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? 玄承禎とは何者(NO3)
大学院中退し就職
63年10月に結婚して2か月後、玄承禎さんのアルバイト先である、接着剤メーカーの会社が倒産、経済的にピンチに立たされた。
ところが年が明けた1月末頃、倒産した会社の社長から
「会社を再建するから、技術担当者として来てほしい。大学院を辞めて、再建に専念してくれないか」という話が来た。
「ピンチはチャンス。この会社を再建することは、必ず自分の人生にプラスになる」
と判断した玄さんは大学院を中退し、その会社に就職した。
「私は専攻した専門分野を生かす化学関係の会社に就職できました。
私のような者が専門分野で仕事ができるとは夢のようでした」
その後約7年間、「青春を賭けてよく働き、よく学んだ」という。
技術部責任者として、製品開発の研究と工場での生産管理まで直接指導した。
兵庫県神戸市と大阪府守口市の間を毎日通勤。
帰りはたびたび最終列車を利用するほどよく働いた。
仕事は家庭塗料用原料をはじめ繊維、合板、建築など多方面に開発が進み、販路も広がった。
工場での生産品目が増えるに従い、設備の拡張、合理化、自動化などをすべて担当した。
だが、会社が大きくなるにつれ、公的資格と免許が必要となってきた。
大学は卒業していたが、卒業証書の名前は自分のものでなかった玄さん。
「これ以上留まると、社長にも同僚にも迷惑をかける」と考え、69年に退職した。
(つづく)
(2008年6月29日クリスチャン新聞ビジネスパーソンより)
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