核燃料工場臨界事故続報:事故誘発作業手順判明(朝日新聞 1999年10月7日)

 事故は、九月二十九日に 起きていても不思議ではなかつた。
  

 「残りは明日やろう」事故前日の29日午後4時3人はいつも通りに作業を終えた。
 直径50センチ、深さ70センチの沈殿槽の底には、バケツ4杯分の黄色い液体がたまっていた。このときすでにJCOが定めた上限値の2.4キロはもちろん、臨界量の約8キロを超えるウラン9.2キロを合む溶液だった。臨界に達しなかったのは運がよかったからにすぎない。
 

 三人に指示されさ29日の作業は、バケツ7杯分。その日で終える予定だったが、午後から始まった作業は4杯分を入れたところで時間切れとなり、残り3杯分は翌日に延ばされた。
 前日に溶液を抜き取り製品化していたら、事故は起こらなかった。そのまま残したわけは、バケツ7杯分を均一な性質で出荷しなけれぱならなかったからだ。
 

 なぜ三人が沈殿槽を使ったのかは、なお分からない。
 被ばくした作業員の一人は茨城県警の事情聴取に 「早く仕事を終わらせたかった」と話したという。沈殿槽を使えは、3時間のかくはん作業が30分に短縮できる。貯塔の面倒な洗浄作業もしなくていい。

 「ウランの納期は11月下旬で急ぐ理由は見当たらない。JCOの聞き取り調査では、過去に沈殿槽にウラン溶液を注ぎ込んだことがある、という社員はいまのところいない。社員の一人 は「貯塔タンクを使っても、あとは別室で待てばいいだけ。沈殿槽を使って作業がそんなに楽になるとは 思えない」と話した。

 JCOが起こした臨界事故は、核分裂性ウランの濃縮度が18.8%と高かったことが、原因の一つになっている。ふつうの原発の燃料なら濃縮度は3−5%。同じ違法作業をしたとしても、臨界量には逐しなかった。事故の際に扱っていたウランは核燃機構の高速実験炉「常陽」用で、事故を起こした施設はほほ核燃機構の専属だった。常陽はなぜ、こんな濃縮度の高いウランが必要だったのか。
 

 ウランは、核分裂しやすいウラン235と、起こしにくいウラン238とが混ざっている。濃縮度とは、ウラン全体の中のウラン235の割合をいう。 天然ウラン中のウラン235の割合は0.7%と低く、このままでは原子炉に入れても核分裂反応は起きない。核燃料にするには濃縮度を高める加工をするが、普通の原発では3−5%で十分だ。
 

 ところが、常陽のような小さな炉では、中性子が炉外に逃げやすい性質がある。そのうえ、各種の実験用の材料を入れる空間を確保しなけれほならないため、燃料を十分に入れる広さもない。このため、燃料中のプルトニウムの量や燃えるウランの濃縮度がかなり高くないと臨界状態を持続できない構造になっている。
 

 常陽用ウランの濃縮度は1997年の運転開始当初は23%だった。その後、炉を改造して12%に
なり、さらに現在の18.8%と変わってきた。研究炉は一般に濃縮度が高いのが普通。
 常陽の燃料は、この高い濃縮度のウランをプルトニウムと混ぜてつくられる。その前に、粉末の8酸化3ウランを液体の硝酸ウラニルに変えるのがJCOでの工程だ。核燃によると「こちらからお願いしてJCOに設備を造ってもらった。転換試験棟は常陽以外の仕事はほとんどなく、事実上、専属の形」という。
 

 しかし、前回の常陽用の発注となると3年前。作業員の知識が少なかったのも当然だつた。
                                       
 JCO東海事業所は、原発燃料の2酸化ウランを製造する工場として1973年に操業を開始した。79年に住友金属鉱山から子会社として独立。事故が起きた「転換試験棟」は85年に稼働を始めた。高速実験炉「常陽」用の燃料加工が主な仕事だった。
 

 だが数年後にはシステムは「臨界事故」に向けて、ほころびを見せ始めていた。
 

 ウラン燃料の製造では、ウラン粉末を溶液に溶かす作業が必要だ。高さ2.2メートル、直径15センチの溶解塔というタンクを使うが、配管の底に液が残ってしまい、量がわずかに減ってしまうことがあった。
 

 「バケツに入れて、スプーンでかき混ぜれほ、簡単にできる」作業員が現場で「工夫」を思いついたのは10年前だ。
 作業員らは、ウランがスプーンでかき混ぜただけで、溶けることを知っていた。ゴム手袋にマスクをつけれほ、「そんなに危険ではない」と感じた。「手元だと作業がやりやすいし、濃度も正確に調整できた」と社員の一人はいう。容量約18リットルのステンレス製バケツは職場に欠かせない小道具となっていった。
 

 バケツの使用はその後、文書化されて「裏マニュアル」になった。少なくとも96年11月に改訂された社内マニュアルには明記されている。現場の責任者であった核燃料取扱主任者 は、それが国に届けた正規の手順から逸脱していることを知っていた。
 主任者は、見直しの必要があるのに「忙しさ」から放置したことを認め、「そういったところが本音です」と語った。
 「バケツ」の習慣化がなけれほ事故は起きていなかった可能性が高い。溶解塔は構造上、溶液は配管から自動的に貯塔に流れ込む。臨界を起こした沈殿槽には手作業でも流し込めない。
 

 三人の作業員は「裏マニュアル」まで無視して、沈殿槽のこぶし大の監視窓から大量の溶液を注ぎ込んだ。臨界を起こす量に達した瞬間、「青い光』が走つた。
 JCOの小川弘行・製造部計画グループ長は「バケツの慣習化がなければ、事故は防げたのか」と問われて、こう答えた。
  

 「ちょっとした変更が、間接的に大きな事故につながった。その通りかもしれません」

        


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