2011-04-27

某友人のツイートを眺めていて。
つまるところ議論が始まっていて、友人は知らない人と会話をしてて、
それを眺めたんだけど、それだけで疲れた。
なんでいちいち「試す」みたいな質問をするかなあとか、
話をすり替えやすい半身の会話を仕掛けるかなあとか、
特殊なキーワードでバカにし気味な定義をかけてみたりするし、
微妙な旗色になったら茶化す。
それでいてその「お試し」の答案合わせも陳腐なんだよ、これが。
勿体つけなくても知ってるし、なんなの、みたいな。
結局ポジショントークじゃねーか、くだんねー、って思って。
僕の友人はその面倒な議論をちゃんと受けていて、
それは相手が業界関係者だったから彼にも意義があったと思うんだけど、
いやー偉いな、、って思った。
コンサルをやろうとしているからかな、それは。
まちづくり関係でそんな論戦挑まれたら、僕は嫌だなあ。
そしたら僕はコンサルとか向いてないのかなあ、そうかもなあ。
2011-04-19

義捐金の件、これから市町村に差配が移るわけで、
被災者の手元にお金が回るにはまだまだ時間がかかる。
おまけに行政が手続きをやっていろいろと条件付けしちゃうから、
被災者からするとテクニカルなことをやらないとお金をもらえない。
そしてなにせ公平公正に配分をしようとするから、
1人あたりの金額は細切れに分散されて大した金額にならない。
要するにこれは、結果的には税金と変わらない類の予算の使われ方。
行政の手続き主義は問題だとか、みんな言うくせに、
ただ楽だからと赤十字に義捐金を振り込んでいる時点で、
自己矛盾してると僕は思う。
そもそも震災前から、日本社会のさまざま低迷は、
政府の予算の使い方が硬直化、非効率、スピード不足というところに、
大きな原因がある。
もはや政府や各市町村、もちろん官庁も、
どこに予算を投下したらいいかなんて分かってないし、
分からないなりにトライアルをやるってわけでもない。
それでこのニュース。
もう僕はクラクラしております。アホか。
もちろん責任は1人1人にある。
2011-04-15

「どうせもともと」
震災以来、いろんな知人や友人と話してきて、やはり自然と震災&原発以降の話になる。
そうすると、
東北の復興にどれだけのお金(≒税金)がかかるのか想像もつかないね、
計画停電で夏には企業パフォーマンスがまた落ちる、
海外からの観光客は減るだろう、
福島の農産物は何だかんだ言っても国内外とわず売れない、
今後の輸出産業だったはずの原子力関係はもうダメだろう、
そんな話になる。
震災の結果、もうお先真っ暗みたいな話で、僕もそうだなあと思って。
どうしたものかなあと頭の片隅で考えながら朝の家事やらやってると、
「どうせもともと」みたいなことを考えた。
よくよく考えてみると、
全国的にコピーアンドペースト的な地方都市の状況は惨憺たるもので、
企業パフォーマンスもなにも、ワークシェアリングだの日本人働きすぎだの言われていて、
観光立国なんて政府が言ってるぐらいだから(逆説的に)日本の観光なんてたかが知れていたし、
農産物は自由化するなって言ってるぐらいでもともと海外でも国内でも売れなくなって来ていたわけだし、
第二次大戦唯一の被爆国の日本が原子力大国になるなんてのは悲喜劇のシナリオそのものだし、
要するに、どうせもともと、今の日本の状況はこんなもんなんじゃないか。
そう思ったら、別になにも震災なんて、あまり影響しているわけでもない。
不謹慎だがこの際、外圧がないと変われない日本にはいいキッカケとして、
バラエティ溢れる地方都市や、
夏には最低3週間ぐらい企業人もバカンスをとり、
ついでにバカンス中には観光でお金を落とし(できれば国内で)、
よく考えたら無意味な出勤も多いんだからSkypeとかでの自宅勤務も奨励して、
お年寄りの持ってらっしゃる預貯金を強制的に若い世代に回して、
つまり死に体の年金なんて全員に詫び倒してもうやめてしまって、
そんな感じでもっとカオティック、インディペンデントな社会にすればいいんじゃないか。
アカホシトモカ
2011/04/21 11:53
まったくそのとおりであるー。
2011-04-14

最近歯医者さんに行って思うのが、歯医者の世界にも
どうやら技術向上、革新は起こり続けているようで。
僕の行っている歯医者にはロビーに保育スペースがあったり、
ソファーが置いてあったり、治療室に向かう廊下もちょっとした
ホテルぐらいに清潔感があってデザインされている。
おまけに麻酔の注射が昔より痛くなくて、効きもいい気がする。
それで僕は奥歯を抜いてきたのだが、
まるで口の中で芋掘りでもするかのようにボリボリと
奥歯をほじくられ、女性の出産を「でかいウンコ」と称する
向きがあるけれども、この芋掘りもその類だと思った。
なんだろう、技術がどれだけ精緻化、電子化されても、
要するに芋掘りなんだなと実感したという話。
2011-04-10

今日はこれから歯医者さんにいって、某奥歯を抜歯するんだけれど。
歯医者についてはいろいろと思うことがある。
その一つが、いまだに歯医者が怖いということ。
もちろん抜歯とかすごく怖い。いま、実際すごい嫌な気分だ。
小学生ぐらいの時、同じように抜歯とか嫌だったけど、大人になっても
変わらず抜歯が怖かったり嫌だったりするとは思わなかった。
それで話が飛ぶんだけど、いま松戸でおっちゃんたちとよく話す仕事を
していて、還暦迎えたぐらいの某おっちゃんが
「60歳になっても、子供の時思ってた大人にはならんもんだよねー、
いまだに若いときと変わらない(変われない)感じなんだよこれが。
青春みたいな感覚まだあるし」
とかiPadをいじりながら言ってるのを聞いていて。
僕の中では抜歯が怖いことと、おっちゃんのその話は繋がっている。
たぶん僕も、60歳とかなっても20代の頃と変わんないなー、とか思って
過ごしてそうだな、それはおそらくすごくステキなことだな、そして
小学生時代と同じように未だに抜歯が怖いのはそのこととイコールな
気がするから、つまりこれは避けられない運命なんだろうと、そう考えている。
2011-04-09 義捐金のこと

義捐金と義援金と書き方が二つあって、
ときどき気になる瞬間があったのだけど、
調べてみたらもともとは「義捐金」だったらしい。
yahoo知恵袋 正しいのは「義援金」ですか、「義捐金」ですか、両方ですか。
だからなんだという話なんだけど、
そういう小さな疑問を流さず気にするところからはじめないと、
本当に意味のある活動や事業はできないんじゃないか、
と、そんなことをしばらく前から考えている。