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西村正俊・元佐賀市長が死去 | ||
元佐賀市長の西村正俊(にしむら・まさとし)氏が20日午前7時43分、多発性骨髄腫のため、県立病院好生館で死去した。90歳。自宅は佐賀市木原2の19の5。通夜は21日午後7時から、葬儀は22日午後2時から、佐賀市光1丁目1の16、佐賀メモリードホール新館で。喪主は長男政英(まさひで)氏。
西村氏は1948年、県庁に入庁、厚生部参事などを務め、70年に伊万里市助役、80年に佐賀市助役に就任。87年、佐賀市長に初当選し、99年まで3期12年にわたって市長を務めた。昨年10月まで佐賀土地改良区理事長。
■バルーンフェスタに尽力
20日亡くなった元佐賀市長の西村正俊氏は、1989年の世界選手権開催などバルーン大会を発展させ、水環境整備にも力を注いだ。
「宮島剛市長が基礎を築いたバルーン大会を、大きく発展してくださった」。佐賀バルーンフェスタ組織委員会の水町博史会長(62)は振り返った。佐賀市制100周年のメーンイベントとしてアジア初の熱気球世界選手権を開催。市長の職を退いた後も委員会の名誉顧問として、総会や懇親会の場に姿を見せた。「にこっと笑って、その場の空気をほわんと包み込んでくれました」と人柄をしのんだ。
頻発していた市街地の浸水被害。1990年の水害を機に国を口説き落とし、巨勢川調整池の着手にこぎつけた。用排水対策に関わってきた市議会の福井久男議員は「昨年まで土地改良区の理事長として水問題に取り組み、今春、北山ダムの改修決定を見届けたばかりだったのに」と話し、秀島敏行佐賀市長は「パフォーマンス的なことを嫌い、市民生活に必要なことを地道に実行してこられた。よか師を亡くした」と別れを惜しんだ。 |
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2011年06月21日更新 |