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【社会】

蓮池透さん 津波 想像したことなかった

2011年6月19日 朝刊

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 北朝鮮拉致被害者の蓮池薫さん(53)の兄で、元東京電力社員の蓮池透さん(56)が本紙の取材に応じた。福島第一原発での勤務時に被ばくした経験を持ち、強い放射線にさらされる作業員の健康を心配する一方、原発の「安全神話」を信じ切っていた自分自身にも、悔しさをにじませた。 (菊谷隆文)

 「私は累積で一〇〇ミリシーベルトは被ばくしています」。蓮池さんは硬い表情で語り始めた。

 一九七七年に入社し、初任地が福島第一原発だった。三年半後に本店に異動。再び八七年から二年半、福島第一で働いた。通算六年間の勤務中、検査で確認した被ばく量は累積で約一〇〇ミリシーベルト。今回の事故に限り二五〇ミリシーベルトに引き上げられる前の緊急作業での上限だ。

 「当時は通常作業しかしていないのに、これだけ被ばくした」。最初の赴任では、3号機の原子炉を制御する設備の保守管理を任された。十三カ月ごとの定期点検で、炉の内部の計測機器を検査する時などに被ばく。全面マスクと防護服でも、炉心からの強い放射線で被ばくは避けられなかった。

 今は被ばくを極力避けるため、遠隔操作の機械でできる点検が増えたが、約三十年前は、大半が人の手に委ねられていたという。

 今回の事故では、復旧作業に当たった東電社員八人の被ばく量が二五〇ミリシーベルトを超えた。防護マスクが行き渡らず、内部被ばくしたのが原因だ。「東電は、作業員たちの被ばく管理をしっかりしているのか。特に、放射性物質を体内に取り込む内部被ばくが続出していることが気になる」と語気を強めた。

 内部被ばくは長期間、体内が放射線にさらされる。「東電は内部被ばく防止の徹底と、内部被ばくが多かった人の健康管理を続ける義務がある」と厳しい口調で話した。

 蓮池さんが担当した3号機の原子炉建屋は、水素爆発で屋根が吹き飛んだ。ほぼ骨組みだけとなった姿に「本当に残念だ」とうつむいた。原発で勤務していたころは「穏やかな海を毎日見て、津波被害を想像したこともなかった」。

 上司には「炉心損傷事故は百万年や一千万年に一回の確率でしか起こらない」と教えられ、そう信じてきた。「それが一度に三度も起こってしまうとは…。まさに机上の空論だったんですね」。最後に、やるせない表情で悔しさを口にした。

 

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