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136 返信 Re:朝鮮人強制連行:概論 ノンポリ@マジで転載 2005/07/25 00:27
添付資料2

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投稿番号:14652 (2002/01/09 04:50)
投稿者:ノンポリ()
mail:



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内容
あ、どうもご無沙汰っす(ワラ
まずはaipomさんとお約束の資料ですが、とりあえず手元にあるものから引用します。
(つーか労働実態の資料ですが)

以前にも紹介した
「特務労務者の労務管理」(三井系北海道炭鉱労務部長、前田一著。1943年)
より。
「朝鮮鉱工業の発達過程に鑑み其の勤労管理は極めて低位に至るの実情なり、従って戦力増強の完璧を期
せんが為には勤労管理の画期的刷新強化により朝鮮人をして皇国臣民として信念に徹せしめ、戦意の昂揚
を図り勤労効率の最高度発揮を促進するを要するを以て、本府に於いては先に重要工場、事業所に於ける
労務者の賃金を引き上げ、食糧の特配、作業衣、其の他必要物資の優先的増配等労務者の勤労意欲阻害の
物的条件の改善を図ると共に勤労管理要網を示し、特に産業軍団として仕奉組織を結成せしめ、事業主以
下職員及び労務者を一貫せる皇国勤労観の下に其の総力を結集して生産増強への挺身を要請するの措置を
講じつつあり」

賃金はともかく、「食糧の特配」「作業衣」などという基本的なことが問題になるとは・・・・・
食い物は言うに及ばず、
朝鮮人労働者の証言の中には、粗末な服装で危険な職場で働かされたという話もあります・・・やはり・・・
3K職場を転々としてきた私は、いざというときに身を守ってくれる作業着やヘルメット、安全靴のあり
がたみを痛いほど(実際、ヘルメットかぶってない時に限って頭ぶつける。ウフフフ)感じているのですが・・・・・・
戦前だから安全に対する意識が薄かったのか・・・まさか・・・単なる物資の欠乏か・・・・
「勤労意欲阻害」なんて甘いもんじゃなく、
ガソリンを入れずに車を走らせようとするようなもんですね。


劣悪な環境にキレてしまった朝鮮人労働者を少なくなかったようで。以下はその一例。
「昭和特高弾圧史七」(松浦総三編)より、「特高月報」1942年7月分

移入朝鮮人労務者の主なる紛争議
傷害
香川県直島村精錬所靖和寮
稼働朝鮮人 250  同上参加人員 3
紛争議の概要
最近食糧品の配給並びに待遇の低下せるは寮舎監以下に不正行為ある為なりと邪推曲解しをりたる処、
偶々寮内の工作施設問題を点火として朝鮮人労務者3名が労務員2名に対し、全治2週間の傷害を加えたるもの。
措置
加害者3名を傷害罪として送局中の処、7月6日夫々懲役3月其の他刑の言い渡しありたり

食い物が少なくなれば、キレて当然だわな。しかし懲役3ヶ月程度で済めばラッキーでは?
朝鮮人労働者へのリンチ殺人など日常茶飯事であったと言われています。

労働計画による朝鮮人労働者移入よりはるか以前ですが、1922年7月29日付けの読売新聞に
「信濃川を累々と流れ下る鮮人の虐殺死体」という記事が載りました。
信越電力信濃川支流中津川第二水力発電所の通水隧道工事中の大倉組の作業場には、
日本人600名、朝鮮人600名の労働者が働いていましたが、
「川の下流だけでさえ死因不明の鮮人7、8名の死体が漂着しています」という目撃談を載せています。

このニュースは朝鮮半島で反響を巻き起こし、東亜日報が特派員を送って詳細を調査した所によると
真夏でも真冬でも一日14時間ないし15時間の重労働を強いられ、監視の目は厳しく残酷な刑罰も日常
のことで、逃亡して捕まれば見せしめに殺される者、病気になっても治療を受けられずに死ぬ者など「合
計すれば100名に近い」
ということです。

一般に、労働計画により日本に移送された朝鮮人労働者の死亡者数は約6万人と言われています。
どの本みても同じ様な数字が書いてありますが、しかしこれをどうやって検証したらいいのかニャ?

少ないですが、とりあえず資料の羅列は今日はこんな所で。
http://www.nc4.gr.jp/cgi-bin/boad.exe?file=./Demo&path=/board/&startHtml=./BoadNaiyou.nf.html&mode=sel&targetid=14652


またまた添付資料。

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投稿番号:14700 (2002/01/21 00:21)
投稿者:ノンポリ(いまさらですが・・・)
mail:



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内容
いまさらですが、「自由募集」や「官斡旋」にもいわゆる「強制連行」的な側面もあったことを窺わせる資料を提示します。
しかし以下の資料は、いわゆる「保守派」の方々や、ましてやaipomさんを納得させられるようなものではないことを始めにお断り致します。

1939年に始まった自由募集は、「事業所の申請数決定→府長官宛募集申請→厚生省査定→総督府の募
集すべき道の割り当て→厚生省→府県長官→事業所許可書受領→募集員朝鮮渡航→総督府→指定された道
庁→指定郡庁→指定面事務所→面事務所当局、区長、警察署又は駐在所、面有力者の協力の下に」行われ
ました。
募集の形式をとってはいますが、官吏や警察、面有力者が加わっての強制があったそうです。一応は募集
のポスターが道、邑、面、洞の事務所にはられ、一般に認知させ、いつまでにどこに申し込めと明記して
ありますが、「出来るだけの方法で狩り出し」したそうです。
「此所で働く意志のないもの(即ち唯渡航の目的のみを以て来る者)が60%であって、従ってかなり強
制的な扱い方をして居るが、やむを得ないと謂えようが大乗的な気持で督励する要がある」
(「」内は労働科学研究所「炭鉱における半島人労務者」)

常磐炭鉱の元労務係の述懐です。
「・・・各道の道庁に常磐炭鉱から何名欲しいからよこせと行く。(そして道から郡、郡から面に人数割り当
てが行われる)すると、面長さんは大概日本人なんです。責任を以て強制的に何月何日までにその人数を
かりたてるんです。その家の長男であろうが何が構わない。それでこちらから日本の募集人が募集の書類
を持って行くと絶対です。募集係はそれを引率するだけです。そういうわけだけら集まるわけです。ただ
途中の汽車から飛び降りるのが多くてね」
(日本炭鉱労働組合運動史編纂委員会「戦前から昭和24年春までの常磐地方並びに全国的な炭鉱労働運
動」1958年)

1942年3月のある晩、仕事帰りの夜10時頃ソウルの街頭で理由もなく警察につかまり、そのまま北
海道の炭鉱に連れていかれた朝鮮人の回想です。
「やがて私たちはひとところに集められて警察の係の主任から訓示を受けた。『諸君はこの非常時に皇国
臣民として、なすべきことをわきまえねばならぬ。今北海道で新しい鉄道の敷設をやっているのでそこへ
行ってもらいたい。給料もよいし、もちろん待遇もよい。いまからすぐ出発してもらう』わたしたちはざ
わめいた。あまり突然のことであっけにとられてしまった。・・・・・・そのまま囚人のように釜山へ護送され
ることになった」
(「失われた青春」三一新書「脱出」所収、1956年)


以上は全て「朝鮮人強制連行の記録」(朴慶植著、1965年)より引用しました!
http://www.nc4.gr.jp/cgi-bin/boad.exe?file=./Demo&path=/board/&startHtml=./BoadNaiyou.nf.html&mode=sel&targetid=14700

135 返信 朝鮮人強制連行:概論 ノンポリ@マジで転載 2005/07/25 00:23
Re(1):朝鮮人強制連行

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投稿番号:14522 (2001/12/29 03:51)
投稿者:ノンポリ()
mail:



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内容
まずは前説ショー(・∀・)

戦時中、群馬県六合村の「群馬鉄山」で働いていた朝鮮人の姜峰俊さんの証言です。
姜さんは鉱山労働者の手配師によって集められた「自由労働者」でした。
「自由労働者」には当然賃金が支払われ、食事は米が出され、時にはどぶろくも飲めました。
朝鮮語で芝居などを見せる慰問団が来たこともありました。

しかし、「錬成隊」と呼ばれた朝鮮人強制労働者の待遇は全く異なりました。
二交代制の24時間労働で、常に監視の目にされされ、雨でも雪でも休みはありませんでした。外出の自由も無く、宿舎では監視人が見張っていました。
採掘現場も条件の悪い場所を回され、鉱石を積み出し駅まで運ぶ索道(トンネル)の修理など危険な作業も「錬成隊」の仕事でした。

姜さんがたまたま「錬成隊」の作業者と現場で出会ったとき、「腹が減ってつらい」と嘆いていたそうです。
脱走したが捕らえられて体罰を受けている所を目撃したことや、
彼らが10人ほど死んで墓を作ったこともあるそうです。
同じ朝鮮人労働者でも「自由労働者」と「錬成隊」では厳然とした区別があったようです。

また、松代の大本営工事から着の身着のまま、ボロボロの服で逃げてきてこの鉱山で「自由労働者」として従事した朝鮮人もいたそうです。
松代での作業は過酷で、さらに「仕事をした人間は帰れずに生き埋めになる」と聞かされて逃げてきたそうです。
http://www.nc4.gr.jp/cgi-bin/boad.exe?file=./Demo&path=/board/&startHtml=./BoadNaiyou.nf.html&mode=sel&targetid=14522




核心に近づくには時間かかりますけど

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投稿番号:14541 (2001/12/30 02:59)
投稿者:ノンポリ()
mail:



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内容
あ、どうもどうも。それでは私自身勉強しながら少しづつ始めます。それでまず募集の形態から整理しますか。

いわゆる「自由募集」・・・・・・・1939年9月より
「朝鮮人労働者募集要項」及び「朝鮮人労働者移住に関する事務取扱手続き」による朝鮮人労働者斡旋です。
朝鮮人労働者を募集したい事業主は、職業紹介所を経由して地方長官に提出します。
地方長官は審査の上、厚生大臣に副申請を添えて提出します。
これを受けた厚生大臣は内務大臣と協議の上、認めた場合は朝鮮総督府宛に移牒します。
朝鮮総督府では募集すべき「道」を割り当て、事業主は道知事に募集許可申請を行い、道知事はさらに「郡」を割り当てます。
さらに郡庁では「面」を割り当て、面事務所及び駐在所には規定の人数を募集する義務が事実上課せられました。
面長、面事務所労務係、駐在所警察官等が募集にあたり、規定人数確保に狂奔しました。
これにすら、人数確保に苦渋すると労働者を集合場所に有無を言わせず連行するなど、強制的な側面もありました。
もちろんこれに飛びついた朝鮮人労働者も多かったようですが。


「官斡旋」・・・・・・1942年2月より
「朝鮮人内地移送斡旋要項」に基づく朝鮮人労働者斡旋。
朝鮮の行政関係とその外郭団体が労働者の募集・訓練・日本への移送を行い、その後に日本企業に斡旋する制度です。
朝鮮総督府に本部を置き、各地に分所を持つ「朝鮮労務協会」が主体となって募集します。
斡旋できる人数・斡旋までのタイムラグをコントロールし、警察官憲と密接な関係を保ちながら労働者を斡旋しました。
お声がかかった労働者には建前では拒否する権利がありましたが、人数確保が苦しくなった場合には事実上の強制連行でした。
斡旋後の苛酷な労働が知れ渡っていたため多くがこれを回避したため、
警察官憲や面事務所労務係などは農作業中あるいは寝込みを襲うなどして連行しました。

筑豊・大正炭鉱の募集係だった竹原三二さんは、「官斡旋」の実態を証言しました。
「商売の関係で十七才のときに朝鮮に渡った。帰国したときがちょうど強制連行の最盛期。その達者な朝
鮮語を生かして募集係になってくれ、と。」
「最初のうちは希望者が殺到したが、だんだん少なくなってきた。危険な山の仕事が嫌われたんだよ。で、
村から何人か出せ、と。強制連行だよ。人数がまとまるまで留置所に入れて、それからトラックや鉄道に
乗せるわけ。カーブで徐行したとき、線路沿いの木の枝に飛びついて逃げるもんも。敗戦までの三年間に
三十回以上は向こうに行った」

「徴用」・・・・・・・1944年9月より
言わずと知れた強制連行。語る言葉なし。同時期に朝鮮半島に於いても徴兵制が施行されている。


おまけ★★「女子挺身隊」・・・・・1944年8月より
「女子挺身隊勤労令」により、12才から40才までの未婚の朝鮮人女性を日本の軍需工場などへ強制的に動員しました。
劣悪な環境の中、粗末な食事で早朝から深夜までの重労働に耐えなければなりませんでした。
ある意味従軍慰安婦より苛酷な環境だったのでは?
元慰安婦の証言の中には「休みの日には人力車で映画を見に行った、中国人の車夫は私のことを日本人と
勘違いしてヘイコラしていた」という話もあるくらいですから・・・・まあケースバイケースでしょうね・・・

ちなみに、韓国では従軍慰安婦も「女子挺身隊」と呼ばれているそうですが、混同を招くからやめてほしいです・・・

尚、「自由労働者」については上の方の投稿をご覧ください。脱走したおかげてまともな仕事に就けたようです。

http://www.nc4.gr.jp/cgi-bin/boad.exe?file=./Demo&path=/board/&startHtml=./BoadNaiyou.nf.html&mode=sel&targetid=14541



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