東京電力は18日、福島第1原発事故の発生直後の対応状況についての調査結果を公表した。原子炉格納容器の圧力を抜く「ベント(排気)」や海水注入など、過酷事故を想定して策定した安全対策(アクシデントマネジメント)が機能せず、1号機原子炉建屋で3月12日に起きた水素爆発が、他号機の復旧作業の支障となり、連鎖的に事故が深刻化した様子が明らかになった。
東電は、集めた証言やデータを基に、地震発生後の対応を号機ごとに時系列でまとめた。それによると、3月11日午後3時42分の全電源喪失から約1時間半後の午後5時12分、吉田昌郎発電所長がアクシデントマネジメントに沿って作業に入ったものの、さまざまな障害によって翌日午後2時半ごろまでベントに成功しなかったことが新たに判明した。
1号機のベントに必要な図面は原子炉建屋から離れた事務本館にあった上、11日午後9時51分には建屋内の放射線量が上昇し入れなくなった。同11時50分ごろに格納容器の圧力が設計値を超えたため、翌12日午前0時6分、吉田所長がベント準備を指示。同午前1時半、菅直人首相の了承が得られたが、建屋内には煙のようなものが充満していて入れなかった。午前8時27分には、避難指示が出ていた地元・大熊町の一部住民の避難が済んでいないことが分かり、ベントを見合わせた。結局、ベント成功は午後2時半。1時間後の同3時36分には水素爆発が起きた。
爆発により、隣接する2号機で注水やベント作業に当たっていた電源車が停止して再起動できず、3号機で14日起きた水素爆発でも消防車やホースが破損した。
東電の松本純一原子力・立地本部長代理は「電源喪失に余震もあり、非常に厳しい作業。アクシデントマネジメントの想定をはるかに超えた事故だった。まとめるまでに3カ月以上かかったが、今後の事故対応の検証や説明に生かしていきたい」としている。【関東晋慈】
毎日新聞 2011年6月18日 23時31分(最終更新 6月19日 0時01分)