アメリカで暮らしながら時々帰国の折にテレビを見ていると、感覚が狂うのを感じます。ひとつの例ですが、デーブ・スペクターさんの話術が気になって仕方がないことがありました。日本語独特のギャグの背後にある複雑なストラテジ、特に相手との距離のとり方とか、自分を卑下して防衛するスタンスとかについて、私には単に上手なだけではないものが感じられたからでした。
大変に失礼な言い方なのですが、例えば「今度ガイジンとインタビューしないといけないんですけど、ボクは英検一級だから大丈夫かな」なんていう「ネタ」に込められた複雑な「手つき」が鼻についたのです。
例えばここでの「ガイジン」ですが、外国人であるデーブさんが言うと、「本来は外国人というべきところをガイジンと言って仲間はずれにする日本人」を突き放したり「インタビュー相手がガイジンだと緊張する」という日本人をパロディにしたりしつつ、「ガイジンなのにガイジンでない」自分の位置を卑下してみて、その卑下の手つきの人工的な部分が偉そうでもあり、哀愁にも感じられという何とも複雑な芸としか言いようがありません。
英検がどうのというのも、日本人の資格コンプレックスと英語コンプレックスをまとめてバカにしているようで、英語のネイティブスピーカーなのに「英検を持っているから大丈夫」という虚構の「自己卑下」が持つサービス精神が「たぶん日本人の視聴者はついてくるよね」という不思議なフレンドリー感になっているわけです。
アメリカという異文化を経験し、マルチカルチャーの視点から多くの経験に翻弄されていた時期の私には、そうしたデーブさんの一連の「芸」が何とも人工的に見えて仕方がありませんでした。もしかしたら、私は嫉妬していたのかもしれません。自分の英語力が、デーブさんの日本語力には到底かなわないということもありましたが、「コメディ」という超上級エリアにおいて日本語と英語の文化の相違を理解し尽くして、自分独自の「笑い」を作り上げている才能が眩しかったのだと思います。
特に苦手だったのがデーブさんの「ダジャレ」でした。わざと「すべらせて」いる手つきということもありますが、そもそも英語圏では音韻の酷似を使って笑いを取るユーモアは「低級」という感覚があるので、デーブさんが堂々と日本語で「おやじギャグ」を披露するのを見ると、日本語と日本人がバカにされたように感じてしまったのだと思います。
ですが、この間、大震災の悲劇という暗黒の時にあたって、そのデーブさんの「ダジャレ」は輝いているのです。デーブさんがつぶやく「ダジャレ」が、多くの人の心に不思議な暖かさを届けているのです。これは一体何なのでしょう？
私の場合は特にそうです。過去ずいぶん長い間、デーブさんの話芸やダジャレを敬遠していたことが悔やまれ、また恥ずかしく思われたという印象も加わって、ひときわ印象が濃いのです。事実、デーブさんのダジャレはほんとうに素晴らしいのです。
「うっかり失言しちゃうソーシャルメディア→つい言ったぁ」
「なかなか自ら進んでやらないアメリカの州→未志願州」
「選挙に行かないとかけて、とっても危ないととく。その心は「きけん」でしょう。」
この三つの中では、最初の二つの切れ味が光りますが、三つ目の「危険・棄権」というネタも、浦安市の選管が「液状化の被害をうける中で危険だから選挙ができない」として県選管に抵抗したニュースを下地にした、実にシブい作品だと思います。
どうしてこの暗い日々にデーブさんのダジャレは輝いているのでしょう？ 答えは単純です。ダジャレとして優れているからです。一つ一つが素晴らしいからです。どうして素晴らしいのでしょう。それは日本語と日本社会を徹底的に客観視した上で、正確いや精密な理解をしているからです。ダジャレという表現スタイルについてもそうです。無意識に聞いて育ったのではない分、意識的に研究してテクニックを磨き抜いてきたのだと思います。
その作業は恐らく孤独なものだったと思います。ダジャレの能力が発展途上の段階でも、笑ってくれる日本人は多かったでしょうが、デーブさんが何を感じ、何を考えていたか、分かって笑っていたのではないと思います。「変な外人」の典型だとして「珍しい」ので笑っていただだったのだと思います。そんな視線に囲まれる中での孤独な作業がデーブさんの技量を磨いていったのでしょう。そうした努力の痕跡を「人工的な手つき」だとして、私は遠ざけていたことになります。
失礼な言い方かもしれませんが、デーブさんの場合は「移民という個」が素晴らしいダジャレを生み出し続け、こうした暗い日々にあって日本人の心を慰めているのだと思います。いや「移民」というのは適切ではないかもしれません。私にはデーブさんのダジャレは、そのまま日本の文化の豊かさ、日本のコミュニティの健全さを象徴するようにも思われます。日本人以上に日本人という域に達した芸だと言えるでしょう。私の場合は、過去に偏見を抱いていたことへの後悔も加わって、とにかく頭の下がる想いがするのです。
もう一つ、頭の下がる想いのする理由は、日本が決して移民国家ではないということです。私の場合は、アメリカという移民国家に住んでいます。日本人としてアメリカに住むということは、そこではある意味で楽なのです。州によってカルチャーが異なるものの、やはり移民の末裔と近年の移民が作り上げている国家です。異境に暮らすことの孤独感であるとか、マイノリティであることの息苦しさということでは、確かに「甘やかされている」のを感じるのです。私の住む、ニュージャージーとかニューヨークでは特にそうです。
その意味で、ニューヨークと同様に国際都市であり多くの人を受け入れてきた場所といえば、パリという街に私はそんな印象を抱いてきました。フレデリック・ショパン、ホー・チ・ミン、��小平、ホメイニ・・・ありとあらゆる政治的亡命者を受け入れるとともに、芸術家にもチャンスを与えてきた場所、そんなイメージです。日本人にしても、森有正、加藤周一、辻邦生などといった人々の「滞在記」からは、やはり同じような印象を得てきました。
ですが、よく考えるとパリというのはニューヨークのような意味では移民都市ではないのです。私もビジネスの世界にいたときには、パリの保守派の人が持っている独特のプライドが「どうしてもある一線から先へは外部の人間を入れない」頑固さを持っていることを体験しています。では、決して移民に対して１００％フレンドリーな都市ではないパリが、どうして多くの異邦人を惹きつけ、そして素晴らしい仕事をさせたのでしょう。
その不思議なダイナミズムを音楽で体験させてくれるアルバムを紹介したいと思います。パリ在住の日本人ヴァイオリニスト、千々岩英一（ちじいわ・えいいち）氏の"Solo Migration（ソロ・ミグレーション）"（邦題は「パリの芸術家、移民たちー無伴奏の20世紀」）というＣＤです。アンデサンスというパリのインディーズ系クラシック録音レーベルの制作で、（株）マーキュリーが日本の発売元となっています。
千々岩氏は、パリ管弦楽団の副コンサートマスターを務める傍ら、室内楽やソロの活動も幅広く手がけ、パリ市立音楽院ではヴァイオリンの指導もしておられます。経歴を拝見すると、芸大からパリ高等音楽院に留学し、そのままパリで活躍されているとあります。そして、無伴奏ヴァイオリンのＣＤのタイトルが「ミグレーション（移民）」ということで、内容も多くのパリゆかりの作曲家の作品を集めた「国際色豊かで華やかなアンソロジー」のようなイメージで考えていました。
ところが、米国のアマゾンでダウンロードして（ＭＰ3ですが素晴らしい音質でした）聞いてみたところ、その甘い期待は完全に打ち砕かれました。ルーマニア出身のエネスコ、ベルギー人のイザイ、ロシア出身のストラビンスキー、ユダヤ系の作曲家であるオネゲルとミヨー、ギリシャから来た前衛作曲家のクセナキスなどによる音楽は「幸福な芸術の都」パリでの甘いメロディーとは無縁のもので、孤独と痛苦を内包しつつ、２０世紀という厳しい時代に「美」を追求した軌跡そのものでした。
こうした作曲家たちは、パリに憧れてやってきて、その幸福を音にしただけではない、私にはそう感じられたのです。パリという街と戦い傷つき、それでもパリに触発されて自分の才能を開花させ、パリに根を張りつつもどこまでも異邦人だった、そうした緊張感が音楽の美として結晶している、そんな印象です。
そんな中、このアルバムの中でも絶唱というべきは、パリで活動を続け、エコール・ノルマル音楽院で後進の指導も続けた日本人作曲家の平義久氏（１９３７〜２００５）の「コンベルジャンス（収束）３」という作品（世界初録音）でしょう。
この作品は、邦楽とくに能管（能の笛）の音階に触発されたような独特の静寂感と緊張感があります。ヴァイオリンをその音程に合わせるために変則的な調弦を行った上での演奏は、幽玄でありながら緊迫感にあふれており、個人的な感慨で恐縮ですが、３月の大震災の直後は怖くて聞けないほどでした。
また少しして決意をして聞いてみると、逆に魂が激励を受けるような強いインパクトを感じさせらたのも事実です。９分弱の短い曲ながら、たいへんな厳しさを持った音楽だと言えます。これも単に「日本風の音階」を前衛音楽にしたなどという生易しいものではなく、パリという独特の街との刺激し合いの中から、「移民という個」の音楽に昇華している、そう思われました。尚、千々岩氏は、晩年の平氏とは深い親交があり、多くの作品の初演を行なっているそうです。
このアルバムの中で、最も有名な曲はイザイの無伴奏ソナタ第三番「バラード」だと思います。テクニックを誇示するような演奏が多い中で、千々岩氏は冒頭の上昇音形にアーチ形の雄大な造形を与えるところから始まって、７分間の小品をまさに「バラード」の名前に相応しいドラマチックな時間芸術に仕立てています。
千々岩氏は、パリの音楽会の中核で活躍しておられる立派なパリっ子ですが、恐らくは良い意味での「移民という個」の気概を自身も持っておられるのだと思います。それゆえの選曲であり、またそれゆえの演奏だとも言えるのでしょう。７０分にわたって緊張感の途切れない厳しいアルバムですが、困難な時代にあたって聞くほどに力の湧いてくる不思議な魅力がありました。
パリが世界中から集めた人材といえば、政治亡命者や芸術家ばかりを想起しますが、科学者も多く、その筆頭はやはりポーランド生まれのマリー・キューリーでしょう。キューリー夫人という名で呼ばれ、苦学の果てにノーベル賞の栄光をつかんだ「立身出世の伝説」として語られることの多いマリー・キューリーですが、パリで過ごした後半生は決して栄光だけに包まれていたわけではありません。
伝記で有名なのはポーランドでの苦学、フランスへ移ってからの夫ピエールとの出会い、そして研究の成功というあたりです。確かにピエールとの関係は同志的な絆としても、夫婦としての絆も確かなものであったようですが、ピエールの方は若くして交通事故で死去しているのです。マリーは、ピエールの死後も研究を続け、ノーベル賞について言えば、夫との共同受賞である物理学賞に加えて、後年には化学賞も受賞するという大きな評価を受けています。
ですが、その一方で、女性であること、ポーランド人であってフランス人ではないことを理由に科学アカデミーに長年入会を拒否されたり、誹謗中傷を受けたり大変な苦労もしたのです。マリーの偉大なところは、そうした摩擦において一切妥協せずに自分の信念を貫き通したことでした。その結果が、放射線の発見、放射性物質の発見、放射性元素を含む多くの新元素の発見という、正に現代の物理学と化学の基礎を作り上げたのです。
彼女にとっても、パリという場所は「花の都」ではなかったようです。恐らくは孤独を感じ、また戦いながら傷ついた場所でもあったのでしょう。マリーの場合も、「移民という個」の気概が才能を刺激し、開花させていったのではないかと思われます。現代のフランスが、原子核物理学のエネルギー利用に熱心なのは、そのマリー・キューリーの精神にルーツを辿ることができるのでしょう。
ですが、マリーが一生を捧げた原子核物理学は、世界的に見て決して幸福な発展は遂げていません。今回の福島における事故でも明らかなように、核の平和利用の安全性に関しては、無責任な楽観論と、断定的な悲観論に引き裂かれ、冷静な議論が難しい状況にあります。恐らくは、冷戦期に核の軍事利用が暴走する中、「その国の人が、その国の人だけを守る」という独善的な心理の延長で、秘密主義を徹底したことが、世界中の不信感を買った、そこに遠因があるように思います。
そう申し上げると、原爆を生み出した研究（マンハッタン計画など）に関わった人間も、アルベルト・アインシュタインや、エンリコ・フェルミ、ロバート・オッペンハイマーなどの移民（オッペンハイマーはドイツ系とユダヤ系の二世）ではないかという批判がありそうです。ですが、原爆の非人道性に気がついて、広島長崎の惨劇の直後から核兵器への反対を表明しはじめたのもこうした人々であったことも事実です。
本稿を書いている途中で、コロンビア大学名誉教授のドナルド・キーン博士が、日本への永住を前提に帰化を申請するというニュースが飛び込んできました。震災を受けて厳しい時代を迎えたからこそ、日本人として日本に永住したいというのです。困難な時代にあって、「移民という個」が人々を救う、これもそうした心意気の一つなのだと思います。 |