虚ろな人々

久しぶりに日常に関して思ったことを述べようと思います。
はじめに言っておきますが、これは僕が某掲示板で某アーティストの件で盛大に叩かれたこととは一切関係ありません。
なんだか誤解されそうな気がしたので、先に断っておきます。
この原稿書いたの僕がボロクソに言われる前ですし。
本当です。
僕はうそつきですがこれはうそじゃないです。



世の中には想像力の欠けた人々がいる。
彼らは自分と他人の差異を理解しようとしない。
なんでも自分という人間の枠の中にはめて考えるのだ。
もちろんそれdかえならこちらもとやかく言いたくはないのだが、そういう人々はその枠をこちらにもぐいぐいと押し付けてくる。
これははなはだ迷惑な話である。
村上春樹はそういった想像力の欠けたある種の人々のことを「虚ろな人間」と呼称していた。
僕も村上春樹の言葉を引用して虚ろな人間と呼ぶことにする。

僕は18年の人生の中で、そういう種類の人間とか関わりを持ってきた。
そういった虚ろな人間は今も僕の周りにいる。
僕の生きた年数はまだ短く、これは想像するしかないのだが、虚ろな人間に惑わされて方向性を誤ろうとしている、あるいは誤った人も世の中には少なからずいるのではないだろうか。
今回、僕はそういった可能性を持つすべての人に訴えたい。

虚ろな人間は自分にはできないことは相手にも不可能だと決めつける。
僕が「絵を描ける」と言えば彼らは「いや、君には描けない」と言い、僕が「小説を書ける」と言えば彼らは「いや、君には書けない」と言い、僕が「ギターを弾ける」と言えば彼らは「いや、君には弾けない」と言うのだ。
自分で自分の可能性を狭めるのはけっこうなことだが、こちらの可能性まで閉塞的なものにさせようとするのは正しい行いとは言えない。

ここでまだ芯の定まっていない子供や可能性は秘めているが未成熟な成人なら、「そうか。僕にはできないんだ。」とまんまを罠にはめられてしまう。
我々に重要なのは自己決定の判断力よりも、本当に有益かつ正しい意見は何なのかを決める能力ではないだろうか?

「人間に想定しうるすべての出来ごとは現実に起こる可能性を秘めている。」

我々に不可能性は存在しない。
労力、かかる時間、ストレスなどを無意識のうちに計算し、自分で見えない壁を作っているだけだ。
可能性はすべての人に開かれているものであるはずだし、そうあるべきだ。
少なくとも可能性を追いかけていく希望はたしかに存在しているし、少なくとも僕は希望の感触や呼吸を感じている。
「自分にできないことはあいつにもできない。」
こういった考えは危険なものだし、誤っている。
自分にはできるし、あいつにもできるだろう。

少なくともこの文章を読んで、人の可能性を狭めることは誤りだと気づけた方は虚ろな人間ではない。

根拠はないが、一度虚ろな人間になってしまうと後戻りできなくなるのではないだろうか。
僕は自分にできないことはないと信じたいし、人々にできないことはないと思っている。
世の中は不確かなことばかりだが、我々はできないことよりもできることを考えたほうがいい。
どうでしょう?
世界が少し明るく見えてきませんか?

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プロフィール

荒川達哉

Author:荒川達哉
追いやられ追いやられて世界のはしっこまで来てしまった高校生。なにやら難しいことを考えているようで、その頭の中にはぽやぽやとした雲がかかるばかり。脳みそは煙を噴出した。好物は嘘。夢は英国紳士。ミミズと絶望を何よりも恐れ、美術とロックンロールをこよなく愛す。自傷癖あり。統合失調症。
世界の何よりもアートが大好き。

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