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ビスチェ〜全特連コラム〜

序章

 映画「ALWAYS三丁目の夕日」がヒットし、昭和30年代が脚光を浴びている。
 その30年代に、現在ソープランドと呼ばれている個室付き特殊浴場(その頃は怎gルコ風呂揩ニ呼ばれていた)を起業し、平成18年の今も業界の全国規模の組織である「全日本特殊浴場協会連合会」(通称「全特連」)の相談役を勤める人がいる。

 昭和37年11月埼玉県の大宮(現在、さいたま市)で「大宮トルコ」を立ち上げた阿久津 一郎さんが、その人である。
 昭和37年ということは西暦でいうと1962年。平成18年は2006年だから、阿久津さんの業界暦は足かけ45年ということになる。

 この人、昭和6年(1931年)3月生まれで、今年75歳だが、親子ともども背筋がピーンと伸び、昼も夜も未だ現役という、うらやましい限りの元気なお年寄りでもある。

 ところで、阿久津さんは、終戦直後から吉原、玉の井、鳩の街、亀有、新宿二丁目といった色街に毎日のように足を向け、こうした街の表も裏も知り尽くし、昭和33年3月31日恊ヤ線揩フ灯が消えた、その日のこともしっかりと覚えている。

 また大宮でのトルコ風呂第1号店を開業した3年後に、北浦和にも新店を出し、個室付き特殊浴場が日本でブレイクして行くさまを肌で感じとってきた人でもある。

やがて、好事魔多し。
 昭和39年(1964年)東京オリンピック開催時に風俗浄化運動が起きる。また、昭和41年(1966年)6月に、永田町の首相官邸裏にトルコ風呂の申請が出されたことに、当時の佐藤栄作首相が激怒し「風俗営業等取締法の一部を改正する法律案」が提出され、成立。トルコ風呂の新設が制限区域とされるといった具合に業界の存亡の危機がやってくる。

 さらに、昭和44年(1969年)には「日本基督教婦人矯風会」がトルコ風呂の規制に関する要請書を提出。存亡の危機がさらに深刻化していった。
 こうなると、もはや一店舗の力ではどうしようもないことに気がついた阿久津さんたち全国の業界人たちは団結し、この業界の存亡の危機から脱出をはかる。

 これが、現在の恆S特連揩ノつながっていくわけだが、そのとき経営者はどう考え、どう行動したのか? またそこで働いていた男子従業員はこの危機にどんなふうに対応したのか? そして、そこで働いていた女性たちはどうだったのか?

 時は流れ、昭和40年代なかばから後半にかけて川崎・堀之内、千葉・栄町、滋賀・雄琴が隆盛し、業界が再び勢いを取り戻し始める。

 この時期の業界などはどうだったのか? また阿久津さん自身はどうしていたのか?
 昭和50年代に入り、ニュー風俗が乱立恊V風営法搦{行で営業時間が午前0時までとなり業界は大打撃。

このとき、業界の人々は?
 このように、ひとくちに45年というが、恊l生いろいろ揩「ろんなことがありました。
その歴史の生き証人として、業界の大先輩である阿久津さんに業界の話を聞いてみたい。

 これは、風俗ライターとして、業界のはしくれに身を置くわたしを含め、なんらかの形で、現在風俗の世界で生きる者の、いつわらざる気持ちである。

 そこで、次回から「全特連」相談役・阿久津 一郎語り尽くし怩ニろろ昆布の詩揩フ連載を開始します。
乞う、ご期待!

※注
タイトルの“とろろ昆布の詩”の“とろろ昆布”というのは? 
阿久津さんが吉原のトルコ風呂社長にすすめられ、トルコ風呂店を起業しようと、勉強のためにせっせと吉原へ通っていました。その頃、奥さんに「近々トルコ風呂を始めようと思う! 今、それについて研究をしているところだ」と告げたのだそうです。これを奥さんが「とろろ昆布屋」と聞き違え、起業後もしばらくの間、阿久津さんの仕事を“とろろ昆布屋”と思い込んでいたというエピソードから採らせていただきました。
(取材・構成/伊藤 裕作)

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