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スーパー・マーケットの天皇―大江健三郎と中内ダイエーの敗戦後

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ペリー,マッカーサー,チョウソカベ


 大江健三郎の『万延元年のフットボール』(1967)は,不平等条約を批准するために咸臨丸がアメリカに渡った万延元年(1860)から,日米安保条約が改定をめぐって国内が騒然とした昭和35年(1960)までの100年間を,物語の基本的な時間枠にしています。
 刊行された年が明治100年にあたる1967年であるのも,偶然ではない気がします。

 おそらくは,鬼畜米英と戦う大日本帝国の少国民として育ち,満10歳で敗戦を迎えて戦後民主主義者へとを転生していった大江健三郎の,アメリカに対する根深い屈折が,四国の谷間の村を舞台に展開されていると見ていいのでしょう。

 天つ神という征服民族を迎え入れる国つ神という被征服民族の代表であるサルタヒコが『万延元年のフットボール』に登場するのも,ペリーやマッカーサーという天つ神を受け入れてきた日本の似姿としてなのだろうと思います。

 たとえば,外部からやってきて谷間の村を襲い災厄をもたらす邪悪なものの典型とされる「チョウソカベ」も,外来の支配者であるアメリカを連想させる存在です。

 そもそも長宗我部氏は土佐(高知県)の戦国大名なので,愛媛(伊予国)にある谷間の村から見れば,まさに外来の王です。土佐を平定した長宗我部氏は,そのあと四国を平定しています。

 そのうえ長宗我部氏は渡来人である秦氏の末裔であるとも言われているので,そういう意味でも外来の王なのです。


スーパー・マーケットの天皇


 外来の王ということで言えば,『万延元年のフットボール』には,スーパー・マーケットの天皇と呼ばれる人物が登場します。

 谷間の村に新しいスタイルの現代的な総合商店が登場し,古いタイプの商習慣を破壊し,共同体のあり方を変質させていきます。

 もちろん,スーパー・マーケットという商店の形態は,アメリカ由来のものです。小説の中でも,スーパー・マーケットの天皇と呼ばれる人物が,アメリカに旅行して学んできた方式で経営されていることになっています。スーパー・マーケットが全国的な広がりを見せるようになるのは1960年代前半のことですから,『万延元年のフットボール』が発表されたころのスーパー・マーケットはまだまだ目新しい店舗スタイルだったのです。

 アメリカで学んだ最新の方式で商売をしている人物が,なぜ「天皇」と呼ばれているのか,『万延元年のフットボール』には次のような住職と蜜のやりとりが書きつけられています。

 「…戦争の後、朝鮮人部落の土地は、森で強制労働をしてきた朝鮮人に村から払い下げられた形になったのだけれども、そのうち土地全部を仲間から独占的に買いあげて自分のものにした男が、発展に発展を重ねて現在のスーパー・マーケットの天皇になったんだからね」(中略)
 「もしかれがすでに日本に帰化しているとしても、朝鮮系の男に、天皇という呼び名をあたえるのは、この谷間の人間のやることらしく底深い悪意にみちているよ。しかし、なぜ誰もそのことを僕にいわなかったのかなあ?」
 「単純なことさ、蜜ちゃん、谷間の人間は、二十年前強制されて森に伐採労働に出ていた朝鮮人に、今や経済的な支配をこうむっていることを、あらためて認めたくないんだ。…」

 渡来人の秦氏の末裔であるチョウソカベと同じように,スーパー・マーケットの天皇は,まさに外来の王だったのです。


中内功(エ+刀)という男


 スーパー・マーケットと言って真っ先に思い出すのは,流通王国ダイエーを一代で築き上げた中内功(本来は「エ+刀」)です。

 フィリピンから復員した中内功は,闇市で再スタートを切り,1957年に大阪千林で「主婦の店・ダイエー薬局」を開店し,翌年には神戸三宮に2号店を開店しています。

 1962年には「国際スーパーマーケット大会」(!)の日本代表としてアメリカに渡り,本場のスーパー・マーケットを見学して衝撃を受けます。アメリカの豊かさに圧倒された中内功は,帰国してからというもの,すべての手本をアメリカに求めるようになったと言います。

 こうして中内功は,やがて「主婦の店・ダイエー」を巨大な流通帝国へと押し上げていくことになるわけです。

 スーパー・マーケットの天皇とは違い,中内功は在日朝鮮人ではありませんが,創業時にはこんな噂があったと言います。

 「平野町に若い朝鮮人が薬の現金問屋をはじめよった。メチャクチャに安いそうな。メーカー、問屋があわてて品をいっさい出さんようにしたが、どっかから仕入れてきよる。それで寄ってたかって営業停止に持っていったが、いっこうにこたえんらしい…」
 「あいつはもと、神戸でストレプトマイシンの密輸入でもうけたそうな。ヤクザと海のうえでピストル撃ちおうたいうぜ…」   ―足立巻一『関西人』(1967/弘文堂新社)p.23より

 噂にすぎないわけですが,『万延元年のフットボール』が書かれた頃に,こういう話が流通していたという事実は,なかなか興味深いと思います。スーパー・マーケットの天皇のモデルは,もしかすると中内功だったのかもしれないわけですから。

 「中内功とダイエーの『戦後』」というサブタイトルを持つ佐野眞一の『カリスマ』によれば,アメリカ的な大量消費社会を支える流通業へと中内功を駆り立てていたのは,戦争中のフィリピンでのトラウマ体験だったと言います。

 中内功が佐野眞一に語ったところによると,戦争で一番おそろしかったのは,「隣にすわっている日本の兵隊」だったそうです。
 眠ると隣の日本兵にいつ殺されるかと思って眠れない夜が続いたらしいです。

 おそらく中内功は,硫黄島の地下壕と同じような想像を絶する極限状況の中でいくつもの眠れぬ夜を過ごし,果てしない人間不信の地獄の中から九死に一生を得て復員したのでしょう。

 この話を聞いたとき,佐野眞一は,中内功が戦友の屍肉を食べて生き延びたという噂はほんとうだったことを直感したと書きつけています。

 中内功は,日本軍の兵站(ロジスティック=物資補給)の貧弱さをいやというほど味わったからこそ,大衆に商品を大量に供給し続ける流通王国を築き上げることに生涯をかけたのです。

 また,まともな取り調べをすることなく,「スズキ」とか「サトウ」のような日本人に多い名字の戦友から順番に戦犯として殺されていく中,「ナカウチ」という珍しい名字であったためにかろうじて処刑を免れたと言います。

 中内功もまた,サバイバーズ・ギルト(生き残りの罪障感)を抱えながら,敗戦後を生き抜いた日本人の一人だったと言っていいでしょう。
 しかも,戦勝国であり,スーパー・マーケットの母国でもあるアメリカに対する屈折した感情を抱えながら。




外部サイト
中内功の敗戦後―“復員兵が見た世界”(ちくまの教科書)

Photograph by NJ

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戦後戦記 中内ダイエーと高度経済成長の時代 /佐野真一/編著 [本]

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