信じる心。屈しない心。
ナマステ
ダウラギリベースキャンプより愛を込めて。
こんにちは! 児玉毅です。
いろいろなニュースやインターネットで、もうご存知の方が多いと思いますが、
改めて報告させていただきます。
5月18日ネパール時間14:00(日本時間17:15)に
栗城史多は世界第7位の高峰ダウラギリ(8167m)の登頂に成功しました!
2009年5月18日という1日は、僕にとっても忘れられない1日になりそうです。
本当に長かったです。
栗城くんは18日深夜1:00、強風の中C3(標高7238m)から
山頂に向けて最終アタックを開始。
BCは深夜体制で無線に対応し、2時間おきに日本に最新情報を配信する役目だ。
思ったより風が強かったので、心配していた。
すると、朝方4:00に耳を疑うような無線が入った。
「眼が見えません!!」
この一言に一瞬にしたBCは凍りついた。
高所で低酸素や紫外線の影響で視力を失い、そのまま動けなくなって
死んでいった登山家は数え切れない。
「引き返した方がいいと思います!」
と言った直後、無線が途絶えた・・・
何回呼び出しても返答がない。
頭によぎる最悪の事態。
もう座っているどころじゃなくて、外をウロウロと歩き回った。
まるで、家出少女の帰りを待つ父親のような心境だ・・・。
こういう状況にあると、ありとあらゆる悪いケースが頭の中を占領しだす。
見えない眼で無線をいじっていて、誤って手から滑り落としたんじゃないか・・・。
今頃、連絡もとれず、身動きもとれず、極寒の標高7500mで強風に吹かれているのではないか・・・。
それから1時間後、突然BCに無線が入った。
「今、標高7700mくらいなんですけど、ここからルートってどうでしたけ?」
あまりにあっけらかんとした声に、あやうく椅子から滑り落ちそうになった。
------前進してるって?!
「どういうこと?眼は大丈夫なの?」
「まだ霞んでいるけど、さっきよりはいいです。水をいっぱい飲んだのが良かったのかもしれないです。」
「でも、ちょっとでも悪くなりそうだったら、絶対に無理しないで引き返して!」
「ラッセルも深くて大変です。ギリギリ行けるところまで行ってみようと思います。」
「ギリギリより手前でお願いしますよ!」
なんということだろうか。単独、無酸素、強風、深いラッセル、霞んできた視力、登頂には不十分な残りの行動時間。このような逆風だらけの状況において、全く気持ちが折れることなく、前に進もうというのだ。不屈の精神を持った栗城くんの逞しさと危うさが交じり合い、BCは複雑な心境に包まれた。
その後も心配は絶えることはなかった。
ラッセルが凄まじく、登るスピードが上がってこない。
安全に帰還するためのタイムリミットが迫り、そして過ぎていく。
山頂からC3までは、早くても4〜5時間はかかるだろう。
日没時間が18:30。
最悪日没の1時間前にC3に到着すると考えると、逆算して12:30〜13:30
には山頂から下山を開始しなければならない。
しかし、栗城くんはあくまでもソロクライマーである。
僕のアドバイスはできても、決断することはできない。
最終的には栗城くんが自分の判断で、進むのか引き返すのかを決めるのだ。
ややしばらくして、再び無線が入った。
「ルートがわかりにくいんだけど、確認してもらえますか?」
ダウラギリは頂上稜線が横に広がっていて、非常に山頂が分かりにくい。
今まで、登頂したと思っていたらニセのピークで、結局認定されなかったという隊が結構あったという。せっかく登ってそれは悲しすぎる。
ベースキャンプにいる僕とサーダー(シェルパ頭)のマンさんは頂上付近の写真を見ながら、栗城くんの辺りから見えているであろう地形を想像して説明を繰り返した。
「左に滑らかな岩壁がありますか? クーロワールの入口に雪が剥げて岩がむき出しになった部分が見えますか?」
「左に滑らかな岩壁。中央にむき出しの岩。ありました。」
「間違いないで!そこです!」
「もう力が入らないです・・・」
そりゃそうだ。無酸素で8000m付近にいて、無情にも最後に急斜面が立ちはだかっているのだ。僕はエベレストに登頂したとき、酸素を吸っていたにもかかわらず全てが面倒くさく、苦しかった。頑張り過ぎくらい頑張っている。
もう何と声をかければいいのか思いつかなかった。
それから40分くらい経過しただろうか。
「今、頂上稜線に着きました。・・・もう・・・死ぬほど辛いです。」
栗城くんはあまりの辛さに涙が込みあげ、声を詰まらせた。
「目の前に登山者の遺体が横たわっています。サーダーが言うとおり、このルートで間違いないと思います。・・・では・・・ラスト行きます!」
そして、15分後。声にならない嗚咽が無線越しに聞こえてきた。
「・・・うっうう・・・ネパール時間14:00ちょうど・・・。ダウラギリ山頂に到着しました!」
ついにやりやがった。
なんという不屈の精神。
諦めの悪いオトコ!
有言実行野郎!!
BCは歓喜に沸き上がった。
「おめでとう!本当に本当に良くやったよ!最高だよ!」
登頂にいつまでも浮かれてばかりはいられなかった。
「これから下山を開始します。」と交信したのが14:30。
今日は、夕方から雷が鳴り降雪があるという天気予報だった。
なんとしてでも夕方までにはC3に到着して欲しいところだが、
日没までギリギリのラインだった。
高所登山では、下山時の事故が圧倒的多数を占める。
なぜなら、究極の状況で登りに精魂を使い果たしてしまう登山者が多いからだ。
極限の疲れの中で、行動が雑になり、高所の影響で恐怖感さえ鈍ってしまう。
そうやって自分をコントロールできなくなった人が、誤って滑落したりするのだ。
栗城くんは大丈夫だろうか。彼は無酸素だから、下山が物凄く疲れるのだ。
日没までに帰ろうという気持ちの焦りから大きなミスを起こさないといいのだが・・・。
ベースキャンプにいると、無線で励ましたり、アドバイスするしかできることがない。
自分が山の上にいないという歯痒さ。
手に汗を握る。座っていられずウロウロと歩き回る。何度も山を見上げては溜息をつく。
18:30。
もう日没時間だが、栗城くんはまだ7600m付近にいるという。
力を使いきり、フラフラの状態で暗闇の中を下山するということが、どういうことを意味するのか。不安が不安を呼ぶ。
「神様・・・」
C3に到着してから、栗城くんからC2に下山すると報告があった。
なんで?
良く聞くと、軽量化のためC3にはシュラフもガスも上げていなかったという。
これからのことを考えると、確かに温かい飲み物と食べ物を採り、温かいシュラフで休むことが必要不可欠だ。
でも大丈夫かよ? もう限界はとっくに超えているはずだ。
それから待つこと2時間。時刻は23時を回ったところだった。
シェルパから緊迫した声で無線が入った。
「栗城が滑落した」
僕は多分青ざめていたと思う。BCは完全に凍りついた。
「・・・でも大丈夫。途中で運良くタルチョ(お祈りの旗)に引っかかって、停まった!」
良かった。本当に良かった。
なんて運がいい男なんだろうか。神様がこの男をまだ死なすわけにいかないと手を差し伸べているような。
そう思えてならなかった
栗城くんが翌日C2からBCに向かう途中、
「もうすぐBCに着きます」と無線を入れてくれた。
その直後、空を見上げると、信じられない空が広がっていた。
まるでお釈迦様が舞い降りてきたかのようだった。
太陽を大きく囲う眩いまでの日輪。
強い信念を持つものの周りに、時に奇跡としかいいようがないできごとが起こる。
信じる心。屈しない心。
それをこの遠征で、改めて気付いた気がする。
そして、今まで最前線でチャレンジする立場しか知らなかった自分が、
栗城くんを背後からバックアップすることで、様々なことを学ぶことができた。
今まで見えないものが目に見えるようになった。
「どうしても児玉さんに一緒に来て欲しい」と言ってくれた栗城くんに
「ありがとう」と言いたい。
そして、いつも感覚的に判断し、旅に出る僕を支えてくれている家族や友人、
SOSを初め、僕の活動の内容だけじゃなく、人間的な成長を見守ってくれる
スポンサーの皆様方に心から感謝の気持ちを伝えたい。