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[28359] 【習作】チェス盤上の魔法少女 -Magical girl's on the Chessboard-
Name: T◆8d66a986 ID:f32134e0
Date: 2011/06/18 23:16
 チェス盤上の魔法少女 -Magical girl's on the Chessboard--

 題名はチェス盤の上で戦うという意味でつけました。
 いわゆる本物の人間を使ったボードゲームってやつですね。
 主人公は元男で現魔法少女です。TSですね。
 もしくは憑依かそれとも入れ替わりでしょうか?

 なぜか最近よく間違えて消してしまいます。困ったものです。
 感想を書いてくださった方々にお詫びします。
 ごめんなさい。





[28359] 第01話 『序盤戦(オープニング)』
Name: T◆8d66a986 ID:f32134e0
Date: 2011/06/17 22:58
 チェス盤上の魔法少女 -Magical girl''s on the Chessboard-

 第01話 『序盤戦(オープニング)』


 ――タッタッタ。
 薄ぼんやりとした暗い夜道。街の明かりがちらほらと輝いている。白と黒のシンメトリーが交差する壁。そして地面。
 その間を必死になって走っていた。
 手には黒い色の大剣。ずっしりとした外見とは裏腹に重さを感じない。
 (つうか、なんでこんなの持って走ってんの? 俺。訳分からん)
 学生服のまま、何か訳の分からない焦りに苛まれて、気持ちばかりが逸る。はあはあと自分が吐き出す息に混じって耳に届くのは銃撃音と剣戟の音。
 誰かが戦っている。遠く火花が散り、激しい音が耳に劈く。
 壁を砕きつつ、こちらに向かって吹き飛ばされてくる少女。ふわふわとした衣装がぼろぼろに引きちぎれる。

「大丈夫かっ!」

 とっさに助け起こす。ゴボッと息と共に口元が血を吐く。腹には大きな穴が開き、そこから大量の血が流れ出している。
 致命傷だ。医者じゃなくてもはっきりと解ってしまった。もうどうしようもない……。
 少女は弱々しい笑みを浮かべ、俺の方に向かって手を差し出す。

「こ……これを……」
「これっ?」

 差し出された手のひらの上には青い小さな宝石。
 受け取っては見たものの、少女は大きく息をしようとして血を吐き出した。幼い少女の顔は血の気が引き、蒼白となっている。ほんの少したれ目がちな目。長い髪は後ろで大きなリボンでくくられている。まだ小学生ぐらいか? 何もこんな子供が戦わなくても……。腹立たしさでギリッと歯軋りする。

「大丈夫か、しっかりしろっ!」

 医者を呼ぼうとして携帯電話を取り出した。ディスプレイは圏外の表示。何度ボタンを押してみても、どこにも繋がらない。

「どこへいったのかなぁ~? でておいでぇ~。噛み砕いてあげるからさぁ~」

 面白半分といった他人を馬鹿にしたような声が聞こえてくる。
 壁を砕き、地響きを鳴らして近づいてくる。砕かれた壁の一部が上から落ちてきた。
 少女を抱きかかえて、逃げる。だが、音は益々大きくなり、さらに近づいてくる。

「あいつを倒して、君を助ける」

 俺は剣を握り締め立ち上がった。

「ここにいたのかぁ~」

 背中に聞こえる化け物の声。
 吐き気を催す耳障りな音。アルミを噛んだ様なガラスを引っかいたような、嫌悪感を感じさせる気配。その場でくるりと向き直った。
 視線を上に向ける。目の前には歪な造形をした巨大なぬいぐるみ。くまのぬいぐるみを出来の悪いピエロにしたような? 剥きだしたギザギザの三角形の歯は作り物のようで生き物とは思えない。ガラスを嵌め込んだ赤い目。真ん丸い鼻。ふわふわとした手足にはアクリルのような光沢を持った爪が輝いていた。
 そいつが腕を振り回すたびに壁が崩れ、青白い炎が吹き上がる。

「我、ここに契約す。天に一つなる大いなるものよ。鳳の翼と大いなる剣もて、ここに苦しめる者を救いたまえ」
(何だ? これは? こんな言葉、俺は知らない。どうなっているんだ!)

 だが、滔々と俺の口は自分の意思に反して呪文を唱え続ける。訳の分からない言葉。分からない呪文。一体いつの間にこんな言葉を知ったのか? それすらも覚えがない。

「天の炎は闇を貫き、地上に降り注いで光と成す。天上の劫火。我に力をっ!」

 握り締めた青い宝石が光を放ち、砕け散った。
 キラキラと眩い光が俺の体を包み込む。青い光の中、握り締めた大剣を振りかざして、立ち向かう。力強く一歩踏み込み、思いっきりジャンプ。ぬいぐるみの顔にまで飛び上がった。大剣がぬいぐるみの太い腕を切り飛ばす。真っ白い綿が撒き散らされる。

「手が、手がぁ~」
「そのまま死ねっ!」

 のた打ち回る化け物。切り刻んでいく剣。あっという間に化け物は細切れになっていった。

「ぎゃあ~っ! 痛いよ。痛いよぉ~。苦しいよぉ」

 細切れになりながらも断末魔の悲鳴が聞こえ続ける。白と黒のタイルの上に散らばる綿埃。

「ふんっ」

 そう吐き捨て少女の下へ向かおうとする俺の耳に、別の少女の声が聞こえた。

「――危ないっ!」

 その声に振り向けば、化け物は床の上を蠢き、集まろうとしている。
 そして別の少女の姿。赤く輝いている姿。宝石のように光を反射するその姿に見惚れた。長く栗色の髪。整った顔立ち。空から下りてきた少女は俺の前に背中を向けて立ち塞がる。

「……お、おい」
「話は後」

 そう言うと彼女の周りで赤い光が輝く。眼も眩むような光。それがおさまる。周囲には何本もの茨が突き刺さっていた。
 (……銃? どうなってんだ?)
 彼女は両手で銃を構えると化け物に向かい撃ち始める。
 軽やかなステップを踏み、くるくると回る輪舞曲(ロンド)のようだ。回るたびに長い髪が靡き、赤い光が円を描く。いくつもの螺旋。くるくると回り続ける。
 撃ち抜かれぼろぼろになっていく。しかしそれでも、化け物は細切れになりつつも再び集まろうとする。

「……どうしたらいいんだ?」
(いったいどうすれば、こいつを倒せる?)
「本体を破壊する。それだけでいい」
「……本体?」

 撃ち抜かれていく化け物を良く観察していくと破片の中から小さな粒のようなものが飛び出しては、破片の中に飛び込んでいく。

「あれが本体」
「あんなに小さいのか?」
「だから難しい」

 そう言いながらも無表情に撃ち続ける少女。撃つたびに捨てられ、その度に新しい銃が茨の中から突き立つ。それを引き抜き、さらに撃つ。そうしてとうとう本体を銃弾が捉えた。撃ち抜かれる本体の粒。弾ける本体は光と共に落ちては消えていった。

「こいつらは一体?」

 白と黒のタイルが消えかかり、その下からアスファルトの地面が見え出す。壁もコンクリートに変わっていく。
 慌てて、死に掛けていた少女の方を見る。
 そこには誰もいなかった。血の跡すらない。さっきの少女の姿を捜し求めて、きょろきょろと辺りを見回すが、赤い少女の姿もまた消えていた。

(一体なんだったんだ……?)
 
 訳が解らなくなりそうだ。いや、本当に解らない。つい先ほどまで俺の体を輝き包み込んでいたはずの光も消えている。手に持っていた大剣もない。
 呆然と立ち竦んでしまった。

 ◇       ◇

 6月16日 AM6:50

 ピピッ、目覚ましの音が聞こえる。枕元に手を伸ばしてもいつものところに時計がない。
 ……ヘンな夢見たなあ。
 もぞもぞと薄目を開けて布団から顔をだす。
 ……あれっ? ここどこ?
 きょろきょろ部屋の中を見回す。見たこともない部屋。
 起きだしてみれば、いつもより視点が低い。部屋の内装も違う。まるで女の子の部屋だ。
 ピンク色のかわいらしいパジャマ。小さな手足。部屋の壁際に立てかけられている姿見に近づいた。
 そして――固まる。

 朝、目が覚めたら……女の子になっていました。つうか別人?
 理由?
 分かりません。
 現在大型の姿見の前で固まっている顔を見ながら頭の中はまっしろ……。
 これは一体何事ですか?

「しかしこいつどっかで見たことがあるような……気がする?」

 誰だったろう? 知ってる奴か? 自分の記憶にある自分自身とは明らかに違う女の子の顔。
 ジッと観察して見る。寝起きのせいか、ぼさぼさの長い髪。髪の毛は染めてない。眠そうな目つき。凛々しい眉。珍しく剃ってないのね。まあまだまだ小さそうだから、こんなものか。こうしてみると結構顔つきは整ってる。かわいらしい。うむ。美形といっていいだろう。不幸中の幸いだろうか? どうせなるならかわいらしく美人で良かった。なんというか、ちょっとかわいそうな感じだと悲惨だからな。
 部屋の中を見回してみれば……なんという少女趣味。今どきこんな女の子がいたとはっ!
 うむ。人は見かけによらないとはこういう事かっ! ピンクのひらひらレースが踊ってるぜ。それに大量のぬいぐるみ。
 ねこにゃんにゃんにゃん。いぬワンワンワン。かえるもあひるもがーがーがーっとくらあ~。
 クローゼットの中は……。

「おいっ! おいおいおいっ! なんだこりゃ?」

 なんて言うんですか~? どこのお嬢様だよ? これまたいつの時代ですか? 大量のお嬢様ルック。こんなの街中で見たことない。それとも俺の知らないところでお嬢様みたいな格好が流行っていたのだろうか?
 ……いつの時代?
 そうだ今いつだ? 慌ててカレンダーを見た。
 ほっとした。今年だったよ。良かった。良かったよ。昔だったらどうしようかと思ったぜ。
 で? 今いくつ? お嬢ちゃんいくつ? わたしの年は今何才?

「ヘイッ! 答えるんだベイべー」

 ビシッと指差して鏡の中に言ってみても答えるはずもなく。再び部屋の中を見回した。
 壁にかけられている制服。胸元に刺繍されている文字は私立海晴学園。

「おおっと、昨今では珍しいお坊ちゃんお嬢ちゃん学園ではないですか?」

 6、3、3で12年。小学校どころか幼稚園から高校まで一貫教育で有名な学園っ!
 う~む。今までの自分の生活とはまったく異なる世界だ。

「ああ~、神様。何の罪科で……何の落ち度があってこんな事に、なってしまったのお~。よよよっ」

 よよと泣き真似をしてみたところで、世界が変わるはずもなく。改めて自分が何者であるのか探り始めた。
 そうして出てきたのが生徒手帳。お名前は石塚葉月。年齢9才。ピカピカの小年生。

「あたし、女子小学生っ!」

 鏡の前でポーズを決めてみる。
 似合ってるところが我ながら空しい。いっそヘンだったら笑えたものを……。鏡の前でがっくり。
 ピピピッと再び目覚ましのアラームが鳴る。ベットの枕元に置いてあった目覚ましを止めた。時刻は午前7時。
 ふ~む。やはり学校へ行かねばならぬのか……そりゃあそうだろうが、だが、しかし……。どうしたものか? いや、行くのが嫌って訳じゃないんだよ。ただなあ~。小学校だろ? だけどどうして女の子になってるのかも分からないし、元の自分がどうなってるのかも知りたいしな。
 いそいそと着替え、た。
 ……おかしい。どうして俺は服や下着の場所を知ってるんだ?
 制服は分かる。壁に掛かっていた。だが、他の物も一発で見つけた。まるで考えるまでもなく知っていたように……どういう事だ?
 そもそも俺って誰だ?

「ふっ、はははっ。自分の名前を忘れるわけねえよ。俺は……」

 出てこない。いや、なんとなく覚えてる。名前は……そう。斉藤信一郎。そうだ斉藤信一郎だ。年齢は18才。受験に合格して今年から大学生になるはずだった。
 住所は天木市海晴町2丁目3-16。海辺を見下ろす高台にある新築住宅地だ。坂ばかりの土地、毎日自転車で必死に登って通った道を覚えている。しかし本当にそうか? 記憶が断片過ぎて確証がもてないでいる。それにここはどこだ。改めて考え出した。
 だが、いくら考えてもでてこない。俺はいったい誰だ?
 仕方なく部屋から出て、家の中を歩き出した。階段を下りる。一階ではごそごそと朝食の準備をする音が聞こえてきた。ごくっと喉を鳴らして音がするところへと向かう。改めて考えるまでもなく。今現在のこの姿は小学生だ。当然、親はいるだろう。当たり前の話だ。1人暮らしという事は考えにくい。台所にいるのは母親だろうか?
 廊下で立ちすくみ、どうしようかと必死になって考える。このままではいられない。だが顔も名前も知らない相手だ。少なくとも俺にとっては、だ。

「お、おはようございます……」

 意を決して声を掛ける。最後の方は小さく消え入りそうになってしまった。
 炊事場に向かってなにやらお鍋の中をかき混ぜていた女性が一瞬、ビクッと驚いたように反応し、そしておそるおそるといった感じで振り向く。振り向いたその顔は驚きで目を瞠っている。

「は、葉月ちゃん?」
「何か手伝うよ」

 素早くテーブルの上に並べられている茶碗などに目を向ける。ひのふのみっつ。よし、三人分、三人家族か。にこっと笑って母親らしき女性に笑みを向けた。
 20代後半の母親らしき女性は、精一杯の笑顔を見せ指先で鍋を示す。

「あ、ありがとうね。じゃ、じゃあお鍋のシチューを入れてくれるかしら?」
「うん。いいよぉ」

 おどおどしてる母親から鍋を受け取り、皿の中に入れていく。しかしこの人どうしたというんだろうか? 怯えが凄いぞ。チラッと盗み見をすれば、がくがく震えてる。必死になって堪えているみたいだが。
 小学生ぐらいの女の子の口調ってこんなもんだよな? 取り立てておかしい事はしていないはず。

 ◇          ◇

 並べ終わった朝食。
 起きだしてきたらしい父親。家族三人が揃い、朝食を取る。両親は俺……いや、この子がこの場にいることに驚きを隠せてない。
 一体どういう事だ?

「は、葉月……」

 父親らしい男は俺に向かって呆然とした口調で名を呼ぶ。手に持った新聞が震えている。
 だが、しばらくすると本当に幸せそうな笑みを浮かべた。くしゃくしゃと頭を撫でてくる。

「……良かった。良かった」

 一体何が良かったというのか?
 さっぱり分からないが、笑みを向ける彼らの目には涙が浮かんでいるようだ。
 そうして会話をしていくと、どうやらこの子は不登校児だったらしい。もう何ヶ月も部屋から出てこようとしなかったみたいだ。それが自分から出て来たのだから喜ぶのも無理はないと思うが、中身が変わっている事に俺としては申し訳ないという気持ちになってしまう。
 食事が終わり、俺は情報収集のためにも学校へと向かう事に決めていたのだが、両親は心配そうに……。

「学校へ行ける?」
「無理しなくてもいいんだぞ」

 などと言ってくる。
 まあ不登校児だったらしいので、その反応も致し方ないとは思うが、甘やかしすぎとも思えてしまう。俺としては記憶の中にある本来の自分の家も確かめておきたいのだ。ここはどうしても一旦家から出なくてはならない。

「大丈夫!」

 力強く頷き、何年も持った事もないようなランドセルを背負い。家を出た。
 バスに乗り込む。そこには同じ学園に向かう子供たちの姿がある。
 ああ、まさか自分が再び小学校へ通うことになるとは思いもしなかったぜよ。人生やり直しかよ。
 
 次の問いに答えよ。

 Q. もう一度、子供の頃からやり直せるとしたらどうしたいですか?

 A. 今度は一生懸命、必死に勉強する。

 という答えが多いらしい。
 大概の年食った人たちはそう言うそうだ。それだけ後悔する事も多かったのだろう。俺としてはそこまでの実感はないが、それがまだ大学に通う前だったからかもしれない。しかしそれでもあの時こうしていればと思う事も無いとはいえない。
 だから、もう一度やり直すチャンスが目の前にあるのなら、この機会にやってみるのも悪くないだろう。そうすればもう少しは良い所へ入学できるかもしれないのだから。
 ――やってやりますか。
 前向きなのが俺の取り柄だ。
 そう考えると気持ちが浮き上がってくる。うきうきした気分でバスの後部座席に座った。
 お隣には結構かわいらしい少女が座っている。この子も同じ学園に向かう子だと思う。制服も同じだしね。同学年か?
 金髪の髪をくるくると巻き毛にしてるよ。縦ロールってめんどくさくないか?

「おはよう」

 朝は元気のご挨拶だぜ。
 満面の笑みを浮かべて挨拶。

「ふんっ」

 うおっ、そっぽ向きやがった。なんてこったい。やな奴。
 その上、人の足を踏みつけてこようとする。とっさにかわしたが、こいつもしかしていじめっ子?
 なら遠慮はいるまい。そ知らぬ顔で足を踏み返したりなんかして、がんっと踏んでやった足を涙目で擦ってやがる。いい気味だ。ケンカ売るなら買ってやるぜ。掛かってきな、坊や。……ああ違うな、お嬢ちゃんか。

 校門を潜り教室へと向かう。
 凡その場所は分かる。自分の学年とクラスは分かってんだからな。大体こうだろうと見当をつけ、向かう途中でヘンなガキに出くわす。

「石塚ぁ~」
「おはよう」

 あいさつをして通り過ぎようとする。そうしたら通せんぼしてきやがる。こいつもか?

「はいはい、坊や。朝から元気だな。良い子だからちょっと場所どけや」

 頭をぽんぽん叩きつつ、脇にどかせた。
 そうしたらランドセルを掴んできた。良い度胸だ。おもむろに胸倉を掴んで引き寄せる。

「おい、ケンカ売るなら買ってやるぜ。表でるか? うん?」
「石塚、石塚。はっぱっぱ!」
「なんだそれ? おもしろくないぞ。センスがないな。お笑いはやめておいた方がいいぞ。才能が無い」

 胸倉掴んで首を軽く絞めていたら、先生が真っ青な顔でやってきた。

「石塚さん。やめなさい!」
「はいはい」

 手を離してやるとガキは泣きそうな顔で睨んでいる。

「おめえよ、ケンカ弱いんだからいきがるのはやめとけよ。しまいには大怪我するぞ。死んでからじゃあ泣きたくても泣けんからな。生きてるうちに頭使えよ」

 そう言うとガキは泣きそうな顔のまま、逃げてった。このへたれ!
 しっぽ丸めて逃げるぐらいなら最初っからケンカなんか売るな!

「石塚さん、どうしてこんな事をするの!」
「売られたケンカを買っただけです。誰にでも正当防衛の権利はあります。先生は正当防衛の権利を認めない人ですか? 殴られてもやられっぱなしでいろと? 基本的人権は? 生存権の主張は? 自己防衛は? それら一切合財認めないと言うなら、ご自身にも降りかかってくることにもなりますが、どうですか? まさか基本的人権を認めないとでも言う気ではありませんよね?」
「い、石塚さん……」

 先生の顔がなにやら真っ青になってるが、そんな事は知ったこっちゃ無い。

「まあ、こちらからケンカ売ることはないですから、その点はご安心を。やる時は我が身に降りかかる火の粉を振り払うときだけです。それをお忘れなく。では失礼します」

 そう言って立ち去ろうとして、思い出した。
 振り返って、にこやかに笑う。

「先生、おはようございます」

 教室の中に入ると、バスの中で出会ったあの少女がいた。
 お約束って奴でしょうか? さしづめあのガキもか、と思い。探してみればやはりいる。

「ふむ。結構楽しそうじゃないか……?」

 にんまりと笑って近づく。その子の席の隣に立ち、にこやかに笑ってあげる。名前も知らない子だけど、元々の葉月ちゃんは知ってたんだろうな。

「おはよう。改めて自己紹介しておくね。石塚葉月だよ。よろしくね」
「――えっ!」

 鳩が豆鉄砲を喰らったように驚いた顔をしてる。

「ほらほら、お名前は? なんて言うの?」
「な、なんであんたなんかに?」
「言えないのかな? どうして、自分のお名前でしょう。恥ずかしいの? わたしは石塚葉月だよ。あなたはだあれ? ななしさんなのかな? お名前ないのかな?」
「そ、そんな訳無いでしょうがっ! あたしは杉原美由樹よ!」

 がたんっと大きな音を立てて、杉原美由樹は立ち上がった。
 両手を掴んでぶんぶん振りつつ、笑ってあげる。

「そう、みゆきちゃんね。これからよろしくっ!」

 そうして教室の中を見回し、大声で言った。

「みんなもよろしくねっ!」

 ◇          ◇

「わたしは大槻舞です。みんな、これからよろしくねっ!」

 HR
 授業が始まるまでのあいだに転校生の紹介があった。
 長く栗色の髪。整った顔立ち。夢の中で出会った少女だ。多分そうだと思う。
 俺はその事に内心冷や汗を掻いている。
 一体どういう事だ? どうなってんだ。さっぱり分からん。
 にこやかに笑うその姿に違和感があった。何というのか、同類だから分かるとでも言うように……。
 もしかして奴も中身は俺と同じなのか? やつも俺の存在に気づいたらしい。授業中、ちらちらっと視線を送ってくる。

 ――セ・ツ・メ・イ・ハ・ア・ト・デ・ス・ル。

 唇の動きだけで知らせてきた。
 それに頷き、授業に集中していく。と言っても、高々小学3年の授業だ。大した事はなくとも忘れてしまっているところも多々あった。我ながら不思議だが。まあ、復習していると思えばなんと言うことも無い。真面目に授業を受けている。
 休み時間もお昼休みも、上手く捕まえられない。さすがに相手が転校生ともなれば、周囲には物珍しげな子供たちの姿が途切れなかったのだ。
 俺の方もなぜか、杉原美由樹がなにかと誘ってくるようになっていた。
 お昼休みに一緒にお弁当を食べる。それも屋上でだ。深刻そうな表情で誘ってきた美由樹は屋上に着き、周りに誰もいない事を確認すると開口一番。俺に謝ってきた。何事かと思えば、今まで虐めてきた事に対してらしい。

「それはもういいよ。許してあげる」
「あ、ありがとう。でもね……あんただって悪かったのよっ! あたしがいくら誘っても無視ばかりするんだから!」

 言い訳のようにも聞こえるが、いわゆる第三者的立場である俺からすれば、仲良くなりたいと思って何かと誘い続けても無視され続けると今度は可愛さ余って憎さ百倍になってしまったのだろう。良くある話だ。
 つまり元々葉月も大していい子という訳ではなかったみたいだ。人の気持ちを踏み躙るところもあったらしい。そう思って今朝の両親の顔を思い浮かべてみる。
 ふむ。甘やかし過ぎたみたいだな。あの両親では仕方あるまい。
 自己反省も度を過ぎない程度には必要だ。この子とも仲良くしておこう。和気藹々とした雰囲気の中お弁当の交換などをしてみたりする。付き合ってみればこの子ともいい友人になれそうだしな。

 予鈴の鐘とともに立ち上がり、仲良く手を繋いで教室へと戻っていく。
 途中で大槻舞が廊下に立って話をしているところに出くわす。目が合うとお互いにふっと笑って、通り過ぎた。そんな俺たちの様子に美由樹ちゃんはなんとはなしにむすっとした表情を浮かべていた。

「どうした?」
「あんたさあ~意外と八方美人なの?」
「そうでもないと思うけど」
「ふ~ん、さっきだってあの舞って子と二人で意味ありげに笑ってたよね」
「仲良くなれそうだからね。もちろん、美由樹ちゃんともね」
「な、なによ。二股ってやつなの?」
「お~い。女の子同士で二股はないんじゃないかな~」
「あ、あたしはそんなの許さないからね!」

 美由樹ちゃんは俺の手を振り払い走り去っていってしまう。途中で振り返ってい~っとしている。それがどうにもかわいらしく感じていた。
 あ~、子供はかわいいねえ。くすくす笑いながら、後を追いかけようとしたその時――。

 ――廊下が色を失った。
 周囲が白と黒のシンメトリーに覆われていく。足元も壁も格子状のタイルに変わる。美由樹は走る格好のまま動きを止め固まっている。舞と話していた少女たちも同じだ。
 ここで動いているのは俺と舞だけだった。

「まいっ!」
「来るぞ!」

 その声と共に廊下の端に少女が姿を現す。一見して小柄なくせに周囲を威圧するようなオーラを纏う。一歩踏み出すたびに重い足音。まるで岩が動いているような重さを感じた。どこかでカチカチと時計の音が耳に飛び込んでくる。やたらと耳障りだ。

「こいつは何者なんだ」
「城壁《ルーク》だ」
「城壁《ルーク》?」
「俺たちはチェスの駒と同じだ。それぞれ駒の種類によって与えられている能力は違う。俺もお前も兵士《ポーン》だからな。気をつけろよ。やつは……」

 舞が言い終わる前に踏み込んできた。その踏み足の速さに城壁《ルーク》の特性を思い出していた俺は反応しきれずに吹き飛ばされる。

「ぐっ!」

 廊下の壁に叩きつけられ、一瞬息ができない。
 そうかそうだったよな。城壁《ルーク》っていうのは、飛車と同じで、直線ならいくらでも盤上を動けるんだったな。兵士《ポーン》は1マスずつしか動けないと言うのに……。この場合、俺たち兵士《ポーン》は自分の足で動くしかないが、やつは駒の補正があるって事か!
 しかしそんな事より、武器だ。武器が欲しい。こいつを倒せる武器が!
 思い出せ、あったはずだ!
 夢の中で持っていただろう!

「来いっ! 俺の剣!」

 絶叫と同時に剣が手の中に納まった。背丈よりも大きい剣。黒い刀身。ずっしりとした外見に反して重さを感じない。剣が現れると共に光が溢れ、俺の周りを取り囲む。
 キラキラと輝き、一瞬にして衣服が変化する。夢で見た少女が来ていたような服。おかしさに口元に笑みを浮かべてしまう。白を基調としたかわいらしい魔法少女が廊下に立っている。
 それが自分の事だとは思いたくなかったが、そんな余裕は与えられていないらしい。
 剣を振りかぶって叩きつける。甲高い音がするが、びくともしやがらねえ。とんでもなく堅い防御障壁があった。

「なんつう固さだ」
「城壁《ルーク》だからな。防御力と機動力は俺たち兵士《ポーン》より上だ」
「ずっる~う。なんとまあチートな事で」
「これぐらいでチートとか言うな! 他の奴らはもっとずるいぞ。特に女王《クイーン》なんぞ。あれこそチートというべきだ」

 二人掛りで攻撃してはいるものの中々難しい。というのもやつの攻撃から逃げるのが精一杯だったからだ。速い。速いなんてもんじゃなかった。あっという間に目の前にいやがる。もっとも単純な直線的攻撃――体当たりしかなかったが……。これも城壁《ルーク》の特性だろうか?

「こいつを倒す方法とか無いのか!」
「こちらの攻撃がやつの防御力を上回れば打ち崩せる」
「そんな事ぐらい分かってる。その攻撃方法だ! 魔法少女だろ? なんか必殺技とかないのか?」
「あると言えばあるし、無いと言えば無い」
「なんだそりゃ~っ、どっちなんだ?」
「自分で考えろ! 倒せるような技を構築するんだ。強く思えば具現化する。例えばお前のその剣のように。限界はあるけどな!」
「それでお前は銃なのか?」
「そうだ。連射するために何本もの銃を回りに用意できるようになったんだ」
「その辺りが限界なのか?」
「兵士《ポーン》の悲しいところさ」

 逃げ惑いながらの会話はこの辺りで中断されてしまう。
 とにかくこの野郎をなんとかしなければ!
 狭い廊下の中、俺たちが隠れるような場所もなく。盾にできるようなものも無い。
 やつの動きが一段と速まり、先ほど舞と会話していた女の子たちが突風に巻き込まれ壁に叩きつけられた。どくどくと真っ赤な血を流している。それでも動きは止まったままだ。このままでは死んでしまうだろう。
 なんという理不尽。腹立たしさが込み上げてくる。

「こんなくそ狭い場所で現れやがるから……。ましてやチェスだのなんだのいうなら、駒のみを狙えばいいものを、関係ないガキを巻き込みやがって!」

 俺の後ろには美由樹がいる。
 まったく動けないままここにいる。逃げるわけにはいかない。なんだかんだ言っても、俺がこの姿になって初めての友達だ。
 ――だから、ここで止める。

「お、おいっ、どうするつもりだ?」

 舞は俺の行動に驚いている。

「強く思えば、具現化するんだろ?」
「確かにそうだが……」
「兵士《ポーン》が城壁《ルーク》より弱いなんて誰が決めた?」

 強く剣を握り締める。
 後ろには美由樹。目の前には血を流して倒れている同級生たち。時間は無い。

「相打ち狙いで一撃で決める。掛かって来い!」

 やつは俺の動きを見つめていた。隙を狙っているのだろうか?

「どうした? びびってんのか? お強いんだろ。いいから来いよっ! へたれが!」

 俺の言葉と共にやつが動き、飛び込んでくる。
 具現化、具現化、具現化――。やつに勝てる技。倒しきれる技。
 近づいてくる。
 速い。
 スピードはさらに速まる。
 もはや目でも追えない。
 もうただの勘だ。動きの軌跡を感じる。

「――一刀両断」

 頭の中に思い浮かんだ言葉と共に振りぬく速度がやつの速さと重なった。
 俺の剣はやつの防御障壁を切り裂き、両断する。砕け散る障壁。
 城壁《ルーク》はガードを失った。
 今がチャンスだ。
 止めを刺そうとして、一瞬やつと目が合う。
 ――こいつも同じだ。
 俺たちと同じように勝手にチェスの駒にされた。好き好んでなった訳じゃない。
 俺だってそうだ。気がついたらこうなっていた。
 理不尽な……。
 だから……躊躇ってしまった。
 その代償は俺の腹を貫く刃が教えてくれた。
 ――熱い。
 痛いというよりも熱い。灼熱の熱さが腹を抉る。

「このバカ!」

 刃が引き抜かれ、倒れた俺の目に舞がやつに止めを刺す場面が映った。
 激しい銃撃音と共に急速に白と黒のシンメトリーが消えていく。チェス盤ではなく、学校の廊下が目に入ってくる。それを確認したとき、俺の意識は真っ暗な闇の中に落ちていった。それと共に耳障りだった時計の音も止まる。



[28359] 第02話 『The Queen's Croquet-ground』
Name: T◆8d66a986 ID:f32134e0
Date: 2011/06/17 23:00
 チェス盤上の魔法少女 -Magical girl's on the Chessboard-

 
 第02話 『The Queen's Croquet-ground』
 
 6月16日 PM14:30

 意識を取り戻したとき、俺の目に飛び込んで来たのは大槻舞の顔だった。
 心配そうで怒ったような表情。

「お前はバカか?」

 目が合った瞬間いきなりそんな事を言いやがる。
 その言葉を無視して見渡せば白い部屋。どうやら保健室らしい。

「あの子たちは無事か?」

 白い保健室。そこから連想が始まり、脳裏に真っ赤な血に染まった同級生が思い浮かぶ。

「ああ、お前よりかはな。腹の具合はどうだ?」
「そう言われると腹を壊したように聞こえるな」
「そっちの方がまだマシだ。まあ、お互い魔法少女同士だ。治癒ぐらいならできるからしておいたが、今日は大人しくしておいた方がいいぞ」

 そう言われて腹を擦ってみた。抉られたはずの腹は綺麗に塞がっている。シャツを捲って見てみても同じだ。どうやら助かったらしい。

「それにしても治癒ができるなら、あの子たちにも掛けてやればいいのに……」
「あほう。お互い魔法少女だから治癒ができるんだ! 他の……普通の人間にはそんな真似はできないんだよ」
「そんなものなのか?」

 不思議に思ってしまった。魔法少女って言うから、普通に魔法が使えるものだと思っていたよ。
 そう言ったら、舞は「はぁ~っ」とこれ見よがしにため息をつきやがった。

「……お前、なんも知らねえのな。それでどうしてなっちまったんだ?」
「魔法少女になった訳か?」
「ああ、お前もおそらくだが、夢の中でなったんだろ? そん時、死に掛けた少女から宝石を受け取っただろ?」
「そういえばそうだな。それで?」
「そん時、聞いてねえのか?」
「聞いてないな、相手は死にかけてたし……見たのも昨日の晩だからな。調べてる余裕も無かった」
「そうだったのか、俺のときより酷いな。昨日会ったから、顔ぐらいは分かっていたが」

 舞は保健室に置かれてあったインスタントコーヒーを勝手に作り出すと、俺にも差し出してきた。
 お互いブラックだ。
 妙な光景だろう。小学3年の女の子が二人して、保健室でブラックのコーヒーを飲むというのも。お互い平気ぽいところがさらに異様にすら思える。実際にそうなんだから仕方が無いが。
 一口飲んで、二口目。苦味が舌に残る。

「お前、チェスはした事あるか?」

 ふいに舞が問いかけてきた。何の事だ。と思ったが、そういえばこいつはさっきの戦いの中、俺たちはチェス盤の駒と同じだと言ってたな。

「いや、した事は無いな。ルールぐらいはおぼろげに知っちゃいるが、将棋と似たようなもんだろう?」
「まあな。チェスと将棋は元々同じようなゲームから発生したらしい。最大の相違点は取った駒を再利用できない事だな」
「それは知ってる」
「このゲームを始めた奴がどんな奴なのか俺にも分からんが、将棋のルールではなく、チェスにした訳ぐらいは推測できる」
「ほう~、それぐらいは想像できるな」
「お前にも分かるか?」
「ああ、死んだ人間は生き返らない。そうだろう?」
「そうだ。だが、ここでまた違う、疑問ができる。俺もお前も死に掛けた少女から宝石を受け取る事で魔法少女になっちまった。これっておかしくないか?」
「言われてみれば、そうだな……チェスのルールからしてみれば……試合が進むにつれ、駒の数は減っていくはずだ。宝石を渡す事で魔法少女が入れ替わるというなら、駒の数は減らない。つまりゲームは終わらない。という事か!」
「それに俺も王様(キング)に会った事はない。敵側の女王(クイーン)には一度出くわした事があるがね」
「どうなった?」

 舞はソッポを向くとさらにもう一口コーヒーを飲んだ。顔色が悪くなった。思い出しているのだろか? それほど恐ろしい相手だったのか?

「ほうほうの体で逃げ出したよ。勝てるなんて思えなかった。あれこそまさしく、チートってやつさ。言い換えれば化け物だ」
「……そうか、それにしても王様(キング)に会った事はないのか? これでどうやってゲームを終わらせる事ができるんだろうな」
「そこだ。このゲームのおかしいところは! 今まで俺が会った事のある魔法少女はそう多くは無い。チェスを模倣しているのなら、最低でも白黒合わせて32人いるはずなのに、全員が揃う事は無かったぞ。少なくとも俺の知ってる限りは、だ」
「そいつも不思議だが、そういえば、チェスには王様(キング)・女王(クイーン)・僧侶(ビショップ)・城壁(ルーク)・騎士(ナイト)・兵士(ポーン)があるよな。城壁(ルーク)は今日出会って戦った。他の駒はどんな感じなんだ? 特性とか教えてくれ」

 俺がそう言うと舞はごそごそ紙とペンを持ってきた。紙の上に駒の種類を書き出して、説明していく。俺もまたベットから身を乗り出し、見入っている。

「ついさっきも言ったように俺も王様(キング)には会った事はない。だから分からない。だが取りあえず俺が知ってる程度の事は教えてやるよ。俺もあんまり詳しくないがな……。まず女王(クイーン)とは出会ったことはある。女王(クイーン)はほぼ無敵といっても過言ではないだろう。流石最強の駒だ。機動力、防御力、攻撃力。そのどれもが最強クラスだったよ。城壁(ルーク)は戦ったから、お前にも想像がつくだろうが、動きは直線的だ。攻撃も単調だしな。厄介ではあるが勝てないってほどではない。むしろ僧侶(ビショップ)の方が厄介だ。こいつはたぶん、お前が想像しているような魔法少女だよ。多彩な魔法攻撃をしてくる。一人で戦おうなんてするなよ。出くわしたら逃げる事に専念しろ! 時間切れを狙うんだ。お前も時計の音を聞いたろ? だいたい5分から10分ぐらいだ」
「そんなもんか? もっと長いように感じたが……」
「そりゃあ戦ってる最中はそうだろうよ。だが、客観的にはそれぐらいの時間でしかない」

 時計の音か、耳障りな音をこいつも聞いていたんだな。あれは長考時間か、試合時間なのだろうか?
 本気で俺たちはゲームの駒なのか……まったくなんて話だ。

「それで騎士(ナイト)はどうなんだ?」
「騎士(ナイト)か……。こいつは僧侶(ビショップ)とは違う意味で厄介だぞ。純粋な戦闘力という点ではこいつが一番かもしれん。兵士(ポーン)以外の4つの駒の関係を簡単に言うとだ。一番防御力が高いのは|城壁(ルーク)だ。僧侶(ビショップ)は魔法力が高い。騎士(ナイト)はパワーがある。だがな……強いのは女王(クイーン)だ。それを忘れるなよ」

 強いのは女王(クイーン)……。その言葉が俺の心に氷のように突き刺さった。言いたい事が解った。城壁(ルーク)よりもガードは弱い。魔法も僧侶(ビショップ)に劣る。パワーは騎士(ナイト)に劣る。だが最強は|女王(クイーン)。ようするに一点ずつ上回る部分はあっても総合的に他の4つは女王(クイーン)に劣っているのだ。バランスが良いタイプだな。きっと……。

「それで残るは俺たちと同じ、兵士(ポーン)だな」
「兵士(ポーン)はこれだ。とは一概に言えない。俺とお前でも使う武器は違うだろ? 十人十色だ。まさかと思うような武器を使う奴もいたぞ。傘とかな……」
「傘ぁ~?」
「そうだ。傘だ。もっとも傘に銃が仕込まれていたが」
「あと、夢の中で出くわしたあのくまのぬいぐるみな、あいつはいったいなんだんだ?」
「あれこそが、僧侶(ビショップ)の使い魔だ。あんな使い魔をいくら倒しても僧侶(ビショップ)は倒せない。別の場所にいるから……」
「それにしても何で俺たちは女の子になっちまったんだろう? ここも分からんな」

 舞のやつはカップに口をつけたまま、無言で俺を見つめてくる。もしかしてこいつは元々から女だったのか? 女の子になったのは俺だけなのか? じっとりと嫌な汗が背中を伝う。

「こいつもただの推論だぜ。正しいかどうかも判らない。そいつをまず分かってくれ」
「うん? なんだ?」

 ジッと見つめてくる。どうしたんだ?

「兵士(ポーン)には昇格(プロモーション)というルールがある。敵陣の一番奥にまでたどり着くと駒の役割を変える事ができるようになるんだ。たいがいは最強の駒である女王(クイーン)になる。男のままじゃあ女王(クイーン)にはなれん。俺たちを女に変えた奴は昇格(プロモーション)の可能性だけは与えたらしい。なった奴に会った事はないし、聞いたこともないがな」
「可能性か……その為に前もって変えておいたと?」
「そうかもしれんし、中身を入れ替えただけかもしれん」

 嫌な空気が流れる。チェス盤上の駒。自分達がいつのまにかゲームの駒にされてしまっている事に苛立ちと腹立たしさを感じていた。

 ◇          ◇

「葉月!」

 俺たちが無言で見つめ合っている最中、嫌な空気を吹き飛ばす勢いで美由樹が飛び込んできた。
 はあはあと息を切らせ、心配そうな表情を浮かべる。

「美由樹ちゃん。どうした?」
「ど、どうしたって……、あんたが保健室に運ばれたからって心配してきたのよっ! なに平気そうな顔してんの!」

 勢い余って空回り。そんな言葉を思い浮かべてしまうほど、美由樹は慌てている。
 両手を振り回して詰め寄ってきた。がくがく揺さぶられる肩。頭が揺れる。

「ちょっと気分が悪くなっただけだよ」
「そう? でも平気なの?」
「うん、平気平気。大丈夫!」

 グッとガッツポーズを取ってみせる。ほっとしたような笑みを浮かべ見てくる美由樹は、舞がこの場にいることにようやく気づいたようだ。
 一気に敵愾心を露にする。

「やっぱり二股かぁ~っ!」
「だから! どうしてそんな話になるのかな?」
「うっさい!」

 素早く枕を取り上げるとそれでもってぽかぽか叩いてくる。
 女の子同士だというのに……なんで二股だとか言う話になるんだろう? 分かんねえな~。女って面倒だ。ちっちゃくっても女は女か。

「まあまあ。杉原さんも落ち着いて、ね?」
「うう~っ!」
「威嚇すんなっ!」

 がるる~っとばかりに舞を睨みつける美由樹。頭から湯気が出てやがる。
 俺の腕を引っ張って舞から引き離そうとしている。直情的な好意の表れ。まだまだ子供なだけにそんな態度もかわいらしい。美由樹からは見えない位置で俺と舞が苦笑いを浮かべる。軽くアイコンタクト。頷き合い肩を竦めた。

「はいはい。お邪魔虫は退散しますよ。じゃあね、葉月ちゃん。バイバイ」
「ばいばい」

 お互い手を振って舞は保健室から立ち去っていく。
 後に残されたのは俺と美由樹。まさかこんな子だとは思わなかったよ。独占欲が強いんだな。軽く頭を撫でてやると嬉しそうににっこりと笑う。無邪気な笑みがかわいらしい。こうしてると可愛いんだけど……。

「……葉月。今日は一緒に帰ろうね」

 振り返って見てくる美由樹の目が訴えてる。断らないで、と。なんだろうか?
 なんだか溺れかかった者が必死になってしがみついてくるようだ。そのあまりに必死な態度に、疑問さえ浮かんでくる。

「いいよ。一緒に帰ろうか? 今日は美由樹ちゃんとデートさ」

 軽く言ってみる。その途端、真っ赤になった美由樹がわたわたと慌てて枕を振り回す。

「あ、あんた。いきなりなに言い出すのよぉ~!」
「ははは、ごめんごめん。美由樹ちゃんがかわいくてからかっちゃった」
「もう、知らない。知らないんだから!」

 ベットから飛び降りた美由樹はどすどすと音を立てて保健室から出て行ってしまう。派手な音を立て扉を閉める。照れ隠しにしては派手だな。立ち去っていく美由樹を見送りつつそんな事を思う俺である。
 さあ、これからどうするか?
 そんな事を思いながらベットに横たわり、眼を瞑った。

 ◇          ◇

 戦って王様を探し出し、チェックメイト。もしくはスティルメイトにまで持ち込む。
 これしかないだろう。
 時間切れがどういう扱いになっているのかも分からないし、ゲームの終了もまた条件が分からない事だらけだからだ。
 ならば、チェスのルール上。勝利を目指すしかない。もしくは指し手を探し出して叩きのめす。
 ゲーム盤自体をひっくり返す方法を探さなければならない。

「差し当たりは生き残る事。これを目的にするしかないか……」

 放課後、隣には美由樹がにこにことした笑みを浮かべて歩いている。街中は天気も良く。すれ違う人々も陽気に見える。
 満面の笑みは見ていて、気持ちがいい。あれやこれやと二人して店を覗き込んでいく。本当にデートみたいになっちまってる。
 なんで、こうなったのかねえ~?
 俺としては元々住んでいたはずの家を見に行きたかったのだが、そういう訳にもいかなくなった。
 舞は授業が終わるとさっさと帰っていく。帰りしな、また明日な。と言ってケイタイの番号だけは交換しておいたが、夜には連絡がきそうだ。

「葉月~、今度はあそこへ行こうよぉ」
「はいはい」

 美由樹は目一杯甘えてきそうな気がする。本当にこんな子だったとは思わなかったぜ。アイスを舐めながらそんな事を思っていた。
 道端でシルバーアクセサリーを器用に作っている女性の手つきを真剣な表情で見つめる美由樹。何がそんなに面白いのだろうか? 俺などはそう思ってしまうんだが。

「――お嬢様。お迎えに上がりました」

 背後からいきなり声を掛けられ、ビクッとしてしまった。
 振り返れば黒服を着た運転手。一体どこの金持ちだよ。思わず周囲をきょろきょろと見回してしまう。

「葉月? なにしてんの?」
「いや、どこのお嬢様を呼んだのかなって、思ったんだよ」

 美由樹がジッと見つめてくる。その表情はほんの少し呆れているようだ。
 しきりに自分の顔を指差してる。もしかして君の事かな? まさかね~そんな事~ないでしょう~。

「あたしがお嬢様じゃあ、なにかおかしい?」

 むっと頬を膨らませていた。ぷく~っと膨らんだ頬。思わずつんつんとしてみたくなる。

「お嬢様?」
「ああ、気にしなくてもいいわ。この子はあたしの友達だから」
「そうでございますか」

 美由樹がそういった途端、運転手の俺を見る目が優しくなった。
 その上、しきりに車に乗るように勧めてくる。美由樹もまた、送っていってあげるわ。と言い。仕方なく後部座席へと乗り込む。

「葉月の家って、坂の下よね?」
「ああ、海岸線沿いだな」

 生まれて初めてリムジンに乗ったぜよ。ふかふかのシートが心もとない。もうちと固い方が良いのではないか? ふかふかしすぎて、体が固定されない。俺からしてみればさほど乗り心地が良いとは思えなかった。
 もっとも貧乏舌である俺の事だ。高級なプリンより安物の方が好きなのと同じように、高級車が合わないだけなのかもしれなかったが……。

 ◇          ◇

「今日は送ってくれてありがとう」
「どういたしまして、また明日ね」
「また明日」

 俺と美由樹は挨拶を交わして別れる。
 見送る俺とリムジンの中から手を振り続けている美由樹。今日一日だけだったけど、あの子とは本当にいい友達になれそうだ。元々の葉月もそれに気づいていれば良かったのに、そう思わざるを得ない。
 人はすれ違う。心もすれ違う。その場その場で最善と思える事をしていきたい。と思うのに、そうやって来たはずなのに、どうしてそれが幸せに結びつかないのだろう。
 目の前にある理不尽を思うたびにそう思ってしまうのだ。
 好きでゲームの駒になった訳ではない。
 振り返り、見上げる家の明かりは幸せの象徴だろうに、なぜかそれを遠く感じている。

「おかえり、葉月」
「ただいま」

 温かい家。迎え入れてくれる両親。
 同じ場所にいて、同じ空気を吸い。同じ家にいるのに立っている世界が違う。
 朝この家を出るときにはこんな事思いもしなかったよ。
 三人で食事をして、お風呂に入り、自分の部屋へと向かう。
 姿見の前。鏡に映るのはまだ幼いといってもいい少女。こんなガキが命を張って戦うんだ。

「理不尽だよな」

 これが以前の俺ぐらいの男ならどうという事は無い。怖かろうが嫌がろうが、そんなものは自分で何とかしろと言いたくなる。
 だけど……ガキは違うだろ!
 大の男が殴り合いをしようが、殺し合いしてようが、そんなの知るか! 勝手にしてろ!
 実のところ、俺が俺のままで戦うのなら……悩んだりはしない。力づくでも指し手を探し出して殴り飛ばす。それだけだ。

「ごめんな……俺は君を傷つける。君の命を危険に晒す。もしかしたら死ぬかもしれない。今まで生きていた時間生きられた時間を俺が奪った。俺は君の存在を奪った。そしてこの手を血で汚そうとしている。申し訳ない。謝る事しかできないが、許してくれ」

 他人の体で戦う。これが何よりも理不尽に感じている。傷つくのも痛いのも他人の体だ。それが嫌だ。戦うのなら怪我も死すらも自分持ち。そうだったはずだろ?
 だけど怪我をしないよう、傷つかないようになんて戦えない。
 ベットに腰掛け、眼を瞑った。
 
 6月16日 PM21:45

 カチカチと時計の音が聞こえる。耳を澄ませば、1階で両親の笑い声が聞こえてくる。

 ――カチカチカチ……。

 カチッ。どこかでスイッチが切り替わった。
 この気配は!
 ハッと顔を上げれば耳障りな時計の音。
 慌てて学校の上履きを手に窓を勢い良く引き開け、2階の窓から飛び降りる。
 家から遠ざかる。それもできるだけ遠く。彼らを巻き込みたくない。
 夜の街を必死になって疾走する。
 白と黒のシンメトリーが追いかけてくるような気がしていた。
 ……そして追いつかれる。
 周囲は白と黒のシンメトリー。遠くから足元を越え、どこまでも続きそうなぐらい。タイルが続く。
 空は銀色に輝く月光。冴え冴えと冷たく輝く。
 つきの中心に黒い染みが浮かぶ。それが大きくなり、人の形を取る。月光を凝らして人の形を作るとあんな風になるのかもしれない。黒く長い髪は艶やかで、切れ長の目は氷のように冷たく。すっと通った鼻筋。頬は微かに赤らみ、口元は残酷そうな笑みを浮かべる。優雅な美貌。美しさと冷酷さを同時に表していた。
 その姿を一目見た瞬間、本能が正体を看破した。恐れが全身を貫く。

 ――黒の女王(クイーン)。最強の駒。

 とっさに身を隠す。ガクガクと体が震える。
 まさか……なんという圧倒的な威圧感。
 舞がチートと言っていた言葉がはっきり理解した。したくも無いが思い知らされる。

「まだ、戦ってもいないというのに……なんてこったい。その上、空を飛んできやがった」

 こっちは飛べないっていうのに……。
 タイルの壁。曲がり角に身を隠して様子を窺いつつポツリと零す。
 零した小声が聞こえたとでもいうように、女王(クイーン)は優雅な動きで視線を向けた。
 その瞬間、月光が曲がった。
 冷たい月明かりは灼熱の白線と化してタイルの壁を貫く。

「やべ~っ、あと1㎝でも左によってたら、穴空いてたぜ」
「――かわしたか」

 怒りも侮蔑も無く。それどころか喜びも悲しみも感じさせない声。無表情と言う言葉の意味を初めて知った。
 その癖、威圧感だけは高まっていく。

「悪運は強いようでね」
「貴様は愚か者らしい」

 曲がり角から顔を覗かせるやいなや、女王(クイーン)が呟いた。
 その言葉と同時に、灼熱の白線が再び放たれた。

「その技は一度見た!」

 転げながらも大剣を振りぬく。刀身から放たれる衝撃波が女王(クイーン)に襲い掛かる。

「なんだこれは」

 呆れでも侮蔑でもなく。本心から疑問に思っているらしい。
 衝撃波は届く事無く掻き消えた。
 銃声が耳に入る。

「喰らいなっ!」

 立て続けに放たれる銃撃。しかし銃弾すら届かない。まるで弾丸が自ら軌道を変え、避けてでもいるようだ。

「まい!」
「葉月、逃げるぞ!」

 舞の言葉に救われた思いで逃げ出す。恥も外聞もない。例えば人が熊に襲われそうになり逃げ出す。それは決して恥ずかしい事ではあるまい。虎やライオン相手でもいい。
 それを笑う者がいたら、そいつはただの馬鹿だ。相手にするまでもない。そしてそんな奴のいう事をまともに相手にする者などいないだろう。俺たち2人と女王(クイーン)の間にはそれ以上の差があった。
 兵士(ポーン)と女王(クイーン)。これほどの差があるとは思いもしなかった。
 月光が頭上から襲い来る。白と黒のタイルに映る影。月明かりが影を落とす!
 俺と舞が互いを突き飛ばし合い。辛うじて避けた。

「お互い、逃げ足だけは自信がありそうだな」
「それも取り柄だ」

 月光の影に身を潜めながら、軽口を叩き合う。
 女王(クイーン)は宙に浮いたまま、動かずにいる。その気になれば一気に俺たちを殲滅する事も可能だろうになぜだ!

「どういうつもりなんだか……」
「猫がねずみをいたぶるように俺たちをいたぶるつもりなんだろうか?」
「それは無いだろう。仮にも相手は女王(クイーン)だ。そんなさもしい根性はしてないだろうさ」

 舞が呟いた。
 それを肯定するように、天上から金鈴の如き声が届けられる。声すら特別製らしい。

「どうしました。逃げますか? それとも戦いますか? もうあまり時間はありませんよ」
「どうする?」
「逃げたい気もするが、そうもいかんだろう。やるか」

 お互いはあっとため息が一つ。肩を揺らし、飛び出していく。

「The Queen's Croquet-ground」
「Let's play」

 こいつと話すようになって気づいた。お互いこういう時は気が合うようだ。今だって打ち合わせなんかしてないのに、バシッと合う。
 中指立ててふぁっくゆ~ってやつだ。親には見せられん姿だな……。
 女王(クイーン)の手から銀盤が煌く。放たれたと気づいたのは、目の前に迫ってからだ。どういう仕組みか、それはタイルの壁の間を器用にくぐり抜け、しかも信じがたいスピードを持って迫り来る。遠慮もへったくれもない一撃だった。
 鈴を鳴らすような美しい音がした。銀光を黒い刀身で弾く。音はどちらが発したものだろうか?
 鋼が月光を撃つ。兵士(ポーン)といえど、魔法少女の端くれだ。並みの人間ではなかった。並みの人間であれば気づくより先に首が落ちている。そんな一撃だった。
 女王(クイーン)の口元に笑みが浮かぶ。賞賛するように。俺たちの口元にも笑みが浮かぶ。挑発するように。
 耳障りな時計の音は規則正しく時を刻んでいる。

「さあ、時が尽きます」
「零れ落ちる刻は止められない」
「これで幕切れ」

 銀光と黒い鋼と銃弾が同時に動く。
 一撃喰らったら負け。かわしたら引き分け。
 黒い鋼は魔鳥の如く飛ぶ。銃弾は疾風。月光のみ、その場を動かず。
 誰の一撃も誰にも当たらずに空を切る。

 ……幕切れとなった。
 白と黒のシンメトリーが消えていく。チェス盤が消え、真夜中の街灯の明かりが俺たち2人を照らしていた。
 どちらとも無くため息が漏れる。

「生き残ったな」
「なんとかな」
「はったり、かまし過ぎだ」
「死ぬよりマシさ」

 そうして俺たちは背中を向け、それぞれの家に帰っていった。
 しかしどうして……女王《クイーン》は手加減していたのだろう。そうでなければ2人ともここで死んでいたはずだ。明らかに手加減された事に首を捻りながら家路を急ぐ。
 そんな俺たちを月だけが見ていた。



[28359] 第03話 「兵士《ポーン》と騎士《ナイト》」
Name: T◆8d66a986 ID:f32134e0
Date: 2011/06/16 22:37

 
 チェス盤上の魔法少女 -Magical girl's on the Chessboard-

 第03話 「兵士《ポーン》と騎士《ナイト》」

 夢の中、俺の手の中に青く小さな宝石がある。以前死に掛けていた少女に手渡された物だ。
 ジッと手のひらの上に収まっている宝石を軽く転がしながら見つめる。

「……なあ、いったいどうなってんだ?」

 問いかけてみるが、返事は返ってこない。
 せめてルールぐらい教えてくれてもいいだろうに……。
 何も知らないままに戦う身には辛い。
 どこからどこまでチェスのルールに沿っているのか、分からないが目が覚めたら、簡単なルールぐらいは調べておこう。
 王様(キング)・女王(クイーン)・城壁(ルーク)・僧侶(ビショップ)・騎士(ナイト)・兵士(ポーン)。
 これらの中でどこまで戦い抜けるのかも判らない。チェス盤の全てを見通せる訳でもない。どこでどうなっているのかも判らず、戦っていく。じりじりとした焦りが胸を締め付ける。
 正直に言えば怖い。だからといって諦めるつもりも無いが、選択権もなく、こちらから打って出るわけにも行かず、それでもなお戦う。
 こんな無茶なルールで戦う事になろうとは厄介な話だ。
 指し手はどこにいるのやら……盤ごとひっくり返してやりたい。

 ◇          ◇

 6月17日 AM6:50

 ピピッ、目覚ましの音。
 ふわ~っとあくびが一つ。はっきり言って寝不足だ。やたらとあくびがでそうになる。
 ベットの上であぐらを組んで、背伸びをする。それと同時に大口を開いてあくびが出た。なにげなくケイタイの表示に目をやれば、メールがひのふのみ……7件着信していた。

「一体誰だろう?」

 寝ぼけまなこを擦りつつ、開いてみた。
 美由樹だ。あいつ一体なに考えてんだ? ストーカー気質でもあるのだろうか? ちょっと引くぞ。内容はお休みから始まって、おはよう。返事してよぉ、どうしたの? お昼休みは一緒にお弁当を食べようね、一緒に学校へ行こう、なんなら迎えに行くよ、までだ。
 合計7つ……。こんな子とは思わなかった。もしかして友達いないか? なんてこったい。地雷女に引っかかっちまった。
 この年で恋愛の縺れから来る、刃傷沙汰は真っ平御免だ。しかも女の子同士。どうしてこうなった。
 ごそごそと着替えて、1階へと向かう。
 下では母親の石塚紹子が朝食を作っていた。父親はまだ起きてこない。仕事はどうした?
 家の近所らしい。会社まで駅で3つ、電車の時間の関係からか俺が家を出るより遅い。結構な事で……。けっ、リア充はこれだから……。
 自分の父親相手にむかっ腹立てても始まらないので、無視することに決めておく。

「おはよう」
「おはよう。葉月ちゃん」

 僅か一日で、自分が葉月と呼ばれることにも慣れた。その他諸々は慣れた慣れないというより、戦いのインパクトが大きすぎてどっかへ吹き飛んでしまっている。女王(クイーン)のインパクトに比べれば、女の子の体に慣れるなど二の次三の次だ。優先順位は低い。
 パニックになっている暇などないのだ。
 朝食をはぐはぐ食べつつ、そんな事をしみじみ思う。あ~、ごはんがおいしい。
 そして急いで家を出ようとした瞬間、玄関のベルがなった。
 ――来たっ! 来ちまったぜ、ベイベー。本当に来るとは思わなかったぜよ。
 おそるおそる玄関のドアを開ける。そこには美由樹の姿が!

「おっはよう、はづきぃ~」

 満面の笑みを浮かべ、こちらを見てくる。
 諦めとも諦念とも思えるような笑みを浮かべ、頷く俺……。

「おはよう、美由樹ちゃん……」

 家の前には黒塗りのリムジンが停まっている。
 お前、昨日はバスに乗ってたよな? それがどうして今朝はリムジンなんだ? やってくれるぜ。
 玄関から顔を覗かせた母親も呆然とした表情を浮かべ、俺と美由樹とリムジンを見比べている。どうしてこうなったというような顔だな。その気持ちは分かる。解るよ。俺も同じだ。

「い、いってらっしゃい」

 逃げやがった。あれは我関せずの構え。ぱたんっと閉じられた玄関。無情にも閉じられたドアがここに俺の味方はいない事を告げる。
 まるで連行されるが如く。リムジンに乗り込んでいく俺。隣に座る美由樹の笑みが痛々しい。辛いぜ。

「ねえねえ、今日はうちに来ない?」

 べったりと俺の腕にしがみついて甘えてくる。
 本当にどうしてこうなった。なんか好かれるような事したか、俺……。

 ◇          ◇

 黒塗りのリムジンに乗って登校。
 いくらお金持ちの家庭が多いとはいえ、そんなやつは俺たち以外にはいなかった。
 そりゃそうだろう。バカバカしくなる。
 周囲の子供たちの驚く顔を見ながら、お仕着せの運転手が後部ドアを開け、俺と美由樹は車から降り立つ。すかさず美由樹が俺の手を取り手を繋いで教室まで向かう。満面の笑みを浮かべる美由樹と朝っぱらから疲れたような俺。傍から見ると対照的だったろう。舞がすれ違う際、目を瞠っていた。
 ……そんな目で俺を見るな。分かっているんだ。そっとしておいてくれ。せめて今日ぐらいは……。明日はいつもの俺になるから。
 ぐったりした気分で机にうつ伏せになる。朝っぱらから疲れたよ。

「おい。どうした?」

 背中に聞こえる舞の声。
 お前、俺の状況が分からないのか……?
 じとっと冷めた眼で見てやった。

「そんな目で見るなよ。濡れるぜ」
「なにがだよ……俺は疲れてんだ。冗談に付き合う気にはなれん」
「まあ、お前さんも大変だな。……ところで今朝、聞いた話だが転校生が来るらしい。ちらっと見たが、同類だぜ。男だったがな」

 ――同類? まさか魔法少女? いや、男という事は魔法少年? 男もいたのか!

「男なのか?」
「ああ、はっきりした事は俺にも分からんが、おそらく騎士(ナイト)だな。会ってみればお前にも分かる」
「……男もいたんだ」
「数は少ないが、いる事はいる」

 机にうつ伏せになったままの俺と見下ろすような舞。
 教室の一角でそんな会話をしていた。

「あ~、また2人でいちゃいちゃしてる~!」

 怒涛の勢いで迫り来る美由樹。
 どこをどう見れば、いちゃいちゃしてるように見えるのだろう。目が曇ってるんじゃないか? 曇ってるんだろうな。

「恋は盲目」
「あばたもえくぼ」
「馬耳東風」
「知らぬが仏」
「天災は忘れた頃にやってくる」

 ため息が二つ。やってきました天災。本人は自覚が無いようだが、俺たちにとっては天災みたいなもんだ。
 会話を切り上げ、にっこり笑って迎え入れる。
 ぷくぷくのほっぺたをさらに膨らまして、鼻息も荒く近づいてきた。

「あんたたちってどうしていつも一緒に居たがるの!」

 美由樹の剣幕はクラス中に響いた。幾人かのクラスメイトがちらちらっとこちらを見てくる。

「どうしてって言われてもなあ……」
「困ります……、とりたててどう、という訳でもないけど、あたしは昨日、転校してきたばかりだし」
「転校生に優しくしてるだけ」

 美由樹の剣幕にあたり障りの無い。言葉でごまかす。本当の事は言えないし、また言っても信じないだろう。
 正直であれば良いというものでもあるまい。騙す。欺く。嘘をつく。これらは必ずしも悪意から行われるものばかりではなくて、善意から行われる事もある。人間関係などこんなものだ。

「本当に?」
「ほんとほんと」
「そうそう」

 俺たち2人はうんうんと頷く。その様子に美由樹の眉が顰められる。

「らぶらぶいちゃいちゃばかっぷる」

 ぼそっと呟かれた言葉を俺たちは断固として否定した。これだけは真実である。お互い恋愛感情など無いのだ。その事は示しておく必要性を感じていた。
 真剣な面持ちで訴える俺たちを見て、美由樹が今度は目を丸くさせ、しきりに首を捻っていた。
 そうしているとガラッとドアが開かれ、同い年の少年が姿を見せた。
 まあ、整っていると思える顔立ち。どこと無く感じる違和感。不可思議な気配。先ほど舞が言っていた魔法少年だろうか?
 そいつが口を開いた。

 ◇          ◇

「――大槻舞。兵士(ポーン)の魔法少女、大槻舞はいるか!」

 突然の声にクラス中が呆然とする。
 そりゃそうだろう。いきなり魔法少女などという言葉が発せられたのだ。訳が分からない。と言ったところか。
 しかも言った本人は無駄に格好つけた態度を取っていた。

「馬鹿だ」
「あそこに馬鹿がいる」

 なに考えていやがるんだか……。秘密とか、周りを巻き込まないようにしようとか、そんな考えは一切無い言葉。自分の発した言葉がどのように受け止められるのか、まったく考えてない様にも見える。
 そんな馬鹿は相手にしたくない。一瞬にして俺と舞の心は合意する。何も言わずとも解る。舞の気持ちが手に取るように解ってしまう。

「魔法少女?」

 美由樹もまた呆然としていた。舞と奴の顔をきょろきょろと見比べている。

「漫画かアニメの見過ぎじゃないか?」
「現実と空想の区別がついてないんじゃないの?」
「あたしも魔法って見たこと無いよ」

 三者三様の感想。それと同時にクラスのあちこちからくすくすと笑い声が漏れ出していく。それは爆笑となり、少年はドアのところで顔を真っ赤にして悔しそうに歪めていた。
 そのうち諦めて立ち去るだろうと思っていたのだが、そいつはつかつかと教室内に踏み込み。舞の元へと近づいてくる。

「おい、無視すんな!」

 舞の肩に手を掛け、強引に振り向かせようとした。

「おいっ!」
「あんた、なにすんのよっ!」

 俺と美由樹がそいつに文句を言おうと立ち上がる。
 面倒臭そうに睨みつけてくる。その顔に美由樹がムカッとしたらしい。いきなり引っ叩く。

「あ~……」
「え~……」

 俺と舞の声が微妙に重なった。
 美由樹はそいつを睨みつけ、口を開く。

「あんた、なに考えてんの? いきなり他の教室に来たかと思えば、大声出して女の子の肩に手を掛けた上に強引に振り向かせようとするなんて! 無視するな? あんたみたいな馬鹿丸出しの相手なんか誰もしたくないのが分かんない? そんな事も考えられないぐらい馬鹿なの? どうなの? 魔法少女ってなに? あんたの妄想? そんなものに他人を巻き込まないでよっ! そんなに魔法少女が好きなら、アニメでも見てなさいよっ! それがお似合いよ。ほら放しなさい。それから出て行って! 二度と顔出すな! どうしたのよ? 出て行きなさいよ。なにしてんの? 嫌なの? 追い出されたいの? 構われたいの? 相手にして欲しいの? 女の子に怒られて興奮してるの? マゾなの? ヘンタイなの? 気持ち悪いわね。あんたみたいなヘンタイの相手なんかしたくないんだから、さっさと出て行きなさいよっ!」

 滔々と捲くし立てる美由樹。俺と舞はただ呆然とそれを眺めるだけだ。

「すげぇ~」
「こわ~」

 何といおうか、頭っから否定してんなぁ~。馬鹿丸出しだった少年ももごもごと口ごもっている。女と口げんかなどするものではない。素直に負けを認めて出て行ったほうが良いぞ。その方がいい。

「お、お前になんか用は無いんだっ! 引っ込んでろよ!」

 そう言ってそいつは再び、舞を振り向かせようとしだす。

「気持ち悪い」

 ぼそっと呟く舞の言葉にクラス中がそいつに向かってブーイングを上げはじめる。クラスの女子も集まってきた。一人一人はただの小学生の女の子だが、数が集まるとやはり妙な迫力を発する。

 ◇          ◇

 6月17日 PM14:30

 結果として、そいつはすごすごと教室から出て行った。
 そして放課後。
 俺と舞は屋上に来ていた。今頃美由樹は校舎の中を彷徨うように俺を探しているだろう。
 今のうちにこいつと話をしておきたかったのだ。あのバカの事は一旦、棚上げだ。2人してベンチに腰掛け話し始める。

「で? 話ってなんだ? 告白ならOKしてやっても良いぞ」
「違う。お前の冷凍イカのような目にくびったけって訳でもないぞ」
「誰が冷凍イカだ。のら猫みたいな目をしてるくせに」
「のら猫ってどんな目だよ?」
「うわ~ギラギラしてる~ぅ」
「むかつく~」
「まっ、あたしみたいに三拍子揃ってる訳じゃないんだから、もう少し気をつけた方がいいんじゃないか?」
「三拍子って、あれか? 立てば貧血、座れば眩暈。歩く姿は前かがみ」
「違う! 立てば芍薬。座れば牡丹。歩く姿は百合の花だっ!」
「どこがだよ……鏡を見た方がいいぞ?」
「美少女しか映ってないぜ」
「ほんとに鏡で見んなよ。ちなみに百合はノーサンキューだ。その手の趣味は無い」

 マジで鏡を取り出しやがる舞。呆れて物もいえないとはこの事だ。

「まっ、男好き。その年で凄いね」

 いやんいやんと両手で顔を覆い。恥ずかしがる。やたらとムカつく態度だ。殴ってやろうか? それともじわじわと責めてやろうか?

「いがいとドSなのか~い?」
「そう言うお前はドMだろう?」
「わたしとあなたはSMコンビ」
「君とはやっとれんわ」
「まあ、それはさておき、話って何だ?」

 ようやく本題に入れる。長い前置きだった。

「話っていうのは、元々の俺の事なんだが……住所は天木市海晴町2丁目3-16。名前は斉藤信一郎だ。俺の代わりにこの住所へ行ってどうなってるのか見てきてくれないか?」
「生きてるのか、死んでるのか気になるんだな?」
「有り体に言えばな」
「良いだろう。行ってやるよ」
「頼む」
「それにしても、あの子がお前の弱点になっちまうとはな」
「俺も首を捻るがな……」

 そう言われると頭を抱えたくなるが、巻き込んで死なれてしまうと目覚めが悪い。他の同級生ならそこまで気にする事は無いと思う。そう考える事自体、弱点なのだろう。人生一寸先は闇って本当だな~。
 2人してため息をついている。そんな俺たちの耳にカンカンッと慌ただしい音を立てて屋上へと駆け上ってくる足音が聞こえてくる。

「ほらっ、お姫様がやってきたようだ」
「まったくよく、場所を見つけるもんだ」

 肩を竦めて扉の方を見る。
 足音はさらに近くなってきた。1.2.3……。扉が開く。

「はづき~ぃ。みつけたぁ~!」

 頬を赤く染め、喜色満面な笑みで飛び込んでくる美由樹。
 そんな美由樹を尻目に舞は俺の横を通り過ぎようとする。

「じゃあな」

 俺が声を掛けると美由樹がわずかに舞に視線を向けた。
 その隙を逃さず、舞が俺の頬に軽くキスして立ち去っていく。

「じゃあね、葉月。杉原さんもね」

 そうして手を振って扉の向こうに消えていった。
 後に残される俺と美由樹。
 あの野郎……厄介事を残していきやがった。

「はっ、ははははづき……?」
「君が何を考えているのか解らないが、それは誤解だとはっきり言えるぞ」

 わなわなと震える拳を振り上げて迫り来る美由樹には俺の言葉は届こうとはしないようだ。

「ばかぁ!」

 その言葉と共に拳が飛んでくる。こうなると聞く耳を持たずぶんぶん両手を振り回して追い掛け回してきやがる。
 ほんと……どうしてこうなるんだ!
 心の中の絶叫は誰にも届かず、空ばかり蒼かった。

 ◇          ◇

 6月17日 PM14:50

 がっくりとした気分のまま。俺は美由樹に連れられて黒塗りのリムジンに乗り込んでいた。
 隣では美由樹がにこにこ顔で笑っている。明暗のくっきりと別れた光景だろうが、それを口にしないのが大人の嗜みなのか、運転手は何も言わない。
 窓の外の風景を眺めつつ、こんな時に襲ってこられたら面倒だなぁなどと思う。
 ――嫌な予感は当たるもの。
 戦いの基本は相手の嫌がることをする事だ。
 美由樹の家を目前としながら、風景は白と黒のシンメトリーに切り替わっていく。
 誰もが動きを止めた。

「はあ~」

 ため息を一つ。後部座席から出てみれば、眼前に立つのは一人の少女。
 ひらひらとしたかわいらしいドレスがこの場にふさわしい様な、場違いなような違和感を感じさせるチェス盤の上に立つ少女。
 お互い素手のままで対峙する。

「兵士(ポーン)か?」
「そう」

 舞も言っていたが解るもんだな……。
 少女が軽やかにステップ。いやフットワークを刻み始めた。
 ――まずい。届く。
 彼我の距離は5m。それでも届くだろう。
 素手の癖にこの距離でも届くのか? ガードを固めつつ、距離を置くために車から離れようとした。
 風を切る音が肌に響いた。衝撃が左腕で爆発する。

「ガードしてるっていうのになんて衝撃だよ」

 吹き飛ばされ宙に浮いた俺を追撃しようと待ち構える奴から目を離さず、睨みつけた。
 ただのパンチかよ。見た目小学生の癖にパワーはとんでもねえな。まいったまいった。追撃してくる奴の顔に向かって蹴りを放つ。スカートが邪魔だ! ええいっ、うっとうしい。自分の穿いてるスカートで視界を遮られてりゃ世話ないぜ。

「戦いなれてない」
「そうでもないはずなんだが?」
「魔法少女の戦い」
「それは認める」

 地上に降り立ったのと同時に出現させた黒い刀身を煌かせる大剣を手に対峙する。
 ……こいつの武器はなんだ? ただのパンチや蹴りだけじゃあるまい。いったいなんだ?
 そう考えた途端、体がいきなり重くなる。

「ぐっ! なんだこれっ?」

 う、動けない。……いや、体が重いだけか? 接近を防ごうとして真横に振ったはずの剣は角度を落とし、地面を擦り上げる。

「これがわたしの武器」
「チェスの駒ってみんなお前たちみたいに無口なのか?」
「あなたがおしゃべりなだけ」
「そりゃあ悪うございましたね」

 剣を杖代わりにしてようやく体を支える。
 よくよく見れば、道端の雑草や花々もぺちゃんこになっていた。まるで圧力に押し潰されたかのようだ。その圧力は今でも俺に襲い掛かっている。ギシギシと体中が軋む。足を踏み出すのがこんなに辛いと思った事がないぐらい重い。
 兵士(ポーン)がじ~っとそんな俺の様子を窺う。
 圧力に耐えかねて潰れたところに止めを刺すつもりなのか? なんともいやらしい手口だ。まったくムカつくぜ!
 ずっと剣が地面に突き刺さる。いきなり支えを失い。俺は地面に転がるように仰向けに倒れこんだ。

「まな板の上の鯉」
「浜辺に打ち上げられた魚かも」
「後は止めを刺すだけ」
「できれば遠慮したい」
「無理」

 ずずっと突き刺さっていく剣を横目にそんな会話。頭の中は必死になってこの場を逃れる方法を捜し求める。

 ――チャージ。
 そんな言葉が耳に飛び込んできた。
 ただでさえ苦しいというのに何とか首を捻って声のした方を見る。
 そこにはあのバカがいる。
 やたらと格好つけた態度。銀色に輝くフルアーマー。長いランスを小脇に抱え、今にも飛び込んできそうだ。その騎士(ナイト)の特性の所為か体ごと宙に浮いている。
 耳障りな時計の音に混じり、馬の嘶きと蹄の音すら聞こえそう。
 兵士(ポーン)は騎士(ナイト)に目をやると、一瞬にして血の気が引き青褪める。顔面蒼白というが本当だな……。
 俺は地面に釘付けになりつつもそんなつまらん事を考えていた。兵士(ポーン)の意識が騎士(ナイト)に向いている隙を逃さずに剣を消しておく事を忘れない。これは俺の賭けだ。上手く行く事を願うよ。
 幻の馬が地を蹴る。怒涛の勢いで飛び込んでくる騎士(ナイト)。さすがに速い。
 だが、兵士(ポーン)の領域に入った途端、失速し前のめりに倒れこんだ。長いランスがアスファルトの大地をガリガリ削り込んでった。

「お前……なにしに来たんだ?」

 俺の感想を肯定するように兵士(ポーン)もうんうんと頷く。
 バカだと思っていたが、本当にバカだったらしい。
 何故俺が地面に釘付けになっているのか考えなかったようだ。それとも騎士(ナイト)の力を過信していたのかもしれない。
 無様に這い蹲っている騎士(ナイト)から視線を俺に向けてくる兵士(ポーン)。

「うるせえ。助けに来てやったんだろうが!」
「足手まといになってるじゃないか? まあ気持ちだけ受け取っておくよ。ありがとうよ」

 まあ心底バカにしている訳じゃない。助けに来ようという気持ち自体はありがたい。そう思う。

「2人まとめて」
「始末する?」
「そう」

 一歩一歩近づいてくる兵士(ポーン)がそんな事を言い出す。俺は睨みつけながらも近づいてくる兵士(ポーン)との距離を測っていた。
 後一歩、いや、まだだ。まだ遠い。
 だが警戒しているらしく、兵士(ポーン)は後一歩というところで止まったまま俺たちを見つめている。

「できれば助けて欲しいんだが、どうだろう?」

 このままの状態は拙い。奴にはもう少し近づいてもらわなければ。
 俺に覆いかぶさるように倒れこんでいた騎士(ナイト)を邪魔だとばかりにひっぺ返しつつ、そう言ってみた。
 これは誘いだが、乗ってくるか……?

「ダメ」
「そりゃ残念無念」
「なに気楽に言ってんだ!」
「うるさい」

 騎士(ナイト)も仰向けになった状態で文句を言い出す。そんな奴を倒れたまま、足蹴にしてやった。ちょっと黙ってろよ。俺の邪魔をするな! 空気読め。
 奴――兵士(ポーン)もそんな騎士(ナイト)の言葉にバカにしきった表情で苦笑を漏らす。その気持ちは解る。俺だってこんな状況じゃなきゃ同じだったろう。
 兵士(ポーン)は拳を脇にまで引いて、空手か格闘技の試し割りみたいに構えた。
 それしかないよな。地面に倒れこんでいる相手を攻撃するんだ。もしくは足で踏みつけるかだが……。奴は武器を持っていない。素手だからな。予想通りだ。
 睨みあう俺と兵士(ポーン)。まるで決闘するガンマンみたいな気分だ。
 さあ~俺とお前。どっちが速い?
 バカは空気も読めずに喚いている。耳障りな時計の音がカチカチと音を鳴らしていた。
 1.2.3.4.5――。

「お前ら、なに見つめあってんだっ~!」

 バカの言葉が合図になった。

「ハッ!」
「来い!」

 踏み込むのに合わせて撃ち込まれる拳。それと同時に俺の剣が出現する。地面を支えに突き出された剣。
 奴の拳は俺の眼前で止まる。
 そして俺の剣は兵士(ポーン)の心臓を貫いていた。

「リーチの差が勝敗をわけたな」
「……剣が消えていた事に気づかなかった」
「バカのお蔭さ」

 時計の音が消え、白と黒のシンメトリーもまた消えていった。
 地面に倒れたままの格好で俺は自分の手を血で汚した事を考えていた。
 ……これで俺は人殺しになった。そして石塚葉月もまた人殺しだ。どちらにせよ、嫌な気分だ。
 死体が見えないだけ、まだマシなのかもしれなかったが、はあっと深くため息をつき、そして歯を食いしばり、身を起こしていく。
 空はまだ青く。風も吹いている。心地良いといえる季節だけど、俺の心は暗く沈み込んでいきそうだった。
 バカはまだ喚いている。
 俺もこんな風にバカバカしい気分で過ごしたいが性格的な問題は変えられそうに無い。
 車から顔を覗かせている美由樹に向かい、ぎこちなく笑いながら近づいていく。

「あ~っ! なんでこいつがここにいるの~!」

 美由樹がバカに気づいて指を指しつつ罵りだす。そして俺を車に引き込むと急いでこの場から走り出していった。
 バックミラーに映るバカはまだ地面に倒れこんでいる。
 さっさと起きろよ。そんな事を考えながら軽く眼を瞑った。



[28359] 第04話 「盤外の戦い」
Name: T◆8d66a986 ID:f32134e0
Date: 2011/06/17 22:52

 チェス盤上の魔法少女 -Magical girl's on the Chessboard-

 第04話 「盤外の戦い」

 6月17日 PM15:05

 天木市海晴町2丁目3-16。
 海辺を見下ろす高台にある新築住宅地だ。坂ばかりの土地。眼前に海を望み、背後には天木山脈を擁する地方都市の一角にある。山の手を呼ばれる坂の上にはこの地方だけではなく。他の地方からのお金持ちが多く集まっている事から、お坊ちゃんお嬢ちゃん方も多く住んでいる。
 そんな一角を大槻舞はてくてくと歩いていた。

「あ~、遠い」

 坂道をてくてくと登っているものだから、いきおい汗もでてくる。小学生のこどもにはつらい距離だ。
 葉月に頼まれて来てはみたもののやはりつらい。
 海晴町に差し掛かったとき、ちょうど葉月から聞かされたとおりの男性がすれ違うように姿を見せた。短めの髪。高い背丈、180cmはあるだろう。顔立ちは整っているというより、引き締まった精悍な印象を受けた。筋肉質の体はただ歩いているだけでも強靭なバネを持っていることを隠しきれてはいない。一見すれば普通の人間みたいな印象だ。しかし身に纏っている雰囲気は人間のものではない。明らかに違いすぎた。陽光の下、そこだけ闇が蟠っている。冥い闇。日の光すら差し込んでいないかのようであった。そいつは舞の方を睨むように目を向けた。視線が絡み合う。
 ――死ぬ。殺される。目をつけられた。動けない。どうしよう。嫌だ。死にたくない。化け物。化物。怪物。魔物。悪魔。
 そいつは舞の横を通り過ぎてそのままとある家に入っていく。
 空には明るく暖かな日差し。風も心地好いはずなのに睨みつけられた舞はその男の視線に背筋が、全身が凍りつく。脳裏で死を覚悟した。
 ……尋常ではない視線の強さと禍々しさだ。凍りついたように立ち竦みつつ舞は視界から消えた途端、ほおっと深く息を吐いた。
 がたがたと震える足をなんとか踏ん張って近所の駄菓子屋の店先から家の方をジッと見つめる。
 なんという、純粋ともいえるような悪意。あれほどの悪意を人が持てるものなのか?
 怒りじゃない。妬みでもない。不平不満とも違う。ドロドロとした想念でもなく。情念、妄想、憤懣、憎悪、そういう物に憑き纏う。欲望混じりなものではない。純然たる悪意。それのみが人の形を模った存在。
 そんなものがこの世に存在しえるのだろうか?
 葉月の事が思い浮かぶ。
 ……あいつ、何と入れ替わったんだ。本物の悪魔と入れ替わったのか?
 アレと比べれば女王(クイーン)なんてかわいらしい方だ。

「嬢ちゃん。どうかしたかね?」
「うわっ!」

 背後からお婆さんが声を掛けてくる。思わず、文字通り飛び上がった。背後でお婆さんが目を瞠って驚いているのが分かる。少しだけ震えだした指先で家を指差しながら何とか声を出す。

「あの家の男の人……」
「ああ~、斉藤さんとこの息子さんか……」

 ひょいっと舞の肩越しに覗き込んだお婆さんはため息混じりに沈んだ声を出した。

「どうかしたの?」

 お婆さんの様子に不審なものを感じた舞は振り返りつつ問う。
 最初はためらっていたが、何度もねえねえと聞いてくる舞に対してとうとうお婆さんも渋々といった感じで話し始めた。

「最近なぁ……あそこの息子さん、変わっちゃってね。家の中が荒れ始めてるんだよ」
「えっ? そうなの?」
「ここ二日ほど前ぐらいから、息子さんが急に暴れだしてね。近所に住んでる悪ガキ相手に大立ち回りなんかもしだしたんだよ。前はあんな風じゃなかったのにねぇ。そりゃあ喧嘩もやれば強かったよ。そこら辺の連中じゃあ相手にもならないぐらいね。頭も良かったし強いし、で……周りからは一目置かれていたっていうのに。今じゃあまるでチンピラみたいになっちゃったんだよぉ」

 お婆さんも憤懣やるせないとばかりに話し出すと止まりそうもなくなってきたが、舞は何とか話を修正しようと質問をしていく。

「チンピラ? まさか……。う、ううん。それで以前はそんな事無かったの? 本当に?」
「本当だとも」

 お婆さんはうんと年の割りに力強い動作で頷く。両手に持った駄菓子の袋が砕けそうなぐらいだ。
 その様子に舞の方が慌ててしまう。お婆さん、それっと小さな指で握り締められている御菓子の袋を示す。お婆さんが舞の指に気づいてお菓子の袋を棚にしまう。
 しかし舞はそんな事よりも先ほどの男の事が気に掛かっていた。
 チンピラだと? そんな事あるか! あれはそんなものじゃない。もっと禍々しい何かだ。俺たちチェスの駒みたいな魔法少女とは違う。もっと別次元の存在だ。あんなものがこの世界にいてたまるか!

「……まさか……」

 思わず漏らした独り言。だがしかしお婆さんはその皺だらけの顔に笑みを浮かべて舞を見下す。
 空気が凍りついた。店内がぐにゃりと歪む。床が軋み壁が変貌する。じくじくと蠢く壁。いつの間にか周囲が真っ赤な肉壁に変わる。
 ハッとしてお婆さんの方に目をやれば、耳元まで裂けた口を大きく広げて牙を剥き出しにする老婆の姿があった。体内の奥から何かが現れようとしていた。それに合わせて老婆の体が膨れ上がる。人の皮膚は意外と丈夫だ。そしてかなり広がる。
 風船のように膨れ上がった体。
 老婆は体の前で両手を合わせ、一気に左右に広げた。それと共に真っ二つに裂ける。体内の肉が露になった。
 何十にも幾重にも重なる牙。まるで水族館で見た事のあったサメの様だ。老婆の全身の全てが獣の口に変化する。
 牙のあいだからは真っ赤な舌すら見える。ぺちゃぺちゃと音を鳴らし、舞に襲い掛からんとしている。

「おいで!」

 振り上げた右手の中に銃が現れる。それと共に発せられる光。一瞬にして舞の姿が魔法少女のものへと変化した。
 キラキラと輝く赤い光の中、ふわふわな衣装を纏う、少女の姿がある。
 撃つより早く銃床で殴り飛ばす。横殴りの一撃で獣の口はじくじくと湿った肉壁にと叩きつけられた。
 店内――いや、咥内を揺るがせるほどの咆哮を放ち、身じろぎする牙。おぞましい光景である。

「喰らいなっ!」

 長い木製のストックを抱えるように持ち、引き金を引く。
 咥内を揺るがす咆哮と鈍い衝撃音が重なる。再び牙を壁際にまでふっとばした。
 だらだらと真っ赤な血を滴らせ、立ち上がる。足も無く胴体すらないのに立ち上がるとはおかしなものだが、そう表現するしかない光景であった。
 そいつは唇を閉じる。力を溜めているのだろうか?
 牙を噛み締めている。
 ガッと口を開いたと同時に飛び上がった。
 舞は身をかわし、避けた。
 だが、背後にいつの間にかまだ幼い少年がお小遣いを握り締めて店内へと足を踏み入れていた。
 迷う事なく牙は舞を無視し、少年を頭からかぶりつく。
 ぼりぼりと骨が噛み砕かれる音が耳に届き、路上ではその光景を見た主婦たちの悲鳴。
 ――まさか!
 貪り食われていく少年を見ながらも舞は周囲を窺う。
 どこもかしこも真っ赤な肉壁。
 おぞましい魔物の咥内。
 それは今までのチェス盤とは違う。異質な戦場だった。
 それに気づかなかったのは舞の不覚だ。
 とんでもない悪意の塊と出会ったばかりではなかったか? にもかかわらず、今までと同じようなチェス盤が戦場になると思い込んでいた。
 駒同士以外の者は入り込んでこないなどとどうして考えてしまったのだろう。
 愕然とする舞の眼前に牙が少年の肉片をこびりつかせつつ、迫る。
 真っ赤な舌。黄ばんだ鋭い牙が舞を押し包もうとした瞬間、銃声が響いた。
 血が舞の頭上から落ちてくる。悲鳴を上げ、のた打ち回る牙。恐る恐るという感じで覗き込んでくる野次馬たちは店内の光景に息を飲んで凍り付いていた。
 中には蹲り、吐く者もいる。

「速く逃げろ!」

 蹲り吐き続ける者に舞が叫び声を掛けるが、そいつは蹲って吐き続けるだけだ。
 のた打ち回っていた牙が横薙ぎに野次馬たちを一口で喰らいつく。噛み締め口を開き、再び噛み付く。
 その度に何人もの人々が貪り食われていった。
 何度も何度も引き金を引き、撃ち続けるが、暖簾に釘押し。目に見えるほどの効果がない。兵士(ポーン)である舞には単一の能力しかない。すなわち銃を選んだ後、連続して撃てるように複数の銃を周囲に配置する進化を経たが、それ以外の能力は無かった。これは葉月も同じはずだ。彼女の方は未だ自らの武装を具現化していないために選択の余地はあったが同じはずである。

「た、助けて……」

 足を喰われた野次馬の1人が舞の足を掴む。
 とっさに動作が止められてしまう。悪意無き襲撃者。単純に助けを求めているだけなのだろう。しかしそれすらあの悪意の塊によって動かされているように舞には感じられた。悪意を持って状況を作り、そこで踊るのは普通の人々だ。
 それよりも今のこの状況をどうするかだが……。振りほどくか、踏み躙るか? とっさに迷った。そして隙となる。
 その隙を逃さず、襲い来る牙。舞と野次馬が2人とも牙の中にすっぽりと納められてしまった。
 後に残るはぼりぼりと骨を噛み締めている牙と恐慌状態に陥っている野次馬たちであった。

 ◇          ◇

 ――闇。
 深い闇。舞は闇の中に堕ちていた。
 牙に噛み締められる瞬間、とっさに自分から喉の奥、そう言っていいのか分からないが飛び込んだのだ。

「まったくどこまで続くことやら……」

 握り締めたマスケット銃を胸元に抱え込みながら呟く。上を見ても下を見てもどこまでも続くような闇。無論左右もそうだ。厄介な事になってしまった、とそう思う。

「葉月はどうしてんだろ?」

 堕ちながらも意外とのん気に考え込んでいる。
 相手は僧侶(ビショップ)の使い魔だと思っていたのだが、どうやら違うようにも思える。なにより戦場が違う。白と黒のチェス盤ではなかった。どこかの誰かがルール改変でもしやがったのか? それとも盤外で別のゲームが行われているのだろうか?
 そう考えると、やはり先ほどの悪意の塊が思い浮かぶ。
 ――あいつはいったい何者だ?
 悪魔のような存在だと思えるが、本気でそんなものが存在するとは思っていなかったのだ。

「本気で悪魔が存在しているのなら、今頃この世は神仏……神に救われているはずだが?」

 逆説的だが、悪魔が存在しているのならば神だって存在しているだろう。
 いままでどれほどの人々が、神に救いを求めてきただろう。それでも救われていないのだ。悪魔だけ存在してたまるか。そんな思いもある。

 体感速度で10秒か、1分だろうか? 喉の奥……深い闇に堕ちてからそれほど時間は経ってはいないだろうが、ようやく底が見えてきた。
 薄ぼんやりとした底。目を凝らせばかろうじて見える程度ではある。
 だが、見えるという事はありがたい。
 風を感じた。今までは浮遊感こそは感じていたが、風など感じなかったというのに。
 薄い膜を破るような感触。結界を越える際に感じる、あの感触だ。
 ――越えた。
 一気に視界が開ける。
 急速に落下していく。下に目をやれば、地上まで200mほどか?
 死ぬ。死んだ。俺もうだめ。死因は墜落死。そんなのやだ。

「俺、飛べないっていうのに!」

 叫び声を上げつつ、もう一度下を見る。
 目の前にはアドバルーン。いつの間にかビルの屋上近くにまで落下していた。
 慌てて掴み、速度を落とす。
 死にたくねえ……。
 その一心でいくつものアドバルーンにしがみつく。ぶちっという音がして大きなアドバルーンがビルからちぎれる。
 掴んだまま、ビルを通り過ぎて地上へと堕ちていった。アドバルーンは風に乗り流されていく。ビル街を越え、高台にある大きな庭園。その一角に到着する。
 何とか地上に降り立った瞬間、どっと汗が流れる。

「た、たた助かったぁ~」

 慌ただしく荒い息を吐きながら、助かったことに感謝したい気分だった。
 きょろきょろと辺りを見渡す。庭園内には人影は無い。太陽はまだ明るい日差しを地上へと降り注いでいる。
 ここはどこだろうとばかりに歩き出した。鬱蒼とした木々の間を進む。森はまだ続いている。
 しばらく進むと、遠くの方から人の声が聞こえだしてくる。
 声のした方に向かう。
 木々の間に見え隠れする洋館。豪奢な館。

「人が住んでいるんだな」

 その事に心のどこかが安心した。そうして急いで走り出す。
 心の中で不法侵入を謝らなくっちゃな、などと考えながら……。
 
 ◇          ◇

 6月17日 PM15:13

 館の裏庭。鬱蒼と茂る木々。
 昼なお暗い森の中、長い金の髪が風にそよぐ。
 水晶を埋め込んだような蒼い瞳。サテンのドレスを纏う少女。地に付きそうなぐらい長いスカートの裾から見え隠れするくるぶしは球体関節でできていた。人間そっくりな人形だ。
 身長130cm程度、小柄である。小さな頭部には夢見るような瞳。つんと上を向いた鼻。ほっそりとした頬に赤く小さな唇が、耳が形良く整えられていた。細い首筋から緩やかな曲線を描く胸元と肩のライン。へこんだお腹と腰から脚にかけての曲線も見事な出来である。
 これを創った者は間違いなく天才だろう。
 祈るように胸の前で両手を組み合わせ、ほんの微かに上を見上げる格好で目を閉じ耳を澄ませている。
 聞いているのは風の通る音か? 人形の耳には一体どのように聞こえているのだろう。
 木々の天蓋の隙間から差し込む光が人形を照らす。キラキラと眩く光る日の光が彼女を輝かせていた。
 神々しいとさえ思える静寂が辺りを支配している。
 それはまるで一枚の絵のよう――。
 そんな静寂を破る無粋な物音。獣の足音が風に乗って流れた。
 瞳を開け口元には笑みを浮かべる。
 祈る姿は闘争の形に取って変わった。

「黄金の雫所属、5=6 小達人(アデプタス・マイナー)。エウノミア[Eunomia(秩序)]参ります」

 静かに、しかし力強く宣言された言葉通り、人形の全身に闘志が漲った。
 素早く取り出された剣を両手に持って、敵に向かう。
 森の奥から現れたのは黒い獣。しなやかな筋肉に覆われた巨大な体躯にこれもまた巨大な牙を剥きだしている。身をかがめ力を溜めだす。ぐっと筋肉が膨れ上がった。盛り上がった筋肉の束が毛皮の下で蠢く。今にも飛び上がらんとするかのようだ。
 人形が顔の横に剣を添えた構えを取る。八双の構えとは違い刃を敵に向けている。
 力強く飛び上がり襲い来る獣。人形の頭上で鋭く尖った牙が爪が煌く。長く伸びた牙は鋭く研ぎ澄まされ、触れるもの全てを切り刻まんとしている。
 あの牙で噛み付かれたら……。
 対峙する者はその結果を思い浮かべ、恐怖で一歩も動けなくなるだろう。大多数の人間にとって自分が捕食対象になるなど考えた事もないだろう。それだけに一旦そうなってしまうと、とっさに動ける者など稀だ。1000人に1人。いや万人に1人か。
 工事現場で突然頭上に落ちてくる物をかわせずに押し潰される事故も多いのだ。
 だがここにいるのは人形であった。恐怖心など存在しているのか? そんな感情を持っているのだろうか?
 口元に笑みを浮かべたまま、襲い来る獣に向かって剣を一閃。刀身に刻まれた複雑な文様が緑色の光を放つ。
 黒い獣は魔力を纏う剣の元、空中で真っ二つに切断された。
 切り飛ばされた獣の体は細かな粒子に姿を変え、風に流されていく。
 後に残るは人形が一体。消えていく獣の姿を見つめる瞳は憂いを秘めている。

「これであと3匹。まだまだ先は長いようです」

 憂いを秘めた声色を残し、人形はそよぐ風に身を任せるように掻き消えていった。

 ◇          ◇

「ねえねえ葉月。ここがあたしの家だよ」

 リムジンのなかで美由樹がはしゃいでいる。
 馬鹿でかい館。
 いったいどんな仕事をすればここまで大きな家に住めるのだろう?
 一応ここは日本だよな? なんか自信が無くなってきたんだけど……。
 文字通り桁が違う。
 巨大な鉄の門を潜り、庭園へと進んでいくリムジン。遠いぜ。歩きじゃ大変だと思う。門から玄関までどれぐらいあるんだ?
 遠くに見える館とその玄関を見つめつつ、そんな事を思っていた。玄関前に噴水のある家って未だかつて見たことねえぞ。そりゃあTVで世界の豪邸とやらは見たことあるけどさ。日本じゃ無いだろう?
 そんな事を考えているうちにも車は玄関へとたどり着く。玄関の前にはメイドさんが待ち構えていた。
 これまた驚きだ。
 メイド喫茶じゃあるまいし……現代日本でメイドの求人募集なんてあるのか? あっても来る奴がいるのか?
 『あなたの知らない世界』だなぁ~。俺は今、上流階級の世界を垣間見ている! ちょっとだけ好奇心がそそられるぜ。おもわずきょろきょろと辺りを見回してしまう。

「おお~。敷地内に森がある! 凄いぜ」

 館の右手から裏庭にかけて木々の生い茂る森があった。一応個人の家だよな?
 森のある家っていうのも凄いぜ。俺ならあの場所に何か建てて、家賃を取ることを考えてしまうがお金持ちは違うんだろう。違うんだろうなぁ。などと考えていた。

 美由樹の後を追いかけるように歩く。
 メイドさんたちににこやかに招きいれられて、たどり着いた場所は広い部屋。リビングかサロンか? 良く分からないがとにかく広い部屋だった。玄関だけでも元の家や今の家よりも広いというのに……この部屋ですら我が家よりもさらに広い。
 格差社会だ。
 がっくり落ち込みそうになる。貧富の差が激しいぜ。るるる~。
 大きなテーブルの前に座る。真っ白なテーブルクロスとその上に飾られている花。あざやかに咲き誇る花々。高そうな花瓶。薄い陶磁器と銀の食器が置かれている。
 花も高いんだぜ。銀の食器なんて使った事無い。
 美由樹が目の前でにこにこ笑ってる。メイドさんが先ほどからお茶の銘柄を聞いてきていた。

「葉月さま。紅茶の葉はどれにいたしましょうか……ダージリン? ドアーズ? アッサム? ニルギリ? ウバ? ヌワラエリア? ディンブラ? キャンディ? キーマン?」
「ふ、普通のでお願いします」

 銘柄なんて言われても分からん。並べ立てんなよ……。なにがなにやらさっぱりわやや。

「ではミルクはいかが致しましょうか?」
「美由樹! おみゃ~お茶一つ飲むのもこんな感じなのか?」
「えっ? 何かおかしいかな?」

 メイドさんが問いかけてくるのを無視して美由樹に言った。驚いて不思議そうな表情を浮かべている美由樹の表情を見て、生活レベルの違いを思い知らされていた。

「ストレートで!」

 俺はメイドさんにそう告げた。男は黙ってストレートだ。銘柄が分からないからじゃないぞ。ミルクの種類も知らないさ。ええどうせ、そうなのさ。
 俺がそう言ってからしばらくしてやってきた紅茶。今まで飲んできたようなティーパックとは違う事が明らかにわかる。
 やはり格差社会だ。お茶一杯でも違うものなんだな~。
 一口飲んだ。渋い。いや苦い。コーヒーとは違う苦さだ。だがその苦味がおいしく感じた。ストレスが溜まると苦味がおいしく感じるそうだが、俺もストレスが溜まっていたのだろう……。そういや最近疲れていたしな、そういう事にしておこう。
 苦味で思い出したが…………ビールが飲みたい。
 キーンッと冷えたビール。真っ白い泡。思い出すと止まらなくなる。さすがにこの体じゃ飲むわけにはいかんから我慢はするが、辛いぜ。

「葉月……どうしたの?」
「うん? なにが?」
「なんか真剣な顔でカップを睨んでるから、どうしたのかなって?」
「なんでもないよ。いつもはティーパックだから、それだけ」

 ビールの話はまずかろう。いう訳にはいかんな。
 そんな事を考えていると、部屋の扉が開いた。そこから現れたのは見た事のある女性だった。
 女性と目が合う。黒く長い髪は艶やかで、切れ長の目は氷のように冷たく。すっと通った鼻筋。頬は微かに赤らみ、口元は残酷そうな笑みを浮かべる。優雅な美貌。美しさと冷酷さを同時に表していた。
 女王(クイーン)。確かに女王(クイーン)だ。
 なぜここに……そんな俺の疑問は美由樹の言葉に叩きのめされてしまった。

「お姉ちゃん」
「あら、美由樹。その子があなたのお友達なのね」

 彼女は俺の方を見つめたまま言葉を発する。思わず立ち上がった俺はいつでも動けるように戦闘体勢をとってしまう。
 そんな俺を美由樹が驚いて目を瞠っている。
 まずい!
 この場じゃまずい。
 彼女、女王(クイーン)はそんな俺を見てくすりと笑う。

「そんなに驚かなくてもいいわ」
 ――いまこの場で戦う気はないから。

 声には出さず、唇の動きだけで伝えてきた。
 ほっと大きくため息をつく俺にさらに笑いを大きくする。さすがに女王(クイーン)も自分の家の中では戦う気はないのだろう。

「はじめまして。石塚葉月です」
 ――なぜ、女王(クイーン)がここにいるんだ。どうして俺の前に現れた?
「大槻真理。美由樹の姉です。妹がお世話になっているようで感謝しますわ。これからも仲良くしてあげてね」
 ――あら? 自分の家だからよ。それにしてもあなたが妹のお友達だったなんてね。
「いえ、こちらこそお世話になっております」
 ――ちょうどいい機会だ。このゲームの事を聞かせてもらおうか。知ってるんだろ?
「くすっ、そんな事無いでしょう。妹はどちらかというとおてんばですから学校でも騒いでいるのではないかといつも心配しているんですよ」
 ――ただのゲームよ。彼が始めた、ね。
「元気なのは良い事ですよ」
 ――彼って誰だよ。
「そう言ってもらえると嬉しいわ」
 ――あなたのお友達は知ったはずよ。向こうに聞きなさい。

 お互い挨拶を交わしつつ、同時に唇の動きで別の会話もしていく。
 テレパシーじみた事はできない。面と向かって大声で怒鳴りあえないのは面倒だが、無関係の人間の前だ。致し方なかろう。

 ――そうするよ。
 ――ああ、一つだけ教えてあげるわ。ゲームは盤上だけで行われているわけじゃないのよ。盤外でも別のゲームが行われている。
 ――なんだと!

「ちょ、ちょっとぉ~葉月もお姉ちゃんも~どうして見つめあってるのよぉ」
「あらあら焼きもちを焼いてるのかしら?」
「結構焼きもち焼きですよ」
「そんな事無いもん!」

 ぷぅ~っとほっぺたを膨らませる美由樹。俺と真理(クイーン)はそんな美由樹を見て、くすくす笑った。

 ◇          ◇
 
 6月17日 PM15:15

 舞が消え去った後の駄菓子屋の店先ではいまだ野次馬たちが牙を前にして動けずにいた。
 ぬめぬめと濡れた牙。真っ赤な咥内を見せ付けるように野次馬たちの方に向き直る。悲鳴を上げる事も忘れ、硬直している人々。蛇を前にした蛙のようだ。
 じわじわと近づいてくる牙。血臭がいやが上にも感じられる。おぞましい気配。太陽は燦々と輝いているというのに、人々の生活を塗りつぶさんと闇が迫ってくる。
 最前列にいた女性が背後から押される。たたらを踏んで一歩前に出てしまう。牙が大きく口を開く。間近に迫る死から意識が逃亡を企てた。すなわち現実逃避。女性の口が笑う形をとった。
 ケラケラ狂ったように笑いだす。ぺたんと座り込んだ体勢。幼子みたいに笑う。目尻からは涙が溢れ、口の端からはよだれ。

 野次馬たちの背後から大量の釘が撃ち込まれた。
 長く太い釘。駄菓子屋の建物の中、壁といい柱といい、いくつもの釘が突き刺さる。

 ――空気が変わった。
 黄金の光を放つ釘。周囲が金色の光に包まれる。人々の姿が掻き消え、店内は無人と化す。
 一歩一歩、踏みしめつつ歩く靴音。
 朗々と歌い上げられる聖句。

「最も穢れた霊よ。侵略する敵よ。すべての霊よ。汝らのあらゆるものよ。われは汝を祓う。われらが主イエスキリストの名において、神の被造物より根こそぎに追い払われよ。汝に命令するものは汝を至高の天より地獄の底へと投げ落とすべく命じたるものなり。汝に命令するものは海と風と嵐を支配するものなり。それゆえに聞け、そして恐れよ!」

 こつこつと音を立てて近づいてくる大柄なカソック姿の神父。胸の十字架が歩くたびに揺れる。
 牙の眼前に立った神父は剣を抜き放つ。柄の部分がまっすぐ横に伸びていた。遠目から見れば、細長い十字架にも見えただろう。
 ガチガチ牙を噛み鳴らす。その様子に神父は鼻息も荒く言い放った。

「化け物の癖に怯えるな!」
「ぐ~るるる~」
「そのまま死ね。コキュートスの底へと堕ちていけ」

 大きく振りかぶった剣を振り落とす。両断される牙。いともあっさり両断された牙は塵と化して消えていく。大仰な仕草で振り返った神父の眼が斉藤家の方を睨みつけた。

「今度は逃がさん。必ず滅ぼす」

 そう呟き、ふんっと鼻を鳴らし、高台を上がり始めた。
 黄金の結界が消えたのは神父が姿を消してからしばらく経ってからである。
 後に残るのは狂ったように哂っている女性と周囲を取り巻く野次馬たちだけであった。



[28359] 第05話 「悪魔祓い」
Name: T◆8d66a986 ID:f32134e0
Date: 2011/06/18 23:15

 チェス盤上の魔法少女 -Magical girl's on the Chessboard-

 第05話 「悪魔祓い」

 6月17日 PM16:50

 Ave Maria, gratia plena,
 Dominus tecum,
 benedicta tu in mulieribus,
 et benedictus fructus ventris tui Jesus.
 Sancta Maria mater Dei,
 ora pro nobis peccatoribus,
 nunc, et in hora mortis nostrae.

 Amen

 神父は堅い木の床に跪き、祈りを奉げていた。天木市海晴町の高台にある小さなカトリック系の教会だ。神父以外の人影は無く、静寂に包まれた室内では祈りの言葉だけが囁くように聞こえている。壁際の電灯の明かりは絞られ、さほど広くも無い教会内は窓から差し込む太陽が床の上を光と影にくっきりと別けている。聖別された空気は清浄で魔物を滅ぼした神父に身を清めてくれるかのようだった。壇上の上では聖母マリア像が慈愛に満ちたまなざしを投げかけ、祈りを奉げる神父を見下ろしていた。
 聖別の儀式を終えた神父の脳裏に映るのは遥か昔の出来事……。まだエクソシストになる前の頃だ。
 ――もう10年以上も前の事だ。
 その当時、東欧の小国、さらにその片隅にある小さな教会の司祭であったエンリケ・アルコルタは自らの教会のある村で悪魔憑きを訴える女性の訪問を受けた。その女性は窶れきり心身ともに疲れ果て苦しんでいた。我が子が悪魔に憑かれてしまったと言い、エンリケを困惑させる。
 神学校でもヴァチカンでも一応そのような話を聞かされてはいたが、大部分は精神を病んだ者の戯言だ。エンリケ自身もそのように考えていた。

「まず、お子さんを正式な病院へとお連れになり、信頼できる医者に見せた方が宜しいかと……」

 教会の一室でエンリケは女性にお茶を差し出しつつ、ごく当たり前とも思える答えを返す。
 その時の女性の失望を今でも覚えている。蒼白となった顔。口元はわなわなと震え、全身も細かく震えだしていた。病院でも他の教会でも同じ事を言われてきたのだろう。

「そんな事はすでにしました! どこの病院も! どの医者もいつも同じ薬を出すのですわ。でも一向に治らずに、それどころか具合が悪くなる一方で……」

 エンリケの表情が曇る。まだ若く神学校を卒業したばかりで、この教会に配属になってから日も浅いエンリケには人生における経験が足りな過ぎた。聖書の中にある言葉を告げようとしたが、口篭もるばかり、憔悴しきった女性の表情を目の当たりにしてしまえば、唯一絶対の神の忠実な僕でありたいという理想を心に抱いていたエンリケも掛ける言葉さえ失う。何といおうかどう言えば良いのか? 人生経験の不足の所為かこの事態を収拾する術を神はエンリケに与えてはくれなかった。
 それでもなんとか半狂乱になり泣きながら訴える女性の背中を擦って慰め、付き添い。彼女の家へと向かう。その時のエンリケの心は単純にもこの迷える子羊である女性とその子の力にならねば、という使命感にかきたてられていた。
 この時点ではまだ本当に悪魔憑き、など信じていなかったのだ。気休めにでもなれば良いとばかりに向かった家で、エンリケは本物の悪魔を見た。
 今まで魔力など感じたことも無かったが、初めて体感した魔力。そのおぞましさをいまだに忘れる事ができずにいる。
 悪魔など想像上の産物である。そう思っていた。だがしかし、本物はいる、いたのだ。それは悪魔憑きの相談に来る人々の中、全体の1%にも満たないだろう。その1%の例外が目の前にあった。

 一歩、足を踏み入れた瞬間。
 自分の足がずぶずぶと奈落の底へと堕ちていく様な錯覚に囚われた。耳を劈く笛の音。狂気を孕んだその音色に思わず耳を塞ぐ。
 痛みを伴う音に耐え、女性の後を追うように階段に足を踏み入れる。2階の子供部屋には中世の遍歴楽師風の悪魔が漂っている。そいつは肩にはレースと花模様のリボンがいっぱいでみごとな麻のシャツを見せるために脇の下から胴まで袖を切り開いていた。つま先がくるりと丸まっている革の長靴。フェルトの帽子の上では長い羽飾りがゆらゆら蠢いている。絵本や物語の中で語られてきた姿だ。歴史上存在した本物の遍歴楽師の姿ではない。所詮悪魔の偽装は贋物にしかなれないのだ。
 道化染みた真っ赤に塗りたくられている唇を耳まで届きそうなぐらい大きく広げ、ゲラゲラと哄笑しだす。馬鹿笑いを発し、宙を飛び回る。
 笛に口をつけて、吹き鳴らすたびに家の中ではねずみが合唱を繰り返していた。悪臭を放ち蠢く鼠の群れ。部屋の壁一面に張り付き、一見すればタペストリーのようにすら見える。

「神よ、願わくは汝の慈悲と赦しとによりわれらが祈りを聞き入れたまえ。汝の僕にして罪の鎖につながれたるこのものを、汝の寛やかなる心により慈悲もて解き放たれんことを――」

 震える手で十字架を翳し、遍歴楽師、いやピエロにも似た悪魔に向かって主の名において立ち去る事を命じた。

「ひゃはっははははははは。良いは悪くて、悪いは良い。きれいは汚く、汚いはきれい」

 シェイクスピア?
 エンリケは一瞬だけふいをつかれてしまう。マクベスの冒頭ででてくる三人の魔女の台詞だ。学生時分から好んで愛読していたシェイクスピアの台詞を耳にして息を飲んだ。こんなふざけた遍歴楽師の格好をした悪魔が見事なバリトンでマクベスの台詞を諳んじてみせるとは、驚きで不意をつかれてしまった。慌ててハッと顔を上げる。その時、壁で蠢いていた鼠が移動を始めた。一気にベットに横たわっている子供に群がる。

「いや、た、助けて」

 子供の悲鳴。ベットの端に滴り落ちる赤い血。肉を噛み千切る音が耳に木霊する。
 聖句を唱えるもの忘れてベットに駆け寄り、群がる鼠を追い払おうとした。何度も何度も叩き、引っかき、打ち払い続ける。
 楽師の哄笑はまだ続いている。嘲うように、哄笑するように……。

「や、止めて下さい。子供を傷つけないで!」

 背後から羽交い絞めにされて力ずくで振り払った。
 がつんと床に頭をぶつけ、血を噴出す女性。

「ひゃはっははははは。殺した。殺した。お前は罪も無い女性を殺した。子供もみんな殺したぁ~。お前が殺したぁ」

 我に返ったエンリケの目の前には殴りつけられ、血を流して死亡している子供と床に叩きつけられて死んでいる女性の死体があった。慌てて部屋の中をぐるりと見渡しても、もうどこにも遍歴楽師の姿はなく。鼠の姿も悪臭さえも無かった。
 呆然と立ちすくむエンリケは悲鳴を聞きつけた近所の人々の通報によって駆けつけた警察に逮捕された。
 
 警察での取り調べは当初エンリケが殺人目的で女性宅に入り込んだものとして尋問してきたが、教会を出るときに行き先と目的を書き残し、助手にも伝え、女性と共に向かった事が確認されたために、今度は一時的な心神喪失状態として精神鑑定を受ける事となってしまう。
 一時的な心神喪失状態……その言葉を聞いたとき、エンリケ自身もその通りかもしれない、と思っていた。原因が悪魔の幻覚だとしてもだ。
 結局エンリケは裁判を受け、業務上過失致死を問われた。それでも教会から派遣された弁護士の力によって異例とも思えるほど短い、わずか5年の刑期で裁判は終わったのだった。思えば裁判中、異様なほどエンリケに有利な証拠がぽろぽろと出てきた事は皮肉というしかなかったが、それも奴らの手だったのだろう。
 刑務所での5年でエンリケは何百通もの手紙を教会に出した。
 今までの悪魔憑きの事例はどのような物であったのか、知るためである。現在でも世界各地で行われているであろう、悪魔祓いに共通点はないかと調べ続けていた。
 一年が過ぎ、二年目。そして三年目に入った頃、ヴァチカン図書館から分厚い報告書が送られてきた。

「図書館には手紙を送ってはいなかったのだがどういう事だ……」

 疑問に思いつつ封を切る。そこに書かれている内容にエンリケは衝撃を受けた。
 エンリケが刑務所内で何十何百もの手紙を出していたことや、悪魔憑きに関して調べている事はすでに知られており、表向きは図書館に勤めている神父たちがエンリケの変わりにスペインでの悪魔憑きに関して調べていると書かれてある。その中の報告に近年黒魔術師を名乗る者達の動向が活発化しているらしいとある。それも書籍で齧った程度の知識ではなく。本物の魔力を持った連中らしい。その中でもとりわけ強い力を持ったグループがある男の配下になったと記されている。
 その男は国籍、人種、年齢など一切不明。部下に対する指示は星幽界《アストラル界》を通じて行っているために姿を見た事のある者はいないらしい、正体不明の魔人。

「星幽界《アストラル界》……なんだそれは?」

 悪魔。黒魔術師。星幽界《アストラル界》。今までろくに気にした事も無いような単語の数々が文面に書かれてある。悪魔だの黒魔術師なら聞いた事もあるし、碌でもない連中だと言う事ぐらいは知っている。その程度の知識はあった。だが星幽界《アストラル界》だとかカバラとなるとさっぱりと解らない。
 自分が今まで生きてきた世界ががらりと変貌してしまった。頭を抱え必死になって堪えようとするが足元が崩れ去った幻想すら浮かんできてしまう。

「おい、エンリケ神父。面会だぞ」
「はっ?」
「すこぶるつきの美人だ。どこであんな美人と知り合ったのか教えてもらいたいもんだ」

 粗末な木の机を前にして頭を抱えていたエンリケの前に看守が面会を知らせてくる。
 この刑務所に入って以来、面会など一度も無かった。それなのに報告書が届いた途端、面会人がやってくる。誰かがエンリケの動向を探っていて、それに合わせて行動を起こしているかのようだ。
 何かが動き出している。
 そんな感覚を覚え、ブルッと背筋を震わせながらもエンリケは立ち上がる。

 彼女は面会室に置かれている粗末な椅子に座っていた。肩をわずかに越える程度の金髪はゆるくウェーブを描き、汚れを知らぬ鋼のような強い意志を宿した蒼い瞳をガラス越しにまっすぐに向けてきた。体型にぴったりとフィットした黒いスーツは特注品だろうか? 裕福な生活をしている事を窺わせる。
 面会室にはいってきたエンリケに気づいた彼女は一見して緩やかな動作で立ち上がった。しかしそれは優雅さが見せる錯覚だったかもしれない。次の瞬間にはすでに一歩前に出ていたのだから……。
 立ち上がった彼女は背が高く、スーツの上からでさえ見事なプロポーションを隠しきれていない。金髪碧眼。目の前にいる女性はエンリケでさえはっきりとわかるほど理想的なアーリア人であった。

「マグダレーナ・フォン・エーフェルシュタインです。初めましてエンリケ・アルコルタ神父」

 意志の強そうな瞳。ほんの少しだけ可憐な唇を綻ばせて綺麗なクイーンイングリッシュをソプラノの声で挨拶してくる。
 ――美しい。
 第一印象はそうだった。
 だがその在り様にどこか得体の知れない違和感を感じる。
 完璧な発音。優雅な動作。他者に好感を持たれる様、計算されつくした行動。いかに完璧を演じようと拭い去る事のできない人間らしさがすっぽりと抜け落ちている。どこか非人間的な……。まるで悪魔が人間の振りをしているみたいだ。
 バカな。私は一体何を考えているのだ。
 エンリケはそんな自分の考えを追い払おうと何度も大きく頭を振る。

「今日こうしてお会いしに来ましたのは、神父様にお聞きしたい事があるからです」

 マグダレーナの声が降り注いでくる。エンリケは眼を合わせることができなかった。視線を合わせない様、俯いたまま滴り落ちる汗を拭う事も忘れ震える膝頭を指で掴んでいた。

「わ、わたしにですか……?」

 俯いたまま何とか搾り出した声。自分の声とも思えないほど、擦れ震えている。

「ええ」
「ど、どのような事でしょうか」

 ゴクッと喉が鳴った。
 怖い。怖い。恐怖が背筋を這い上がってきた。逃げ出したい気持ちを何とか押さえ椅子に座り続ける。
 ぱらっと紙を捲る音がする。どうやら彼女がバックの中から資料を取り出したようだ。何枚目かで手が止まった。

「神父様。貴方はいったい誰を殺したのですか?」
「えっ?」

 予想だにしない言葉に恐怖さえも忘れ、呆然と顔を上げた。彼女はジッとエンリケを見つめている。汚れを知らぬ鋼のような強い意志を宿した蒼い瞳がエンリケを射抜く。

「あの村にサラ・リンデルなる女性が住んでいた形跡は残っていませんの」
「あ、あの……それはどういう事でしょうか?」

 喉がからからに渇く。何を言っているのか頭が理解を放棄してしまいそうだ。

「文字通りの意味です。あの村に貴方が殺した親子の痕跡は残っていませんでした。つまり親子を知っている人物は存在していないんですの。親子がいつ、どこからやってきて、どうやって生計を立てていたのか誰も知らないんです。村の人々が知っていたのは貴方に殺された事だけです」

 冷ややかとすら言えるような声色でマグダレーナがエンリケに向かって言った。冷静な視線。感情を窺わせない瞳。口元が微かに笑みを浮かべている事がいっそうエンリケに恐怖を感じさせている。

「そんなバカな……ありえない。あの日、村の人々は彼女に挨拶していたというのに」

 何度も何度も頭を振って否定しようとした。脳裏にはあの日、村の人々が笑顔で挨拶してきた光景が浮かぶ。だがしかしマグダレーナはそんなエンリケに追撃してくる。

「それは神父様が一緒に居られたからではないですか? 村人たちは貴方が連れているから、挨拶したのでは?」
「バカな、そんな事、ある訳ない! 小さい村だ。みんな顔を知ってる。誰にも分からないなんて、そんな事ある訳ない!」

 面会室に響くエンリケの声。刑務官が慌てたように室内へと入ってきた。それすら気づかずにエンリケは否定し続けた。
 だがそういえば、あの時村人たちはエンリケに向かって挨拶していたのだ。まるでエンリケがいつものように村の家々を見て回っているかのように、隣には誰もいないかのように……。今更浮かんでくる光景。なぜこの事を忘れていたのか……。背中に冷や水を掛けられてしまったみたいに感じていた。

「ですが、事実です。あの親子がどこから来て何者なのか、知りたいとは思いませんか」

 そして冷ややかに伝えられるマグダレーナの言葉。
 こうしてぐらぐらと視界が揺れ動く中、エンリケ・アルコルタが遭遇した悪魔憑きの事件は新しい局面を迎えた。

 ◇          ◇

 6月17日 PM15:17

 舞は庭園の森の中を駆け抜けながら、背後に戦いの気配を感じ取っていた。
 気配はあっという間に消えた。一瞬振り向いて戻ろうかとも思ったが、おぞましい魔物の気配はすでに無く。戦いは人間の側が勝った事を感じ取った。
 ……どうなってんだろうな。白と黒のチェス盤が現れた気配はしなかったが、魔物の気配はあった。どうやらチェスの駒同士の戦いではないのかもしれない。
 舞はそんな事を考えながら走っている。
 だが、走っても走っても森から抜け出る事ができずにいた。

「まったくどうなってんだよ」

 吐き出すように呟かれる言葉。小学3年の少女が言うと妙な違和感がある。声の愛らしさと言葉遣いの荒さが原因であった。
 ――空間閉鎖。正確には結界による方向感覚の混乱である。
 つまり同じところをぐるぐる回っている状態だと思っていい。こうなると厄介だ。自分から見て右だと思ってもそれが正しいとは限らない。右へ進んでいるつもりで左に行っている事もあるのだから……。
 なまじ館が見え隠れしている事が焦りを生み出していた。後もう少しで辿りつくのに、どうしてもそう思ってしまうのだ。
 まるで蜃気楼に映るオアシスを目指して彷徨う旅人の気分だった。
 舞は立ち止まり、眼を瞑って意識を集中していく。思い描くのは白と黒のチェス盤。自分達のバトルフィールドだ。
 結界に結界をぶつける。
 ぎゅっと拳を握り締め、腹に力を入れた状態で眼を開く。
 目の前には白と黒のシンメトリーが展開している。そのフィールドを駆ける。端まで辿りつくとチェス盤を消す。

「よし出た」

 目の前には噴水。そして玄関。周囲にはメイド姿の女性たちが驚きに目を瞠っている。いきなり現れた少女の姿に混乱しているのだろう。どの顔も情けなく口を半開きにして舞の方を視線で追いかけている。

「ど、どちら様でしょうか?」

 声が追いかけてくる。それはそうだろう。突然現れた来訪者に問いかけるのは当然だ。

「は、葉月。石塚葉月がここに来ていると思うけど、どこにいるの!」

 とっさに言う舞の言葉にメイドたちが眼を丸くさせる。
 舞はここが美由樹の家だとは思っていない。ただお友達を探しているという言い訳代わりの言葉であった。小学生ぐらいの女の子が友達を探してどこか他人の敷地内に入り込んだとしても、そうそう大騒ぎにはならない。そういった思惑からの言葉である。

「はい、葉月様でしたらお越しになられておりますが……どちら様でしょうか?」
「大槻舞です」

 舞が名乗った瞬間、どよめきが起きた。
 なにやらひそひそと小声で話し始めるメイドたち。何事かと訝しげに見回してみるが、舞と目が合うとすっと視線を逸らしてくる。

「あ、あなたが大槻舞さんですか?」

 さんづけである。しかも妙に腰が引けてる。そのくせ、表情は期待に満ちていた。

「ええ」
「やはり葉月さんを取り戻しに来られた?」

 メイドさんたちの顔が赤い。期待に満ち満ちていた。
 舞は訳が分からなかったが、ひょうたんから出た駒。まさかと思いつつもこの館が美由樹の家だと気づくと葉月にあの悪魔の事を知らせるべく、案内してもらおうと考えてメイドさんの問いに答えていった。

「え~っと、似たようなものです」
「きゃ~っ、やっぱり三角関係よ~」
「美由樹お嬢様と葉月ちゃんと舞ちゃん。女の子同士の三角関係」
「で、どうなの? やっぱり葉月は渡せないって思って来たの?」

 メイドたちがきゃわきゃわと騒ぎ出す。なにやら誤解されているようだ。恋話に盛り上がってる。
 美由樹のやつ、わたしの事を恋のライバルだとでもメイドたちに話していやがったのか? なんてこったい。どうしたものか……。
 舞の周囲を取り囲んであれやこれやと問いかけて来るが、舞としてもなんとも言いようがなかった。どうしたものかと考えているうちに、なにやら遠くの方が騒がしい。
 何かと思い、視線を向ける。

「あ~っ! お前どうしてここに!」
「葉月を追いかけてきたんだ! あいつ、兵士(ポーン)に襲われたから」

 バカが忍び込んでいた。もっともあっさりと捕まったみたいだったが……。

「あの~、お知り合いですか?」
「ええ、知り合いですが。え~っと、お前誰だっけ?」

 バカが舞の言葉に憤慨したように怒り出す。
 じたばたと手足を動かして怒ってる。ああ、はいはい。とあしらいながら舞は、本当にこいつ誰だったろうと思い出そうとするが名前が出てこない。ほんと誰だったろう?

「山岸! 山岸亮介だ。こんちくしょう、人の名前ぐらい覚えとけよ~!」
「名乗ってないお前が悪い!」
「うるせえ~! どいつもこいつもムカつく~」
「まったくしょうがないなぁ」

 バカの手を引いて葉月の下へと向かおうとする。
 そんな舞の様子にメイドは「きゃ~、男の子出現っ!」「ドロドロよ、ドロドロ」などと言い出しやがる。
 お前ら仕事しろ、と思わざるを得ない気分だった。それでもなんとかメイドの案内で葉月の下へと向かう事ができるようになった。
 だだっ広い屋敷の中を歩く。足音さえも消えてしまいそうなぐらいふわふわの絨毯。いかにもといった感じの高そうな家具と調度品。廊下の天井にさえ取り付けられたシャンデリア。
 金が掛かってるねえ~、などと下世話な事を考えつつも歩いていた。
 そうして辿り着いたのは大きな部屋。中には葉月と美由樹。それに……女王(クイーン)。
 さぁ~っと血の気が引いていくのを感じた。内心の動揺を抑え、何気ない様子を装い、戦闘体勢を取る。

「――舞」
「あ~っ、あんたら、どうしてこの家に!」

 葉月がわたしの名を呼びながら、首を振った。警戒する必要はないということか? 一体何があった?
 さっきから葉月の隣で美由樹が騒いでいるが、それを無視して女王(クイーン)を見つめた。ぎゅっと手に力を入れる。騎士(ナイト)の亮介がいていてと騒ぎ出す。

「舞、痛い、痛いってば」

 騒ぐ亮介を無視して、葉月に声を掛けかける。だが亮介に手を引っ張られてしまう。

「痛いってば」
「やかましい! 黙ってろ! お前それでも……」

 ……騎士(ナイト)か、と言いかけて口を噤んだ。美由樹の前だ。わたしたちだけならともかく、この子の前では黙っておいた方が良いだろう。そう思った。
 くすくすと笑い声が部屋に響く。女王(クイーン)の声だ。
 なんとはなしにムカッとする。ついでにこいつらの前にはのんきにお茶会の用意がされていた。やはりムカッ!
 乱暴にバカの腕を振り払い、無言で葉月の傍により、腕を掴む。一緒に来いっ、とばかりに引っ張る。

「おいおい」
「話があるの、一緒に来てよ」

 そう言ってさらに腕を引っ張った。美由樹が葉月のもう片方の腕を掴んで引っ張る。
 おのれ、負けてたまるかよっ! 力を込めて引っ張ってやる。

「いてて、痛い、痛い!」
「やだ、離しなさいよ!」
「葉月はわたしと一緒に帰るの(あれ? わたしなんでこんな事言ってるの?)」
「なんですってぇ~! そんなの許さないんだから!」
「だから、痛いって」
「「うっさい!」」

 舞と美由樹の声がハモッた。重なった声が葉月の耳元で響き、耳を塞ぎたいのに塞げずに葉月は苦しんでいる。
 だけどそんな事はお構いなしに舞とと美由樹は腕を引っ張り合っていた。

「葉月ちゃんってもてもて、ね」
「やかましいわ~っ」

 女王《クイーン》がおもしろそうに笑う。葉月は笑う女王《クイーン》に向かってそんな事を言い返していた。
 どうしょうもなくまぬけな一幕だと自分でも思うが、今更止める事などできずに、我ながら自己嫌悪に陥りつつ葉月の腕を引っ張っている。
 誰か止めてくれないか?
 周囲を見ても誰も止める気などないようだった。ほんと誰か止めてぇ~。

「やはり三角関係」

 ボソッと呟かれた言葉に室内にいるメイドたちと女王《クイーン》もうんうんと頷いている。
 そんな中、バカの騎士《ナイト》が1人ぽつんっと所在なさげに立ちすくんでいたが……きょろきょろと周囲を見回して、寂しそうに肩を落として誰にも告げず、部屋から出て行った。

 騒いでいる三人から少し離れたところからメイドが1人、女王《クイーン》に近づいていく。そっと耳元で何事かを囁き、女王《クイーン》は軽く頷いた。そうしてメイドは騎士《ナイト》の後を追うように部屋から出て行く。
 女王《クイーン》は騒いでいる三人の少女たちを愉快そうに見つめつつも一手打った。
 彼女たちはその事にまだ気づいてはいない。


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