭のもと、信・行・学を磨き、充実した信心即生活を築いていただきたい、と念ずるものであります。

 さて、僧俗一同が待望久しかった客殿が落成し、御法主日顕上人猊下大導師のもと、去る三月二十五日の新築落慶大法要を皮切りに、翌二十六日から四月五日まで慶祝記念大法要が、全国より十万名以上の篤信(とくしん)の法華講員の参詣を得て、盛大に晴れやかに奉修されました。
 また、妙観講からも大草講頭を始め、多くの講員の皆様が、この大慶事に日本全国各地より馳せ参じてくださいました。
 このように御法主上人御指南のもと、客殿慶祝十万登山を完遂した私達日蓮正宗の全僧俗は、平成十四年立宗七百五十年を目指し、僧俗一途・異体同心し、正法護持と真実の広布への前進を開始したのであります。
 申すまでもなく、皆様すでにご存じのように、この客殿建立の意義は、宗祖日蓮大聖人の仏法が、日本から全世界に向かって流布される前兆として、全僧俗が一体となった信心の実証で建立されたものであります。

 さらに四月五日には、御法主上人の
「大御本尊の御遷座(ごせんざ)こそ『革進の年』に相応しい最重要事」
との御英断と迅速な御施政で、増築された新奉安殿へ宗旨の根幹であります本門戒壇の大御本尊が御遷座あそばされました。
 これこそ、池田大作らの醜い悪縁を絶ち、真の正法広布を、正信の僧俗である私達僧侶と皆様方法華講員のみで、何としても、必ず実現していくのだ、という御法主上人の御決意の上から、今回の御遷座があったものと推察いたすものであります。

 私達は、この意義ある時に巡り遭(あ)えた身の福運に、大なる喜びを感じ、宗祖日蓮大聖人、日興上人、日目上人以来御歴代上人、そして御当代御法主上人にお応えし、お仕え申し上げようではありませんか。
 このような意義深き同じ年に、第二十回という記念すべき総会の節目を迎えたことは、単なる偶然ではないのであります。
 これは皆様方一人ひとりが、自ら一番よく判っているはずであります。妙観講の一員となったのは単なる偶然ではなく、因縁によるものなのです。それと同じことであります。

 その上で重要なことは、大聖人様仰せの、  
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」(御書六六六頁)
との御金言のごとく、私達は地涌の菩薩の眷属という因縁で支えられ、守られているのだ、と確信すると同時に、御命題の大佳節に向かって前進すべき時が今である、と自覚し、実践することであります。
 日寛上人の『如説修行抄筆記』に、
 「常に心に折伏を忘れて四箇の名言を思わずんば心が謗法になる也、口に折伏を言わずんば口が謗法に同ずる也、手に数珠を持って本尊に向わずんば身が謗法に同ずる也」(歴代法主全書六巻三二九頁)
とある御指南を心に刻み身に帯して、信行具足の信心を実践し、現時局における事の重大さをよく認識され、「信心とは折伏行にあり」と精進(しょうじん)することが肝要なのであります。

 ともかく、私達は「破邪顕正」を旗印に、猊下様の仰せの、「不思議の妙法の実践」に精励し、地獄へ向かう多くの人々を救う使命があります。この使命は、正しい信仰の先達である私達しかできないのであります。
 特に、その中においては、池田大作の悪縁に騙(だま)されて大謗法集団の一員と成り下がった創価学会員の折伏に励むことが、今、もっとも理に適った最高の御信心であります。

 どうか、猊下様の常の御指南である「一日三十分乃至一時間以上の唱題」と「一年に一人がひとりの折伏」を実行され、指導教師小川御住職の御指導のもと、大草講頭を始め幹部の方々の適切な激励を受け、そして、皆様方妙観講の本日のこのプログラムの「宗旨建立七百五十年の大佳節と池田の野望終焉(しゅうえん)の時をめざし、使命遂行の最終ステージヘ発進!」のスローガンのもと「革進の年」の御信心に磨きをかけ、四年後の大慶事である「三十万総登山の実現」を合言葉に、全講員皆様方一人ひとりが、この記念すべき本日の第二十回総会を機に、「創価学会の邪義を打ち破り、真の正法広布のために御奉公させていただこう」という強い生命力と気迫で、為宗為法と令法久住、そして講中発展のために、いっそうの精進を心掛けてまいりましょう。

 宗祖日蓮大聖人『諸法実相抄』に曰く、
 「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず。皆地涌の出現に非ずんば唱へがたき題目なり。日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつたふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌の義に非ずや。」(御書六六六頁)

 最後に、本日ここにお集まりの皆様方の、いよいよ真の正法広布への御活躍と御健康をお祈り申し上げ、お祝辞とさせていただきます。  本日はまことにおめでとうございました。(大拍手)

戻る

 

 


信心は「大きな場の中」で育つ
総会契機にいよいよ折伏・育成を

総一坊御住職 山崎慈昭御尊師

 新緑もまばゆいさわやかな本日、総本山の領域において、「異体同心して正信を受け継ごう」とのスローガンのもと、開かれた妙観講第二十一回総会、心より御慶(よろこ)び申し上げます。小川御住職、そして大草講頭を始め講中の皆さん、本日はまことにおめでとうございます(大拍手)。

 小川御住職より「祝辞を」との有り難いお話がありましたので、来賓を代表し、少々申し述べさせていただきます。  ただいま、代表の方々によるさまざまな発表をお聞きし、広宣流布と令法久住のため真剣に取り組んでいらっしゃる、妙観講の皆様方の御信心 は、法華講員のお手本である、と断言できます。
  どうぞ、これからも小川御住職と大草講頭のもとにあって、ますます自行化他の御信心に精励(せいれい)なされ、充実した境涯を築いていただきたいと念願いたします。
 それにつけても、講員皆さまの異体同心による見事な大結集、本当に敬服申し上げます。重ねておめでとうございます(拍手)。

 さて、宗内僧俗一同にとりまして待望久しかった奉安堂の概要が、御法主日顕上人猊下御指南のもと、去る五月十三日の奉安堂建設委員会、そして五月二十日の寺族同心会のみぎりにて、建物の概要がパネルや模型などで発表がありました。
 本門戒壇の大御本尊様を厳護御安置し、荘厳(しょうごん)奉る大殿堂として、それは大変素晴らしいものであります。
 次回、大白法・大日蓮などで奉安堂の写真が掲載されると思います。ぜひ楽しみにお待ちいただきたいと思います。しかし、「私はどうしても待てない」という皆さんのために、内事部前の廊下に、奉安堂の模型と完成予想図が展示してあります。どうぞ、ご覧ください。
   この奉安堂建設委員会では、皆様方の指導教師である小川御住職が、奉安堂建設の中心的立場である主事としてご活躍されており、平成十四年宗旨建立七百五十年の大佳節に、立派に慶祝大法要ができるよう、鋭意努力されております。

 今、このように御法主日顕上人御指南のもと、平成十四年宗旨建立七百五十年へ向け、日蓮正宗の全僧俗が一丸となり、正法護持興隆のため、一人ひとりが立ち上がり、与えられたご命題に、それぞれが最善を尽くし、ご奉公に励ませていただいているのであります。
 猊下様のご指南のごとく「まなじりをあげて戦うため」に出陣したのであります。大聖人様が『新尼御前御返事』に、
「一閻浮提の人々各々甲胄(かっちゅう)をきて弓杖(きゅうじょう)を手ににぎらむ時、諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給はざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存ぜば、諸王は国を扶け万民は難をのがれん」(御書七六四頁)
と仰せのごとく、私達は大御本尊様のご加護を固く信じ奉り、正法正義を高揚(こうよう)しなくてはならないのであります。

 具体的に猊下様は、
 「一人ひとりが折伏をし、自行化他の行業において罪障消滅し、また正法の功徳を顕わし、成仏の本懐を遂げていくことが肝要でありますが、やはりなんといっても、 それは一人ひとりがただ一人でできることではなく、大きな場の中において、いろいろな因果関係により育成されていくものと思うものであります」
と、今年初登山の折り、全国講頭・副講頭など各講中代表の方々に御指南なされております。
 したがいまして、 このように妙観講の方々が一同に会して、 同じ志をもって広宣流布のために勇猛精進できることは、これ以上ない身の福運が、この総会にある、といえます。
 すなわち、この総会の推進にあたって並々ならぬ御尽力をされた結果 が、広宣流布へ、即そのまま多くの人材輩出となり、必ず一人立つ信心に目覚めると同時に、この総会で得た、何ものにも代えがたい信心の確信 が、下種・折伏行へつながるのであります。
 すなわち、この総会が即講員育成の場になり、ひいては、宗旨建立七百五十年慶祝大法要への妙観講総勢六千九十余名という多くのお登山参詣(さんけい)の大原動力となるのであります。

  さて、大聖人様が『御義口伝』に、
 「成とは能成所成(のうじょうしょじょう)なり。或は開く義なり。法界無作の三身の仏なりと開きたり」(御書一七六六頁)
とご教示のごとく、 成仏とは、 だんだんと仏に近づき最後に仏様になるのではなく、私達凡夫の身に本来備わっている南無妙法蓮華経の仏性(ぶっしょう)、つまり仏界の生命が、即湧現(ゆげん)されるのであり、開かれるのであります。
 しかし、 簡単には開くことはできません。同じ口で、正行である題目を唱えながら、一方では、愚癡(ぐち)や悪口などを言う、だから成仏は難しいのであります。
  しかしながら、戒壇の大御本尊と境智冥合させていただき、大聖人様以来の唯授一人の血脈ご相承をお受けなされた、その時代・時代の御法主様に信伏随従するところ、自体顕照し、即身成仏の境涯が即座に開けるのであります。
 ですから猊下様が、  
「かぎりなく 境涯ひらく 題目を 常にとなへつ 広布目指さん」
と今年「出陣の年」唱題行のみぎりにお詠(よ)みになられた意は、ここにあると拝察するものであります。  

  どうか、本日ここにご参集の皆さまには、常に猊下様の御指南のもと、指導教師小川御住職そして大草講頭とともに、宗旨建立七百五十年の大佳節に向かって、立派にその責務を果たされんことを切望するものであります。 宗祖大聖人『富木入道殿御返事』にのたまわく
「命限り有り、惜しむべからず。遂に願ふべきは仏国なり。」(御書四八八頁)

 最後に、本日ここにお集まりの皆様方の、いよいよ平成十四年三十万総登山に向けての、真の正法興隆へのご活躍と御健康をお祈り申し上げ、お祝辞とさせていただきます。  本日はまことにおめでとうございました(大拍手)。

戻る

 







   
来賓激励(特別参加の体験談)
護法の一念で悪質な癌(がん)を克服!!

  正光寺法華講講頭 小池一彦氏

凄まじい学会の嫌がらせ

 本日は、妙観講第二十回総会にお招きいただき、 また、 この記念すべき総会で、 私に体験を述べさせていただく機会を与えられましたことは、 光栄の極みです。まことにありがとうございます。

 私は、昭和三十六年、五歳の時に、創価学会員として日蓮正宗に入信いたしました。 そして、 父母と共に、熱心に活動する学会っ子として育ってまいりました。
 そんななか、 父が学会活動中に脳血栓で倒れ、 事業の精算を余儀なくされたり、また、僅(わず)かばかり残ったお金を、同志である学会員に騙(だま)し取られて一文無しになってしまうなど、様々なできごとが続きました。
 さらに、私が一生懸命、学会活動をすればするほど、創価学会の危険な体質を見せつけられ、ついに平成二年二月、御法主日顕上人猊下のもとで正しい信心をしたい、との思いで、地域の同志達とともに創価学会を脱会いたしました。

 私の脱会は、県総合女子部長、県主任部長という要職を経験した学会職員や、地域の男子部幹部を、多数巻き込んでの脱会でありましたので、学会からの憎しみが集中しました。
 例えば、私を呪(のろ)う唱題表が配布されたり、道ですれ違った見ず知らずの小学生までが私を誹謗したり、また、近年の学会幹部の話によると、私を殺してもいい、と考えている者までいるそうです。

 それでも、怯(ひる)むことなく学会との闘いを続けていきましたところ、平成八年の暮れより、学会怪文書『勝ち鬨』が、嘘と捏造の記事をもって、私の誹謗中傷を連載で始め、全国に配布いたしました。
 明けて平成九年になりますと、学会は、この『勝ち鬨』に加え、県青年部長名で私を中傷する変態文書を作成し、各所に配布する、という馬鹿げた行為を始めました。
 この時期は、 ちょうど仕事の面においても、 業界自体が平成不況の影響を受け、年間の商い高が半分になったとも言われている状況でしたので、私の経営する会社も、立て直しに四苦八苦している、たいへん多忙な時でありました。
 私は、仕事がこんな大変な時に、学会も厄介(やっかい)なことをしてくれた、と思いましたが、その時に、妙観講の佐藤副講頭から、「これは折伏ゆえに起きた難なのですから、 かえって罪障消滅ができて、良くなりますよ」との話がありました。今になって思えば、本当に、そのとおりの結果となっております。

癌の告知、一度は死を覚悟

 ところで私は、学会男子部だった時代に、きわめて重い糖尿病を患いました。その糖尿病を引きずったまま、それ以外にも複数の病を抱えてしまい、長い年月にわたって、毎月病院へ行き、常に医者に管理されている状態でした。
 そんな体の状態でも、食べることと飲むことが大好きで、酒の量を減らすことも、食事の量を減らすこともできず、お酒にいたっては、どれほど多忙であっても、毎晩、缶ビール二本、冷酒二本、ウィスキーの水割り四杯、そして仕上げはワインか焼酎をと、まるで浴びるがごとく飲み続けていました。
 医者からは「このままでは、間違いなく五年前後で死ぬことになりますよ」と警告されましたが、私は、「酒を止めるのなら死んだと同じですから」と言って、まったく酒を減らしませんでした。
 こんな状態ですから、私は病院から、最低年一回の胃カメラを義務付けられています。

 この時も、 四月までには必ず胃カメラを飲むように、 と指示されていたのですが、学会のバラ撒(ま)く怪文書への対応と、仕事の立て直しに追われ、ついつい時間を惜しんで胃カメラを飲まずにいたのです。
 それでも、なんとか夏頃までには胃カメラでの検査をしよう、と考えておりましたが、夏になると、学会は、今度は『聖教新聞』を使い、実名入りで私を誹謗中傷してきました。
 私は、 この悪質な『聖教新聞』の行為に対し、弁護士とも綿密な打ち合わせの上、甲府地検に刑事告訴を行ない、続いて学会怪文書『勝ち鬨』に対しても刑事告訴を行ないました。
 そんな関係上、胃カメラでの検査は、大幅に遅れて十月になったのです。

 その時の検査は、いつもより時間が長い上に、途中、慌(あわ)てて専門医を呼ぶ声などが聞こえ、さらには「生検、生検」という言葉が妙に気にかかりました。生検というのは、 御承知のように、肝臓とか胃の細胞を直接取って検査することです。
 終了後、検査した医師より、「潰瘍(かいよう)がありましたが、心配はないと思います。いちおう、その部分の細胞を取って検査に回しておきました」との説明があり、私はすっかり安心していました。
 ところが、数日後、病院より突然電話があって、「家族の方と来てください」とのことでした。「もしや」と不安を募(つの)らせながら、指定された時間に妻と二人で病院に行き、詳しい説明を聞きました。
 医師が困惑した顔で言葉を選びながら話す様子に、私は、「つまり、癌(ガン)ですか? 私は信仰を持っていますので、ハッキリ全てを話してください」とお願いしました。
 すると医師の回答は、「かなり悪質な癌で、それも極めて危険な状態であり、早急に手術を要する」との内容でした。

 その時、看護婦さんには、私が何の動揺もしていないように見えたらしく、「これほど悪質な癌を告知されたにも拘(かか)わらず、まったく動揺していない方を初めて見ました。何をされているのですか?」と尋ねてきましたので、私は、日蓮正宗の信心をしていること、聖教新聞を刑事告訴していること、さらに創価学会の反社会性を語り、病院としての今後の配慮をお願いしました。
 それから私は、真っ先に正光寺へ向かい、指導教師である夏井育道御尊師に病気のことを報告し、今後のことについて種々御指導をいただきました。
 しかし、何を報告して、どんな御指導をいただいたか、よく覚えていません。とにかく私は、「死を迎えるまで講頭として恥ずかしくない信仰をしよう」と、もう死を迎えることで頭がいっぱいだったのです。

 正光寺を出て家路に向かう途中、共に学会に対して闘ってきた大草講頭や佐藤副講頭にとにかく連絡しなければと思い、自動車電話で佐藤副講頭に連絡をいたしました。
 夜遅くのことで、しかも遠い道程であるにもかかわらず、大草講頭と佐藤副講頭は「とにかく、すぐ行くから」と、我が家に駆けつけてくださいました。
 大草講頭には、本当に細かなところまで激励をしていただき、最後には「小池さん、順番が違いますよ。僕が死んでから小池さんが死ぬのです。そういう約束だったはずですよ」と励ましてくださり、佐藤副講頭は、「いま小池さんに死なれたら困るんです」と涙ながらに語られました。私は、仮に死ぬことになっても、本当に信頼できる人たちと出会うことができたことを心から喜び、涙を抑(おさ)えるのに必死でありました。

 翌日、本山へ向かう私の車に大草講頭から電話がありました。大草講頭は、まるで自分のことのように、朝から八方手をつくし、有名な医者の手配をしてくださっていたのです。
 紹介していただいた医師は、手術しないで癌を治すことで有名な方でありましたが、私を検査した結果、「かなり危険な状態になっているかもしれない。即刻、もう一度胃カメラを飲んで、検査結果によっては、即手術だ」と言われ、設備と人材の整った東京の大学病院をその場で紹介し、担当医師まで指名してくださいました。
 こうして私は、紹介された医師の手で、再び胃カメラでの検査を受けました。ところが、甲府の病院で検査した時にあった潰瘍が、全く消滅しており、癌もどこにあるのか、見当たらないというのです。それでも疑わしい部分の細胞を取り、病理検査に回し、検査結果は後日ということになりました。

「生きて御奉公を」手術は大成功

 検査結果を待つ、ある日のことでした。仕事で富士宮へ向かう途中、突然、涙が溢れてきました。
 そして、「これは罰だ。脱会した時以来、御法主日顕上人猊下にひたすら御奉公すべき身であったのに、いつ死んだっていい、などと自分の身も省みずに暮らしていた罰だ。自分の役目を疎(おろそ)かにしていた罰だ」と、頭の中に今までの様々なできごとが浮かんできました。
 体内の水分がなくなるのではないかと思うほど涙が出てきました。そしていつのまにか、初めて真剣に「御本尊様、私を救ってください。助けてください」と、必死に泣きながらお題目をあげていました。
 この日から私は、御本尊様、御法主日顕上人猊下に、もっともっと御奉公をしたい、と真剣に祈るようになったのです。

 検査結果が出るまでに、御法主日顕上人猊下の北海道旭川への御親教などがありましたが、家族や周りの者は、私の身体を気遣い、御親教へ行くことを止めました。しかし私は、今後、許される限り最後の最後まで、猊下のお側で御奉公させていただくんだ、との決意でお供させていただきました。
 御親教から戻ってきた日、検査結果についての連絡があり、指定された日に結果を聞きに行きましたところ、やはり、悪質な癌で即手術ということになり、大学病院へ入院となりました。

 手術は、七時間以上もかかる大手術となりました。手術中、正光寺では、もったいなくも夏井御住職が有志達とともに唱題をしてくださいました。
 また、大草講頭より私の病のことを聞かれた小川只道御尊師は「僕も病院へ行くよ」と心配してくださり、心よりありがたく思いました。
 そして、多くの方々が見守ってくださる中、手術は大成功いたしました。困難な手術であったにもかかわらず、術後の経過は医師も驚くほど順調で、術後二日目から歩き出し、きわめて早い退院となりました。

 癌で胃を全部摘出した場合、その後の生活が非常に大変であるとよく聞きますが、私の場合は三度の食事もキチンと取れますし、社会生活にさほど不便を感じておりません。
 退院してきてすぐ、取引先との中華料理の食事会がありましたが、皆さん私の病気にまったく気付かず、胃のない私に向かって「相変わらず胃腸が丈夫ですね」などと言われ、返答に困ったほどです。

今思う、御仏智の不思議

 今、癌告知から現在までを振り返ってみますと、御本尊様のお力に驚くばかりであります。
 まず、私の癌は、表には現われないために発見がじつに困難で、しかも進行がかなり早い癌でした。そのため、私と同じくらいの年齢で、これにかかった人は、発見されたときには、ほとんど全てのケースが手遅れだったそうであります。
 もし、あの時、学会との闘いがなく、予定どおり四月の時点で胃カメラを飲んでいたら、癌が小さすぎて絶対に発見されなかったそうであります。また十月の時点でも、たまたま潰瘍が発見されなければ、見逃がしていただろう、とのことであります。
 癌発見のきっかけとなった潰瘍についても、不思議なことに、最初の病院での検査の時に出てきたのみで、数日後の検査では姿形がまったくありませんでした。それは、まるで、臓器の中で浸潤(しんじゅん)を続けている癌細胞の存在を知らせるために、その時だけ出てきたようなものだったのです。

 このような奇跡的な発見、そして手術の大成功、これだけでも御本尊様の大功徳には感謝申し上げるばかりですが、さらに「このままでは、間違いなく五年前後で死にますよ」と医師に断言されていた糖尿病の数値も、完全に正常に戻り、他の持病も含めて、この癌との闘いの中ですべて治ってしまったのであります。

 入院する前、夏井御尊師に、「許されるのであれば、もし、生きて帰ってこれた暁には、 来年の妙観講の総会で体験発表をさせていただきたい」と、ご相談しました。
 御住職は快諾してくださりながらも、他の講中の総会で体験を述べるなど、失礼にあたらないか、と御心配されていました。
 私は、「大草講頭を先頭に、学会と最前線で闘っている妙観講の方々の前で、体験を発表させていただきたいのです」と申し上げ、また、その旨を大草講頭にもお話いたしました。
 そして本日、生きて帰り、こうして皆様の前で体験発表させていただくことができました。
 これもひとえに、大草講頭、佐藤副講頭並びに多くの妙観講の皆様のお力添えがあったからであります。

 先日、癌再発の検診を受けましたところ、ありとあらゆる検査数値が正常でありました。しかし、再発率が非常に高い悪質な癌でありますから、けっして油断はしておりません。
 日蓮大聖人様は、
 「病あれば死ぬべしという事不定なり。又このやまひは仏の御はからひか。そのゆへは浄名経・涅槃経には病ある人、仏になるべきよしとかれて候。病によりて道心はおこり候か」(御書九〇〇頁)
と仰せられております。
 これからも油断・怠りなく、御本尊様に救っていただいたこの命で、大御本尊様と御法主日顕上人猊下に対し奉り、妙観講の皆様に負けぬよう、そして妙観講と共に、さらなる御奉公をしてまいる決意であります。

戻る