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石原慎太郎の原発国有化論 - 「反・脱原発」のプロパガンダ
懸念していた悪い予想が的中し、報ステの新特集「
原発わたしはこう思う
」は、原発推進派のプロパガンダの砦となった。テレ朝の報道姿勢が変わり、脱原発の世論を潰そうとする反動側の工作拠点に切り替わっている。第1回目の養老孟司に続き、第2回目に登場したのは、まさかと目を疑ったが、この国で最も過激で狂暴な原発擁護論を吐く
石原慎太郎
だった。次は誰だ。大前研一か、勝間和代か、長谷川閑史か。石原慎太郎の主張も、寺島実郎と養老孟司と全く同じ論法で、マニュアルを暗記して読んでいるようである。情報工作の論点は三つ。(1)脱原発に対して、「イデオロギー」と「原理主義」のレッテルを貼って貶めること、(2)自らを「中立派」に偽装し、原発の現状維持が「中立派」だとする理屈で一般を説得すること、(3)新興国は原発ラッシュだと言い、世界の流れが原発推進にあるように見せかけ、日本も技術開発を持続する必要があると訴求すること。(1)はレッテル攻撃の悪質な印象操作であり、(2)はトリックによる観念操作であり、(3)はウォルフレンが言うところの「偽りのリアリティ」による騙しである。(1)-(3)をテレビで繰り返してシャワーすることで、ゲッベルスの教科書の効果が生まれ、「嘘も百回言えば真実になる」。今朝(6/23)のTBS「朝ズバ」に出た金井辰樹もこの論法を使い、「原発には中立の議論が必要だ」と言い、脱原発に対して急進で異端の表象を塗り被せていた。
石原慎太郎は、(1)-(3)に加えて、原発を国有化するべきだという提案を示した。この主張は、今朝(6/23)の朝日紙面に内閣官房参与の前田匡史の提言記事として大きく載っている(3面)。原発推進側の巧妙で迅速な連携作戦に驚かされる。石原慎太郎は、その場で感情に任せて放埒に暴言を吐いているように見えて、実はそうではなく、官僚が練った作戦計画に沿って任務を忠実に遂行しているのだ。原発を国有化すれば、どれほど重大な放射能事故を起こしても、賠償は全て国が引き受け、国民負担で始末するから、電力会社は破産しなくて済む。原発事故の責任とリスクから解放される。原発は温存され、原子力村も悠々自適を続けることができる。まさに窮極の焼け太り。官僚というのは、こうやって自らの失政責任を国民に押しつけ、焼け太りをする方向で事態収束を謀る。マスコミがその工作に立ち回り、官僚の焼け太りを助けるのである。電力会社もそのまま、原子力村もそのまま。これほど彼らに都合のいい「問題解決策」はない。国民世論の多数が脱原発を求める中、この方向は非常識を超えた狂気としか言いようがないが、前田匡史も朝日新聞も本気であり、これから原発国有化をキャンペーンして国民的正論にする魂胆だ。これが菅政権の実態である。菅直人は脱原発など考えてはいない。
この前田匡史の提案記事の横に、朝日の記者が短い論説(と言うより)補足を入れているが、そこには次のような記述がある。「前田氏と親交が深い仙谷由人官房長官は、東電の資産を査定する経営・財務調査会のまとめ役。国有化論は私案とはいえ、重みを持つ」。要するに、この前田匡史の記事は仙谷由人が朝日に紙面を割かせ、そこで広告宣伝させたものだ。仙谷由人は朝日の事実上の編集長であり、政治絡みで何をどう記事にするかは仙谷由人が決めている。そして、昨夜のテレ朝と今日の朝日の報道を見ると、原発問題についての基本戦略が、官僚・民主・自民の三者で方向が纏まった事実を感知できる。それは、(1)脱原発は潰す、(2)原発は国有化する、(3)原子力事業はリストラなく維持する、である。高速増殖炉も続けるし、核燃料サイクル計画も続ける。表面だけを見て考えれば、石原慎太郎と仙谷由人の政策が合致するという想定は持ちにくいが、実は原発推進で一致しているのであり、脱原発に対するアンチでスクラムを組んでいて、左ロックが仙谷由人で右ロックが石原慎太郎、ナンバーエイトが朝日新聞で、司令塔のスクラムハーフとバックスが官僚だ。寺島実郎は左プロップか。これは「反・脱原発」の政治であり、脱原発に対抗する側が、押されていた地点から隊列を組み直し、結束して反転攻勢に出た図である。
一方、原発をめぐる政治のキーパーソンである孫正義は、ソウルで李明博と会談し、日中韓でゴビ砂漠に太陽光の大規模発電所を建設する計画を提案している。この件については、ネットでは日本と韓国の通信社が記事を配信し、ネットで報道を追いかけている者には昨日(6/22)大きなニュースだったが、テレビの番組では話題として注目されず、朝日の紙面にも1行も記事が載っていない。経済面と外交面を捲っても出て来ない。韓国は現在、原発は推進し、化石燃料を削減して自然エネルギーの割合を高める国家戦略で動いている。日本の原発産業が福島の事故で一撃を受け、国際競争力を失った状況を好機と捉え、新興国への輸出にドライブをかけようとするスタンスにある。だが、この会見でも分かるとおり、自然エネルギー開発についても意欲満々で、この分野でも世界のトップに立つ目標を持っているのだ。おそらく、韓国は日本を競争のベンチマークとし、自然エネルギーの比率で日本を早期に追い抜いて欧州並みの水準になろうと戦略するはずだ。そういう国家計画を立てるだろう。韓国の産業政策の生理のようなものだ。また、韓国にはその自信がある。そして、韓国もまた、使用済み核燃料の処理問題で悩んでいる。世界のエネルギー情勢が変わり、原発プラントの輸出先である新興国の政策動向が変われば、韓国は素早く脱原発に転換するだろう。
さて、政治についてだが、最近は誰もが、今の政治について何を言えばよいのか分からなくなり、立ち位置を見失い、言葉を失って途方に暮れている。菅がどうの、執行部がどうのと、小沢がどうのと、床屋政談の舌を軽く回せる環境ではなくなった。一見して明らかなのは、菅降ろしに狂奔している者たちの政策動機が、原発利権の保全であり、脱原発潰しであることで、バックで官僚がサポートしている構図だ。だから、国民は誰も菅降ろしに同調することはないし、自民党も急速に失速しているし、ネットの小沢支持の声も小さく狭く固まる一方だ。菅降ろしだの何だのと無駄な政局騒動に呆けず、被災者の方だけを見て、予算と法案の仕事に没頭せよという声が正論で、それに反論を返せる立場や論理はない。しかしながら、それでは菅直人が被災者のために真剣に政治執務に取り組んでいるかというと、そんなことは全くなく、復興の補正予算も、自然エネルギー法案も、自身の政権延命のための駆け引きの道具でしかない。脱原発のポーズもそうだ。頭の中は権力維持の綱渡りだけであり、国民にも官僚にもいい顔をして演じ、巧妙に政敵の動きを封じているだけである。菅直人に脱原発の期待を抱くのは、ナイーブな人間が騙されているだけに過ぎない。だが、だからと言って、現在の政局の中で、菅直人以上に脱原発の色を持った政治家はいないのだ。他のポスト菅の連中は、どれも強烈な原発推進派なのである。仙谷由人、前原誠司、岡田克也、玄葉光一郎、石破茂、石原伸晃。
今、政局については論じられない。どれも汚い悪玉ばかりで、現状を動かすと国民にとってもっと悪くなる。政局の中で、贔屓する政治家がなく、こうすればいいという具体論もないのだ。マスコミ報道も自家撞着の矛盾が露わになっていて、自分たちが永田町に密着して、菅降ろしの騒動劇を報道素材にすることが、国民や被災地から反発される浮薄な行動なのだという事実に自覚が及び始めている。マスコミで良識的な立場に立ち、国民に内在したコメントを発しようとすれば、永田町を突き放した言葉になり、永田町から自己を隔離せざるを得ず、全否定するか無視するしかないという結論に行き当たるのだ。そうなると、記者もキャスターもコメンテーターも、政局に内在して解説に及ぶことはできず、そこに不注意に深入りに及べば、それは被災者に顔を背けたアンモラルな反国民的行為になるのである。そうした緊張とバランスになる。今、古舘伊知郎がその葛藤の境地に立っている。永田町と霞ヶ関で蠢く全てのメンバー(政治家・官僚・マスコミ記者)が、被災者と被災地に対立しているのだ。菅降ろしと会期延長の政局騒動で、本来は2次補正だったものが、3次補正となって9月以降の編成に先送りされた。官僚は被災者を切り捨てているのであり、増税しか眼中になく、それが今の政策の全てなのだ。現在は、政局について論じるのも、政策について論じるのも、どれもメイクセンスではない。政治の議論として意味を持てない。どれほど当を得た政策提案を出せても、それは誰が担うのだという問題になる。空論になる。
政治の基本が崩壊し、最早、それを制御できなくなっている。PCの暴走と同じで、元に修復する手段を失っている。メモリーとハードディスクが壊れている。使えない。彼らは、今後も醜く愚かな政争をするしかないし、国会を幼稚なドタバタ騒動で潰して遊ぶしかない。被災地を干し上げ、漁業を大資本に渡し、漁民を都会の浮浪者として追い出すしかない。避難所の酷暑地獄に押し込めて、熱中症で一人ずつ殺すしかない。ナチスの強制収容所のように。気づいている者も多いだろうが、この政治の堕落と混迷は、科学的に言えば、途上国のクーデター前の政治状況なのだ。昔、70年代から80年代の頃、南米とかアフリカの国々ではよく軍事クーデターが起こった。政治が混乱し、政党が無意味な私闘に終始し、議会も憲法も有名無実となり、経済が疲弊して国民の生活が窮乏化したとき、軍部がクーデターで政権を握り、戒厳令を敷き、憲法を停止して議会を解散、独裁者が政治を行った。あの頃、若い私はその報道に接し、遠いよその国の不幸として見たし、近代化と民主化が遅れた国に生まれた人々の運命を憐れんでいた。その政治を日本に当て嵌めて想像することができなかった。今、当時のそれらの国々で何が起きていたのか、どういう政治だったのか、国民の心情がどうだったのかを理解することができる。今、この国の政治について説得的な議論をしようとすれば、そこまでのパースペクティブを持たなくてはいけない。論じるべきは、政局でもなく、政策でもなく、政治体制なのだ。「政治改革」が作った体制への根本的な批判こそ、唯一の有意味な政治論議となる。
大連立だの政界再編では、この壊れた政治の暴走は収拾できない。言葉の表現に悩むが、革命しかないというのが、政治の科学として妥当だろう。
by
thessalonike5
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2011-06-23 23:30
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