関連キーワード :プロレス
【プロレス】37年間〝王道マットの番人〟として活躍してきた和田京平レフェリー(56)が、全日本プロレス19日の東京・両国国技館大会を最後に全日プロを離れ、フリーに転身した。
19日、メーンの3冠戦を裁いた和田氏は勝利した諏訪魔の左腕を天高く突き上げた。そして、客席に向かって頭を下げてリングを下りた。これが、ファンへの別れのあいさつとなった。退団のきっかけは、5・29神戸大会前の控室でTARUが平井伸和選手の顔面を殴打した問題だった。和田氏は全日首脳陣に団体側の管理責任を指摘し、本紙にも「まず(当時社長の)武藤敬司が頭を下げるべきだと思う」とあえて実名で取材に応じた。その結果、両国大会をもって契約が打ち切られることになった。
和田氏は「両国が最後だったというのは事実」とした上で「全日本のファンに何も言わずに去ることが申し訳ない。ただ前もってアピールもしたくなかった。全日本とケンカしたいわけではない」と話した。親しい関係者や故ジャイアント馬場さんの仏壇にも報告を済ませたという。
和田氏は馬場さんの推薦で1974年にレフェリーデビュー。厳格かつ正確なレフェリングで1万試合以上を裁き、86年の本社制定プロレス大賞では「優秀レフェリー賞」も受賞。リングアナに紹介されると「キョーヘー!!」と大合唱が起こることが名物だったが、全日マットでそのコールを聞くことはもうできない。
(写真は着ていたTシャツに諏訪魔と永田裕志のサインをもらった和田レフェリー)
19日、メーンの3冠戦を裁いた和田氏は勝利した諏訪魔の左腕を天高く突き上げた。そして、客席に向かって頭を下げてリングを下りた。これが、ファンへの別れのあいさつとなった。退団のきっかけは、5・29神戸大会前の控室でTARUが平井伸和選手の顔面を殴打した問題だった。和田氏は全日首脳陣に団体側の管理責任を指摘し、本紙にも「まず(当時社長の)武藤敬司が頭を下げるべきだと思う」とあえて実名で取材に応じた。その結果、両国大会をもって契約が打ち切られることになった。
和田氏は馬場さんの推薦で1974年にレフェリーデビュー。厳格かつ正確なレフェリングで1万試合以上を裁き、86年の本社制定プロレス大賞では「優秀レフェリー賞」も受賞。リングアナに紹介されると「キョーヘー!!」と大合唱が起こることが名物だったが、全日マットでそのコールを聞くことはもうできない。
(写真は着ていたTシャツに諏訪魔と永田裕志のサインをもらった和田レフェリー)
- 【前の記事】オリ岡田監督はソフトバンク追撃に自信
- 【次の記事】フリー和田京平「オールスター戦」参戦熱望
本日の見出し
<宝塚記念確定>ルーラー最強 WIN5的中!!舘林が断
- iモード月額:290円(税込)
- au月額:290円(税込)
- softBank月額:294円(税込)