もう一つの311東海村動燃再処理工場爆発事故と原爆プルトニウム計画2011/04/05 17:51

実は、1997年3月11日にも原発事故があった。

この事故について詳しく書かれたHPがある。

以下引用

■日本の原子力史上、最悪の事故

1997年3月11日、茨城県東海村にある動燃再処理工場で爆発事故が発生した。敷地の外にまでプルトニウムなど長寿命の放射能を含めて放出された可能性が高く、その種類、量を正確に把握できないという深刻な事態になってしまった。

再処理工場は、原発の使用済み核燃料からプルトニウムや燃え残りのウランを死の灰と分離して取り出す化学工場である。燃料棒の中に封じ込められていた放射能を取り出して溶剤や硝酸などにより処理を行うので、普段から放出される放射能量も事故の危険性も、原発に比べて格段に高い。

今回事故を起こしたのは、低レベル放射性廃液をアスファルトと混ぜてドラム缶詰めにする施設であるが、「低レベル」といっても再処理工場での危険性は大きなものがある。これがもし仮に死の灰などを扱う中心部での爆発事故であったなら、被害はチェルノブイリを凌ぐものになっていただろう。

■事故を拡大した動燃の杜撰な対応

事故当日何があったのか、動燃の発表が二転三転するため、検証が難しいが追ってみよう。事故は午前中の「火災事故」と夜の爆発事故からなる。

午前10時6分頃警報が鳴り、2分後に低レベル放射能とアスファルトを詰めたドラム缶が燃えているのが確認された。現場の判断で行うべき消火作業を動燃職員の指示を仰いだ後、スプリンクラーを約1分間手動で作動させ、10時22分に消火したとされている。10数分間燃えるにまかせていたわけだ。わずか約1分間の放水だけでは消火が不十分であったことは間違いない。

この最初の段階で事故現場の「アスファルト充てん室」から放射能漏れが始まっており、1回目の爆発があったという説もある。真相究明が望まれる。

10時18分にはアスファルト充てん室を負圧に保つ空調がフィルターの目詰まりから止まり、放射能漏れが拡大していった。作業員に避難命令が出され、外部への放射能放出も検出されていたのもかかわらず十分な確認を怠り、「放射能漏れはない」との発表がなされる。

爆発にいたるまで火災報知器はスイッチを切ったままであった可能性が高く、1つしかない温度計も構造上の欠陥から測定できなくなっていた。当初消防職員に最初の火災の鎮火を確認してもらったと発表していたが、火災発生から3時間半後の午後1時34分から火元の周辺を見て回った消防職員ものぞき窓が真っ暗で何も見えなかったと証言している。この段階での対応がもっと適切であれば、外部への多量の放射能放出は防げたかもしれないだけに、動燃の責任は大きい。

高温になったアスファルトは可燃性ガスを発生する。空調が止まっているためガスは充満、午後8時4分頃に大規模な爆発に至った。鉄性のハッチや扉も吹き飛ばす凄まじい爆発は、多量の放射能を外部へ吹き飛ばした。

以上引用終わり。 全文は http://homepage3.nifty.com/ksueda/dounen.html

最近、毎日茨城県の放射能についてモニタリングポストを見ているのだが、茨城県の放射能は、福島第一原発と関係無いところで高くなっているところ、ありますよね。。 その原因について、是非記者さん達には探っていただきたいのですが、それはともかく、これが1997年の311原発事故です。

ちなみに、1997年にアジア経済危機が起きて世界経済は転換期を迎えました。

以下は広瀬隆が書いている原発と軍の関係である。

以下引用

第6章 日本最大の官僚組織・電力会社と軍需工場・三菱重工

知られざるプルトニウムの軍事利用計画

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 97年3月11日に発生した東海村の再処理工場爆発事故と、8月26日に発覚した東海村の廃棄物ドラム缶大量腐食放置事件は、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)と科学技術庁、自治体の茨城県の腐敗メカニズムを浮かびあがらせたが、ドラム缶以上に技術官僚と役人をここまで腐らせたのは、東京電力であった。  東海村の事故では、動燃がマスメディアの批判にさらされたが、実際に、東海村再処理工場を運転してきた黒幕は、最大の電力会社・東京電力である。97年現在、日本のすべての電力会社の連合体である「電事連(電気事業連合会)」の会長は、「東京電力」社長の荒木浩であり、彼が、高レベル廃棄物処分懇談会のメンバーとして、組織全体を統括してきた。  再処理工場は、高速増殖炉"もんじゅ"のためにプルトニウムを取り出すことを目的としている。その東海村の再処理工場と、高速増殖炉の運転責任者が、やはり「東京電力」の取締役・電事連副会長から「動燃」理事長となった近藤俊幸であった。 - - -  さらに、3月の爆発事故の1週間後に、青森県・六ヶ所村にフランスから第2回目の高レベル廃棄物が強行搬入されたが、六ヶ所村に日本全土の放射性廃棄物を集積し、プルトニウムを取り出す巨大な再処理工場を建設してきた「日本原燃」の社長が、やはり「東京電力」副社長から転じた竹内哲夫であった。この会社は、電事連が出資して設立したものであり、電力会社の子会社である。

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 すでに可能性ゼロと分っている高速増殖炉"もんじゅ"の開発に国税が大量浪費されることまで、この委員会によって改めて承認される、といス。しかしこの委員会には、那須翔が最も大きな声の委員として参加していた。この時点で、経団連を動かす東京電力会長である。

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  •  東京電力のプルトニウム支配体制 -

平岩外四会長経団連(会長) 1987年の国鉄資産処分審議会(委員長)として、旧国鉄債務28兆円をつくった責任者 プルトニウム抽出のための六ヶ所村核燃料サイクル計画推進リーダー。六ヶ所村に日本原燃を設立したときの電気事業連合会(会長)、すなわち最高責任者 泉井事件の石油公団顧問・日中石油開発監査役・アラビア石油監査役。 東京2信用組合破綻事件で右翼・四元義隆と懇談の噂

那須 翔会長 動燃改革検討委員会委員として、95年のプルトニウム高速増殖炉"もんじゅ"の事故と、97年の東海村再処理工場爆発事故処理の責任者 - 何も改革しない改革案をまとめた直後、動燃のドラム缶腐食放置事件が発覚し、委員としての当事者能力ゼロを証明

荒木 浩社長電気事業連合会(会長)経団連(副会長) 国家公安委員会委員 電気事業連合会(会長) 平岩外四のあとを継いで、プルトニウム抽出のための六ヶ所村核燃料サイクル計画推進リーダー

プルトニウム抽出のための六ヶ所村核燃料サイクル計画推進責任者 福島・柏崎におけるプルトニウム利用計画推進リーダー 高レベル廃棄物処分懇談会最重要メンバー 96年12月24日に自民党本部を訪れ、東北新幹線建設のための圧力をかけ、 97年度補正予算に、税金浪費の建設費を計上させた責任者

近藤俊幸取締役電気事業連合会(副会長) 97年3月11日の東海村プルトニウム抽出用再処理工場爆発事故および、8月26日にドラム缶汚染事故の動燃(理事長)として、国家予算の流用・虚偽報告をした最高責任者

竹内哲夫副社長プルトニウム抽出のための六ヶ所村核燃料サイクル基地を経営する日本原燃(社長)、すなわち最高責任者

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「日本の原子力産業は、軍事用のプルトニウムを確保するべきである」という考えが、日本の政界と財界に根強く残っている。

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岩崎弥太郎の姪が、三菱財閥の番頭をつとめた荘田泰蔵の母である。その息子の荘田泰哉が、現代に、われわれの見ている前で、動燃の理事となって、福井県敦賀市の高速増殖炉"もんじゅ"の開発に旗振り役をつとめてきた。いま示した東京電力のプルトニウム支配体制の背後にいる、日本の中枢一族である。 

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千葉県の農民の土地を強制的にとりあげて成田空港を建設し、成田闘争をひき起こした最高責任者「新東京国際空港計画」委員長が、やはり荘田泰蔵であった。この空港建設にも、全日空の若狭得治と、荘田の結びつきがあったのである。

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現在の青森県・六ヶ所村で、この三菱重工が主幹事会社となって建設してきた核燃料サイクル基地(再処理工場)が、プルトニウム兵器の製造のためであることを疑わない人間は、どこにもいないであろう。しかもそのプルトニウム「平和」利用の口実として必要不可欠な敦賀の高速増殖炉"もんじゅ"もまた、同じ三菱重工が主幹製造会社であった。

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三菱グループが56年に生み出した「原子燃料公社」が、11年後の67年に「動燃」に改組され、設立者として初代の理事長に井上五郎が就任した。井上ほど、この役職にふさわしい人間はいなかった。三菱財閥創始者・岩崎弥太郎の近親者だったからである。  そして今では、動燃・電事連・日本原燃のいずれの最高責任者も、東京電力の人間によって占められるようになった。 - -  動燃とは、電力会社や原子炉メーカーの隠れ蓑として存在する原子力機関であり、実際には、それぞれの出向社員で構成されている。

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 動燃が担当する廃棄物問題を考えれば、最終的に廃棄物処分をおこなわなければならない責任者は、実際に原子力発電所を運転し、廃棄物を生産している電力会社である。ところがその廃棄物の処理は、科学技術長と動燃と日本原燃に押しつけられてきた。

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順調に進むかに見えたプルトニウム生産計画は、95年12月8日、"もんじゅ"のナトリウム火災事故から破綻がはじまった。この事故のため、高速増殖炉の見通しがたたなくなり、プルトニウムを生産する口実を失ったのである。そこで東京電力は、急いで方針を切り換え、苦しまぎれに、自社の柏崎原発と福島原発でプルトニウムにウランをまぜて使う通称"プルサーマル計画"があると言いだし、何とかそこに逃げこんで、これまでの計画通り六ヶ所村のプルトニウム生産計画を進め、同時に高レベル廃棄物処分場を完成させようとした。  これは、全世界でウランが暴落している現在、経済的に通用しない説明であった。

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以上、広瀬隆『私物国家』より引用。

http://hozon-senmon.fateback.com/members_tripod_co_jp/saitatochi/61.html

まだよく分っていない読者の方に簡単に説明すると、原発っていうのは、核爆弾を保持する目的で作ったのね。

で、フランスとかアメリカに次いで日本は第三の原発所有国なんだけど、フランスとかアメリカは、土地が広くて、しかも地震が極めて起りにくい大昔の地盤があるわけですよ。

広くて大きな河もある。

だから、原発を海沿いではなく、川沿いに建てることも出来るわけです。

なんで原発が川沿いの立地でなくては駄目なのか?というと、原発テロの警戒が出来ないからですね。

そんなもん、海沿いに建てたらどこに何仕掛けられるか分らない。

でも、日本には地震が起きない場所も無かったし、テロ対策も全く出来ない海沿いに作るしか無かった。

ようするに、原発を絶対に建ててはいけないところに、原発建ててしまったわけです。 それを安全と言いきってしまった。 なぜなら、壊れて放射能がダダ漏れになると、誰も近づけないから、そのまま終了するしかないわけです。

だから、安全と言いきらないと、建設出来なかった。

でも、もちろん嘘だった。

そこから、全ての悲劇が始まっているわけです。

なので、嘘から始まっているので、ほとんど嘘なんですよ、原発とか地震関係の話って。

その証拠にテロの話とか誰も言わないじゃん。

原発事故のある部分は、事故ではなくテロだったと思いますよ。

上記の事故も311でしょ。

今回ではなく前にもんじゅの責任者が変死したのは1月13日でしたね、たしか。

もんじゅの事故は12月8日 リメンバーパールハーバーですよ。。

高速増殖炉"もんじゅ"とか東海村再処理工場っていうのは、原爆用のプルトニウム量産するための施設ですよ。

でね、他国がプルトニウム生産して原爆作ろうとしているのに、黙って見ている国ばかりなわけが無いんです。

だから何があっても不思議じゃないのです。

そんな初歩的な事さえ知らされていない日本人は、つくづく第二次大戦の時と同じだなあと思います。

で、日本が第二次大戦と同じ結末を辿らないために、どうすれば良いか?というと、まず、なんといっても、第一に、原発を出来るだけ早く停止しなきゃ駄目です。

そうしないと、日本は滅亡します。

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