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潮来旅館女将 震災から再起へウナギ修業

2011年06月19日

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安永店長からウナギの焼き方を教わる羽生さん(右)=福岡県柳川市稲荷町

東日本大震災で被災し、廃業した老舗旅館の女将(お・かみ)が、再起をかけて福岡県柳川市で名物のウナギ料理を学んでいる。潮来市の羽生公子さん(66)。5月下旬から単身で柳川に住み込み、料理店で茶わん洗いから修業を始めた。「立ち上がるために一から勉強したい」と決意は固い。

柳川市中心部に近い沖端川沿いの「うなぎ処 柳川屋沖の端店」が、羽生さんの修業の場だ。近くの知人宅に住み込み、徒歩で通う。午前11時から午後4時まで接客や皿洗い、米の仕込みをこなす。今月に入って仕事の合間に調理場に立ち、せいろ蒸しの作り方を本格的に学び始めた。

羽生さんは28歳で潮来市の竹家旅館に嫁ぎ、2000年から女将として切り盛りしてきた。調理経験も長い。60年近い老舗だが、3月11日の地震で、約2千平方メートルの敷地を貫く地割れが建屋に達した。無数の亀裂が入り、浴場の天井も落ちた。やまない余震に「お客様の命が守れない」と4月13日に廃業を決め、隣町の娘宅に身を寄せた。

街は被災し活気を失っていた。しかし、羽生さんは、旅館の敷地で被災を免れた空き家に希望を見いだす。「これを改装して店を出せないか」と。10年前に旅先の柳川で食べたウナギのせいろ蒸しの記憶がよみがえった。「茨城でせいろ蒸しを出す店は聞いたことがない。本場で修業したい」と考えた。

知り合いのつてを頼り、5月24日に福岡県粕屋町で柳川屋の社長に会った。荷物は、3日分の衣服を詰めたバッグ一つ。履歴書には「明日に向かって立ち上がるため、うなぎの勉強をさせてください」と書いた。即日採用が決まり、沖の端店で働くことになった。

同店の安永勝徳店長(49)は05年の福岡沖地震で食器が割れるなどの被害を受け「ひとごとではない」と感じた。最初は「軽い気持ちで来てほしくない」とも思ったが、女将まで務めた人が家族と離れて、再起を図ろうと努力する姿勢に心を動かされたという。

せいろ蒸しは、安永店長が25年かけても「完璧な焼き方は、まだできない」と感じるほど難しい。だが、羽生さんの熱意に、あっさり味に仕上げる秘伝のタレを生かした調理法を教え込んでいる。修業期間は1カ月。「完璧にとはいかないが、努力次第でものにできる」と安永店長。

羽生さんは「ピンチはチャンス。前に進むしかない」と言い切る。来年には潮来の新しい店で、お客の笑顔に再会できることを夢見て、厨房(ちゅう・ぼう)に立ち続ける。(桑原紀彦)

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