2009/7/31
「ベートーベンの第九とFEMA CAMP」
国民の魂を救おうとするならば,大衆教育の水準を高めて,それを受けた者が,少なくとも,営利主義とプロパガンダの低級な形態にひっかからないようにすることが,唯一の方法である。<歴史の研究著者:アーノルド・トインビー>
これら一連の記事はセラピストの治療を受けておられる方はご遠慮ください。
なぜならば2011年7月24日にアナログ放送は終了し2012年12月21日前後3週間以内の間にイルミナティの渇望する出来事が起きる可能性が極めて高い事柄だからです。これらは元イルミナティから聞き及んだ話ですが米国の6〜24の州が壊滅しFEMAが発動され国連軍がこの第九を拡声器で大音響とともに『歓喜よ、神々の麗しき霊感よ天上の楽園の乙女よ,我々は火のように酔いしれて崇高な汝(歓喜)の聖所に入る』と米国民を片っ端からCAMPへ連行する地獄絵のような光景が始まるからです。ここに書いてあることをしかと受け止めよ。
『日本に対しては属国意識を持ち、日本を米国の被保護国と呼ぶ。日本がアジアの大国になることは「不可能」であり、日本はひたすら経済成長に力を注ぎ、その経済力を国際社会に寄附し使ってもらう存在になるべきだ』
MR.Z(Black Pope)
ヴァチカンの内部告発をしたMALACHI MARTINはBlack POPEをMR.Zと書いてあるがブログに不用意に写真などを載せるのは大変危険です。
ベートーヴェン 交響曲第9番
− 歌詞の日本語訳 −
下記にケルブという言葉が出てきます。第九の歌詞と聖書的な観点から考えて見ましょう。
エデンの園の物語は神と地と人の分離,神と人(親子)との別れ,というかたちで幕を閉じる。(神の命に背いて知識の実を食べたアダムとイブをエデンの園から追放する場面)「こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。<創世記 第3章24節>
ケルビムは四つの顔を持つ。ケルビムはケルブの複数形であるが,人々の祈りを神につなぐ仲介者という意味もあるが,パリのノートルダム大聖堂(下の写真)入り口上部にあるケルブ(雄牛),人,獅子,鷲。ケルブはシュメール語で牛のことである。 しかし既に種明かしはしてあるようにキリスト教はVernal Equinox Precession(春分点歳差)でありケルビムなど四隅を埋めるものたちの正体は「夏至,冬至,春分,秋分」のことである。それはFUNAB.KUにも見られる四隅を支えるものたちと同一である。
FUNAB.KU
(管理人注:パリ・ノートルダム寺院入り口上部にもキリストの周りに4匹の生き物が支えているがバカブ同様種明かしをすると「キリストを太陽とすると四隅を支えるのは春分,秋分,夏至,冬至のことである)
ここの記事に古代マヤの四鬼を含め世界の四大原動力の説明があるが第九の歌詞の中に(僕はドイツ語は解りませんが)「官能的な快楽は虫けらに与えられ,ケルブは神の御前に立つ」とあるのが,フリーメーソンと関係していると噂される所以でしょうか。ケルブは神の御前に立つような身分ではなく,神は「ケルビムの上に座する者」であるわけです(詩篇第80章2節)。
「イルミナティには九の聖歌隊がある。これは天の九聖歌隊を模倣したものだ。だが,メーソンが持っているものは,九つの聖歌隊のなかで三の位階だけである。見習いの4位階の上に,ロッジに正式に加わる入り口である第5位階がある。第6位階は一般的ブラザーであり,第7位階は高位のブラザーである。だが,彼らも大して重要な役職を持ってはいない。第8位階が,第2グランドオリエントで,<大仕事の執行者><裁判官><大導師><大臣><書記官>等の名があり,いずれも大会議のメンバーである。第9位階でようやく<より高位の秘伝を受けた者>,すなわちグランドオリエントに辿り着く。従って第九位階はシラーの歌詞は別としてベートーベンの第九を重要視する。
第九の歌詞はフリードリヒ・フォン・シラーの詩「歓喜に寄せて」からの抜粋であるのでシラーがフリーメーソンであったのかを調べれば分かることです。なにせ何の罪もない一般市民を片っ端から逮捕できる法律まである国ですからね。こういうのをその筋はロスチャイルド法廷と呼んでいるようです。では誰が逮捕するのか,ですが米国のあらゆる州の警察のエンブレムは例のコンパスとGマークがついていますが実際に活動するのは(信じられないと思いますが)国連軍(UN POLICE)なのです。今はウヨウヨいて交通違反切符などを切っており彼らのFEMA CAMP近くの武器弾薬を貯蔵している倉庫も一部見てきました。倉庫は必ず貸し倉庫と書いてある。FEMA POLICE=UN POLICE。
日本でも国民生活保護法がありますが有事でなくても自衛隊が日本版FEMAの役割をすることになる。最近運転免許試験に「災害対策基本法における非常事態に際しては自衛隊員が交通整理をしたり警察官がいなくても出来るのは可か不可か?」という問題があります。答えは勿論『可』です。また最近急増している民間の刑務所は日本版FEMA CAMPに突然変わる可能性も秘めている。しかし元イルミナティの幹部によると日本は心配ないとのことで安心していいだろう。
<はじめに>
原文は許可を得ております。
ここではベートーヴェン 交響曲第9番(以下 第九と略)の歌詞(ドイツ語)の日本語対訳を記載しております。
(表の左側にドイツ語歌詞、右側に日本語対訳を記載)
対訳については、原語の表現(エリジウム、ケルブ等)を重視しつつ、文法的に繋がりにくいところを執筆者の適度な意訳により、歌詞の意図を大きくねじ曲げない程度に読みやすくしてみたつもりです。
(日本語訳中の〔〕は読みがな、()は原文の直訳表現または原文にない補完のための追記を指します。)
それゆえ、文法として厳密に忠実ではなく、また一般的によく通じている翻訳(これもある種かなり意訳していますが・・・)とは異なっている点があることをご了承下さい。
(公的又は権威的な裏付けを一切得ていないことも付け加えます。)
また、閲覧されているパソコンが、MP3方式の音楽データ再生に対応していれば(現在販売されているパソコンの大部分は既に対応しています)、該当部分の音楽(上記の4楽章MIDI音楽の該当部分を私の手持ち音源(Roland SC-88STPro)で再生、MP3方式にサンプリング変換したデータ)を聴くことが出来ます。
ただし、データ量の最小化を重視したため、音質はモノラルの最低レベルにしてあります。お聴き苦しい部分もあるかと思いますが、何卒ご了承頂きますようお願い致します。
文と日本語訳: 岩田倫和 (チェロ)
序奏部分の音楽(MP3方式)
(序) バリトン独唱によるレチタティーヴォ(MP3方式)
(Bariton solo)
O Freunde, nicht diese Töne !
sondern laßt uns angenehmere anstimmen, und freudenvollere. (バリトン独唱(レチタティーヴォ))
おお、友よ! このような調べではない!
そんな調べより、もっと心地よく歌い始めよう、喜びに満ちて。
1.主題提示部の音楽(MP3方式)
(Bariton solo)
Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium,
Wir betreten feuertrunken, Himmlische, dein Heiligtum!
*Deine Zauber binden wieder, was die Mode streng geteilt;
alle Menshen werden Brüder, wo dein sanfter Flügel weilt.*
(Chorus)
*−* repeat (バリトン独唱)
歓喜よ、美しき神々の煌めきよ、
エリジウム(楽土)から来た娘よ、
我等は炎のような情熱に酔って
天空の彼方、貴方の聖地に踏み入る!
*貴方の御力により、時の流れで容赦なく分け隔たれたものは、再び一つとなる。
全ての人々は貴方の柔らかな翼のもとで兄弟になる。*
(合唱)
*−*間の繰り返し
2.主題変奏部(その1)の音楽(MP3方式)
(Quartet)
Wem grosse Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!
*Ja, wer auch nur eine Seele sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wers nie gekonnt, der stehle weinend sich aus diesem Bund. *
(Chorus)
*−* repeat (四重唱)
一人の友人を得るという
大きな賭けに成功した者よ、
一人の優しい妻を努めて得た者よ、
その歓びの声を一つに混ぜよ!
*そう、この地球上でただ1人の(一つの心と呼ばれる)者も!
そして、それが出来なかった者は、この集まりから涙を流してひっそりと去る。*
(合唱)
*−*間の繰り返し
3.主題変奏部(その2)の音楽(MP3方式)
(Quartet)
Freude trinken alle Wesen
an den Brüsten der Natur,
alle Guten, alle Bösen folgen ihrer Rosenspur.
*Küsse gab sie uns und Reben,
einen Freund, geprüfut im Tod;
Wollust ward dem Wurm gegeben,
und der Cherub steht vor Gott! *
(Chorus)
*−* repeat (四重唱)
全ての生物は、
自然の乳房より歓喜を飲む。
そして、善きもの、悪しきものも全て薔薇〔ばら〕色の跡を付けていく。
*歓喜は我等に口づけと葡萄〔ぶどう〕、
そして死の試練にある一人の友を与えた。
官能的な快楽は虫けらに与えられ、
そしてケルブ(智天使)は神の御前に立つ!*
(合唱)
*−*間の繰り返し
4.主題変奏部(トルコ行進曲風変奏)の音楽(MP3方式)
(Tenor solo)
Froh, wie seine Sonnen fliegen,
durch des Himmels prächt'gen Plan,
*laufet, Brüder, eure Bahn,
freudig, wie ein Held zum Sigen.*
(Tenor&Bass Chorus)
*−* repeat (テノール独唱)
喜ばしきかな、太陽が壮大なる天の計画に従って飛ぶが如く、
*兄弟達が己〔おの〕が道を駆け抜ける、勝利に向かう英雄のように喜ばしく。*
(テノール&バス 合唱)
*−*間の繰り返し
5.管弦楽間奏部及び大合唱の音楽(MP3方式)
(この部分の歌詞は1.主題提示部の歌詞の復唱です。)
6.テンポの緩い荘厳な讃歌部分の音楽(MP3方式)
(Chorus)
Seid umschlungen, Millionen !
Diesen Kuß der ganzen Welt !
Brüder ! überm Sternenzelt
muß ein lieber Vater wohnen.
Ihr stürzt nieder, Millionen ?
Ahnest du den Schöpfer, Welt ?
Such ihn überm Sternenzelt !
Über Sternen muß er wohnen.
(合唱)
抱〔いだ〕かれよ、数多〔あまた〕の者よ!
この口づけを全世界へ!
兄弟達よ!星空の彼方に
愛する父(なる神)がおられるはずだ。
地にひれ伏さぬのか? 数多の者よ。
創造主(の存在)を感じるか? 世界よ。
星空の彼方に求めよ!
星々の彼方に彼の御方(神)がおられるはずだ。
この節以降、新たな歌詞は一切現れず、(音楽や調子は異なりますが)
1.主題提示部と6.荘厳讃歌部分の復唱となります。
7.合唱による二重フーガ部分の音楽(MP3方式)
(この部分の歌詞は6.荘厳讃歌及び1.主題提示部の歌詞の復唱です。)
8.四重唱と合唱による主題の断片的再現部分の音楽(MP3方式)
(この部分の歌詞は1.主題提示部の歌詞の復唱です。)
9.終結部の音楽(MP3方式)
(この部分の歌詞は6.荘厳讃歌及び1.主題提示部前半部の歌詞の復唱です。)
ベートーヴェン 交響曲第9番
− ケルブ(智天使)とは −
ケルブはキリスト教(及びその母胎となったユダヤ教)の聖書(旧約聖書)の随所に描かれれ、中世の天使論においては、最高位の熾天使に次ぐ位を有する第2位の高級天使の名前です。
(このページに天使の階級についての詳しい記述があります。)
常に神の御前にいて、人々に叡智の振動を発する(神の叡智を伝える)、智慧に秀でた天使とされています。
ただ、ケルブは一人ではなく、数多く存在するため、通常単独で書かれることは少なく、複数形の「ケルビム」として書かれることがほとんどです。
旧約聖書においては、主に以下の3カ所で、その働きや容姿を描かれており、エデンの園の守護天使であったり、神の戒律(有名なモーセの十戒を刻んだ石板)を納めた聖櫃の周りを守り、預言者(神の言葉を預かる者であり、ノストラダムスのような未来を予想する「予言者」ではない)エゼキエルの前に降臨するなど、常に神(又はその聖域)の御前に立つ異形の天使として活躍しています。
出エジプト記 第36章8節:
(エジプトを脱出したモーセを初めとするイスラエル人が、神の命に従って、十戒の石板を納める天の幕屋を建設するにあたり、幕屋を覆う十枚の幕を織る場面)
「・・・亜麻のより糸、青、紫、緋色の毛糸を使って意匠家が描いたケルビムの模様を織り上げた。」
エゼキエル書 第10章14,21節:
(紀元前6世紀頃にいたとされる預言者エゼキエルが、ケバル川のほとりで天から降臨したケルビムと遭遇する。その容姿を語っている場面)
「ケルビムにはそれぞれ四つの顔があり、第一の顔はケルビムの顔、第二の顔は人間の顔、第三の顔は獅子の顔、第四の顔は鷲の顔であった。・・・そのそれぞれに四つの顔と四つの翼があり、翼の下には人間の手の形をしたものがあった。」
(この前後にもケルビムの容姿に関する詳しい記述がある。)
また、ケルビムは、「愛の天使」で有名なキューピッド(美しい子供の姿をした天使)として描かれることもあり、それ故、英語でケルブ(Cherub)は「かわいらしい子供(又は童顔の人)」を指す意味もあります。
なお、蛇足ながら、現在用いられている英語の聖書(Today's English Version ed.2)では、私が見た限りケルビムの名(Cherubim)は使われておらず、living creature(人知の及ばぬ生き物)とかwinged creature(翼の生えた人知の及ばぬ創造物)で表現されております。
ベートーヴェン 交響曲第9番
− エリジウムから来た娘 −
1.「エリジウム」とは?
「エリジウム」とは、ギリシャ神話に出てくる永遠の楽土「エリュシオン」のことです。
古代ギリシャの大詩人ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」(英雄アキレスやトロイの木馬の話で有名なトロイア戦争の後半部以降の物語)によりますと、エリュシオンは、現世(地上世界)の英雄や名士であった人間のみが死後に行くことの許される、あらゆる悩みや苦しみから解放された永遠の理想郷とのことです。
「オデュッセイア」の記述の中では、トロイア滅亡後の帰途で、エリュシオンへ立ち寄ったトロイア戦争の英雄の一人オデュッセウスが、死後エリュシオンに住んでいる父親と対面し、肩を並べて会話をした話が載っております。
(ちなみに、その会話の中で、その他一般大衆の魂が、エリュシオンのほとりにあるレーテ川の水を飲んで、生前の全ての記憶を抹消した後、再び地上に生まれるとの話も出てきております。)
まあ、日本で言えば極楽浄土のようなところでしょうか。
(ただし、入れる人間がかなり限られているところが大きく異なってますが・・・)
全くの蛇足ですが、パリで一番有名な大通り「シャンゼリゼ」は、「エリュシオンの野」という意味です。
2.エリジウムから来た「娘」とは?
第九の歌詞訳の中で、時々「天つ乙女」と極端に訳されてしまう部分ですね(笑)。
(まあ、それはそれでよく分かるんですけど・・・)
さて、前述のホメロスの叙事詩の中にも、エリュシオンの「娘」に関する記述(エリュシオンに特別な能力を持った娘が住んでいるなど)がありませんし、これと言って、参考になるような記述もほかには特に見あたりませんので、これが何を意味しているのかは、よく分からないところです。
ただ、その後「貴方の御力が・・・再び結びつける」などの記述があることから、何か特別な力を持った存在(概念?)であることは確かなようです。
その場合、主語が「歓喜」なのか「神々」なのか「娘」なのかが問題となってしまいますが・・・ もしかすると三位一体(三つとも元は同じもの)なのかもしれませんね。
それ所以か、この「娘」を「女神」と訳す場合もあります。
(しかし・・・ 前述を覆してしまうかもしれませんが)
私は、この「エリジウムから来た娘」は具体的な「存在」ではなく、「歓喜」を象徴する一つの「概念」として捉えた方が自然ではないかという気がします。
なお、ご参考(?)までに、北欧神話「エッダ」*の中には、現世の英雄の魂を天空の彼方にある理想郷ヴァルハラへと導く、ヴァルハラ神殿の巫女ワルキューレの話があります。
(そう、ワーグナーのオペラ等でお馴染みであり、「ワルキューレの騎行」の曲名で知られる、あのワルキューレです。)
もしかすると、シラーも「歓喜に寄す」を書いた際に、この神話のことが頭をよぎったのかも・・・ (ただし、この神話を知っていればの話ですが(笑))
*(参考)北欧神話「エッダ」について
北欧で語り継がれている神話であり、神々の誕生から滅亡、そして世界の再生までを描いた壮大な物語です。
天空の神々の住む理想郷ヴァルハラを主な舞台として、多くの神々や敵対する存在が登場し、人間味あふれる振る舞いをするところなど、ギリシャ神話に共通するところも多く見られます。
主神オーディン(ゲルマン神話での別名がボーデン、ギリシャ神話のゼウスに相当)、その右腕とも言える雷神トールなどの善なる神々を中心として、これらの神々の助けとなり、また最終的に敵となってしまう邪神ロキと、その息子(と言っても姿は狼の)フェンリル、そして 神々の最終戦争(ラグナロク)において、世界を炎で焼き尽くす炎の一族の長ストゥルスなど、様々な神々や怪物が現れます。
ギリシャ神話と読み比べてみると面白いかもしれません。
(蛇足ながら・・・身近な北欧神話)
英語の水曜日(Wednesday)は主神オーディン(正確には別名であるゲルマン神話のボーデン)の名、木曜日(Thursday)は雷神トールの名に由来すると言われております。
また、「ヴァルハラ」「オーディン(ボーデン)」「ワルキューレ」「ロキ」「フェンリル」「ラグナロク」など、北欧神話を由来とする名前は、漫画やアニメ、ゲームの世界でも頻繁に目にします。
欧米諸国では、ギリシャ神話に次いでよく知られている神話だと思われます。
交響曲第9番 (ベートーヴェン)
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調作品125(ドイツ語:Sinfonie Nr. 9 d-Moll op. 125)は、ベートーヴェンの9番目にして最後の交響曲である。副題として合唱付きが付されることが多い。また親しみを込めて第九(だいく)とも呼ばれる。第4楽章はシラーの詩『歓喜に寄す』に音楽を付けたもので、フルオーケストラ・独唱および合唱によって演奏され『歓喜の歌』としても親しまれている。古典派の以前のあらゆる音楽の集大成ともいえるような総合性を備えたと同時に、来るべきロマン派音楽の時代の道しるべとなった記念碑的な大作である。
第4楽章の「歓喜」の主題は欧州連合の歌に制定されている。
目次 [非表示]
1 概要
1.1 演奏時間
2 作曲の経緯・初演
3 演奏史
3.1 初演
3.2 日本初演
3.3 日本での年末の演奏の歴史
3.4 バイロイト音楽祭と第九
3.5 戦後復興と第九
3.6 ドイツ分断と第九
4 編成
4.1 管弦楽
4.2 声楽
5 曲の構成
5.1 第1楽章
5.2 第2楽章
5.3 第3楽章
5.4 第4楽章
5.4.1 歓喜の歌
5.4.1.1 歌詞(ドイツ語原詞、日本語訳)
6 版の問題
7 関連項目
7.1 前後の作品
7.2 使われた作品など
8 註
9 外部リンク
10 参考文献
[編集] 概要
元来、交響曲とはソナタ形式で書かれた器楽のための楽曲で、当時の作風として4楽章制で第一楽章がソナタ、第二楽章が緩叙楽章、第三楽章がメヌエット、第四楽章がソナタやロンドという形式が一般的であった。ベートーベンはその交響曲の第三楽章にスケルツォを導入したり、第6交響曲では5楽章制・擬似音による風景描写を試んだが、この交響曲では第二楽章をスケルツォとする代わりに第三楽章に瞑想的で優美な緩叙楽章を置き、最後の第4楽章で4人の独唱と混声合唱を導入した。ゆえに「合唱付き」(Choral)[1]と呼ばれる。この第4楽章の旋律は有名な「歓喜の歌(喜びの歌)」で、フリードリヒ・フォン・シラーの詩「歓喜に寄せて」から3分の1程度を抜粋し、一部ベートーヴェンが編集した上で曲をつけたものである。交響曲に声楽が使用されたのはこの曲が必ずしも初めてではなく、ペーター・フォン・ヴィンターによる『戦争交響曲』などの前例があるものの、真に効果的に使用されたのは初めてである。
ちなみに、ベートーヴェン以降もなお、声楽付き交響曲は珍しい存在であり続けた。ベルリオーズやメンデルスゾーン、リストなどが交響曲で声楽を使用しているが、声楽付き交響曲が一般的になるのは第九から70年後、マーラーの『復活交響曲』が作曲された頃からであった。
まぎれもなくこの交響曲は、ベートーヴェンの最高傑作の1つである。大規模な編成や1時間を超える長大な演奏時間、それまでの交響曲でほとんど使用されなかった打楽器(シンバルやトライアングルなど)の使用、ドイツ・ロマン派の萌芽を思わせる瞑想的で長大な緩徐楽章(第3楽章)の存在、そして独唱や混声合唱の導入など、彼自身のものも含むそれ以前の交響曲の常識を打ち破った大胆な要素をたくさん持ち、シューベルトやブラームス、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチなど、後の交響曲作曲家たちに多大な影響を与えた。また、ベートーヴェンの型破りな精神を受け継いだワーグナーやリストは、交響曲という殻そのものを破り捨て全く新しいジャンルを開拓した。このように、交響曲作曲家以外へ与えた影響も大きい。
日本では単に第九(だいく)と呼ばれることが多く、年末になると各地で第九のコンサートが開かれる。近年では、単に演奏を聴くだけではなく、実際に合唱を行う方に回る、参加型のコンサートも増えつつある。日本での圧倒的な人気の一方で、ヨーロッパにおいては、オーケストラに加え独唱者と合唱団を必要とするこの曲の演奏回数は決して多くない。
[編集] 演奏時間
「初期のCDの記録時間が約74分であることは、この曲が1枚のCDに収まるようにとの配慮の下で決められた」とする真偽不明の説がある。[2]
ウィーン初演での演奏時間は、明確な数字が明らかでないが、1825年3月21日にロンドンで『第九』を初演したジョージ・スマートがベートーヴェンと会見した際の質疑応答の断片が「会話帳」に残っており、この63分が『第九』のロンドン初演時の演奏時間とされている[3]。
CD時代に入って、それまで重要視されて来なかった楽譜(普及版)のテンポ指示を遵守して演奏された『第九』が複数出現したが、ベンジャミン・ザンダー指揮ボストン・フィルによる演奏は全曲で58分を切った。研究家が考証を行なった古楽器による演奏では大概63分程度に収まっており、ほぼ妥当なテンポと見なされている。ただし、研究が進んでテンポの数字も代筆されたものという事が判明し、ベートーヴェンが望んだテンポが不明のままという可能性も出て来ている。
[編集] 作曲の経緯・初演
ベートーヴェンがシラーの詞『歓喜に寄す』にいたく感動し、曲をつけようと思い立ったのは、1792年のことである。ベートーヴェンは当時22歳であり、まだ交響曲第1番も作曲されていない時期であるが、ベートーヴェンは永きに亘って構想を温めていたことがわかる。ただし、この時点ではこの詞を交響曲に使用する予定はなかったとされる。
交響曲第7番から3年程度を経て、1815年頃から作曲が開始された。さらに、1817年、ロンドンのフィルハーモニー協会より交響曲の作曲の委嘱を受け、これをきっかけに本格的に作曲を開始したものと見られる。直接交響曲第9番の作曲が始まったのはこの頃だが、ベートーヴェンは異なる作品であっても何度も旋律を使いまわしているため、間接的にはさらに以前まで遡ることができる。
第4楽章は当初合唱ではなく器楽とされる予定で、交響曲第9番は純器楽の作品になる予定だった。声楽は別に作曲を予定していた『ドイツ交響曲』という作品に使用される予定だった。(交響曲第10番)しかし後にさまざまな事情によって、交響曲を2つ作ることを諦めて2つの交響曲のアイデアを統合し、現在のような形となった。歓喜の歌の旋律が作られたのは1822年頃のことである。なお、当初作曲されていた器楽の第4楽章の旋律は、のちに弦楽四重奏曲第15番の第5楽章に流用された。
1824年に初稿が完成。そこから初演までに何度か改訂され、1824年5月7日に初演(後述)。初演以後も改訂が続けられている。
初演に携わった管弦楽/合唱のメンバーはいずれもアマチュア混成で、管楽器は倍の編成(木管のみか金管を含むか諸説ある)、弦楽器奏者も50人ほどが集まり管弦楽だけで8〜90名の大編成。合唱はパート譜が40部作成された事が判っており、原典版を作成したデルマーは「合唱団は40人」としているが、劇場付きの合唱団が少年+男声合唱団総勢66名という記述が会話帳にあり、楽譜1冊を2人で見たとすれば「80人」となる。
楽譜は1826年にショット社より出版された。
この作品は、当初はロシア皇帝アレクサンドル1世に献呈される予定だったが、崩御によりフリードリヒ・ヴィルヘルム3世に献呈された。
[編集] 演奏史
[編集] 初演
1824年5月7日、作曲者立会いの下ウィーンのケルントネル門劇場にて。指揮はウムラウフ。
ミサ・ソレムニスの「キリエ」「クレド」「アニュス・ディ」、「献堂式」序曲とともに初演された。ベートーヴェンはこの曲を当初、ウィーンの聴衆には自分の音楽がそぐわないと判断し、ベルリンでの初演を希望していた。だが、聴衆の署名活動等によりベートーヴェンはベルリン初演を思い留めた。
ベートーヴェンは当時既に聴力を失っていたため、ウムラウフが正指揮者として、ベートーヴェンは各楽章のテンポを指示する役目で指揮台に上がった。ベートーヴェン自身は初演は失敗だったと思って演奏後も聴衆の方を向くことができず、また、耳の病により拍手が聞こえなかったため、聴衆の喝采に気がつかなかった。見かねたアルトの歌手がベートーヴェンの手を取って聴衆の方を向かせ、はじめて拍手を見ることができた、という逸話がある。観衆が熱狂し、アンコールでは二度も第2楽章が演奏され、三度目のアンコールを行おうとして兵に止められたという話まで残っている。
初演は好評[4]であったが、その後は曲の長さが問題になり、特に第4楽章が理解不能という理由で、演奏機会に恵まれないでいた。実際にベートーヴェンも初演の後、第4楽章を器楽だけによる形に書き改める事を計画していた。作曲者の死後しばらくの間は、未完の交響曲のような扱いとして、第4楽章を除いて第1〜3楽章までしか演奏されない事もあった。現在のような大衆的な人気が出たのは、ワーグナーによるこの曲のロマン派的な解釈の後である。
[編集] 日本初演
バルトの楽園
1918年6月1日に、徳島県鳴門市にあった板東俘虜収容所で、ドイツ兵捕虜による全曲演奏がなされたのが、日本における初演とされている。この事実は1941年に、この初演の2ヶ月後に板東収容所で第九(第一楽章のみ)を聴いた徳川頼貞が書いた『薈庭楽話』で明らかにされていたが、長く無視され、1990年代になって脚光を浴びた。映画『バルトの楽園』(出演:ブルーノ・ガンツ、松平健ほか)は、このエピソードに基づくもの。
日本人による初演
日本人による演奏は、第4楽章のみ1924年1月26日に福岡で九州帝国大学のオーケストラが最初のもの。その後、全曲を1924年11月29日に東京音楽学校のメンバー、クローンの指揮にて初演。プロによる日本初演は新交響楽団(現在のNHK交響楽団の前身)により1927年5月3日。
東京音楽学校での初演については、この演奏を聴いた最後の生き残りであった作家の埴谷雄高によれば、「演奏中にコンサートミストレスの安藤幸子(幸田露伴の妹。姉の幸田延子ともども「上野の西太后」と呼ばれた)が早く弾きだした部分があり、演奏はガタガタとなってしまった」と証言している。
全員外来演奏家による初演
全員が外来演奏家による日本初演はカール・ベーム指揮のベルリン・ドイツ・オペラにより1963年11月7日、日生劇場にて。
ソプラノ:エリザベート・グリュンマー
メゾソプラノ:クリスタ・ルードヴィヒ
テノール:ジェームズ・キング
バリトン:ヴァルター・ベリー
この演奏の終了後、行動的なファンがベームの足に抱きつき、ベームの身動きを取れなくしたハプニングもあった。
[編集] 日本での年末の演奏の歴史
1937年にヨーゼフ・ローゼンシュトックが新交響楽団(現在のNHK交響楽団)の音楽総監督に就任した際、「ドイツでは習慣として大晦日に第九を演奏している」と紹介し、年末の演奏が始まった。実際に当時から現在まで年末に第九を演奏しているドイツのオーケストラとして、著名なところではライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が挙げられる。日本で年末に第九が頻繁に演奏されるようになった背景には、戦後まもない1940年代後半、オーケストラの収入が少なくて、楽団員の年末年始の生活に困る現状を改善したいと、合唱団も含めて演奏に参加するメンバーが多く、しかも当時(クラシックの演奏の中では)「必ず(客が)入る曲目」であった第九を日本交響楽団(現在のNHK交響楽団)が年末に演奏するようになり、それを定例としたことが発端とされる。1960年代から、国内の年末の第九の演奏は急激に増え、現在に至っている。
[編集] バイロイト音楽祭と第九
1872年、バイロイトに祝祭劇場を建設する際、その定礎の記念として選帝侯劇場にてリヒャルト・ワーグナーの指揮で第九が演奏された。その所縁もあり、第九はバイロイト音楽祭でワーグナーの歌劇・楽劇以外で演奏される唯一の曲となっている。以後、何度か演奏されている。1933年リヒャルト・シュトラウス、1951年と1954年ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、1953年パウル・ヒンデミット、1963年カール・ベーム、2001年クリスティアン・ティーレマン。後述のように、1951年の演奏は「不朽の名演」として有名。
[編集] 戦後復興と第九
第二次世界大戦後の1951年、はじめてバイロイト音楽祭が再開された際、前述のようにヴィルヘルム・フルトヴェングラーが第9を指揮し、再開を祝した。この演奏がフルトヴェングラーの死後にレコードとして発売されると、日本の評論家達は大絶賛し、今でも「第9のベスト演奏」に挙げられることが多い。
1955年に、戦争で破壊されたウィーン国立歌劇場が再建された際にも、ブルーノ・ワルター指揮・ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団で第9が演奏された。なお、再建のこけら落しはカール・ベーム指揮の歌劇『フィデリオ』だった。当初音楽監督のベームはワルターに『ドン・ジョヴァンニ』の指揮を依頼したが、ワルターが高齢を理由に辞退し、代わりに第9を指揮することになったものである。
[編集] ドイツ分断と第九
1964年の東京オリンピックに東西ドイツが統一選手団を送ったときに、国歌の代わりに歌われた。
1989年のベルリンの壁崩壊の直後の年末にレナード・バーンスタインが、東西ドイツとベルリンを分割した連合国(アメリカ・イギリス・フランス・ソ連)のオーケストラメンバーによる混成オケを指揮してベルリンで演奏した。この際には、第4楽章の詩の"Freude"をあえて"Freiheit(自由)"に替えて歌われた。また、翌年のドイツ再統一の時の統一前夜の祝典曲としてクルト・マズア指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団がライプツィヒで演奏した。なおゲバントハウスでは毎年大晦日の16時半から、ベルリンフィルのジルベスターコンサートに対抗して演奏され随時TV中継されている。
演奏のみのバージョンがEUの国歌として使用されている。2007年にはルーマニアとブルガリアがEUに加盟したが、2007年の一月元旦の0時を切った時演奏されたのがこの第九であった。
[編集] 編成
ピッコロ、コントラファゴット、トロンボーンはベートーヴェンの交響曲では使用例が少なく、他に交響曲第5番、交響曲第6番で使用されているのみである。また、ホルンが4本、打楽器は他の交響曲では使われていないトライアングル、シンバル、バスドラムを使用しており、この時期の交響曲の編成としても最大級のものである。また、前述の通り声楽を交響曲に用いるのはきわめて奇抜なアイディアである。
[編集] 管弦楽
木管楽器
ピッコロ 1(第4楽章のみ。)
フルート 2
オーボエ 2
クラリネット 2(第1・3・4楽章はB管。第2楽章はC管。第4楽章でA管持ち替えあり。)
ファゴット 2
コントラファゴット 1(第4楽章のみ。)
金管楽器
ホルン 4(第1・2・4楽章はD管、B管各2。第3楽章はB管、Es管各2。第4楽章ではD管、B管が同時に4本使われる持ち替えあり。)
トランペット 2(第1・2・4楽章はD管、第3楽章はB管)
トロンボーン 3(アルト、テノール、バス各1。第2・4楽章のみ。)
打楽器
ティンパニ
トライアングル(第4楽章のみ。)
シンバル(第4楽章のみ。)
バスドラム(第4楽章のみ。)
弦五部
第1ヴァイオリン
第2ヴァイオリン
ヴィオラ
チェロ
コントラバス
指揮者ワインガルトナーの助言に従い3楽章終了後すぐに4楽章を開始する指揮者が今なお多い。ただし初演された当時ティンパニはペダルがなかったためチューニングが必要で、ホルン、トランペットも同様に管の交換に時間を要したので、少なくともこの方法は作曲当時にはあり得なかった。ジョナサン・デルマー校訂のベーレンライター版(後述)の校訂報告でもこの記述が有り、新しい楽譜を使う際、演奏楽器の新旧に関わらず3楽章と4楽章の間隔を空ける指揮者も増えつつある。
[編集] 声楽
声楽は第4楽章のみ使用される。
ソプラノ独唱
アルト独唱
テノール独唱
バリトン独唱
四部合唱
ソプラノ
アルト
テノール
バス
全体で約72分に及ぶ演奏時間に関わらず、声楽パートが用いられるのは第4楽章(終わりの約20分)だけである。そのため、ホールでの演奏時では、合唱および独唱は第2楽章と第3楽章の間に入場する場合が多い。また、合唱のみ冒頭から待機する場合もあるが、この際は休憩用の椅子が用意される。
もっともこれは合唱に限ったことではなく、ピッコロ、コントラファゴット、およびティンパニ以外の打楽器も第4楽章だけしか用いられない。にもかかわらずこれらの奏者は第1楽章から舞台上で待機していることが多く、このことを「不公平」とする意見もないわけではない。この意見のもとでは、合唱・独唱も第1楽章から舞台上で待機することが要求されるか、あるいは打楽器奏者のみ合唱と同時に遅れて入場することが認められるような場合もある。管楽器の場合はこのようなことが認められることは滅多にない。
[編集] 曲の構成
一般的な交響曲の「アレグロソナタ - 緩徐楽章 - 舞曲 - 終楽章」という構成と比べ、第二楽章と第三楽章が入れ替わり、第二楽章に舞曲由来のスケルツォ、第三楽章に緩徐楽章が来ている。このような曲順は初期のハイドンなどには見られたが、次第に第二楽章が緩徐楽章、第三楽章がメヌエット(舞曲)という構成が固定化して行き、ベートーヴェンによって再び取り上げられた形となった。以後この形式は定着し、後の作曲家はこの形式でも交響曲を作るようになった。全体の演奏時間は約70分であり、ベートーヴェンの交響曲中で最長である。
[編集] 第1楽章
Allegro ma non troppo, un poco maestoso ソナタ形式 ニ短調 2/4拍子
第1楽章において、ベートーベンの比類なき天才性が示される。
ソナタ形式の形式によるが、以下の点で型破りである。
神秘的な空虚5度の和音で始まる。
習慣的な反復記号を欠いている。
通常平行調または属調で現れる提示部第二主題が下属調の平行調になっている。(通常のソナタ形式であれば第2主題はヘ長調で現れるべきだが、ここでは変ロ長調が使用されている。この調性は、第3楽章や第4楽章で重要な働きをする。)
再現部の冒頭が、展開部と第1楽章のクライマックスを兼ね添えていて、提示部のそれとかなり異なる雰囲気である。
冒頭の弦楽器のトレモロにのせて第一主題の断片的な動機が提示され、それが発展して第一主題になるという動機の展開手法は非常に斬新なものである。第一主題は、ニ音とイ音による完全五度を骨格とした力強い主題であり、この完全五度の関係は、この作品全体にわたって音楽に大きな律動感を与えている。
第二主題部の導入部は、第四楽章で現れる「歓喜」の主題を予め暗示させるような効果を持つ。
コーダのグロテスクな半音階オスティナートはメンデルスゾーンの第三やとりわけブルックナーの第二・三交響曲に強い影響が与えている。
[編集] 第2楽章
Molto vivace
複合三部形式をとるスケルツォ楽章である。主部はニ短調、3/4拍子、ソナタ形式。中間部(トリオ)はニ長調、2/2拍子。
曲調は第1楽章を受け継ぐような形で、第1楽章同様DとAの音が骨格になっている。弦楽器のユニゾンとティンパニで構成される序奏を経て、提示部ではフーガのようにテーマが絡み合い、確保される。
経過句ののち第2主題に移るが、主調が短調の場合、第2主題は通常平行調(ニ短調に対してはヘ長調)をとるところ、ここではハ長調で現れる。また、提示部では4小節一組で12/8拍子のように進行するが、展開部では3小節を一括りにして3拍子(9/8拍子)のようにテーマが扱われる。
展開部ではティンパニが活躍する。このことから、この楽章はしばしば「ティンパニ協奏曲」と呼ばれることがある。ティンパニは通常、主調のニ短調に対してDとAに調律するところを、ここではFのオクターヴに調律されているのが独特。(ベートーヴェンは、既に第8番の終楽章(ヘ長調)で、Fのオクターブに調律したティンパニを使っている。)
中間部の旋律は、歓喜の主題に似ている。速度は更に速められてプレスト。オーボエによる主題提示の後、弦楽器群のフーガ風旋律を経てホルンが同じ主題を提示する。フルートを除く木管楽器群の主題提示の後、今度は全合奏で主題を演奏する。
[編集] 第3楽章
Adagio molto e cantabile 変ロ長調 4/4拍子
2つの主題が交互に現れる変奏曲の形式と見るのが一般的であるが、一種のロンド形式、また一種の展開部を欠くソナタ形式と見ることもできる。
A B(ニ長調) A第I変奏 B(ト長調) A第II変奏(変ホ長調) A第III変奏 コーダ
第一主題 第二主題 第一主題 第二主題 コーダ
提示部 再現部
瞑想的な緩徐楽章である。4番ホルンの独奏は、当時のナチュラルホルンでは微妙なゲシュトプフト奏法を駆使しなければ演奏することができなかった(ちょうど作曲当時はバルブ付きの楽器が出回り始めた頃だったので、この独奏はバルブ付きホルンで演奏することを前提にしていたという説もある)。これは当時ホルン奏者のみならず、指揮者なども大変気を遣った難しいパッセージであったことで有名。この楽章の形式は後世のアントン・ブルックナーのアダージョ楽章に大きな影響力を与えた。そのほかにこの楽章と似ているのはメンデルスゾーンの交響曲第3番の第3楽章やブラームスのセレナーデ第1番の第3楽章、ドヴォルザークの交響曲第6番の第2楽章などがある。
[編集] 第4楽章
管弦楽が前の3つの楽章を回想するのをレチタティーボが否定して歓喜の歌が提示し、ついで声楽が導入されて大合唱に至るという構成。 変奏曲の一種と見るのが一般的であるが、有節歌曲形式でもあり、展開部を欠くソナタ形式という見方も可能である("Freude, schöner Götterfunken"が第一主題、"Ihr, stürzt nieder"が第二主題、Allegro energico, sempre ben marcatoが再現部)
Presto/recitative
ニ短調 3/4拍子
第1楽章の葛藤、第2楽章の諧謔、そして第3楽章の瞑想に続いて、管楽器が強烈な不協和音を奏でて、今まさに悲劇の終楽章が始まろうとする。しかし、すぐさま低弦(チェロとコントラバス)のレチタティーヴォによってかき消される。再び、管楽器が悲劇的な音楽を奏でるが、再度否定される。
Allegro ma non troppo
ニ短調 2/4拍子
それならばと、管弦楽が第1楽章を回想する。しかし、低弦はこれを否定する。
Vivace
ニ短調 3/4拍子
今度は第2楽章が回想される。しかし、低弦はまたこれを否定する。
Adagio cantabile
変ロ長調 4/4拍子
第3楽章を管楽器が回想するが、これも低弦は否定する。
Allegro assai
ニ長調 4/4拍子
管楽器が、この交響曲でそれまでに断片的に姿を現した動機を演奏すると、低弦はこれを肯定する。この動機を基に、低弦が静かに第一主題(「歓喜」の主題)を演奏しはじめる。すると、ヴィオラがそれに続き、ファゴットとコントラバスの対旋律がそれを支える。さらに、歓喜の主題はヴァイオリンに渡され、四声の対位法によって豊かなハーモニーを織り成す。最後に管楽器に旋律が渡され、全管弦楽で輝かしく歌い上げられる。
Presto/recitative
"O Freunde"ニ短調 3/4拍子
再び冒頭部のような悲劇的な音楽が、今度は管弦楽の全奏で演奏される。オーケストラにこれを否定する術は無く、バリトン独唱のレチタティーヴォが、"O Freunde, nicht diese Töne!"(「おお友よ、このような音ではない!」)と、これを否定する。ここで初めて声楽が導入される。(譜面には、このバリトン独唱部分には複数のメロディーラインが併記されており、あまり歌われないメロディーを選んだために音程が悪いと酷評されている大歌手もいる)歓喜の主題に続き、合唱が入る。
Allegro assai
"Freude, schöner Götterfunken"ニ長調 4/4拍子
Freude!の掛け声をバリトン独唱と合唱のバスが掛け合い、バリトン独唱が"Freude, schöner Götterfunken"「歓喜」の歌を歌い、それに合唱が続く。独唱4人、合唱が交互に「歓喜」の主題を変奏する。
Alla marcia Allegro assai vivace
"Froh, wie seine Sonnen"変ロ長調 6/8拍子
行進曲である。それまで沈黙を守っていた打楽器群が、トルコ音楽風にリズムを刻み始め、その上を吹奏楽が「歓喜」の主題を変奏する。つづいて、テノール独唱が「歓喜」の主題の変奏の旋律で"Froh, wie seine Sonnen"「神の計画」を歌い、それに合唱が続く。
その次は久しぶりに純粋な管弦楽のみによる演奏が続き、一度静かになったあと、合唱が「歓喜」の主題を歌う。ここがいわゆる「第九の合唱」として有名な箇所である。
Andante maestoso
"Seid umschlungen, Millionen!" ト長調 3/2拍子
"Seid umschlungen, Millionen!"「抱擁」の主題が提示される。
Adagio ma non troppo, ma divoto
"Ihr, stürzt nieder" 変ロ長調 3/2拍子
Allegro energico, sempre ben marcato
"Freude, schöner Götterfunken" / "Seid umschlungen, Millionen!" ニ長調 6/4拍子
「歓喜」と「抱擁」の主題による二重フーガである。
Allegro ma non tanto
"Freude, Tochter aus Elysium!" ニ長調 2/2拍子
Prestissimo
"Seid umschlungen, Millionen!" ニ長調 2/2拍子
叙唱 第一、第二、第三楽章の回想と新しい主題の着想 第一主題 第一主題の変奏I II III 叙唱 第一主題の変奏IV V VI VII VIII 第二主題a 第二主題b 第一主題と第二主題aの対位(変奏IX) 第二主題b 第一主題の変奏X 第一主題と第二主題aによる変奏(XI) コーダ
(歌詞) 1番、2番、3番、4番、1番 5番 6番 1番と5番 6番 1番 1番と5番
(ソナタ形式としてとらえた場合) 提示部第一主題 第二主題 再現部第一主題 第二主題 コーダ
この終末に合唱が入る形式はメンデルスゾーン、リスト、マーラー、ショスタコーヴィッチなどが好んで使ったが、中でもメンデルスゾーンの第三交響曲の最終部は合唱が入らない歓喜の歌である。
[編集] 歓喜の歌
フリードリヒ・フォン・シラーの詩作品「自由賛歌」(Hymmne a la liberte 1785年)がフランス革命の直後ラ・マルセイエーズのメロディーでドイツの学生に歌われていた。そこで詩を書き直した「歓喜に寄せて」(An die Freude 1803年)にしたところ、これをベートーベンが歌詞として1822年から1824年に書き直したものである。一説にはフリーメイソンリーの理念を詩にしたものだともいう。
余談であるが、「歓喜のメロディ」は、交響曲第9番オリジナルなものではない。1808年の合唱幻想曲と、1810年のゲーテの詩による歌曲「Kleine Blumen, kleine Blaetter」において既に用いられている。
[編集] 歌詞(ドイツ語原詞、日本語訳)
An die Freude
O Freunde, nicht diese Töne!
Sondern laßt uns angenehmere
anstimmen und freudenvollere.
(ベートーヴェン作詞)
Freude, schöner Götterfunken,
Tochter aus Elysium
Wir betreten feuertrunken.
Himmlische, dein Heiligtum!
Deine Zauber binden wieder,
Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,
(シラーの原詩:
Was der Mode Schwert geteilt;
Bettler werden Fürstenbrüder,)
Wo dein sanfter Flügel weilt.
Wem der große Wurf gelungen,
Eines Freundes Freund zu sein,
Wer ein holdes Weib errungen,
Mische seinen Jubel ein!
Ja, wer auch nur eine Seele
Sein nennt auf dem Erdenrund!
Und wer's nie gekonnt, der stehle
Weinend sich aus diesem Bund!
Freude trinken alle Wesen
An den Brüsten der Natur;
Alle Guten, alle Bösen
Folgen ihrer Rosenspur.
Küsse gab sie uns und Reben,
Einen Freund, geprüft im Tod;
Wollust ward dem Wurm gegeben,
und der Cherub steht vor Gott.
Froh, wie seine Sonnen fliegen
Durch des Himmels prächt'gen Plan,
Laufet, Brüder, eure Bahn,
Freudig, wie ein Held zum Siegen.
Seid umschlungen, Millionen!
Diesen Kuß der ganzen Welt!
Brüder, über'm Sternenzelt
Muß ein lieber Vater wohnen.
Ihr stürzt nieder, Millionen?
Ahnest du den Schöpfer, Welt?
Such' ihn über'm Sternenzelt!
Über Sternen muß er wohnen.
歓喜に寄せて
おお友よ、このような音ではない!
我々はもっと心地よい
もっと歓喜に満ち溢れる歌を歌おうではないか
(ベートーベン作詞)
歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
天上の楽園の乙女よ
我々は火のように酔いしれて
崇高な汝(歓喜)の聖所に入る
汝が魔力は再び結び合わせる
時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる
(シラーの原詩:
時流の刀が切り離したものを
貧しき者らは王侯の兄弟となる)
汝の柔らかな翼が留まる所で
ひとりの友の友となるという
大きな成功を勝ち取った者
心優しき妻を得た者は
彼の歓声に声を合わせよ
そうだ、地上にただ一人だけでも
心を分かち合う魂があると言える者も歓呼せよ
そしてそれがどうしてもできなかった者は
この輪から泣く泣く立ち去るがよい
すべての被造物は
創造主の乳房から歓喜を飲み、
すべての善人とすべての悪人は
創造主の薔薇の踏み跡をたどる。
口づけと葡萄酒と死の試練を受けた友を
創造主は我々に与えた
快楽は虫けらのような弱い人間にも与えられ
智天使ケルビムは神の御前に立つ
神の計画により
太陽が喜ばしく天空を駆け巡るように
兄弟たちよ、自らの道を進め
英雄のように喜ばしく勝利を目指せ
抱き合おう、諸人(もろびと)よ!
この口づけを全世界に!
兄弟よ、この星空の上に
父なる神が住んでおられるに違いない
諸人よ、ひざまついたか
世界よ、創造主を予感するか
星空の彼方に神を求めよ
星々の上に、神は必ず住みたもう
[編集] 版の問題
この作品は、その斬新な作風から解釈やオーケストレーションについて多くの問題を含んでおり、19世紀後半のワーグナー、マーラー、ワインガルトナーといった名指揮者・作曲家によるアレンジが慣例化している。それらは演奏実践に有益な示唆を含んでいるが、同時に作曲当時には存在していなかった楽器法を取り入れた結果、曲本来の姿を伝える上では障害ともなっている。
また自筆スコアの他にスコア・パート譜から修正チェック用のメモ、テンポは会話帳の1ページに甥のカールによって記され、出版社への修正依頼が記された書簡まで数多くの筆写史料が残っており、微妙な違いが無数にあるため食い違いが作曲者の意図なのかそれとも写し間違いなのか決定し難い点が問題となってきた。 『ミサ・ソレムニス』というさらなる大曲と並行して作られ、また出版やウィーン以外の国でも初演される事が決まっていたという前提があり、さらに長年ベートーヴェンの筆跡判読を行なっていた筆写作業の統括者ヴェンツェル・シュレンマーが23年に亡くなり作業は停滞する。後継の写譜師達からは仕事を断る者、途中放棄する者が出たほどである。さらに作曲過程でベートーヴェンは執拗に改訂を行なった。資料が多いのに一貫性に欠けるという好ましくない状況が発生し、またベートーヴェン自身写譜の誤りを見逃してしまい、体調不良から校正を第三者に委ねようと依頼して断られるなど、混乱は初版第1刷発行後も続いた[5]。
このような状況で1826年に出版された初版スコアは、その版下と比べて食い違いがおびただしい。これは修正刷りのチェックなど校正が殆ど行われなかったためとみられる。1864年に出たブライトコプフ・ウント・ヘルテル社(ドイツ)の旧全集版は自筆スコア、筆写史料、初版に基づいて作成されているが、テンポの問題は解決されず、歌詞の誤り、写譜師の誤写や初版のミス、ベートーヴェンの改訂前の形を採用するなど問題が多かった。
問題を解決しようという試みは有ったが、第二次世界大戦前までドイツにあった資料には戦後行方不明になった物があり、誤りの少ない楽譜を作成するには拠るべき資料が不足していた。
戦前から自筆スコアのファクシミリ(写真版)が出版されていたので、岩城宏之、クレンペラーなど慣用の楽譜に自筆スコアに基づく修正を加える指揮者も少なくなかった[6]のだが、旧全集版に慣れた考え方からすると自筆スコアに残る音形は奇異に思われる物も多く、なかなか全面的には受け容れられて来なかった。
20世紀の末になると東西ドイツの統合とソ連の崩壊に伴い行方不明になっていた資料が発見されそれらの素性も明らかにされて来た。『第九』に関しては残っているだけでなんと20点もの原典資料がヨーロッパ〜アメリカの各地に散らばっていたのである。
イギリスの音楽学者・指揮者のジョナサン・デルマーがこうした新旧様々な資料に照らし合わせて問題点を究明し[7]、この研究は楽譜化され1996年にベーレンライター社から出版された。自筆スコアから誤まって伝えられてきた音が元通りに直されたため、ショッキングに聴こえる箇所が幾つもあり大いに話題を呼んだが、ベートーヴェンの書きたかった音形を追求した結果、どの資料にも無い音形が数多く表れている点もこの版の特徴である。
この版の出版直後「ベーレンライター版使用」と明記した演奏・録音が流行したが、実際には「新版の改訂を一部だけ採用し、大部分は旧来の楽譜のまま」という扱いが多かった。デルマー版は演奏者が違和感を拭えない箇所が随所にあると見なされ、「ベーレンライター版使用」と銘打つ演奏会は昨今ではなりを潜めている。
21世紀に入って旧ベートーヴェン全集の出版社であるブライトコプフ社もペーター・ハウシルトの校訂で原典版を出版した。こちらは先行するデルマーの版と同じ資料に基づきながら資料ごとの優先度が違い、異なる見解も幾つも現れている[8]。
いずれも国際協力と新しいベートーヴェン研究の成果、現場の指揮者や演奏家達の助言も入れて編集された批判校訂版である。また将来、ボン・ベートーヴェン研究所のベアテ・アンゲリカ=クラウス校訂による新ベートーヴェン全集の版がヘンレ社から刊行される予定である。
[編集] 関連項目
ベートーヴェンの楽曲一覧
クラシック音楽の曲名一覧
交響曲第9番
フリードリヒ・フォン・シラー
ジョイフルジョイフル(第4楽章の旋律をとった讃美歌)
合唱幻想曲(「歓喜の主題」の原型が現れている、ルーツ的存在)
第九と皇帝
第九と四季
1万人の第九コンサート
国技館5000人の第九コンサート
第九ひろしま
ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会
[編集] 前後の作品
作品番号
Op124『献堂式』序曲 - Op125交響曲第9番 - Op126ピアノのための6つのバガテル
交響曲
交響曲第8番 - 交響曲第9番 - 交響曲第10番(未完成)
[編集] 使われた作品など
映画
天使にラブソングを2 - ジョイフルジョイフルが歌われた。
ダイ・ハード - BGMとして使われた。
時計じかけのオレンジ - 主人公が大好きな曲として使われ、シンセサイザーやオーケストラで演奏され、BGMとして使われた。
俺たちの交響楽
バルトの楽園
不滅の恋/ベートーヴェン
敬愛なるベートーヴェン
ショスタコーヴィチ:映画音楽「五日五夜」中の曲「ドレスデン解放」 - 心から喜びきっていないかのような、変な対旋律をつけて引用している。
ふたり
ヘルプ!4人はアイドル-リンゴ・スターが地下壕に閉じこめられトラに襲われそうになるが、歓喜の主題を聴くとトラはおとなしくなり危機を回避する。
アニメーション
新世紀エヴァンゲリオン - 第弐拾四話「最後のシ者」での使徒侵攻時のBGMとして使われた。因みに本編でのBGMはこれ一曲だけである。歌詞と内容が微妙にリンクしている事で有名。
GUNSLINGER GIRL - 13話ラストシーンで使われた。
東京ゴッドファーザーズ - ムーンライダーズのアレンジにより、独自の歌詞が当てられ、エンディング曲として使われた。
ゲーム
スペースフィーバー - ゲームオーバー時に使われた。
ペンゴ - コーヒーブレイクデモに使われた。
テレビドラマ
踊る大捜査線・歳末特別警戒スペシャル - SAT突入前後のBGMとして。
相棒 - 2000年6月3日放送のPre Season第1話から他、シリーズのスペシャルで度々効果的に使用されている。
スケバン刑事 - 第2作、第3作とそれぞれの最後の敵を倒す際、歓喜の歌の直後の部分を使っている。
のだめカンタービレ - 第2話で第1楽章が演奏された。また、第4話でもフランツ・フォン・シュトレーゼマンがAオケのリハーサルで第1楽章の指揮をした。
ガリレオ - 第10話にて爆弾解体シーンのBGMとして。
その他
近代オリンピック
アトランタオリンピックでは、聖火点火の際に使われた。
長野オリンピックの開会式では、長野県県民文化会館での小澤征爾の指揮による演奏(ソリストを含む)に合わせて、開会式場の合唱団及び五大陸の合唱団が、衛星同時中継により、第4楽章を演奏・合唱した。
ミュージカル - 宝塚歌劇が1995年に上演した「国境のない地図」第2幕のラスト(ベルリンの壁崩壊)では、「歓喜の歌」の抜粋が劇中合唱された。
上海太郎舞踏公司B - 第4楽章を「風呂屋で」という曲名でカバー。原曲のドイツ語の歌詞を、空耳によって関西弁で歌っている。
藤兵衛ドンと農民たち - 第4楽章を「よろこびのうた」という曲名で替え歌でカバー。
[編集] 註
[ヘルプ]^ ドイツ語の原題ではこの曲は Sinfonie mit Schlusschor über Friedrich Schillers Ode "An die Freude" (フリートリヒ・シラーの頌歌『歓喜に寄す』に基づく終結合唱を伴う交響曲)とされており、ドイツ語ではあくまでも"Chor"(合唱)であり"Choral"ではない。日本でCDの表記などに一般的に用いられている"Choral"は英語であり、「合唱の」「合唱」という一般的な形容詞、名詞だと考えられる。英語の"Choral (Chorale)"には「コラール」にあるように「賛歌」「賛美歌」という意味もあるのだが、ドイツ語においては、"Chor"と"Choral"は明瞭に区別されているので、この交響曲のニックネームである"Choral"をコラールに結びつけるのは適当ではない。
^ 1979年からCD の開発に当たったフィリップスとソニーはディスクの直径を11.5cmとするか12cmとするかで何度も議論を重ねており、大きさを基準に考えるフィリップスに対し記録時間を優先したいソニーで話し合いは難航していた。11.5cmであることの様々な利便性は明らかであったが、最終的に『第九が入らなくては』との意見が出され12cmに決定したというもの。ヘルベルト・フォン・カラヤンが自分の第九交響曲の録音がちょうど収まる大きさにするよう圧力をかけた、とする説[要出典]もある。実際のカラヤンの演奏時間は60分台で、カラヤンのライバルで、70分超えで演奏することが多かったカール・ベームの第九が時間オーバーで収まらなくなるようにするためでもあったという説[要出典]もある。
^ この次に「45分」という記述もあるが、実行するにはあまりに速過ぎるという事で『第九』全曲の演奏時間とは見なされていない。また第1楽章のテンポも「4分音符=88」が採用されているが、自筆スコアでは「メルツェル=108から120」という数字が書かれており、実行すれば3分以上の短縮になる。これも不自然に速過ぎ、恐らくベートーヴェン自身の勘違いと考えられている。
^ 繰り返された喝采やアンコール、会話帳に残るベートーヴェン周辺の対話が好評であったとする根拠になっているが、「ベートーヴェンの愛好家ばかりが騒いでいた」という否定的な証言もある。さらに総練習の回数が2回と少なく管楽器のエキストラまで揃ったのが初演前日とスケジュール上ギリギリであったし、演奏者にはアマチュアが多く加わっていた事(長年の戦争でプロの演奏家は人手不足だった。例えば初演の企画段階でも「ウィーンにはコンサート・ピアニストが居ない」と語られている)、さらに合奏の脱落や崩壊を防ぐためピアノが参加し合奏をリードしていた事実から、演奏の完成度には疑問の余地がある。過去1809年の「合唱幻想曲」の初演では実際に合奏が崩壊し、最初から演奏し直している。
さらに5月23日に会場をより大きなレドゥーテンザールに移して催された再演は会場の半分も集客出来ず大失敗。ウィーンの聴衆の受けを狙ってロッシーニのオペラアリアを入れた事、昼間の演奏会だったので人々がピクニックに出かけてしまった…などの理由を述べた書き込みが会話帳に残っているが、新聞批評(「聴衆に深い感動を与えた」という内容だが、記事そのものは初演から2ヶ月近く経ってようやく掲載された)に載っているような傑作と当時の聴衆の多くが見なしていなかった事の表れでもあろう。
なお初演の収入は会場使用料や写譜代金などを差し引いて420グルデンという数字が伝えられている。シンドラーの「2000グルデンは儲かる」という話をはじめとして「成功間違い無し」と周囲に吹き込まれて開いた演奏会でもあり、この金額はベートーヴェンには明らかに少なかった。再演ではあらかじめ1200グルデンがベートーヴェンに支払われている。後年プロイセン王への献呈の際ベートーヴェンに指輪が贈られたが、鑑定させて300グルデンと判るとベートーヴェンは安過ぎると怒り、売り払ってしまった。
^ 改訂が数多く成される場合、版を重ねる毎に誤りが受け継がれていく事があるので最終段階の資料を優先すべきとは限らない。そのため可能な限り多くの資料が揃えられ、スケッチ帳まで遡って成立した順を明らかにする研究が必要で、楽譜作成にあたっては修正の入った資料が重要視される。
^ 有名なのが第1楽章300小節のティンパニとトランペット。自筆スコアでは16分音符だが筆写時の誤りで以降の版が全て8分音符になっている。第3楽章の旋律、第4楽章330小節のティンパニに付けられたデクレッシェンドの処理なども聴いて判り易い。
^ その研究を参考に音楽学者・指揮者の金子建志も演奏史を含めて自らの著作で言及している。この研究は実際に原典資料を演奏に用いるなどの実践に裏付けられたものである。
^ 例えば先述の第4楽章330小節について、デルマーは自筆スコアにはデクレッシェンド無し、残存する初演用弦楽器パート譜には全て、初演用のスコアではティンパニだけ、とまちまちである事、また諸説ある初演の合唱団人数を少なく見積もった上「ティンパニに合唱がかき消されないよう、その場で指示された処置ではないか」と考えてこの指示を削除したが、ハウシルトは最後発の筆写スコア(ベートーヴェン自身が校閲したプロイセン王への献呈譜。クルト・マズアらが参照している)に従い、合唱以外の全楽器にデクレッシェンドをつけている。
[編集] 外部リンク
ベートーヴェンの交響曲第9番の手書譜 - Die Staatsbibliothek zu Berlin – Preußischer Kulturbesitz (Berlin State Library – Prussian Cultural Heritage)
ベートーヴェンの交響曲第9番の総譜 (HTML) - IUDLP: The Indiana University Digital Library Program
ベートーヴェンの交響曲第9番の合唱総譜 (PDF) - CPDL: The Choral Public Domain Library
ベートーヴェンの交響曲第9番の演奏 (RM,WM) - The Philadelphia Orchestra (I&II楽章 bit rate:64Kbps, III&IV楽章 bit rate:48Kbps)
[編集] 参考文献
土田英三郎解説 ミニチュアスコア『ベートーヴェン交響曲第9番ニ短調作品125』(音楽之友社, ISBN 4-276-91936-3)
ベートーヴェン研究 児島新/著 (春秋社, ISBN 978-4-393-93174-5)
ベートーヴェン書簡選集 ベートーヴェン/著 小松雄一郎/訳・編 (主に下巻, 音楽之友社)
Symphony No. 9 with final chorus 'An die Freude' D minor op. 125 Ed; J.DelMar(Barenreiter, BA9009)
Symphonie Nr.9 d-moll op.125 hrsg. von P. Hauschild(Breitkopf Urtext neuausgabe, PB5239)
また原典版編集者が用いたものと同じ資料を、インターネットを通じて複数参照する事が可能となっている。
ベルリン国立図書館収蔵の自筆スコアは、2001年の世界遺産指定後はインターネット上に公開され、全ページの閲覧が出来る。
初演にも使われた初版用筆写スコアはショット社が2003年に売却、ロンドン・サザビーズのオークションで190万ポンド(当時約310万米ドル=約3億6500万円)で匿名氏によって落札され、同社による音楽資料の落札価格最高値を更新した。こちらもジュリアード音楽院の手稿譜コレクションとしてインターネットを通じて閲覧出来る。
ベートーヴェン研究所もショット社の初版スコア/パート譜/ヴォーカルスコア(ピアノ伴奏が付いた声楽用簡易スコア)などを公開している。作品に関する書簡も解読された文面とともに公開されている。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの交響曲
第1番 - 第2番 - 第3番『英雄』 - 第4番 - 第5番(運命) - 第6番『田園』 - 第7番 - 第8番 - 第9番『合唱付き』<WIKIより>
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