山崎元のビジネス羅針盤
自己啓発本のメッセージは4パターン、推薦図書は2冊だけ!
2011年6月16日
次々に出る自己啓発本
書店を訪ねるとかなりの数の自己啓発本が店頭に並んでいる。また、ネットの書店を見ても、ベストセラーのランキング上位にはいつも数多くの自己啓発本が食い込んでいる。
海外の大ベストセラーとの触れ込みで翻訳される自己啓発本があることから見て、自己啓発本が好きなのは、日本人だけではないのだろう。
自己啓発本の出版が尽きない理由は、もちろん、これが売れるからだが、売れるということはニーズが絶えないということだ。少々皮肉だが、英会話の本や、ダイエットの本が大量に出続ける理由は、殆どの人が英会話の習得やダイエットに成功しないからだ。自己啓発本も、似ていないか。
一方、自己啓発本の売れ行きを見ると、多くの人が人生に成功していないと思っているらしいことが推察できる。
仮説だが、人が、自分の成功・不成功を他人との相対評価で認識するなら、世間の少なく見ても半分は自分の人生の成功度合いに改善の余地を認めるだろう。そう考えると、自己啓発本ビジネスにはまだまだ可能性があるということだろうし、今後も、大量の自己啓発本がわれわれの前に登場することだろう。
ビジネスパーソンは自己啓発本とどう付き合うべきか。
自己啓発本のメッセージは4パターン、推薦図書は2冊だけ
筆者は、もともとさほどの読書家ではないし、自己啓発本が特別好きなわけではないが、それでもかなりの数の自己啓発本を読んだ。自己啓発本は、マーケティングに工夫を凝らしていることが多いので、興味を惹かれて、つい買ってしまいやすいので、筆者の手元にもやって来るのだ。
読中感、読後感がいいか・悪いかは本によって様々だが、多くの自己啓発本を読むと、これらの根本的なメッセージと論理構成が随分似ていることに気がつく。
以下で説明する筆者の考えが、自己啓発本のエッセンスの「全て」を網羅していると主張する自信はないのだが、読者が、自己啓発本を読前、読中に早く適切に評価するヒントになれば幸いだと思い、筆者の仮説を発表する。
筆者の思うに、自己啓発本の本質的メッセージは4パターンで尽きている。多くの自己啓発本は、これらの何れか、あるいは幾つかを組み合わせた内容を中心的なメッセージとしていて、これらに著者独自の体験(多くは自慢話になる)と文体を織り交ぜたものであり、そうして読者を楽しませようとする(もちろん、読者に買って貰おうともする)「商品」である。
これから、その4パターンを説明しようと思うが、読者にとっては、それぞれのパターンを典型的に体現している自己啓発本の具体例があると便利だろう。
以下、ご紹介する本は3冊で、読者が是非読まれたらいいと「推薦」する本は、そのうちの2冊だけだ。2冊で、自己啓発本を「卒業」できるなら、随分効率のいい読書人生だと思われないか。
パターン1.「願いは叶う!十分強く願いさえすれば」
たぶん、自己啓発本に最も多いのは、夢や願いは、本気で徹底的に願うなら実現するものだ、という内容のものだ。著者は逆境にあってさえも夢を抱き、この夢を諦めずに人生を歩んだところ、夢が実現したので、読者にも同類の心掛けをお勧めする、というのが、この種の本の概要であり、論理的構造だ。
自己啓発書としての経営者の自叙伝は大半がこの構造だし、精神性を強調する自己啓発本がこのパターンだ。壮絶に書かれた人生を誇ることもあれば、十分願わない人の願いが叶わないのは仕方がないことでないかと説教を垂れながら、夢や目標を「信じる」ことの効用を説く本もある。
論理的なパターンの実例としては、ジェームズ・アレン「『原因』と『結果』の法則」(坂本貢一訳、サンマーク出版)がコンパクトで分かりやすい。この本は、これまで内外で数多く売れている。
しかし、少々申し訳ないが、筆者は、この類の自己啓発本が役に立つとは思わない。従って、上記の本を推薦しようとは思わない(但し、この本がいいという人も存在することは申し上げておく)。
はっきり言って、「十分に願うと、願いは叶う」というのは、「十分に」の内容を事前に具体的に確定しない限り、意味のない循環論法だ。将来、願いが叶っていなければ、それは願いが不十分だったのだろうし、幸い願いが叶っていたならば教えが正しかったことになる。実質的に、さしたる意味はない。
敢えて好意的に解釈するなら、目標に集中することはその達成にとって効果的だが、そのためには、たとえば以下のパターン3で述べる「時間管理」などが重要なのだということになるが、あからさまな循環論法にすぎない書物を読んでも、知的読者のモチベーションは改善しないのではないか。
パターン1の自己啓発本は読まなくてもいい、というのが筆者の意見だ。
パターン2.「無意識を有効に使おう」
以下で紹介するのは、なにがしか具体的な方法論であって、同時に有効でもあるから、読む価値のある自己啓発本のエッセンスの一つだ。
ビジネスでは、「企画」一般、特にマーケティングや広報で何らかの「アイデア」が必要な場合が多い。研究の仕事でもアイデアが必要なことがある。
アイデアは多くの場合、既存の複数のものの新しい関係に気付くことだが(つまり、新しい「視点」の発見とその意味の利用だ)、これを得る手順について「確実」といえるものは存在しない。それでもアイデアを作らなければならないところに不安もあれば、プレッシャーもあり、人は悩むことになる。
ジェームズ・ウェッブ・ヤングの「アイデアの作り方」(今井茂雄訳、TBSブリタニカ)は、広告業界などで古くから有名な小著だが、このアイデアの作り方にポイントを絞って書かれた本だ。本文50ページ程度の掌編だが、参考になる。
詳しくはこの本に直接当たって欲しいが、アイデアの作り方は、材料を頭に詰め込んで、頭を思い切り使って考えた後に、あとは無意識のうちに頭が考えるままに任せてアイデアの到来を待つ(必ず来るとは限らないし、いつ来るかも定かでないが、大体は「来る」)、というものだ。努力なしにアイデアが得られるわけではないが、努力の仕方はある程度迄手順化できる。
人間の頭脳は複数のものを無意識の中で関係づけて整理しようとするものなので、この力を有効に使おうというのが知っておくべきエッセンスだ。
広告、マーケティング系の自己啓発本にこの種の手順が解説されているものが多いが、脳を上手に使おうという種類の本も、この本のように無意識の意識的な利用を目指すものであることが多い。
その3.「自分の時間に注目しよう」
「経営の神様」ことピーター・F・ドラッカーは、没後も人気があり、特に日本には熱心な読者が多い。
ドラッカーの所説を簡単に集約してお伝えするのは少々恐れ多いことだが、ドラッカーを自己啓発書として読むとして、思い切ってまとめてしまうと、「時間の管理に集中すること」と、「自分の強みに集中すること」の2点に集約されるように思う。
時間は有限の資源だし、多くのビジネスパーソンにとって最大の資源であり、同時に制約要因でもある。人間は時間の使い方を変えることでしか自分を変えることが出来ない。
しかし、人は、このことに気付いているが、自分の時間をコントロールすることに対して意識的でないし、少なからぬ場合には、自分の時間管理の実態を十分自覚していない。ドラッカーは、先ず自分の時間の使い方を把握することから始めよと説いている。
ドラッカーは学者であると同時にコンサルタントでもあったので、読者へのアドバイスが具体的だ。時間を管理するための具体的な手順も考案して著書に書いている。
彼の初期の代表的著作の一つである「経営者の条件」(上田惇生訳、ダイヤモンド社)にも、こうした考え方と手順が載っている。
この本は「エグゼクティブ」のための仕事の方法論を書いたものだが、エグゼクティブを自分の働き方をなにがしか自分でコントロール出来る人と広く定義しているので、読者は社長や役員である必要はなく、多くの知的なビジネスパーソンの参考になるはずだ。
これと同様のメッセージを持つ自己啓発本は数多く、習慣づけなどによって自分の時間を有効活用する方法を述べている多くの著作が、時間管理の重要性の概念を、一部ないしは全部にわたって、その「一例として」記述したものだといっていい。
先にドラッカーを読んでおくと、これらの本が何をしようとしているのか意味が分かりやすいし、多くの場合、新刊の自己啓発本自体をわざわざ読む必要がなかったことが、再確認される。
その4.「自分の『強み』に集中しよう」
ドラッカーの「経営者の条件」は、便利な本で、自己啓発本のもう1つの大コンセプトである、自分の「強み」に集中することの価値を説いているのもこの本なので、1冊を読むことで、2つの強力なコンセプトを理解することができる。
自分の強みに集中することの価値は、人間は取引や組織を通じて、お互いの「強み」を交換することでメリットを得ることができることを、経済学の「比較生産費説」(たいていは貿易論の基礎で出てくる)で考えると分かって貰えると思う。
これは、有名な例でいうと、学者(アインシュタインあたりが例として登場することもある)とその秘書が居て、学者先生の方がタイプを打つのが上手で速いとしても、論文の清書のためのタイプは、秘書に任せた方が、2人合わせた総合的な生産性は上がるというような例で説明される法則だ。
しかし、たとえば受験生の体験を持つと、得意科目の強化よりも、苦手科目の克服の方が、合計点数が伸びることが多いので、たぶん、こうしたことも原因で、能力があって真面目な人ほど、その能力を自分の苦手な方面に無駄に使う傾向があるように思う。
しかし、人はその「強み」にこそ価値があり、仕事にあっても、強みの相対的な強さを磨くことで良い評価とポジションを得ることが出来るものだ。
たとえば、プロ野球選手でも、ほどほどの投手で且つそこそこの打者であるよりも、突出した長所を持つ投手や打者であることの方が、価値が高いし、年俸も上がる。
しかし、ビジネスパーソンの場合、何が自分の強みなのか、自分はどのような仕事の仕方に向いているのかを自覚することが簡単ではないし、無自覚なまま職業人生を送ることが多いようだ。
ドラッカーは著書の中で、自分の強みを把握する方法についても具体案を書いているが、何はともあれ、自分の強みに集中することの推奨は強力なメッセージ性を持っている。「自分の弱みを気に掛けることよりも、強みを生かすことに集中しなさい」と言われると、人は気持ちが楽になるし、事実その方が結果はいいのだということになると、自己啓発本の骨組みに利用する上では申し分ない。
著者が自覚的であるかないかは別として、「夢を諦めずに、自分の弱みを気にしたり、不向きなことに気を取られたりしなかったために、自分の得意を生かして、私は成功した…」という構成の体験記的な自己啓発本が数限りなく生まれている。
自分の強みに集中し、弱い分野を他人どう任せるかを考え工夫することは確かに重要だから、この種の自己啓発本は決して無駄ではないが、ビジネスパーソンの読書時間は限られている。基本的なストーリー構造の見当が付いた状態で、「後は、具体的ノウハウとして何があるのか?」という観点で新刊の自己啓発本を眺めると、読むのが100%無駄だと言い切らないまでも、好意的に言っても、立ち読みで十分だという本が殆どだ。
エンタテインメントとしての自己啓発本
自己啓発本の4つの基本的なメッセージを知り、ここに挙げた2冊の本を読むと、自己啓発本を次から次に読むような状態は卒業できる、というのが筆者の結論だが、自己啓発本の著者も少し弁護しておこう。
そもそも、人生の歩み方や働き方一般に関して、短期間で自分の生産性をめざましく上げるような画期的な理論なり方法なりがあるはずもない(あれば、世の中は、もっともっと立派な人ばかりのはずだ)。そんな中で、幾つか有効な視点や原則はあり、それを再確認する意味で、自己啓発本自体の存在は否定しなくてもいい。
それに、本を読んでいるしばらくの間だけ、自分の能力が向上するかも知れないという期待に基づく気分の「一時的高揚感」が得られるなら、「商品としての自己啓発本」は合格ではないだろうか。他の娯楽やサービスの価格と比較して、書籍の価格は安い。それに、「時間の無駄だ」と思うと、読むのを止める選択肢が常に読者の側にはある(お金を出して本を手に入れてしまうと、難しくなる場合が多いが)。
楽しみでもあるし、有害でない時間潰しなのだという程度に自己啓発本を考えて、大きな期待を持ちすぎないなら、自己啓発本を無理矢理遠ざける必要はない。自己啓発本の読書はエンタテインメントの一種だ。
しかし、時間を惜しむビジネスパーソンにとって、自己啓発本がお互いに極めてよく似ていることと、基本的なメッセージのパターンについて知っておくことは、無駄ではないように思う。読むべき本、学ぶべき事柄は、他に多々あるはずだ。自己啓発本の読書は、「ほどほど」に留めておくのがいい。