学院に戻りサイトがまず向かった場所は、食堂の厨房だった。
先日、迂闊な発言でルイズを怒らせ、食事抜きを宣告された際、シエスタに勧められるがままに赴いた時から、厨房での食事はサイトにとっての日常になったのだ。
そして、厨房で食事となると、彼より先に厨房での食事を日課としていたカイムの姿がある。
厨房の面々からすれば、サイトとカイムは平民にとってのヒーローであるらしかった。毅然と貴族に立ち向かい、それを打ち倒したサイトに、傷付いたサイトを庇って貴族に立ちはだかったカイム。二人はいつしか彼等から「我等の剣」等と言う呼称を付けられていた。
そんな訳で、豊かな食事を約束されている二人は、卓を並べて同じ様に食事を摂るのだが、サイトにとって、アンヘルやキュルケの介添えの無い状態でカイムと接するのは、実は苦手だったりする。何せ、カイムは喋れないのだ。
シエスタ等は、終始無表情であるカイムの機微を上手く捉え、的確に彼の要望に応えたりするのだが……どうにかしてカイムと上手い具合にコミュニケーションを取りたいサイトは、食事の時間、どういう話題を切り出すかに苦心していた。
「うーむ。どうしたもんかなぁ」
「…………?」
食事中、サイトから漏れた一言に、カイムが不思議そうな顔をして彼を見た。だが、考えに集中しているのか、サイトはそれに気付かない。
とりあえず、喋れない自分がこういう風に何かに反応しても、相手を困らせるばかりだろうと思い、カイムは目の前の食事を平らげる事に意識を傾けた。
大体、サイトとカイムの食事は、お互いの意識がこうしてすれ違って終了するのが常である。だが、今日ばかりは勝手が違っていた。
サイトは今日買ったばかりの剣の事を思い出し、食事を終えて立ち去ろうとするカイムにこう告げた。
「なぁ、カイム。俺にちょっと剣教えてくんねぇ?」
「…………」
唐突な切り出しに、カイムはどういう意図かと、首を傾げてサイトの方を向いた。
「前はさ、ああして何か、うやむやの内に勝っちまったけど。また何かあった時に、今度はちゃんと対抗できる様に、鍛えといた方がいいかなって」
前、と言うと、ギーシュとの決闘の事か。カイムは思い出し、あの時頭に血が昇って思わず安易な人死にを出しそうになった事を改めて悔いた。
稽古という名目上であれば、相手を殺してしまう様な不安も無いだろう。そう考え、カイムはサイトの提案を受け入れる事にした。腹ごなしには丁度いい運動に違いない。それに、あの時に見せたサイトの並外れた瞬発力にも興味があった。
カイムが頷くと、サイトは必要以上のリアクションでその喜びを表す。そんな彼等の姿を、シエスタは微笑ましげに見つめていた。
一応、何かあってはならぬと、キュルケやルイズ達の立ち会いの下、サイトとカイムは互いに剣を構えて向き合っていた。得物は互いに真剣。サイトは購入したばかりのデルフリンガーを、カイムは鉄塊では到底剣の稽古にならない為、元の自身の剣を手にしている。
それでも最初は危険過ぎると、ルイズは止めに入ったのだが、アンヘルの「問題ない」という根拠の窺えないが、自信たっぷりな発言によって、現在に至っている。
「いきなり実践ってのも厳しくない?」
最初はノリノリだったサイトは、有無を言わせないこの状況に少し臆病心に駆られそうになっていた。それを、手にしたデルフリンガーが軽い罵倒と共に嗜める。
「言い出したのは相棒、おめーだろ。んなビビってねぇで、おめーから向かってけ! 実践なくして上達なし!」
「ああ、もう分かったよ!」
半ばやけっぱち気味にカイムに向かって剣を振り下ろすサイト。だが、その速度は以前ギーシュとの戦いで見せた物とは程遠い物であった。
カイムは刀身でそれを軽く受け止めると、顔をしかめて剣を振り上げ、サイトの身体を跳ね飛ばした。受身も取れずにサイトは地面を転がる。
「彼、前より動きが良くないみたいだけど?」
「うむ。……これではそこいらの小僧に毛が生えたレベルだな」
「ちょっと……何やってんのよサイトったら……」
キュルケとアンヘルが冷静に言い合う中、ルイズは気が気で無い様だった。
「んー、心が殆ど奮えてねぇな、相棒」
「ええ? どういう事だよデルフ」
「胸を借りる立場なんだ。とりあえずはやる気だしな」
「何だよそれー!?」
デルフリンガーの投げやりな発言に、またもやけっぱち気味で突っ込み、同じ様に弾き返されては地面を転がるサイト。
カイムからすれば、これでは期待外れも甚だしい。多少苛立ち混じりでサイトの相手をしているのだが、そこでとある事に気が付いた。
「ちく、っしょう!」
「…………」
「まだまだ!」
「…………」
「うぉぉらぁっ!」
「…………!」
一太刀交える毎に、カイムに弾き返される毎に、徐々にサイトの動きに変化が見られ始めたのだ。具体的に言えば、俊敏性が上がり、剣の重みが増している。そして、弾き返されても瞬時にその身を立て直していく。打ち合いの合もどんどんと増えていた。
「へぇ、もしかして彼スロースターター?」
「わ、わたしの使い魔なんだから、ただでは転ばないわよ」
「まぁ、確かにさっきまではころころ良く転がっておったな」
「プッ」
「う、うるさい!」
面白くなって来た、とばかりに、カイムはこちらから仕掛ける事を始めた。無論本気では無いが、急所を狙った斬撃を放つ。
「うおっ」
サイトは予想通りにそれを、軽やかな身のこなしでかわして見せる。返しの斬り上げを、デルフリンガーによって難なく受け止めた事に気を良くしたカイムは、徐々にスピードを上げ、サイトに打ち込みを続ける。
「ほう、相棒。飲み込みが早いじゃねえか。そうだぜ。今のうちに身体の動かし方を覚えておくんだな」
茶化しながら言うデルフリンガーだが、既にサイトの耳には言葉は届いていない。集中が途切れたら、あっという間にまた地面を這い蹲る羽目になるだろう、と予測がついているからである。
最早何合目か、数え上げるのもキリがない程、斬撃を交し合う二人。始めたばかりこそは一方的であったが、今は剣舞と呼んでも差し支えないレベルに達していた。
――カイムの表情に変化があったのは、サイトの斬り下ろしが、彼の頬を掠めた時であった。
「いかん! やめよカイム!」
アンヘルの叫びと同時に、サイトの身体が宙を舞った。稽古を始めた頃とは違い、その勢いは尋常ではない。本気のカイムの一撃を、まともに受け止めた結果である。
アンヘルはしまった! と内心で舌を打った。サイトの実力を読み違えていたのだ。あの驚異的な身体能力をもってしても、カイムを本気にさせる事など出来ないと。
横薙ぎに吹っ飛ばされたサイトだったが、間一髪デルフリンガーでの防御が間に合っていた。ふぅ、と溜息を吐くと、彼はその場にへたり込んだ。
「今のは……ちょっと危なかったぜ……」
「ちょっとサイト大丈夫!?」
ルイズはサイトに近づくと、「怪我は無い? どこか折れたりしてないでしょうね?」と、実に甲斐甲斐しくサイトの世話を焼き始める。
一方、カイムはその姿にハッ、と我に返り、苦々しげな表情を浮かべた。
「一歩間違えれば大惨事であったな。だが、逆に言えばサイトは良くやった、とも取れるが。まぁ、今日はこれくらいにした方がよかろう」
「…………」
自己嫌悪を露にし、カイムは肩を落とした。その肩に、キュルケの手がそっと添えられる。
「何事もなかったんだから、そんなに気に病む必要はないのよ?」
「ううー、最初っからこれじゃ、きっついなぁ。今度からはもうちょっと手加減してくれよなぁ」
いつの間にか立ち上がっていたサイトが、落ち込んだ様子を見せるカイムに向けて声をかけた。ルイズは声を上げてそれを制する。
「ちょっとサイト! もうこんな危ない真似はよしてよ!」
「いや、それ無理」
「何で!?」
「俺が弱いままだと、お前に恥かかせる事になるかもしれないだろ? だから、俺は少しでも強くならなくちゃ」
サイトの発言で、ルイズの頬がまるで熟れたリンゴの様に真っ赤に染まった。
キュルケは苦笑混じりでそれを冷やかし、アンヘルもそれに乗じる。
だが、カイムの表情は晴れなかった。自分を抑えきれない事実が、大きく心にのしかかる。
「おいおい、カイムも何でそんな顔してんだよ。これからも頼むぜ?」
「…………」
「おう、相棒もこう言ってる事だしよ。あんたなら相棒のいい練習相手になってくれそうだし、俺からも一つ」
無邪気に言うサイトと、カタカタと鍔元を震わせて言うデルフリンガーに、カイムはほんのわずかではあるが、口元に笑みの形を作った。もしかしたら、自分は変われるのかもしれない。そんな希望を抱いて。
「カイムは、次はそんな事も言えないくらいにしごいてやるから、覚悟しておけよ、と言っている」
「…………!」
「ええええ!? そりゃねーよカイム!」
「わたしのサイトにそこまでするつもりなわけ!?」
アンヘルが冗談で言った一言に、カイムはアンヘルをむきになって追い回し、その背中をすがる様にサイトが追う。ルイズは自分の発言を思い返して再び顔を真っ赤にさせた。 そんな光景を、キュルケは大笑いしながら眺めている。
「カイムもああして、笑えるのね……」
ひとしきり笑い終わったキュルケは、慈しみを込めた視線を彼に向けるのであった。