入学式や卒業式などで、公立学校教職員への「君が代」起立斉唱を義務付ける全国初の条例が、今月、大阪府議会で成立した。商都ならではの多様性や自由な空気が大阪の持ち味のはずなのに、果たして定着するのだろうか。いったい、どないなっとんねん。【江畑佳明】
ぷーんとソースの香ばしいにおいが鼻をくすぐった。あたりを見回すと、たこ焼きの露店が。大阪・ミナミの「なんばグランド花月」。大阪のお笑い文化の中心だ。ここで出会ったのは、伝統河内音頭継承者の河内家菊水丸さん。
「この条例、えらい急に決まった感じですなあ。そんなに急がんでもええ気がするんですが」
60%を超す高支持率の橋下徹知事の「鶴の一声」が発端だった。5月上旬、橋下知事が、自分が代表を務める政党「大阪維新の会」幹部に条例案作成を打診。議員提出案件として府議会に提出され、今月3日、過半数を握る同会などの賛成で可決・成立した。発案からほんのひと月足らずだ。
「東日本大震災の国の対応に、国民がイライラしているから、橋下さんのスピードは魅力的に見えるんでしょうな」と話す河内家さん。実は君が代にはほろ苦い経験がある。
日韓共催の02年のサッカー・ワールドカップ。日本対チュニジア戦で、君が代の斉唱を要請されたが、断った。理由は「こぶしが入る歌い方は合わないと思った」からだが、「こんな名誉を断るとは何事だ」と抗議が多数寄せられた。
大の好角家で、君が代への思いも強い。「千秋楽のあの独特な雰囲気は、君が代があってこそ。メロディーが流れると、『ああ、いいなあ』と自然に思います。天皇陛下も以前、『強制になるということでないことが望ましい』とおっしゃった。『強制』と言われると、なじまない気がするんですよ」
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「私もね、できればこんな条例はないほうがいいと思っているんです。条例ができること自体、大阪の恥ですよ」。「大阪維新の会」の同条例の旗振り役のひとり、西田薫府議はこう言い切った。
恥!?
「起立斉唱が決まっているのに、いまだに全員達成できないのはおかしな事態。一体いつになれば100%になるんですか」と少し鼻息が荒くなった。
そもそも君が代は、1989年の学習指導要領改定で斉唱が盛り込まれ、99年の国旗・国歌法の成立で法的に国歌となった。
府教委は02年、教員の斉唱を文書で指示。09年度には起立命令に従わない教員を初めて処分した。
一方、東京都教委も03年、都立の学校長に対し、ピアノ伴奏で起立斉唱するなど詳細なルールを通達。反発する教員らから訴訟が提起された。最大の焦点は、起立斉唱の義務化が、憲法の思想・良心の自由を侵害しないか。最高裁は5月30日の判決で、(訴訟の対象となった)起立を求める職務命令は、必要性及び合理性があり、憲法で定める自由を制限しない、とした。その後、最高裁は3度ほぼ同様の判断を示している。
西田議員は、こう主張する。「『(条例化は)議論がほとんどなかった』と批判されていますが、憲法上の権利侵害には当たらないので、そこまで議論することもないでしょう」。現条例には不起立の場合の罰則はないが、今後、罰則を盛り込んだ条例を検討しているという。
むろん、反発する意見も根強い。大阪出身の作家、若一光司さんもそのひとり。「戦争への反省や、国民主権の考えを重視して、君が代に抵抗感を持つ教師がいるのは当然。公務員の最大の義務は、憲法を尊重し擁護すること。だから『国歌の起立斉唱を命じる職務命令は、憲法の思想・良心の自由を制約する可能性があるから従えない』と考える教師がいてもおかしくない。憲法上の問題が、単なる職務規定の問題に矮小(わいしょう)化されてしまっている」と嘆く。
さらに「本当に大事なのは、子どもたちの公民意識をどうやって育むかだ。その議論を放置して、こんな外形的な条例だけ作っても意味がない」ときっぱり。
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「条例必要」「不要」の議論は平行線のようだ。ただ、久しぶりに歩いたミナミで、あらゆる種類の店舗の看板が無造作に乱立している光景を見ると、こういう雑多さが大阪のパワーの源では、と感じるのだが。
大阪の文化や風俗を研究し「大阪学」などの著書がある帝塚山学院大元学長の大谷晃一さんに話を聞くと、開口一番「こんなん、大阪人にはなじまんで」。
大谷さんは「江戸は武士の町で、建前を大事にする。これに対して大阪は商人、町人の町で、本音をさらけ出す文化だ」という。条例という建前ではなく、起立について自分の考えを披歴する本音の文化のほうが、大阪らしいと言えそうだ。
そういえば、条例制定へ一直線だった橋下知事に本音で異を唱えた人物がいる。府の中西正人教育長だ。「条例による義務付けは必要ない」と議会で答弁した。
府立高の教員約9000人のうち、今年春の入学式での不起立は38人で、年々減少傾向にある。中西教育長は「全教員の起立斉唱は当然。しかしこれまでずっと校長が『合意と納得を得る』方針でやってきた。現場で粘り強く本音で教員と話し合い、向き合ってきたからこそ減ってきたんですよ」と説明する。条例には無論従うが、現在も自分の考えは基本的に変わっていないという。
さて再び、大谷さんの指摘。「江戸時代から、お上の言うことは聞いたふりして、実はいいかげんにしておくのが大阪人。お上がきつく締め付けると逆効果の場合もある。今回もどこまで効果があるかはわからんよ。大阪らしゅうないわ」とさらり。さらに「それをわからん橋下知事はまだまだ若いなあ」。
そういえば、大阪出身の作家、司馬遼太郎さんも著書で大阪人の気質について、こう指摘していた。
「ともかく権力というものに対して伝統的になめているところがある」(「手掘り日本史」)
気骨がある、ということか。上意下達ではつまらない、自由闊達(かったつ)、天真らんまんでちょうどいい。「元気がない」と言われて久しい大阪だが、持ち前の気質までなくしたらアカンのとちゃうか?
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毎日新聞 2011年6月23日 東京朝刊