きょうのコラム「時鐘」 2011年6月20日

 この夏は北陸でも節電を余儀なくされそうである。できるなら勘弁してほしいが、腹をくくらねばなるまい。気分が晴れぬ節約、我慢である

そんな時は、笑うに限る。落語にはおかしな節約家が大勢いる。隣から漂うウナギのにおいをかいで飯を食べるけち。見とがめて、ウナギの「かぎ代」を請求する隣のけち。それなら、と財布を出してちゃらちゃらとゆすり、「支払いは金の音だ」とやり返すけち問答

おかしいが、昨今は身につまされる。高速道は無料、子ども手当は弾む、と威勢のいい掛け声ばかりを聞かされ、中身はけちられた。落語そっくりである

けちの極意は木に登って学べ、というのもある。枝にぶら下がって左手を離す。次は右手の指を順に離す。落下寸前になって、はたと悟る。「つかんだら離さぬのが、けちの極意」。なるほど、と感心するより先に、指1本で地位にしがみつく男の姿が重なる。笑い事ではない

永田町の騒ぎを見ていると、節約の心構えがグラグラする。そんなものに目をやらずに、被災地のことを思うことにする。為政者は、節約を支える力になってくれそうもない。