未来将来

2011-04-27 19:59:23 Theme: 所感

皆さんの子供の頃の夢、というものは何だったですか?私、実は無かったように思います。確か小学生の時「自分がなりたい職業」を書いてこい、みたいな宿題が出て、提出寸前まで何も出てこず困った思い出があります。廻りを見ると皆めいめいに何かしらを書いています。焦った私は、横の席の子の「本屋さんになりたい」というのを見て、ああ本が毎日読めるってのは良いなあ、と思って同じように「本屋さんになりたい」と書きました。

 私が雅楽を始めたのは小学校6年生。別に勉強が出来る訳でもなく(出来ない訳では無かった)、スポーツはあんまり(一応野球チームではレギュラーでしたが)、本当に中途半端な子供でした。こういう子供は、全く何も出来ない訳では無いので非常に楽観的です。何とかなるだろう、と。で、中学校に行って地獄を見ることになる(笑)。結局何も出来ない、という事が身に沁みて分かった時、初めて自分の立場を知ります。もちろん、その地獄から抜け出す方法など知る由も無い。楽観主義で生きてきた訳ですから努力などした事がないのです。そんな泥沼状態の一歩寸前で雅楽を始めていた訳です。今思えば、絶妙のタイミングでした。

 雅楽が自分に向いている、と気付いたのは中学生も3年生になった頃ぐらいかな?元々篠笛は得意だったし、何より大人に褒められる快感が心地良かった。身内に雅楽のプロがいた事も幸いしました。親も皆雅楽を勧めてくれたのでバックアップ体制も充実していました。お陰で中2の頃には本管で吹いていました。あとは自分の努力あるのみ。この時、初めて努力と言うものを知りました。努力、は結果が伴ってこそです。いくら努力しても何の結果も出なければ意味が無い。その過程が大事だ、とは最近思うようになりましたが、子供にそんな事が分かる訳が無い。初めて努力出来た(=結果が出た)のが雅楽だったのです。この事実は、本当に嬉しかった。自分が世の中で初めて認められた気がしたのです。

 以来、ずっとこの道に携わっている訳ですが、根本にある考えは未だに変わっていません。雅楽、というのは私が世間に参加する為の唯一のツールであり、その結果が出なくなった時、私の存在価値は無くなります。その為にも毎日稽古するのですが、これが全く苦痛ではありません。毎日毎日雅楽の事ばかり考えています。それが許される立場、というのは本当に有難いです。

 雅楽という目標が出来、夢が出来ると人間と言うのは不思議なもので良い方向にしか転がりません。高校卒業後、後輩の雅楽クラブを指導していてそれがとても楽しかったものですから目標が高校教師に変わりました。それは色々とあって叶いませんでしたが、雅楽の講師、という「雅楽+教師」という自分にとっては一番なりたかった職業に就く事が出来ました。そしてあろうことか、雅楽の集中講義の講師として本当に教壇に立つ事も出来ました。今思えば、やはり努力する事、そして夢を持つ事が一番大事なのだということに気付きます。そしてそれは今後も変わりません。もっともっと大きな夢に向かって歩き続けます。「念ずれば通ず」、これは誰にでもチャンスがあるという事なのでしょう。

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