僕は、根岸幼稚園、根岸小学校、忍ヶ丘中学校、市川高等学校という学歴です。
幼稚園は高水準の教育を受けてきたといえます。
小学校も高水準でした。
そして、受験、僕は慶応中等部、か、慶応普通部、海城中学に、行きたかったのですがいずれも失敗でした。
そして、多少の、絶望感はありましたが、地元の、忍ヶ丘中学校に行きました。
そして、そこでの、教育の水準の低さに少し戸惑ってしまったのかもしれません。
毎回のテストの成績の張り出し。そして、競争。生徒会長にならなければいけないという焦り戸惑い失敗。
あっという間の三年間。受験。疲れていました。
でも、先生も、一生懸命頑張ってくれたおかげで、卒業式には、涙を流すことが出来ました。
本当は、早稲田高校に行きたかったけれど、市川高等学校に無事受かったので、内心ほっとしていました。
そして、市川高等学校に入学、しかし、僕の望む高水準の高等教育はなく、勉強も徐々に遅れていきました。数学でも、詰め込み式勉強法でやり方などはまるで無視、解き方が好きな僕にとって、つらい、勉強の時期でした。そうして、だんだん、学校の勉強からは離れていきました。
勉強が出来ないのでは、仕事をするしかないと思い、当時あこがれの職業であった、DJを選択。
しかし、先生たちは心配することなく、僕を送り出しました。
本当は、悩みとか、たくさんありました。
当時、新宿にDJの専門学校の説明会などあり、そこに出席。普通に見ていただけなのに、講師である、DJの方に
声を掛けられました。そして、知り合いがいるからおいで、といわれ隣のビルにつれていかれました。
そこには、男の人が一人いて、この人は知り合いだからといわれました。
そして、その、某有名DJの方に覚せい剤を勧められました。
彼らが、まず手本にそれを吸引しました。高校生だったので、そこで、断るすべもなく、僕も真似して、
吸引しました。体が重くなり、感覚は鋭敏というより鈍くなったのを覚えています。
そして、そのDJに仲間入りして、遊び歩くようになりました。渋谷、六本木、川崎、横浜。
そして、次に、大麻を覚えました。一緒に遊び始めて、覚えました。
それも、高校生のときでした。表向きは雑誌に取り上げられたり、DJの大会で優勝したりと華々しかったのですが、裏では、毎日葛藤の日々でした。
そして、ある夏、その仲間と、遊んでいると、変な言葉の病気にとり付かれました。
韻遊びでした。僕は、韻ってあんまりしらなくて、韻とは言葉で、直接、意識下にしゃべりかける、呪文のような遊びでした。
そして、夏、沖縄に仲間と一緒に、行きました。そこで、初めて、LSDを体験しました。
皆が行ってる意味がわからなくなって、いじめられている、僕を言葉で攻撃しているという
体験をして、四日間涙を流した、覚えがあります。
そうこうしているうちに、DJ仲間が武道館でコンサートをすることになりました。
そして、打ち上げ会場があるから、おいで、ともう一度誘われました。
場所を探して、武道館の裏手に回ると、僕は、本当の覚醒をおぼえました。
そのとき薬は、手を出さなかったけど。きっとそこには、何かがあるんだなと思いました。
その後は、人々の嘲笑を浴びているような、異変を感じる様になりました。
そして十年暮らしました。
都会の喧騒の輪の中といった感じでした。そして、精神科にかかるようになり入院も体験しました。
しかし、精神科にかかったからといって、病気はうまくは治っていません。
病名は統合失調症だそうです。
でも、病気というレッテルだけでは、済まされないような、気がしてなりません。
長文 失礼いたします。
坂下貴靖
1 ■ふふふ
ヨレヨレ の シャキシャキ なのねぇぇぇぇぇ