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30980 返信 イスラエル建国にまつわる歴史の歪曲2(Re:偽善者のどうたら) URL ノンポリ 2004/11/20 02:24
最近出てこないから静かになってよかったな・・・と思っていたら、また水原氏が大暴れしています(笑)
彼の発言についてはいろいろと疑問に思うところがありますが・・・まあ、無視がベストなのでしょうね。
しかし、そんな水原氏についてどうしても許せず、無視できないところは平気で嘘をつくところです。つーことでパレスチナ問題について、やり残した部分を拾い上げてみます。(つーか30351で書いたことや今から書くことは皆さんとっくにご存知の内容かと思われますが、放置されていることに気づいていない水原氏が非常にウザイので、わざわざ書かせていただきます)

> > > 暴力それ自体については、「どっちが始めた」的な子供の喧嘩的論争はやってもあまり意味がないでしょう。異民族どうしが接する限りにおいては、ささいな誤解や偏見が暴力を引き起こしてしまうのは、それは歴史の現実としてうけとめるしかないような気がします。双方ともが「向こうが始めて、こっちは正当防衛だ」と言うでしょう。(水原氏:29784)

30351で示していますが、イスラエルという国家はパレスチナ人を虐殺し追放することで成立しました。
「どっちが始めた的な子供の喧嘩的論争」をするまでもありません。イスラエルが始めたことなのです。
そしてPLOが組織され、当然の抵抗が始まったのです。

> > そもそも何が始まりだったのでしょうか?暴力の応酬が始まってしまった根本の原因は何でしょうか?(ノソポソ:29994)

> 双方の一部に存在した人種差別意識、他者への恐怖、ゼノフォビアでしょうね。

全然、それだけで説明のつく話ではありませんよ。なめてんのかよ?

> > ここもまた、「便衣戦術を行なっていた中国にも責任がある」「日本は各地でテロ攻撃に晒されていた。だから事変が拡大した」などという、日本の侵略戦争を美化しようとする「保守派」の論法に類似していますね。(ここもノソポソ:29994)

> 関係ないですね。そもそも19世紀末から30年近くは、移民は比較的スムースに進んでいましたし、初期のキブーツが隣接するアラブ人の村と仲良くなっていた事例なんていくらでもありますから。水原氏:29997)

「アラブ人の村と仲良くなっていた事例」を挙げて「移民は比較的スムースに進んでいた」などと主張するのはこれもまた、南京で日本軍兵士と市民が談笑している写真を提示して「南京大虐殺は無かった」などと主張する歴史歪曲派の手口と同一ですね。つーか移民が「スムース」に進んでいたわけでは全然ありません。

・・・再び「パレスチナ 新版」(広河隆一・著、岩波新書784)より引用します・・・。

フォト・ジャーナリストの広河さんは1967年、「理想の共同体」と唄われていた「キブツ」への研修旅行へ出かけました。そのとき広河さんは「少なくともまだ失敗していない共同体村」に惹かれていたそうです。しかし、「キブツ」の青年たちが第三次中東戦争の前線から戻ってきて、イスラエル軍がシナイ半島やゴラン高原を占領したことを自慢げに語る様子や、ユダヤ人に向って引きつった笑顔で白旗を振る少年の姿や、「キブツ」の近くの瓦礫の山などを見て疑念を抱くようになります。
その旅行の後、テルアビブに一人で住んでいたそうですが、1948年の建国宣言以前のイギリス統治時代の地図を見ることがあり、現在「キブツ」がある場所に「ぎっしり書かれて」いる「パレスチナ村の名」を目にします。このとき広河さんは、「キブツ」の数々はパレスチナ人の村々を破壊して設けられたものだということを知ったのです・・・。

・・・ユダヤ人のパレスチナへの入植は、初めから軋轢が絶えませんでした。
大財閥であるロスチャイルド系のユダヤ移民は、「不在地主」から土地を買収し、「そこに住むパレスチナ農夫を一度追放し、そして安い賃金労働者として雇った」そうです。これは日本が植民地朝鮮で行なった「土地調査事業」や産米増殖計画」が、大規模な地主の土地占有を促進し、土地を手放さざるを得なかった農民を小作農として搾取した構図とよく似ています。まあよくある植民地支配でしょう。
しかし「シオニスト」系の移民の行為はあまり類を見ないと言えるでしょう。「ユダヤ人国家」の建国に向けて、買収した地でパレスチナ人が働くことを許さなかったのです。イギリスの1930年の報告書には次のように記されています(この部分は(「パレスチナとイスラエル」ダヴィッド・マクドワル著、三一書房 P-40より引用)。
「JNF(ユダヤ国民基金)によるパレスチナの土地購入の結果は領土至上主義をもたらした。アラブ人は現在も将来もそこから何の利益も得られなくなっている。アラブ人は土地を借りることも耕すことも望めないばかりか、JNFの借地規定が厳しすぎることで、その土地での雇用を永久に奪われている」
このようにパレスチナ人を追放した土地で「土に帰れ!農業労働者として再出発しよう」というスローガンの下に建設されたのが「キブツ」という入植地だったのです。

> むろん一部でイスラエル側の暴力もあったのですが、(水原氏:29784)

その「一部」の「イスラエル側の暴力」は約60年、絶えることなく繰り返されています。最近では2002年4月のジェニン虐殺が記憶に新しいところです。イスラエル軍は女子供も見境のない大殺戮の後に瓦礫の下に遺体を埋めて隠しました。シャロンによる「犠牲者は数十人」という発表については、どうしても隠しきれなかった遺体が数十体残ったからではないか、と見られています。(しかも国連による現地調査はイスラエル政府が頑強に拒否したため実現しませんでした。アメリカというパトロンがついているからこのような横暴を通せるのです)

> 壁を作った程度で「ナチスのホロコーストや旧日本軍の三光政策」というのは、またすさまじくファナティックでほとんどファシストな決めつけですねぇ。やっぱり反ユダヤ主義精神が心の底までしみ込んでいるんですか?(水原氏:29997)

> ゲットーに押し込めるくらいのことでしたら、永らくヨーロッパにおける伝統でありました。あなたはナチスのホロコーストがなぜ人類史上最も恐ろしい犯罪とされているかの最大の部分を故意に無視していますね。つまり、事実上のホロコースト否定論でしょう。強制収容所の死者は全部チフスだったとか、ガス室はなかったとか、組織的な虐殺はしていない、の類いですね。(水原氏:30015)

何故、旧日本軍やアメリカ軍が行なった虐殺が、ナチスのホロコーストと同等であり、またイスラエルが建国以来行っている政策もそれらと同等だと思うのかは既に述べました。日本やアメリカやイスラエルの行為を棚に上げて、ナチスのホロコーストを「人類史上最も恐ろしい犯罪」だと格付け?することに意味はありません。これらは全て「恐ろしい犯罪」であることに変わりはありません。

・・・現在アメリカ軍はイラクで↓このように、

SABCnewsというサイトより拝借)
三光作戦やソンミ村の虐殺を彷彿とさせる、無抵抗な者への虐殺を行なっています。この写真を見て、ずーーと前に見たことのある「決して忘れはしない ナチス虐殺の記録」での、ユダヤ人の母子をナチスが射殺するシーンを思い出しました。
殺した側にとっては、「テロリストの疑いがあったから」とかいう“口実”はあるのでしょうが、殺された側にとってはそんな理由など意味がありません。無抵抗な者が意味もなく虐殺されたという点で、三光作戦も原爆投下もソンミ村の虐殺も、そしてイスラエルによるパレスチナ人虐殺もナチスのホロコーストも、全く同等なのです。

・・・・さらにしつこく「パレスチナ 新版」より引用します・・・・
1982年6月より、イスラエル軍はPLOを制圧する為レバノンに侵攻していました。この年広河さんはレバノンで取材を行っていました。9月18日の朝にパレスチナ難民キャンプを訪れたところ、無残な死体を大量に発見しました。レバノンの支配階層(キリスト教徒)が作った「ファランジスト」という民兵組織が、イスラエル軍の支援の下、1800人と言われるパレスチナ難民を虐殺したのです。しかも猟奇的殺人も伴いました。
「一人が、路地にうつぶせに倒れていた、男か女か分からないが、ハンカチを頭の上にかぶせてある。のちの証言によると、この人は頭をオノで割られたのだという」「そして一軒の家の庭には、その家の住民と思われる女と子供たちが、やはり瓦礫の上に投げ出されていた。一番上に幼児が、うつぶせになっているのは、おそらく叩きつけられたのだろう」「さるぐつわををかまされた女性が、服をひきさかれて死んでいた」「チェックのスカートの女の子が手を差し伸べるようにして殺され、その隣に歩いているような姿勢で殺された男の子は、首を針金のようなもので縛られていた」

難民キャンプを包囲した「ファランジスト」たちは、拡声器で住民に投降を呼びかけ、それに応じた「人民委員会の長老たち」は白旗を掲げて歩いていったところ、至近距離から撃たれたそうです。
「白旗を掲げた老人を射殺する『投降』とは、一体何を意味するのか。」(P-83)
このような虐殺がナチスのユダヤ人殺戮と較べて、どこがどのようにマシなのでしょうか?全く同質ではありませんか?
(おそらく水原氏は「なぜパレスチナ問題だけを特別視するのか?なぜイスラエルばかりを問題にするのか?」などとお茶を濁すに違いありませんw)


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