また聞こえてくる。僕に囁きかける声が。
深夜二時を過ぎ、ぼんやりウトウトとTVのショッピング番組を見ていると、またいつものノイズに似た囁きが聞こえてきた。
幻聴。はじめはそう思った。しかし、そのいつも聞こえるノイズは、僕の精神を蝕むほど不快なものでもなく、むしろ優しい響きがあった。だから病院へ行くまでもないと自己判断していた。
錯覚。きっとそうだ。そうに決まっている。別に俺はおかしくなったわけではない。そういうことにすることにした。
いつものように幻聴を聞き流して、眠たさに身を委ねて眠りにつこうとしたとき、
「お兄様の力を、私たちに、貸してください」
いつもの雑音混じりのノイズではなく、クリアーに僕の耳元に響いた。
完全にこれは幻聴だ。僕はどうかしてしまったのか。突然の出来事に睡魔がどっかへ消えてしまった。
「心の耳で聞いてください。そしてお兄様の心の声で私と対話してください」
僕の不安を和らげるような透き通った声で、少女の声はそう告げた。まるで僕の心の内を分かっているかのようだ。幻聴と対話するようになったら末期だと聞いたことがある。より一層焦燥感に包まれていった。
「私が指し示す通りに外へでてください。すべての答えがそこにあります」
幻聴はさらにそう僕に囁きかけてくる。悩んでも仕方ないので身支度を整え、僕は囁きの指示するがままに行動をすることにした。
黒のジャケットを羽織り、リーガルの革靴を履き、アパートの外へ出る。
ふと、一陣の風が僕を取り巻くかのように吹き抜けた。それはとても心地良く、僕の頬を撫でた。
「感じますか? 私を。今のが私です。幻聴ではありません。心の声でお兄様と対話しているのです。風が指し示す通り進んでいってください」
少女の声がそう告げると、再び僕の元を風が吹き抜けた。
風は幻覚とかの類ではない。体感できるものだ。僕は風に推し進められるように歩いていく。面影橋を渡り、そのまま風が僕の体を押すのに従い歩く。
風はそのまま、大学付近の公園に着くと止んだ。
「甘泉園? ここに答え?」
若干狐に摘まれた気持ちで立ち尽くす。
「お兄様! 気をつけて! エラーがやってきます!」
再び少女の声が僕に危険を諭すように耳元に響いた。
辺りを見回してみる。
「なんだこれ……!」
僕は遠くに視覚できちんと見えるその異様な化物に足元が震えた。
熊ぐらいの大きさはあるであろう、全身竜巻のような風の渦で構成されている狼のような怪物だ。いつでもこちらに飛び掛ってきそうな姿勢で威嚇してきている。
「エラーは、エレメントの変異体です。そして、エラーを倒すためには私たちと契約を交わして欲しいのです」
契約?
まったく訳がわからない。
そして、その風の狼のような化物は今にも僕に襲いかかる勢いでこちらを伺っている。
「感じてください。ソウルポイントを多く持つお兄様ならば、私たちを感じ取ることができるはずです。そうすれば契約を交わし、私たちは顕在化できます」
感じとれだと?
どうやって?
訳がますます分からなくなる。
それに「私たち」だって? 声はひとりじゃないか?
「私たちは三人います。そして私は風のフェアリー。主に伝達を司ります。おそれながら、お兄様とは、お兄様が無意識のうちに私の声をノイズとして認識し認めていたことで、仮契約をしてる状態なのです」
フェアリー? まずます訳がわからない。
僕はどうすればいいんだ?
そして今まさに、血に飢えたかのような狼モドキの化物が、こちらに襲いかかろうとしてきた。
「もう二人は、火と水のフェアリーです。お兄様、私を感じ取れるように私たち全員を感じ取ってください。お兄様にならできます」
感じてと言われても、わかるわけがない。深夜突如として起きた異変に対し、僕は狼狽するだけだった。
狼モドキは物凄い勢いでこちらに突進してくる。
刹那、周囲に竜巻が起こり狼モドキとぶつかり合う。狼モドキの突進は失速した。
「私の力は風です。エラーも風の変異体です。ですから力は相殺するだけですし、今の仮契約の状態では力を発揮できません。お願いです。他の二人を感じ取ってください」
しかし、このエラーとかいう化物、一体なんなんだ?
これに襲われたらどうなるんだ?
「エラーは生きとし生けるもののソウルポイントを食います。人間がソウルポイントを食いつくされたら、エポケーとなり、人間を人間たらしめる要因を奪われてしまいます」
エポケーか。思考停止というヤツか。それって廃人ということか。
そうなっては困る。
しかし、他の二人のフェアリーをどうやって感じればいいのか。
「火は熱です。熱を感じてください。水は生命の源です。つまり、お兄様自身が自身と向きあうことで感じる事ができるのです。お願いします。感じ取ってください。私たちはいつでもお兄様の側にいるのですよ」
全身から噴き出る汗。
恐怖。
再度、襲いかかろうとしてくるエラーという名の化物。
立ち尽くすだけの僕。
僕は静かに目を閉じて自分自身の鼓動を感じてみる。
僕の側にいるという残り二人のフェアリー。
火。それは僕の全身を駆け抜ける血。
水。それは僕を生命として存在させるかけがいのない物。
次の瞬間、エラーは僕へ向かって襲いかかってくる。
「受け取ったよ。お兄ちゃんのココロ」
二人目のフェアリーの声がかすかに聞こえる。
「兄さん、感じてくれてありがとうね」
三人目のフェアリーの声もかすかに響く。
僕は目を見開いた。エラーは目の前に迫ってきている。
刹那、僕の目の前に水柱が立ち、防御壁となり、エラーを弾き返した。
怯んだエラーに追い打ちをかけるように、火炎放射がどことなく発生し、エラーを火炎の渦で包んでいった。
エラーは声なき叫びを上げ、風が収束するかのように消えていった。と同時に火炎の渦も収束していく。
「ありがとうございます。これで私たち三人と契約ができるハズです。お願いします。お兄様。エラーを消滅させるため、私たちに力を貸してください」
そよ風のように僕を優しく撫でる風。
温かい温もりが僕を取り巻いている。
僕の全身で感じる生命の源である水の心地良さ。
「わかった。契約君たちと契約するよ」
悪い気はしなかった。僕は言われるがままに、三人を感じ取って契約を強く心に誓った。
すると、僕を取り巻いていた風が竜巻状となりやがて十歳くらいの少女の形になっていった。
さらに、周囲に炎が立ち込めていって、それも少女の姿を形成していった。
そして、水蒸気が周囲に立ち込め、それは水の塊となり、二者と同様、十歳ほどの少女の姿となり、色づいてゆき、完全な人間の少女の姿となっていった。
「お兄ちゃん! 契約ありがとう!」
赤茶色のツインテイルの少女が真っ先に僕の側に駆けつけて、跳びかかるように抱きつきいてくる。
「兄さん。本当、契約ありがとうね」
若干青みかかったショートカットの少女も続けて僕の側に寄ってくる。
「お兄様、契約ありがとうございます。これで私たちは顕在化し、エラーを倒すことができるようになります」
銀髪のロングヘアーの少女も僕の側へやってきた。
しかし、困ったことに、三人とも、あられもない姿だった。そう生まれたての身体の状態。しかも三人揃って美少女ということもあり、僕は目のやり場に困ってしまっている。
「え、えっと…… そのなんていうのかな」
「ん? お兄ちゃんどうしたの? 顔が赤くなってるよ!」
赤茶のツインテが無邪気に呟く。
「とりあえず、ここで待ってろ。服取ってくる!」
僕は走って五分くらいにある自分のアパートに向かって走りだしていった。
このまま一緒に入られたんじゃ、警察に職質される。絶対にヤバイ。