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浪江の「日本一海に近い酒蔵」、南会津で仕込み復活

2011年5月18日17時2分

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写真:「酒母」の温度に気を配る鈴木大介さん=16日、福島県南会津町、相場郁朗撮影拡大「酒母」の温度に気を配る鈴木大介さん=16日、福島県南会津町、相場郁朗撮影

 津波で集落が全壊し、原発事故で立ち入り禁止が続く福島県浪江町の請戸地区にあった酒造店が立ち上がった。店は全壊し、酒蔵もこの冬に仕込んだ酒も失ったが、試験場に預けていた酵母が残っていた。専務で杜氏(とうじ)の鈴木大介さん(38)はその酵母で、新たな酒造りを始めた。

 「日本で一番海に近い酒蔵」と自認する鈴木酒造店は江戸末期、天保年間の創業。敷地に沿って高さ3メートルほどの堤があり、その向こうに太平洋が広がる。酒は「磐城壽(いわきことぶき)」。地区は町で一番の漁港で、酒は大漁になると船主に贈られた。漁師は漁の出来を「酒になったが?」とあいさつする風土だった。

 3月11日。冬の仕込み作業を終えて、道具を清める日だった。地震による津波で、創業以前に建てられた母屋も貯蔵タンクも在庫の酒も、すべて流されていった。その後、原発から10キロ圏内にある自宅や店に立ち入ったことはない。

 蔵の再開なんて考えることもできなかったが、一時避難した隣町の小学校で浪江の知り合いから次々に声をかけられた。「飲めなくなるのは寂しい」「再開の足しにしろ」。鈴木さんに小銭や紙幣を押しつけた。

 平和な時じゃないと酒なんて飲めないと思っていた。でも違う。「いつ帰れるか分からないのに託してくれた。空元気でもやると言うしかなかった」

 そんな中の4月1日。福島県会津若松市の県の試験場から、1月に分析を依頼していた酵母が残っているとの知らせを避難先の山形県米沢市で受けた。「酵母があれば蔵が残ったのと同じ。やれる、と思った」

 それからは、取引先などの紹介で山口や広島、兵庫の酒造会社を回った。どれも生産量が小規模ながら経営が安定した蔵元で、再出発の参考にするためだ。大学時代の先輩が後を継ぐ、福島県南会津町の酒造会社から醸造タンクを1本、貸してもらった。

 今月16日から酵母に水などを加えた「酒母」の仕込みを始めた。「井戸が違うが少しでも前と同じ味を目指す」と慎重な手つきで作業を続けた。

 今月末に仕込みを終え、秋には新酒が生まれるはずだ。「バラバラになってしまった住民が、浪江を思い出すきっかけになれば」(古源盛一、南出拓平)

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