社長の仕事術
2011年 6月 11日

「すっから菅総理」のスタンドプレー

飯島 勲 「リーダーの掟」

<最新7/4号からチョイ読み>被災地と永田町にこれだけの温度差が出てしまうのは、菅直人総理の繰り出すスタンドプレーが原因だ。

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なぜ不信任案が出されたのか

6月2日、菅内閣への不信任決議案が否決された。被災地から「なぜこのタイミングで政争をするのか」と批判の声が上がったが、私は直ちに菅内閣が退陣することが、東北の復興にとって近道であると信じている。被災地と永田町にこれだけの温度差が出てしまうのは、菅直人総理の繰り出すスタンドプレーが原因だ。

国家備蓄としてガソリンがあるにもかかわらず、被災地には届かない。タンクローリーが手配できない海江田万里経済産業大臣の指導力不足として、以前、この問題を本連載で指摘したが、結局被災地へガソリンを届けたのは、野党自民党の二階俊博衆議院議員だった。二階議員は業界団体に迅速に連絡を取り、経産省と被災地を結んだのだ。このことは、複数の関係者から証言を得ているが、二階議員はその成果について表立って誇るようなことをしていない。菅直人総理も、このような姿勢をとれば、官僚はこの人のために命をささげようと決意するものだ。しかし、自分の延命ばかりが気になって、部下の手柄を取り、怒鳴り散らすようでは人心は離れていく。浜岡原発停止、総理視察、太陽光発電など、PRに執念を燃やせば、その場の評価を得られる。ただ、政まつりごと事は一歩も進むことはできない。この数カ月間、そんな菅総理の実像を永田町や霞が関は嫌というほど見せられてきた。だから不信任決議案を出したのだ。

最悪のカイワレ事件は、なぜか菅総理の美談に……。(写真=PANA)
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最悪のカイワレ事件は、なぜか菅総理の美談に……。(写真=PANA)

菅総理は、1996年に厚生大臣に就任し、薬害エイズ、カイワレ大根問題を通して広くマスコミに注目されるようになった。菅総理にとって唯一の「栄光の時代」について、今回私は真実を明らかにしたい。スタンドプレーの原型が、まさにこのときにできあがったのだ。

薬害エイズ訴訟は、95年にまだ十代の少年だった川田龍平さん(現参議院議員)が原告団の一人として実名を公表してからマスメディアでも注目が高まった。当時は自社さ連立政権で、対応にあたったのは日本社会党(現・社民党)の森井忠良厚生大臣だった。

森井大臣はこの事件を厚生省創設以来の危機ととらえて、どこかへ消えてしまった薬害エイズに関する資料を探し、毎日少しでも時間があると省内を歩いて回っていた。大臣の真摯な姿勢に打たれ、ヘタをすれば自分たちを不利な立場に追い込みかねない官僚たちも次第に協力するようになった。

当時、荒賀泰太薬務局長は、仕事を終え、退庁を示すランプをつけた後で局内を探し回っていた。

さらにその資料の捜索に、全省のノンキャリアが動きだした。官僚の働きについて、キャリア官僚ばかりが注目されがちだが、実務を担当するノンキャリアの実力は侮れない。ノンキャリアの人事には、大臣も事務次官も官房長も口を出せない慣習になっていて、その裁量はノンキャリアの“ボス”に任されている。どんなに優秀なキャリア官僚でも、ノンキャリアをバカにするような態度をとれば、仕事ができない部下を集められ、出世レースから脱落してしまうのだ。ノンキャリアの支えがあって初めて、日本の行政機構は機能する。

95年末には厚生省のノンキャリアの“ボス”の指示により、全省が一斉に薬害エイズ資料を血眼になって探し始めたのだ。森井大臣と荒賀局長の執念がノンキャリアを動かしたのだ。

しかし、年が明けた96年1月11日、村山総理の退陣を受けて橋本内閣が発足。森井大臣は退任し、菅厚生大臣が誕生する。

大臣が代わっても、資料捜索は続いていた。2月に入り、とうとう官僚の一人が“郡司ファイル”を見つけた。背表紙にボールペンの手書きで「エイズ」と記されていたのを、当時のニュース映像で見た人も多いかもしれない。発見場所は、薬務局から遠く離れた保健医療局の地下の倉庫の資料棚の裏。古い木造の建物から現在の合同庁舎5号館に引っ越しする際に、棚の裏に置き忘れられていたらしい。

このファイルは薬害事件発生当時の生物製剤課長・郡司篤晃氏が私的にまとめていたメモで、ファイルにはナンバリングもなく、公文書でないことは明らかだった。発見当時の多田宏事務次官と山口剛彦官房長(2008年、元厚生事務次官宅連続襲撃事件で死亡)は、資料の分析の必要性があるとみて、官房会議にかけようと、新しく就任した菅大臣に報告に行った。

しかし、菅大臣は資料を取り上げ、内容を分析することもなく、記者会見で「官僚がずっと隠していたものが、私が就任したから見つかった」とファイルを公表した。もし、ずっと隠したいのなら、菅大臣に報告をする必要はない。菅大臣が官僚を裏切り、スタンドプレーに走ったのは明白だ。

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プロフィール

飯島 勲

いいじま・いさお●1945年、長野県辰野町生まれ。72年小泉純一郎衆議院議員秘書。永年秘書衆議院議長表彰、永年公務員内閣総理大臣表彰。小泉純一郎内閣首席総理秘書官。現在、松本歯科大学特任教授、駒沢女子大学客員教授。著書に『人生「裏ワザ」手帖』。

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