山崎朋子


やまさき ともこ





1968年(昭和43)8、10月上旬山崎朋子天草取材

10月6日運命の出会い


山崎氏が、からゆきさんの調査で2回来島しているが、崎津の教会で元からゆきさんとの

偶然の出会いが、『サンダカン八番娼館』誕生の運命を決定付けた。そして、彼女らと

吉田九州男の出会いが『崎津浦物語』の「しまかげ」誕生となった


1972年5月『サンダカン八番娼館』筑摩書房から発刊






山崎朋子が天草に来た事実を

鶴田文史著『天草崎津浦物語』(夜明けと青春)
葛゚代文芸社刊

から辿ると・・・



( 別卷・『歴史と文芸と青春』
葛゚代文芸社刊の参照 )






本渡の祇園橋の近く、喫茶店「渚」で取材の真意を引き出す








昭和40年当時、左側付近に「喫茶・渚」はあり、その裏はダンスホール「ニューパレス」

若者はダンスの後、この喫茶店や近くの「ビギン」あたりでよく語り合った。







「渚」は現在ダンスホール・ワールドに








昭和47年出版される



まもなく映画化された













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