Powered by OTD My Page

OTD掲示板は2011年6月30日に閉鎖されます。
従ってこの掲示板も消失します。今までありがとうございました。
ところで別の掲示板を借りたのでよろしければどうぞ

Access Counter

不条理日記に戻る

上から100件
戻る
ウェブ魚拓
Google
WWW を検索  この掲示板の中で検索



投稿者名
件名
内容
削除キー : 送信はここをクリック!

[Plain] - [Tree] - [Index] - [Thread]

121 返信 朝鮮総督府会計の収支について ノンポリ@マジで転載 2005/07/24 17:42
http://www.nc4.gr.jp/cgi-bin/boad.exe?file=./Demo&path=/board/&startHtml=./BoadNaiyou.nf.html&mode=sel&targetid=19157

朝鮮総督府会計の収支について

--------------------------------------------------------------------------------
投稿番号:19157 (2004/01/21 15:25)
投稿者:ノンポリ()
mail:angel666@joy.ocn.ne.jp



--------------------------------------------------------------------------------

内容
(唐突ですが・・・・
 先日あるお方から、実に有り難いことに朝鮮総督府の財政事情についてのデータを頂いてしまいました。
 それを元にして軽く調べたものを投稿します)


「日本の朝鮮半島支配は、大掛かりなインフラ整備のために、財政面では大赤字であった・・・・・」
という話はよく聞きます。

それもそのはず・・・・インドのような広大な国土と膨大な資源を有する国を植民地にしていたのならいざ知らず、朝鮮のような豊富な資源や農産物があるわけでもない、狭い国を支配していても如何ほどの利益が得られるであろうか?しかも、まっさら(に近い状態)だった朝鮮半島に鉄道建設など各種のインフラ整備を行なったのであるから、黒字になるわけがない。ましてや、(一部富裕階級を除く)朝鮮人の生活水準すら改善することが出来なかった状況で、大した利益など生まれるわけがない・・・・と、薄ボンヤリと考えていたのであります。

また、「大日本史番外編朝鮮の巻」にも、以下の引用があります。

*******************************************
日本は朝鮮近代化のために多額の税金を投入し、その収支は赤字であった。 (コピペ者注:この一行のみ管理人のコメントで、以下は資料の丸写し)

「教科書が教えない歴史(4)」 藤岡信勝 平成9年 扶桑社
大正時代に、石橋湛山というジャーナリストが調べたところ、日本国民1人当たりの国家予算 の支出は10円45銭であり、植民地1人当たりの国家予算の支出は9円46銭でした。両者の間に はほとんど差がありません。両者の経済格差を考えると、日本は植民地に大変な国家予算をつ ぎ込んだことになります。それに対し、植民地から得られる収益は支出をはるかに下回りまし た。つまり、日本は台湾や朝鮮から経済的利益を得ていたとはいえないのです。むしろ、日本 人は植民地を本国並の水準に引き上げようと懸命に努力をしました。これは、ヨーロッパ諸国 が植民地から大量の富を収奪したのと大違いです。


「歪められた朝鮮総督府」 黄文雄 1998年 光文社
朝鮮の財政を支えつづけていた日本の補充金と公債
朝鮮総督府時代の朝鮮半島経営については、今日よくいわれているような「日帝36年」の植 民地収奪というよりも、日本人の税金を注ぎ込むことによって、朝鮮半島の財政をずっと支え てきたというのが歴史的事実である。朝鮮総督府は、朝鮮人を圧迫したり、搾取したり、収奪 したりというよりも、税金を注ぎ込み、近代国家として育てようと奮い立っていたのである。
朝鮮総督府財政を支える財源については、朝鮮国内の税金などの取入だけでは足らず、その一 部は公債によって支えられていた。その公債の98%は、日本の金融市場からのものであった。 朝鮮の公債は、予算上の歳入不足を補填するいわゆる赤字公債ではなく、原則として事業公債 に限定され、殖産興業に投資する公債であり、産業資金ともいえる。この公債によって土地、 資源の開発、殖産興業が進展した。朝鮮半島は、海外からの借金によって国民経済を支えると いう経済構造が、終戦後、半世紀以上たって、OECDに加盟した今日に至っても、ほとんど 変わってない。明治44年には、借金、公債が国家予算に占める割合は22%であった。昭和5年 には、公債の割合が6%まで低下したものの、昭和20には18.4%となった。

(中略)日本政府からの財政補充金には、たとえぱ製鉄奨励金、増炭奨励金などもあり、朝鮮 半島はおんぶにだっこを続けていた。各種補充金は、昭和19年までに一般経費の補充金として 4億3000万円程度に達していた。それは朝鮮半島が貧しく、自力で開発ができず、外債に頼ら ざるをえなかったからであるが、今日に至っても、その構造はまったく変わりがないのではな いだろうか。
鴨緑江、豆満江の架橋13ヵ所の予算は、じつは満州国から出たのであった。
今日までの「日帝36年」に対する批判は、ほとんど朝鮮総督府が民度・民力の向上に懸命な努 力を続けてきた歴史的事実に触れることなく、ひたすら日本人と朝鮮人との物質的な強弱の格 差、支配者と被支配者の関係のみを取り上げることを目的としている。それはきわめて歪んで おり、歴史歪曲ともいえる。朝鮮半島は、統監府時代から「保護国」として日本に保護されな がら、総督府時代に入りいっそう過保護にされつづけたのであって、財政面のみならず、政治 、経済、文化のあらゆる面にわたってそうであった。「日帝36年」とは、植民地搾取という見 方とは逆に、日本国民からの”支援”で支えられてきたのだ。併合以来、年に千数百万円から二 千万円の一般経費補充金が、朝鮮総督府特別会計に補填されつづけ、財政運営を支えてきた。 それは総督府の財政関係担当者が日夜奔走し、機会のあるたびに帝国議会や大蔵省に働きかけ た賜物である。その補充金は、ほとんどが朝鮮半島の産業と国土開発、民生安定と福祉向上に 注ぎ込まれており、今日のODA援助以上のものである。
*******************************************
http://members.xoom.virgilio.it/alice275193/syokuminti3.htm

・・・・以上のような説明に、私は今まで何ら疑問を挟むことはなかったのです。
しかし、冒頭で述べたように先日あるお方からデータを頂いてしまいましたが、それによると、朝鮮総督府の財政は日韓併合以来、一貫して黒字なのです!
そのソースは、ちょっとした図書館ならば得られるということなので、早速近所の図書館で現物を確認しました。私の住む田舎町の市立図書館で発見できたくらいですから、大きな図書館ならば蔵書に入っていると思います。
この投稿欄にそのデータを並べても読みづらいだけですから、エクセルで表を作ってみました↓
http://www10.ocn.ne.jp/~war/shouwakokusei.htm

「完結 昭和国勢総覧 第3巻 東洋経済新報社 編」による、1920年から1942年のデータです。
これを見るとどの年度も、数千万円単位で歳入が歳出を上回っています。つまり収支が黒字であるということです。特に1939年以降は一億数千万ほどのプラス収支が出ています。たとえば1940年は歳入が9億9千万円、歳出が8億1千万円ですので1億8千万円ほどの黒字が出ていたことになります。
(ちなみに1910年から1919年は「東洋経済新報社 明治大正国勢総覧」で確認できるそうです)
これは、日本による朝鮮半島の植民地支配は、利益を上げていたということでしょうか?

・・・・ここで気になるのは、上記のコピペに出てくる「補充金」と「公債」という言葉です。
歳入に含まれる「補充金」が収支より大きければ、利益を上げていたとは言えないことになります。それに「公債」が歳入に占める割合も気になります。
「昭和国勢総覧」には歳入の内訳は記載されていないので、「昭和国勢総覧」のソース元である「昭和十年 朝鮮総督府統計年報」及び「昭和十五年」にて、歳入の内訳を調べました。1931年から1940年の期間のみですが↓
http://www10.ocn.ne.jp/~war/kaikei.htm

このように毎年1千数百万円ほどの「補充金」と、数千万円以上の「公債」が、歳入に加わっていました。特に1939年・40年は「公債」は一億円以上に上ります。
そしてこの十年間のうち1931・32年は、「補充金」が収支(歳入から歳出を引く)を上回っています。
さらに1935・36・40年以外は、「補充金+公債」が収支を上回っています。

ただし・・・・(こういうときに一般常識が乏しいため苦労してしまいますが)「公債」というのは借金とは違い、直ちに返済しなければならない、というものではありません。言ってみれば巨額な「公債」という資金があったからこそ、各種事業への支出も大きくすることが出来たのです。
上記のコピペにもこのような部分があります。

「朝鮮の公債は、予算上の歳入不足を補填するいわゆる赤字公債ではなく、原則として事業公債 に限定され、殖産興業に投資する公債であり、産業資金ともいえる」

このように朝鮮総督府の事業に対する「投資」だったそうです。
データに現れているように朝鮮総督府の財政とその収支が順調に伸びている状態だったので、「公債」を購入した者が速攻で手放すようなことはあまりないでしょう。
それに、前年度のプラス収支が「前年度剰余金繰越」としてそっくりそのままその年の歳入に組み込まれています。繰り越し額をもってして前年度の「公債」を清算する必要は無かったのです(そりゃそうだ、投資だもん)。つまり「公債」の額をもってして、「朝鮮支配は赤字だった」ということは出来ません。

しかし確かに植民地経営で大幅な利益を上げていた、とは言えないでしょう。かといって朝鮮という植民地を抱えていたために大損が続いていた、という状況でもありません。朝鮮統治も30年余りを経て、巨額のインフラ投資の果てに漸く植民地経営が軌道に乗り始め、利益が上がりつつあった・・・・というときに戦争でオジャンになった、という感じですね。



・・・・余談ですが・・・・
重要なことは、日本が行なった各種のインフラ整備は、もちろん朝鮮半島の近代化に役立つことだったでしょうが、それは同時に植民地経営の利益を高める目的でもありました。朝鮮の近代化のために見返りを期待せずに善意で行なったわけでは、ありません。
そして、この植民地への巨額な投資は、一般民衆の生活水準を改善することはなかったということです。
もし朝鮮支配で大きな利益を得ていたのなら、「利益のみを追求し朝鮮人の生活向上をないがしろにしていた」、という言い方も出来るでしょうが、実際は収支が微妙なライン上でした。
つまり、朝鮮を植民地にして、大規模な投資を行なったものの、大した利益は上げられず、おまけに朝鮮人の生活も向上させることはできなかった。日本にとってもいいことは全く無かったのです。日韓併合は全く愚挙だったのです。

また朝鮮人の生活水準の低さについては、朝鮮のインフラ整備がまだまだ不充分であったとか、総督府による産業指導が遅れていたとか、そういうことだけでなく、朝鮮人への差別が根本的な問題として横たわっていたのです。
(たとえば給与面でも大きな差別がありました。1935年の「平人足」の平均賃金(日給)は、「内地人」が1.29円、朝鮮人は0.75円、「農作夫」は「内地人男」が1.37円、「朝鮮人男」0.65円、「内地人女」が0.9円、「朝鮮人女」が0.41円でした。「昭和十一年朝鮮総督府統計年報」P-242より)

口先では「同化」を唱えながらも、決して朝鮮人を日本人と同等に扱うつもりはなかったのです。
これは如何に朝鮮半島のインフラが充実しようとも超えられない、日本の朝鮮統治の限界でした。日本統治下では、朝鮮人は決して幸せになることは出来なかったのです。



New Message

Sequence No Delete Key



livedoor レンタル掲示板 OTD