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2011年3月11日14時46分ごろ、三陸沖を震源に国内観測史上最大のM9.0の地震が発生し、津波や火災で多数の尊い生命が失われました。
その時、私は仕事で仙台での会議終了直後に、地震に遭遇しました。揺れは大変激しく長い時間でしたが、今度は、多賀城(仙台新港近く)の事務所に他の社員とともに2台の車に分かれて帰社する途中、三井アウトレットパークを通過しジャスコ多賀城店に近づいてきた時に、津波に襲われました。
アスクルの社員が2階から大声で何かを叫んでいるのが聞こえたので、津波が間近に迫っているものと判断し、とっさに車を北に方向転換し国道45号線へと逃れました。
このアスクルの社員の大声が自分たちの生死を分けたものと感じています。
そして、高い建物は45号線沿いにあるホテルルートインであるため、そこに逃れようと考えました。
しかし、45号線に入った時は、20〜30cmもの厚みのある道路の側溝のふたが跳ね上がり、また、道路が渋滞となっていて大変危険な状況であったことから、車を乗り捨ててホテルルートインへ入ろうとしましたが、大量の材木が流れてきて入ることができず、それとは逆方向の八幡小学校へ走って逃げました。
その後、津波は、周りの建物・自動車などすべてを飲み込んで、大きな破壊音と共に水が小学校のグランドまで襲ってきました。幸い命は取りとめ、間一髪で難を逃れました。
当日は八幡小学校で夜を明かし、翌日、仙石線の線路の上を伝いながら多賀城駅まで出て、津波で残った水の中を歩き事務所へと向かいました。積み重なった自動車の山を抜け、破壊された事務所に近づいてくると、めったに出ない自分の目から涙が出てきました。
事務所は壊滅的な打撃を受けています。1週間たってようやく社員全員の安否の確認が取れました。
次の日からは多賀城市文化センターへと移り避難所生活を送り、4日後に何とか自宅の福島へ戻ることができました。
現在は実家がある相馬市においても、津波による被害が甚大で一部同級生と連絡が取れないほか、新地の観海堂、そして、トメおばちゃんの家も流されました。
また、双葉町の原子力発電所の放射能漏れにより避難する住民が増えており、昨日、実母と義母を福島へ避難させています。今後、状況によっては福島市からも避難しなければならないことも念頭に入れてのことです。
幸い、私の家族は全員無事でした。
明日からは事務所近辺に単身生活をしてでも復旧に向け全力で業務に取り組みたいと考えています。
よって、今後、本ブログの更新は不定期となりますのでご了承願います。。
*本ブログは、現在まで、私の仕事に関する内容等については、極力避けておりましたが、
今回のこういった事情により掲載させていただきました。
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