なんとなく心配している。下手をすると不合格者を大量に出しそうな気配がある。当然昨年までのような甘い評価は下さない。できるだけ正当な判断を示したい。あんないい加減な授業態度で大丈夫かという生徒が相当数いる。そもそも教科書もノートも用意していないというのは余程自己の能力に自信があるのだろうか。
それはやってみなくてはわからないことだ。
それより内容。
そろそろソクラテスに入りたいのだが、どこがソフィストたちと彼との違いなのかを説明したかったわけだ。教科書の表現でいえば次のようになる。
本当は神だけが知者であり,人間のなかで最大の知者とは,彼自身のように,自分が無知であることを自覚している者であるということだと解するようになった。彼が実際に問題にしたのは,美・善(カロ・カガティアー)のような,人間が生きるうえで本質的に重要なことがらについて人間は無知であるということであった。けれども,ソクラテスは無知を知るにとどまらなかった。無知の知は,無知を自覚するがゆえにあくまで知を求めるという,人間にとっての知の原点としての積極的な意味をもっている。ソクラテスは自分を,知を愛し求める哲学者ととらえ,たえず無知を自覚しながら,人間としての生き方を探求していった。
さらにソクラテスは,人々に無知を自覚させることが自分の使命であると考えて,それを実践した。
単に、ソフィストたちが自分たちは何でもよく知っていると宣伝し、売り込んで良家の子弟の指導の仕事をしたというだけではない。美・善のような生き方の絶対的基準について明確にしたいとソクラテスは望んだ。絶対的な基準の存在を信じようとした。少なくとも試行錯誤を繰り返すことで限りなく近くに迫れると信じた。
よく生きることこそが人間の人間たる特性だと考えた彼は、その生き方を貫くことというその一事が誰にも共通の人間としてのよさの基準だと考えた。
その点において相対主義を乗り越えた。
授業では、理解は困難だろうと思いつつも、社会とは人間観のインターラクション、相互作用の総体であって、ある種の共同幻想なのだと述べた。幻想であるからして手で触ることは不可能になる。ソフィストたちは、そのような社会を考察対象に選んだからには、当然のように相対主義とならざるを得なかった。われわれはそれでもなおかつ、その共同幻想に荷担する個々のプレーヤーが内面化している基準というものを検討してみることが可能であり、認識の根底にある共通性に到達することも可能であると思う。
私は無検討に端から共通性や共感を前提して強制するやり方は嫌いである。洗練されていないと思う。美的でない。
しかし、検討を重ね、熟慮の結果やはり、少なくともある集団において共通する規範が守られてきていたり、人間という種に固有の感性のようなものがあると主張されることに抵抗はない。
ソフィストを経たソクラテスの立場はすごくよくわかると思うのだ。
もしかすると将来、首相になるべき人間が混じっているかもしれないので触れておこう。
昨夕の録画しておいた関西テレビ夕方5時台のニュース番組を見ていると、引退した田中秀征議員がコメンテーターとして話していた。彼は細川内閣の官房長官であり、その後、自さ社(自民党・新党さきがけ・社会党)連立の橋本内閣でも閣僚であった。話は、橋本総理が沖縄の基地移転を米側に持ち出したとき、閣僚も誰もが可能とは思っていなかったことなので、「よく嘉手納基地問題を持ち出しましたね?」と訊いたというのだ。
するとぼそぼそと、「だって、沖縄はずっと日本のために犠牲になってくれてきたじゃないですか。その人たちに報いるのが政治ですよ」といったことをつぶやいたというのだ。それ以来、廊下ですれ違ってお辞儀するときも角度が深くなってしまったと笑っていた。
橋本首相は、別の人が話していたが、沖縄で米海兵隊員による少女殺害事件があって、連日批判が繰り返されていたときに、そのままでは海兵隊員がかわいそうだと、富士山登山に招待したということもある。犯人はともかく、そうではない者までが非難され続けるのはおかしいし、日本の防衛のために努力してくれていることは確かなのだから、一国の総理として謝意を現場で苦労してくれている人たちに現すのは当然だと考えたのだということだった。
自分たちは徴兵の義務も負わず、国防という大変な作業に他国民に肩代わりしてもらっていると表現すると、「そもそも憲法第九条に違反している」だの何だのと理屈をこねる人も出てこよう。しかし、隣国・韓国での若者の苦労を耳にするにつけても、兵隊として働くことは大変なことだと私は理解している。そして、正直、日本に徴兵制度がなくて助かったと思う。私のように団体行動の苦手な者は、下手をすれば徴兵期間に自殺しなければならないようなハメに陥った可能性がある。事実、いずれの国でも自殺者は結構出るのだ。閉鎖空間で、一定の行動を強制し続けるのだから、そこに心理的軋轢が生じるのが当然のことだ。野間宏『真空地帯』は読んでおくべきだ。(ちくま文庫版日本文学全集は便利だよ。大岡昇平「野火」や「レイテ沖戦記」など部分にしろ入っている。残念なことに野間はない。日本の出版業界は優秀なのにどこか歪だ。簡単に入手されるべき作品がそうではない状態と必要の少ない商品が異常なボリュームで市場を動き回り諸点の棚を埋めている状態がある。)
在留米軍は、アメリカの国益を考えて動いているのだというのもまた事実だろう。しかし、同時に彼らの存在が一定の機能を日本にとっても果たしていることは事実であるし、個々の個人の努力に対し、まったく感謝しなくていいとも思えない。少なくとも日本政府の依頼に基づいて日本の領土内で働いてくれている人たちに依頼した者が心使いするのは当然の日本の流儀だと思う。
首相というのは、真にやるべきことは、大衆受けするかどうか支持率を上げるかどうかとは無関係に交渉の舞台に乗せるべきだし、見逃されてしまうような普通の人々の苦痛や苦悩を心底思いやって事を考えるべきだと思う。
船曳由美『100年前の女の子』(講談社)を読んでいると、栃木県(とはいえ筑波村の大字の一つなので群馬県に近い)高松に育った著者の母親の半生(といっても100歳)を本人から聞く話を中心に綴った本なのだが、普通の農家の日本人がいかに貧しかったかがよくわかる。
弁当が大変で、米は現金収入を得る貴重な資源なので、ほとんどの農家は麦や稗粟にほんの少しの屑米を混ぜて食べている。粟だとぽろぽろ落ちるので、箸の使い方が悪いのではないので行儀が悪いとそちらを見ないようにしなさいと祖母から主人公は言い聞かされる。また、日傭取に母親が出ている家庭では弁当の用意ができないので、昼になると河原で石を投げている子供や昼までで帰宅することを先生に認めてもらっている子供も多くいた。大正5年に主人公が小学校に上がって4年生くらいのところでその話が出てくる。
始めの方では、父親が徴兵に出ている間に母親は実家に帰ってしまい、赤ん坊だけ戻す。祖母がもらい乳を懸命にして育てた。父の次の相手は見つかるが、里子に出すことが条件だった。そのため三歳で何軒もの家に出されて苦労する。親戚の家にやられたときには、かなり酷使され、みじめな状態になる。それよりもっと悲惨だったのが奥州っ子と呼ばれていた会津の方から子守にもらわれてくる子供たちだった。彼女が父親の元に再び引き取られて小学校が居場所であったときにも、校庭には子守仕事をしている子たちが赤ん坊を背中にくくりつけて教室の授業を盗み見している。やさしい代用教員は、わざと校庭に近づいて何度も教科書を音読し、文字を黒板に書いてやる。子守は地面に文字を書いてみる。
この主人公は女学校に行き、やがて働きながら大学の夜間に通い、更に、昼に転じる。新渡戸稲造の指導を受ける。その妹たち女学校に通い、東京に出る。父親は村会議員をしていた。豊かな方だったのだ。
磯田道史『龍馬史』(文藝春秋)で会津藩のことを考え、佐藤賢一『新徴組』(新潮社)で庄内藩のことを学ぶ。いずれもしっかりと史料を読み込んでいる。幕末期に東北の置かれた位置を考え直した数日であった。そして、奥羽列藩同盟においても分断されてしまうあの感覚は、おそらく現在もまた同じようなことが繰り返されていくのではないかと少し怖くなりながら考えていた。
福島第一原発事故は、いずれ目を背けるわけにはいかない現実に直面する。残された放射性物質はどう保管するというのだ。炉の中にカメラを入れられるようになるだけで5年はかかるだろうという話で、延々冷やし続けながら、溶けて地下まで流れて行ったかも知れない核燃料棒は、放射能汚染を拡げている。
どこの地域も引き受けてくれるわけもないし、アフリカの貧しい国に金を付けて保管を依頼するなどというようなことはできはしない。六ヶ所村だって絶対に拒絶する。ならばずっと補助金を受けてきた原発のあった土地が引き受けざるを得まい。
この事実は直視ししたくない。しかし、政権担当者、意志決定権をもつ者はこれを避けておくわけにはいかない。目を伏せている場合ではない。不都合な真実であるとしてもそれに暫定的解を与えるための意志決定と行動をとらなければならない。
福島県知事は、憤ってばかりいられまい。気持ちはわかるが、政府に予算措置をとらせて100年後に終息させるための万全の対策を進めて行かなくてはならない。首相は、その差し迫った態度決定、意志決定と交渉を見ないふりをして、ずっと先の代替エネルギーのことを論じたがっているように見える。無責任だ。人の嫌がることを引き受けるのが最高責任者であり、真剣に困っている人を何とか少しでもよい状態にしようと心を配るのが当然なのではないか。
それは人気取りとは本質的に違うものだと思う。
そんな困難な事態に直面しているからこそ、騙そうとする人間が現れる。自治体の長たちは現実をしっかり見つめて対応していかないと騙されて利用されるよ。『新徴組』では人のいい奥州人は、仙台藩でも秋田藩でも薩長の人間に操られる。奥州列藩同盟を裏切ると、鉄砲の弾よけに使われる。時代の変化が読めない、戦争観も100年前のままだと描かれているところを読んでいて、無性に腹が立った。
私も実のところ騙されやすい人間だと思う。リアリズムの国際政治学を学んできたにもかかわらず、シリアの反体制民衆に対する政府側の抑圧に対して、欧米が軍事制裁に出るのではないかと期待してしまう。イスラエル問題を抱えるシリアの地政学からしても、欧米が反イスラエル強硬路線を採りかねない反体制支援を選ぶはずはないのに、つい甘い考えに流れてしまう。そんな私だから、東北諸県のことは心配してしまう。中央政界にごろごろいる他人を利用することや人気取りにだけは敏感な政治家たちに騙されるなよと願ってしまう。
そういう世の中が見える、ものの道理がよく見えるというのが学校教育を受けるということの意味だと『100年前の女の子』の主人公の祖母は孫娘に話している。生活のためのことしか考えないでは、視野が狭くなる。
受験学習のことしか考えないというのは、実はそれに似ているのではないかなどとちらりと思った。(6.22)
4月からの4,5回の授業は、東日本大震災からの復旧・復興について考えることから始めた。この問題を考えようとするとき、生活の再生には収入面とともに自己の存在の有意義さを裏付ける仕事の確保を外すことはできない。
少し考えて見れば気づくことだが、高度経済成長における産業の発達は太平洋ベルトと呼ばれる地域に特に有利に進展した。逆にみると、その他の地域にとっては人口の社会的移動によって過疎化することとなった。
産業の発達がない場所には仕事がない。仕事がないから人は離れていく。こういうことの繰り返しがあったということだろう。
当然、そのままで仕方がないと考えるはずはない。「なんとかしろ」ということになる。
その「なんとか」の一つが国土開発計画だった。産業のないところに産業を発達させる条件を創り出す。工業の発達に必要なインフラ整備を地方公共団体が行い、その財源を中央政府が手当てする。道路・鉄道・港湾設備・空港に給水・排水設備、送電設備といったものの整備だけでなく、工場用の整地まで用意した。
それでも失敗した。その理由は財政学者の神野直彦によると、企業経営のあり方が巨大組織運営を前提にした形態になっていて、生産部門はどこであってもよいが、管理部門は消費地に近い方が適しているという傾向になっていたため、大都市に仕事場が集中し、その結果人口の大都市集中がみられた。1990年前後の状況を指すものと思われる。
ここでわれわれは東北の置かれた状況に視線を戻してみるのがよい。
そもそもなぜあの地に東京周辺に電気を供給するための原子力発電所が作られたのか? 過疎地だったからだ。万が一重大な事故が発生したときのことを慮ったからかもしれないし、地価が問題だったのかもしれない。それ以上に、金で面を張り倒して原発建設を地元住民に説得するには、他に働く口のない場所だからこそなのだった。矢部史郎『原子力都市』(以文社)には、震度6強の中越沖地震に襲われた柏崎刈羽原発訪問の記述がある。人口10万人に満たない小さな都市、柏崎には大学が2つ、地方紙が3つ、そのほか農業も漁業も工業も娯楽も観光業もすべて揃っている。なんでもあるはずなのに、地元住民は、自嘲気味に「ここには何もない」と言う。
矢部は、その意味をそこが「見えない東京」になっていること、「原子力都市」であることと読み解く。
柏崎刈羽原発や福島原発は、東京の電力の一部を原子力発電都市として担っているのだから、東京なのである。そこは首都圏の電力エネルギーのバックヤードで
あり、政界と東京電力のシナリオに乗った「擬似トーキョー都市」なのだ。
そして、地域都市から原子力都市に変貌してしまうということは、徹底した情報管理が「嘘と秘密を全域的にも恒常的にも利用する」ようになってしまったのだった。
矢部によると、このような「嘘と秘密の大規模な利用」は人間と世界との関係そのものを変え、「感受性の衰弱と無関心の蔓延」を促進するという。なぜそんなふうになるかといえば、巨大な“indifference(無関心)”が都市の新たな規則そのものとなっていくからだ。
ここまで読み込むのは深読みしすぎかもしれない。しかし、東北地方の過疎地域も、結局のところ失敗に終わる公共事業の下請け仕事に地元住民の相当数が雇われ、雇用機会は建設業にしかない状態であったり、農業や漁業が減反政策や原発建設などによって不可能になることに対する補償金や補助金が最も安定した収入源であったりするかなり歪んだ状態を常態として生きてきたところがある。
他方、今回の震災は、被災地域に日本の生産を支え、その成否を左右する程の工業部門の発達があったことを広く知らせるものともなった。一つは、自動車産業が減産体制を余儀なくされた。それほどある種の部品はこの地域に頼っていたのであった。また、紙及び印刷産業がこの地域を頼っていたこともわかった。さらに、薬品の一部も供給不足が伝えられた。
また、福島県飯舘村が放射線量増加で自主待避を迫られ、報道が続いたが、平成の大合併にも屈せず、独自の産業、生計を立てる道を模索し、成功させてきていた自治体が存在したことも判明した。農業から酪農をベースにした加工品と観光で生き延びる道があったのだ。国からの補助金頼りではない道があったのだ。
たしかに国土開発計画の第五次計画(1987年の四全総で転換してますが)では、もう日本中の都市や町、地域をミニ東京、東京まがいにするような事は止めて、むしろ地域特性を活かした町づくりをしようという意欲が語られている。「一極一軸型の
国土構造」から「多軸型の国土構造への転換」を長期構想とする「21世紀の国土のグランドデザイン」を提示するという表現が取られている。「自立の促進」などの基本的課題の達成に向け、「多自然居住地域の創造」「地域連携軸の展開」など4つの戦略を推進
していくと述べている。おそらく、この第五次全国総合開発計画が発表された1998(平成10)年には、それなりの未来予測があったものと推測されるのだ。[教科書164頁の記述参照 ─ 首都機能移転に関する法律についても触れていますね]
しかし、残念なことに、われわれは未だその優れた成果を見ていない。戦後最大最長の不況に襲われ、財政難に喘ぐ中で十分な成果の出しようがなかったということなのかもしれない。あるいは、その計画の建て方そのものに根本的な誤謬があったのかもしれない。
そして、はっきりしていることは、われわれは国民的な合意をこの未来社会のあり方について、仕事と生活と自然とが調和した生き方のできるような生活空間つくりについて、未だ形成していないということだ。そのことはつまるところ、震災からの復旧復興後の町のあり方をイメージしきれないということに繋がるものと私は理解している。
ちょっと違った角度からの説明を試みた。同じ内容に対する別様の説明なのだ。続きはまた今度。(6.18)
何しろ担当している種類が多いので試験問題を何種類も作成しなければならない。計画的に処理していく必要があるんです。
H1は、震災対策と国土計画・都市(地域)再生の問題を4月からやっていて、その後、古代ギリシア思想でした。(そのうち簡単なまとめをしたい)
村上龍の『カンブリア宮殿』で六甲アイランドに本社のあるP&Gジャパンの社長(44歳)が出演していて、あの会社の徹底したトレーニング優先思想、本格的な性差・国籍・人種による区別の撤廃、嘘のないフレックスタイム制、自主的な職種選び、面接調査による顧客満足度あるいは商品開発調査などについて教えられるところが多かった。新しい事が出てきたというよりも、経営学の教科書に出てくるようなことを実践している凄さがわかった。なるほどG&P出身の経営者が大企業経営者として転身していくのも当然だと感じた。
要するに、社員たちの自主性尊重と、自主的に仕事に専念し、技術を磨くために圧をかける工夫をしているのだ。モチベーションを高めるというけれどこれほど実践しているところは少ないだろう。
私も同じようなことをしたい。生徒の自主性を高めるためには、それをやってのけるだけの訓練が必要なのだし、同時に自信に繋がるような評価をしていく必要がある。また、失敗続きだとしても、それを支えてやる言葉が必要になるだろう。褒める必要はないと思う。正確に自己認識させればよい。今年の生徒面談ではあまりうまくいかなかったような印象を受けた。彼らが担任の評価など気にしていない状態になってしまっていれば、たとえば、母親の評価の方をより気にしていたり、塾や外部模試などの成績の方をより重くみていれば、効果はなくなる。そうした状態がもしも発生していれば、集団全体としての志気は低下する。実は危機の状態なのだ。
そうはなっていないとは思う。しかし、一部に少しおかしな手応えは感じる。この危機は回避させたい。
また、学習面以外の学校行事などにより関心が集まってしまっている場合にも、上と同じ現象は起こる。昨年度の受け持ちクラスでは概ねよい反応が返ってきて、ほとんどの生徒の成績は上がった。しかし、例外が数名いて、そのうちの一人は今朝も昼休みにも生徒会選挙の応援に笑顔で参加していた。楽しんでいることはよくわかる。それはよいことと云って良いだろう。しかし、そのこととバランスをとるような学習面への反応はなかったことを思い出す。むずかしいものだ。(6.17)
『倫理』教科書に入り2回目となった。人類の共通資産を継承させようという目的なのだ。
古代ギリシアこそは、西欧世界の精神的支えだと大きくくくることができる。われわれは明治期に西欧(に対する劣等)コンプレックスのようなものに罹ってしまったため、話は少々ややこしくなる。
そして、古代ギリシア思想が尊重されるのは、その合理精神であり、ロゴスでわれわれが生きる世界を説明しようとしたからだ。それならば、他の地球上の地域で類同の営為は行われてこなかったのかというとそうではない。ただ、次回触れるソクラテス−プラトンのように「自己」に強く言及していく伝統は持ち得なかったことが大きく事情が異なるということなのではないかと思う。
そもそも私の授業スタイル、つまりどこまでも「この私が見て、知って、考える」ということに拘泥する、教科書(という些か頼りない権威)が正しいとしていようと、新聞、テレビの大マスコミが何と伝えようと、その情報を吟味することなく受け入れることはしたくないのだ。これを「情報リテラシー」などとふやけた呪文を唱えてよしとする軟弱な精神はもちたくないのだ。
その姿勢こそが古代ギリシア人思想家たちに共通した姿勢であり、ソクラテスにおいては純粋な結晶と化していると感じる。
イオニア自然学の連中にしても深く学べば興味深い思考が伺えるものと思う。
私は専門的に哲学や古代ギリシア思想を学んできたわけではなくほとんど独学である。20歳前後では田中美知太郎や山本光で学んできたのだが、教えなければならなくなって、斎藤忍随『プラトン以前の哲学者たち』(岩波書店)に衝撃を受けた。東大哲学科教授として古代ギリシア哲学の講義を続けてきた斎藤氏は、毎年、講義ノートに手を加え、インクの色を変えて加筆し、ついには紙を貼り足して書き加えている。そのノートが残され、多くの弟子たちが集まって整理された。弟子たちの取った受講ノートも参照され、註として整理された。そうして斎藤忍随先生の死後まとめられた本が『プラトン以前の哲学者たち』というわけだ。
イオニア自然哲学の著作にしろプラトンの著作にしろ、まともなかたちで残されていたわけではない。プラトンを学び始めたときに「バートン版によると」とか「アーネスト版によると」などという文句が頻出するのに気づいたのだが、つまりは現代のわれわれに残された膨大な断片、後世の書物に残る痕跡、つまりは引用部分などだが、そういったものを寄せ集め、照らし合わせて復元していくという根気の要る作業がまずあるのだ。そして、その前に語学の壁が立ちはだかる。一つの言語で書かれている資料群などではないのだ。
古代思想史を始める者は、複数の古代言語を学ぶところから始めるというのは常識のようなものらしい。印度哲学の中村元、イスラーム神秘思想研究の井筒俊彦、古代中国思想(東洋学、金文文字研究)の白川静といった人文学の巨人の業績に接するとその努力の凄まじさはまず異言語の習得に感じる。
彼らに共通しているのは、ただひたすら自分の関心に向けて追求を続けているところだろう。真理を確認するというその一事に生活のすべてをかけられる凄さにたじろぐ。
それで利を得ようとか、有名になろうとか、何かの役に立つといったせせこましいこととは無縁の生き方をされている。ひたすら学び、ひたすら追いかけるべきものを追いかけている。
今回の授業補足は、一部のクラスでしか触れられなかった斎藤忍随の一冊の本の紹介が中心でした。(6.11)