トリステイン魔法学院の朝は早い。
日の光が上りきって程なく、学院付きのメイド達は日々の雑務をこなすため、学院中をパタパタと走り回っている。洗濯籠一杯になった洗い物抱える少女、シエスタもその一人であった。その隣には、ルイズによって呼び出された使い魔の、サイトの姿もある。
洗い場を探すサイトと偶然出会い、成り行き上案内をする事になっていたのだ。
「助かるよ。まだここの構造全然把握してなくってさ」
「いえ、困った時はお互い様ですし……その、洗い物……大変でしょうから」
「あ、あは、あはは……」
ほんのりと頬を赤く染めるシエスタの視線の先には、サイトが抱える洗濯籠に入っている、一枚の下着が。サイトは思わず苦笑いを漏らした。
主に押し付けられた洗濯物も、これが無ければさほどは困ることも無かったろうに。
「貴族の方には平民は逆らえませんしね。……心中お察しします」
「……まだ丸一日も経ってないけど、疲れるよ。ほんと」
「そう言えば、今回の召喚の儀では、サイトさんともう一人、平民の方が呼び出されたとか……それもドラゴンと一緒に」
シエスタの言葉に、サイトは昨日自分の愚痴を聞いてくれたドラゴンと、その傍らで眠っていた男の姿が思い返された。
「ああ。ドラゴンの方となら話したよ。俺」
「ええ!? ドラゴンが喋るって……あ、そう言えば呼び出されたのは韻竜だとか……」
「まぁ、良く分かんないけど、いい奴だったぜ?」
「はぁ……」
サイトが言う物の、あまり彼女にとって現実的では無い話に、ただ曖昧に頷くしかなかった。
そんな中、洗い場も目の前という所で、サイトとシエスタは不意に目の前に巨大な影が降りて来るのを確認する。
そして、それが巻き起こした風によって、ほぼ同タイミングで彼等は尻餅を付く。
大きな羽音を三回程残し、地上に降り立った巨大な影は、彼等の話の中で出てきたドラゴンの物に他ならなかった。噂をすれば影、と言う奴だ。
「おっと、こんな所に人間がいたとはな……危うく踏み潰す所であったぞ」
「ちょっとちょっと、アンヘル気を付けなさいよね。あなたに踏まれたら一巻の終わりよ?」
「うむ……以後注意を払う様にしよう」
背に乗るキュルケの物言いに、あまり反省した様子を見せずに、アンヘルは答えた。
丁度、早朝の大空の散歩から帰って来たばかりの、彼等である。時間が時間だけに、あまり人はいない物と考えていた為に油断していたのだ。
そして、尻餅を付いた二人は、事態についていけずに呆然としたまま、目の前のアンヘルを眺めていた。
その二人の内、サイトの方に目をやったキュルケは、物珍しそうにその姿を注視した。
「あら? 見慣れない格好をした子がいるじゃない」
「あれは、我等と同じ使い魔の小僧ぞ」
「あー、ゼロのルイズが呼び出したって言う平民ね」
「おぬし確か、サイト、とか呼ばれておったな。そしてそこな娘。すまんな。少しばかり危ない目に遭わせてしまった様だ」
アンヘルが言うと、ようやく気を取り直したシエスタは、慌てて佇まいを直し、恐縮した様子を見せて頭を下げた。風格のあるドラゴンが、言葉を発して自分に謝罪をしていると思うと、どうしていいか分からなかったのだ。まるで未知との遭遇だ。
「い、い、いえ。お、お気になさらず!」
「…………」
それを見て、アンヘルの背から飛び降りたカイムは、風に吹き飛ばされた洗濯物をぶっきらぼうな手つきで手に取っていき、二人の籠へと放り込んだ。彼なりの謝罪の意を示したのだ。
「あら、カイムったら紳士的ね」
「珍しい事もあったものだな。あのカイムが……」
背に乗ったままのキュルケは、うつ伏せに寝転んでその様子を眺めている。アンヘルはカイムが他人に見せた事の無い態度を示すことに、純粋な驚きを見せていた。たった一日の間に、驚くことが多い物だと、アンヘルは思った。
当のシエスタは、さらに恐縮具合を増して行き、言葉にならぬ言葉を発しているのだが、彼女と比較してサイトは落ち着いたもので、まじまじとカイムの姿を見ながら、一言「サンキュー」と返している。
「あ、え、その、ご、お手数を……」
「迷惑をかけたのはこっちなんだから、そんなにかしこまらないでよ。それよりもごめんなさいね? ほんと」
「い、いえ……」
貴族に対して謝られる経験などほぼ無い為、シエスタからすれば恐縮するのは当然の話なのだが、サイトにはそれが理解できない。ただ、変わった子だなぁ、等と見当違いの事を考えていた。
そんな彼等を置いて、カイムは再び跳躍し、アンヘルの背に跨る。
朝食にはまだ時間があるようだ。キュルケはそう思い、カイムに目配せした後、アンヘルの首に手を回してこう言った。
「せっかくだから、もう一っ飛びお願いしていいかしら?」
「ふむ……空気のいい所で飛ぶのは悪くない気分だ。よかろう。付き合ってやろうぞ」
「そうこなくっちゃ」
アンヘルの快諾に、指をパチンと鳴らしてキュルケは言う。
そして、眼下のシエスタとサイトに続けざまに一言、
「お邪魔したわね、それじゃ、また」
そう残し、アンヘルと共にゆっくりと上空へと飛んでいく。
場に残されたシエスタとサイトは、洗濯籠を手に、ぽかんと固まったまま空へと視線を向けていた。
「あ、何だ。悪い奴じゃなかったろ?」
「そ、そうですね」
お互い顔を見合わせ、二人はぎこちない苦笑いを浮かべるのだった。
余談だが、この後洗濯を済ませてルイズの部屋に戻ったサイトは、「ツェルプストーの奴、ドラゴンに乗って、嫌味ったらしく窓の外から自慢の声を上げて来たわよ」と、憤慨する主の相手をするのに、一苦労したそうな。