チェス盤上の魔法少女 -Magical girl's on the Chessboard-
第05話 「悪魔祓い」
6月17日 PM16:50
Ave Maria, gratia plena,
Dominus tecum,
benedicta tu in mulieribus,
et benedictus fructus ventris tui Jesus.
Sancta Maria mater Dei,
ora pro nobis peccatoribus,
nunc, et in hora mortis nostrae.
Amen
神父は堅い木の床に跪き、祈りを奉げていた。天木市海晴町の高台にある小さなカトリック系の教会だ。神父以外の人影は無く、静寂に包まれた室内では祈りの言葉だけが囁くように聞こえている。壁際の電灯の明かりは絞られ、さほど広くも無い教会内は窓から差し込む太陽が床の上を光と影にくっきりと別けている。聖別された空気は清浄で魔物を滅ぼした神父に身を清めてくれるかのようだった。壇上の上では聖母マリア像が慈愛に満ちたまなざしを投げかけ、祈りを奉げる神父を見下ろしていた。
聖別の儀式を終えた神父の脳裏に映るのは遥か昔の出来事……。まだエクソシストになる前の頃だ。
――もう10年以上も前の事だ。
その当時、東欧の小国、さらにその片隅にある小さな教会の司祭であったエンリケ・アルコルタは自らの教会のある村で悪魔憑きを訴える女性の訪問を受けた。その女性は窶れきり心身ともに疲れ果て苦しんでいた。我が子が悪魔に憑かれてしまったと言い、エンリケを困惑させる。
神学校でもヴァチカンでも一応そのような話を聞かされてはいたが、大部分は精神を病んだ者の戯言だ。エンリケ自身もそのように考えていた。
「まず、お子さんを正式な病院へとお連れになり、信頼できる医者に見せた方が宜しいかと……」
教会の一室でエンリケは女性にお茶を差し出しつつ、ごく当たり前とも思える答えを返す。
その時の女性の失望を今でも覚えている。蒼白となった顔。口元はわなわなと震え、全身も細かく震えだしていた。病院でも他の教会でも同じ事を言われてきたのだろう。
「そんな事はすでにしました! どこの病院も! どの医者もいつも同じ薬を出すのですわ。でも一向に治らずに、それどころか具合が悪くなる一方で……」
エンリケの表情が曇る。まだ若く神学校を卒業したばかりで、この教会に配属になってから日も浅いエンリケには人生における経験が足りな過ぎた。聖書の中にある言葉を告げようとしたが、口篭もるばかり、憔悴しきった女性の表情を目の当たりにしてしまえば、唯一絶対の神の忠実な僕でありたいという理想を心に抱いていたエンリケも掛ける言葉さえ失う。何といおうかどう言えば良いのか? 人生経験の不足の所為かこの事態を収拾する術を神はエンリケに与えてはくれなかった。
それでもなんとか半狂乱になり泣きながら訴える女性の背中を擦って慰め、付き添い。彼女の家へと向かう。その時のエンリケの心は単純にもこの迷える子羊である女性とその子の力にならねば、という使命感にかきたてられていた。
この時点ではまだ本当に悪魔憑き、など信じていなかったのだ。気休めにでもなれば良いとばかりに向かった家で、エンリケは本物の悪魔を見た。
今まで魔力など感じたことも無かったが、初めて体感した魔力。そのおぞましさをいまだに忘れる事ができずにいる。
悪魔など想像上の産物である。そう思っていた。だがしかし、本物はいる、いたのだ。それは悪魔憑きの相談に来る人々の中、全体の1%にも満たないだろう。その1%の例外が目の前にあった。
一歩、足を踏み入れた瞬間。
自分の足がずぶずぶと奈落の底へと堕ちていく様な錯覚に囚われた。耳を劈く笛の音。狂気を孕んだその音色に思わず耳を塞ぐ。
痛みを伴う音に耐え、女性の後を追うように階段に足を踏み入れる。2階の子供部屋には中世の遍歴楽師風の悪魔が漂っている。そいつは肩にはレースと花模様のリボンがいっぱいでみごとな麻のシャツを見せるために脇の下から胴まで袖を切り開いていた。つま先がくるりと丸まっている革の長靴。フェルトの帽子の上では長い羽飾りがゆらゆら蠢いている。絵本や物語の中で語られてきた姿だ。歴史上存在した本物の遍歴楽師の姿ではない。所詮悪魔の偽装は贋物にしかなれないのだ。
道化染みた真っ赤に塗りたくられている唇を耳まで届きそうなぐらい大きく広げ、ゲラゲラと哄笑しだす。馬鹿笑いを発し、宙を飛び回る。
笛に口をつけて、吹き鳴らすたびに家の中ではねずみが合唱を繰り返していた。悪臭を放ち蠢く鼠の群れ。部屋の壁一面に張り付き、一見すればタペストリーのようにすら見える。
「神よ、願わくは汝の慈悲と赦しとによりわれらが祈りを聞き入れたまえ。汝の僕にして罪の鎖につながれたるこのものを、汝の寛やかなる心により慈悲もて解き放たれんことを――」
震える手で十字架を翳し、遍歴楽師、いやピエロにも似た悪魔に向かって主の名において立ち去る事を命じた。
「ひゃはっははははははは。良いは悪くて、悪いは良い。きれいは汚く、汚いはきれい」
シェイクスピア?
エンリケは一瞬だけふいをつかれてしまう。マクベスの冒頭ででてくる三人の魔女の台詞だ。学生時分から好んで愛読していたシェイクスピアの台詞を耳にして息を飲んだ。こんなふざけた遍歴楽師の格好をした悪魔が見事なバリトンでマクベスの台詞を諳んじてみせるとは、驚きで不意をつかれてしまった。慌ててハッと顔を上げる。その時、壁で蠢いていた鼠が移動を始めた。一気にベットに横たわっている子供に群がる。
「いや、た、助けて」
子供の悲鳴。ベットの端に滴り落ちる赤い血。肉を噛み千切る音が耳に木霊する。
聖句を唱えるもの忘れてベットに駆け寄り、群がる鼠を追い払おうとした。何度も何度も叩き、引っかき、打ち払い続ける。
楽師の哄笑はまだ続いている。嘲うように、哄笑するように……。
「や、止めて下さい。子供を傷つけないで!」
背後から羽交い絞めにされて力ずくで振り払った。
がつんと床に頭をぶつけ、血を噴出す女性。
「ひゃはっははははは。殺した。殺した。お前は罪も無い女性を殺した。子供もみんな殺したぁ~。お前が殺したぁ」
我に返ったエンリケの目の前には殴りつけられ、血を流して死亡している子供と床に叩きつけられて死んでいる女性の死体があった。慌てて部屋の中をぐるりと見渡しても、もうどこにも遍歴楽師の姿はなく。鼠の姿も悪臭さえも無かった。
呆然と立ちすくむエンリケは悲鳴を聞きつけた近所の人々の通報によって駆けつけた警察に逮捕された。
警察での取り調べは当初エンリケが殺人目的で女性宅に入り込んだものとして尋問してきたが、教会を出るときに行き先と目的を書き残し、助手にも伝え、女性と共に向かった事が確認されたために、今度は一時的な心神喪失状態として精神鑑定を受ける事となってしまう。
一時的な心神喪失状態……その言葉を聞いたとき、エンリケ自身もその通りかもしれない、と思っていた。原因が悪魔の幻覚だとしてもだ。
結局エンリケは裁判を受け、業務上過失致死を問われた。それでも教会から派遣された弁護士の力によって異例とも思えるほど短い、わずか5年の刑期で裁判は終わったのだった。思えば裁判中、異様なほどエンリケに有利な証拠がぽろぽろと出てきた事は皮肉というしかなかったが、それも奴らの手だったのだろう。
刑務所での5年でエンリケは何百通もの手紙を教会に出した。
今までの悪魔憑きの事例はどのような物であったのか、知るためである。現在でも世界各地で行われているであろう、悪魔祓いに共通点はないかと調べ続けていた。
一年が過ぎ、二年目。そして三年目に入った頃、ヴァチカン図書館から分厚い報告書が送られてきた。
「図書館には手紙を送ってはいなかったのだがどういう事だ……」
疑問に思いつつ封を切る。そこに書かれている内容にエンリケは衝撃を受けた。
エンリケが刑務所内で何十何百もの手紙を出していたことや、悪魔憑きに関して調べている事はすでに知られており、表向きは図書館に勤めている神父たちがエンリケの変わりにスペインでの悪魔憑きに関して調べていると書かれてある。その中の報告に近年黒魔術師を名乗る者達の動向が活発化しているらしいとある。それも書籍で齧った程度の知識ではなく。本物の魔力を持った連中らしい。その中でもとりわけ強い力を持ったグループがある男の配下になったと記されている。
その男は国籍、人種、年齢など一切不明。部下に対する指示は星幽界《アストラル界》を通じて行っているために姿を見た事のある者はいないらしい、正体不明の魔人。
「星幽界《アストラル界》……なんだそれは?」
悪魔。黒魔術師。星幽界《アストラル界》。今までろくに気にした事も無いような単語の数々が文面に書かれてある。悪魔だの黒魔術師なら聞いた事もあるし、碌でもない連中だと言う事ぐらいは知っている。その程度の知識はあった。だが星幽界《アストラル界》だとかカバラとなるとさっぱりと解らない。
自分が今まで生きてきた世界ががらりと変貌してしまった。頭を抱え必死になって堪えようとするが足元が崩れ去った幻想すら浮かんできてしまう。
「おい、エンリケ神父。面会だぞ」
「はっ?」
「すこぶるつきの美人だ。どこであんな美人と知り合ったのか教えてもらいたいもんだ」
粗末な木の机を前にして頭を抱えていたエンリケの前に看守が面会を知らせてくる。
この刑務所に入って以来、面会など一度も無かった。それなのに報告書が届いた途端、面会人がやってくる。誰かがエンリケの動向を探っていて、それに合わせて行動を起こしているかのようだ。
何かが動き出している。
そんな感覚を覚え、ブルッと背筋を震わせながらもエンリケは立ち上がる。
彼女は面会室に置かれている粗末な椅子に座っていた。肩をわずかに越える程度の金髪はゆるくウェーブを描き、汚れを知らぬ鋼のような強い意志を宿した蒼い瞳をガラス越しにまっすぐに向けてきた。体型にぴったりとフィットした黒いスーツは特注品だろうか? 裕福な生活をしている事を窺わせる。
面会室にはいってきたエンリケに気づいた彼女は一見して緩やかな動作で立ち上がった。しかしそれは優雅さが見せる錯覚だったかもしれない。次の瞬間にはすでに一歩前に出ていたのだから……。
立ち上がった彼女は背が高く、スーツの上からでさえ見事なプロポーションを隠しきれていない。金髪碧眼。目の前にいる女性はエンリケでさえはっきりとわかるほど理想的なアーリア人であった。
「マグダレーナ・フォン・エーフェルシュタインです。初めましてエンリケ・アルコルタ神父」
意志の強そうな瞳。ほんの少しだけ可憐な唇を綻ばせて綺麗なクイーンイングリッシュをソプラノの声で挨拶してくる。
――美しい。
第一印象はそうだった。
だがその在り様にどこか得体の知れない違和感を感じる。
完璧な発音。優雅な動作。他者に好感を持たれる様、計算されつくした行動。いかに完璧を演じようと拭い去る事のできない人間らしさがすっぽりと抜け落ちている。どこか非人間的な……。まるで悪魔が人間の振りをしているみたいだ。
バカな。私は一体何を考えているのだ。
エンリケはそんな自分の考えを追い払おうと何度も大きく頭を振る。
「今日こうしてお会いしに来ましたのは、神父様にお聞きしたい事があるからです」
マグダレーナの声が降り注いでくる。エンリケは眼を合わせることができなかった。視線を合わせない様、俯いたまま滴り落ちる汗を拭う事も忘れ震える膝頭を指で掴んでいた。
「わ、わたしにですか……?」
俯いたまま何とか搾り出した声。自分の声とも思えないほど、擦れ震えている。
「ええ」
「ど、どのような事でしょうか」
ゴクッと喉が鳴った。
怖い。怖い。恐怖が背筋を這い上がってきた。逃げ出したい気持ちを何とか押さえ椅子に座り続ける。
ぱらっと紙を捲る音がする。どうやら彼女がバックの中から資料を取り出したようだ。何枚目かで手が止まった。
「神父様。貴方はいったい誰を殺したのですか?」
「えっ?」
予想だにしない言葉に恐怖さえも忘れ、呆然と顔を上げた。彼女はジッとエンリケを見つめている。汚れを知らぬ鋼のような強い意志を宿した蒼い瞳がエンリケを射抜く。
「あの村にサラ・リンデルなる女性が住んでいた形跡は残っていませんの」
「あ、あの……それはどういう事でしょうか?」
喉がからからに渇く。何を言っているのか頭が理解を放棄してしまいそうだ。
「文字通りの意味です。あの村に貴方が殺した親子の痕跡は残っていませんでした。つまり親子を知っている人物は存在していないんですの。親子がいつ、どこからやってきて、どうやって生計を立てていたのか誰も知らないんです。村の人々が知っていたのは貴方に殺された事だけです」
冷ややかとすら言えるような声色でマグダレーナがエンリケに向かって言った。冷静な視線。感情を窺わせない瞳。口元が微かに笑みを浮かべている事がいっそうエンリケに恐怖を感じさせている。
「そんなバカな……ありえない。あの日、村の人々は彼女に挨拶していたというのに」
何度も何度も頭を振って否定しようとした。脳裏にはあの日、村の人々が笑顔で挨拶してきた光景が浮かぶ。だがしかしマグダレーナはそんなエンリケに追撃してくる。
「それは神父様が一緒に居られたからではないですか? 村人たちは貴方が連れているから、挨拶したのでは?」
「バカな、そんな事、ある訳ない! 小さい村だ。みんな顔を知ってる。誰にも分からないなんて、そんな事ある訳ない!」
面会室に響くエンリケの声。刑務官が慌てたように室内へと入ってきた。それすら気づかずにエンリケは否定し続けた。
だがそういえば、あの時村人たちはエンリケに向かって挨拶していたのだ。まるでエンリケがいつものように村の家々を見て回っているかのように、隣には誰もいないかのように……。今更浮かんでくる光景。なぜこの事を忘れていたのか……。背中に冷や水を掛けられてしまったみたいに感じていた。
「ですが、事実です。あの親子がどこから来て何者なのか、知りたいとは思いませんか」
そして冷ややかに伝えられるマグダレーナの言葉。
こうしてぐらぐらと視界が揺れ動く中、エンリケ・アルコルタが遭遇した悪魔憑きの事件は新しい局面を迎えた。
◇ ◇
6月17日 PM15:17
舞は庭園の森の中を駆け抜けながら、背後に戦いの気配を感じ取っていた。
気配はあっという間に消えた。一瞬振り向いて戻ろうかとも思ったが、おぞましい魔物の気配はすでに無く。戦いは人間の側が勝った事を感じ取った。
……どうなってんだろうな。白と黒のチェス盤が現れた気配はしなかったが、魔物の気配はあった。どうやらチェスの駒同士の戦いではないのかもしれない。
舞はそんな事を考えながら走っている。
だが、走っても走っても森から抜け出る事ができずにいた。
「まったくどうなってんだよ」
吐き出すように呟かれる言葉。小学3年の少女が言うと妙な違和感がある。声の愛らしさと言葉遣いの荒さが原因であった。
――空間閉鎖。正確には結界による方向感覚の混乱である。
つまり同じところをぐるぐる回っている状態だと思っていい。こうなると厄介だ。自分から見て右だと思ってもそれが正しいとは限らない。右へ進んでいるつもりで左に行っている事もあるのだから……。
なまじ館が見え隠れしている事が焦りを生み出していた。後もう少しで辿りつくのに、どうしてもそう思ってしまうのだ。
まるで蜃気楼に映るオアシスを目指して彷徨う旅人の気分だった。
舞は立ち止まり、眼を瞑って意識を集中していく。思い描くのは白と黒のチェス盤。自分達のバトルフィールドだ。
結界に結界をぶつける。
ぎゅっと拳を握り締め、腹に力を入れた状態で眼を開く。
目の前には白と黒のシンメトリーが展開している。そのフィールドを駆ける。端まで辿りつくとチェス盤を消す。
「よし出た」
目の前には噴水。そして玄関。周囲にはメイド姿の女性たちが驚きに目を瞠っている。いきなり現れた少女の姿に混乱しているのだろう。どの顔も情けなく口を半開きにして舞の方を視線で追いかけている。
「ど、どちら様でしょうか?」
声が追いかけてくる。それはそうだろう。突然現れた来訪者に問いかけるのは当然だ。
「は、葉月。石塚葉月がここに来ていると思うけど、どこにいるの!」
とっさに言う舞の言葉にメイドたちが眼を丸くさせる。
舞はここが美由樹の家だとは思っていない。ただお友達を探しているという言い訳代わりの言葉であった。小学生ぐらいの女の子が友達を探してどこか他人の敷地内に入り込んだとしても、そうそう大騒ぎにはならない。そういった思惑からの言葉である。
「はい、葉月様でしたらお越しになられておりますが……どちら様でしょうか?」
「大槻舞です」
舞が名乗った瞬間、どよめきが起きた。
なにやらひそひそと小声で話し始めるメイドたち。何事かと訝しげに見回してみるが、舞と目が合うとすっと視線を逸らしてくる。
「あ、あなたが大槻舞さんですか?」
さんづけである。しかも妙に腰が引けてる。そのくせ、表情は期待に満ちていた。
「ええ」
「やはり葉月さんを取り戻しに来られた?」
メイドさんたちの顔が赤い。期待に満ち満ちていた。
舞は訳が分からなかったが、ひょうたんから出た駒。まさかと思いつつもこの館が美由樹の家だと気づくと葉月にあの悪魔の事を知らせるべく、案内してもらおうと考えてメイドさんの問いに答えていった。
「え~っと、似たようなものです」
「きゃ~っ、やっぱり三角関係よ~」
「美由樹お嬢様と葉月ちゃんと舞ちゃん。女の子同士の三角関係」
「で、どうなの? やっぱり葉月は渡せないって思って来たの?」
メイドたちがきゃわきゃわと騒ぎ出す。なにやら誤解されているようだ。恋話に盛り上がってる。
美由樹のやつ、わたしの事を恋のライバルだとでもメイドたちに話していやがったのか? なんてこったい。どうしたものか……。
舞の周囲を取り囲んであれやこれやと問いかけて来るが、舞としてもなんとも言いようがなかった。どうしたものかと考えているうちに、なにやら遠くの方が騒がしい。
何かと思い、視線を向ける。
「あ~っ! お前どうしてここに!」
「葉月を追いかけてきたんだ! あいつ、兵士(ポーン)に襲われたから」
バカが忍び込んでいた。もっともあっさりと捕まったみたいだったが……。
「あの~、お知り合いですか?」
「ええ、知り合いですが。え~っと、お前誰だっけ?」
バカが舞の言葉に憤慨したように怒り出す。
じたばたと手足を動かして怒ってる。ああ、はいはい。とあしらいながら舞は、本当にこいつ誰だったろうと思い出そうとするが名前が出てこない。ほんと誰だったろう?
「山岸! 山岸亮介だ。こんちくしょう、人の名前ぐらい覚えとけよ~!」
「名乗ってないお前が悪い!」
「うるせえ~! どいつもこいつもムカつく~」
「まったくしょうがないなぁ」
バカの手を引いて葉月の下へと向かおうとする。
そんな舞の様子にメイドは「きゃ~、男の子出現っ!」「ドロドロよ、ドロドロ」などと言い出しやがる。
お前ら仕事しろ、と思わざるを得ない気分だった。それでもなんとかメイドの案内で葉月の下へと向かう事ができるようになった。
だだっ広い屋敷の中を歩く。足音さえも消えてしまいそうなぐらいふわふわの絨毯。いかにもといった感じの高そうな家具と調度品。廊下の天井にさえ取り付けられたシャンデリア。
金が掛かってるねえ~、などと下世話な事を考えつつも歩いていた。
そうして辿り着いたのは大きな部屋。中には葉月と美由樹。それに……女王(クイーン)。
さぁ~っと血の気が引いていくのを感じた。内心の動揺を抑え、何気ない様子を装い、戦闘体勢を取る。
「――舞」
「あ~っ、あんたら、どうしてこの家に!」
葉月がわたしの名を呼びながら、首を振った。警戒する必要はないということか? 一体何があった?
さっきから葉月の隣で美由樹が騒いでいるが、それを無視して女王(クイーン)を見つめた。ぎゅっと手に力を入れる。騎士(ナイト)の亮介がいていてと騒ぎ出す。
「舞、痛い、痛いってば」
騒ぐ亮介を無視して、葉月に声を掛けかける。だが亮介に手を引っ張られてしまう。
「痛いってば」
「やかましい! 黙ってろ! お前それでも……」
……騎士(ナイト)か、と言いかけて口を噤んだ。美由樹の前だ。わたしたちだけならともかく、この子の前では黙っておいた方が良いだろう。そう思った。
くすくすと笑い声が部屋に響く。女王(クイーン)の声だ。
なんとはなしにムカッとする。ついでにこいつらの前にはのんきにお茶会の用意がされていた。やはりムカッ!
乱暴にバカの腕を振り払い、無言で葉月の傍により、腕を掴む。一緒に来いっ、とばかりに引っ張る。
「おいおい」
「話があるの、一緒に来てよ」
そう言ってさらに腕を引っ張った。美由樹が葉月のもう片方の腕を掴んで引っ張る。
おのれ、負けてたまるかよっ! 力を込めて引っ張ってやる。
「いてて、痛い、痛い!」
「やだ、離しなさいよ!」
「葉月はわたしと一緒に帰るの(あれ? わたしなんでこんな事言ってるの?)」
「なんですってぇ~! そんなの許さないんだから!」
「だから、痛いって」
「「うっさい!」」
舞と美由樹の声がハモッた。重なった声が葉月の耳元で響き、耳を塞ぎたいのに塞げずに葉月は苦しんでいる。
だけどそんな事はお構いなしに舞とと美由樹は腕を引っ張り合っていた。
「葉月ちゃんってもてもて、ね」
「やかましいわ~っ」
女王《クイーン》がおもしろそうに笑う。葉月は笑う女王《クイーン》に向かってそんな事を言い返していた。
どうしょうもなくまぬけな一幕だと自分でも思うが、今更止める事などできずに、我ながら自己嫌悪に陥りつつ葉月の腕を引っ張っている。
誰か止めてくれないか?
周囲を見ても誰も止める気などないようだった。ほんと誰か止めてぇ~。
「やはり三角関係」
ボソッと呟かれた言葉に室内にいるメイドたちと女王《クイーン》もうんうんと頷いている。
そんな中、バカの騎士《ナイト》が1人ぽつんっと所在なさげに立ちすくんでいたが……きょろきょろと周囲を見回して、寂しそうに肩を落として誰にも告げず、部屋から出て行った。
騒いでいる三人から少し離れたところからメイドが1人、女王《クイーン》に近づいていく。そっと耳元で何事かを囁き、女王《クイーン》は軽く頷いた。そうしてメイドは騎士《ナイト》の後を追うように部屋から出て行く。
女王《クイーン》は騒いでいる三人の少女たちを愉快そうに見つめつつも一手打った。
彼女たちはその事にまだ気づいてはいない。