ルナ シルバースターストーリー |
( SS、PS、PC 角川書店、角川書店/ESP、ESP/DegiCube 1996、1998、1999 )
※ オリジナル版(『LUNAR THE SILVER STAR』)は、 MEGA−CD ゲームアーツ 1992
By ピサロ
木漏れ日のカーテンが幾層にも重なるしじまの森の奥……。
かつては神殿であったと思われる明るく開けた地、泉は静かに水をたたえている。
そのほとりの石版が配置されている場所に、一人の少女が腰掛け歌っていて、その歌声は優しく辺りに響きわたる。
遅れて来た少年は、少女に気付かれないようにそっと傍に近づき、石版を挟んで背中合わせに寄り添い、彼女の歌の終わりを引き継ぐようにオカリナを吹き始める。
一瞬驚く少女だが、すぐに身を委ねるよう、うっとりとした表情でその音色に耳を傾け……そして、クスクスと笑い始める。
これはゲーム冒頭の場面で、私のお気に入りのシーンだ。
ごく短いやりとりではあるが、どんな二人なのかがよくわかるシーンである。
相手のことが大好きで、一緒にいるのがとても自然な二人。
もう一方のことを誰よりも理解していて、言葉など無くても当たり前のようにお互いを支え合い、寄り添い合える関係。
自らを飾る必要などなく素顔のままで付き合える、理想的な一対だ。
……やがて、この二人はかつてない激動の時を迎えることになる。
少女の方は世界を揺るがす嵐の中心たる場所に位置し、少年はその中で英雄への道を駆け上がっていくことになる。二人を取り巻く環境は激変し、周りの人は以前と同じような目で彼らを見ることはなくなってしまう。
それでも、最後まで二人の関係が少しも変わらないのが『ルナ』という物語である。
【LUNAR】
『ルナ』シリーズは根強い人気を持つRPGだ。
これまでにゲーム本編は、大まかに言えば四種発売されている。
まず、メガCDで発売された『LUNAR THE SILVER STAR』とその続編『LUNAR2 ETRNAL BLUE』。それを、セガサターン、プレイステーション用にリメイクした移植作『ルナ シルバースターストーリー』と『ルナ2 エターナルブルー』である。
他にも、ウィンドウズ版や、ゲームギアの『LUNAR ―さんぽする学園―』、サターンの『魔法学園ルナ』といったゲームもあるのだが、ウィンドウズ版はサターン・プレステ版と内容的には特に変わらないし、後の二つは番外編なのでとりあえず置いておく。
最も、サターン・プレステ版『ルナ』と『ルナ2』は移植作だから、本当は二つと言うのが正しいのかもしれない。
オリジナルと移植作ではゲームの大枠は一緒だが、細かい部分でいろいろと差異がある。例えば、一作目の『ルナ』(ファンの間では、メガCD版を『TSS』、サターン・プレステ版を『SSS』と略すのが一般的)では、まず声優が違うし、主人公のアレスが『SSS』では竜魔法以外の魔法が使えなくなっている。ナッシュというキャラクターの人物像が異なっていたり、ラスボスの非道な行いが『SSS』では若干弱められたり、『TSS』ではいなかった魔族が『SSS』では新たに登場したりと、変更点がわりと多い。だから、同じ『ルナ』と言っても、微妙に食い違う面が出てくるのだ。
でも、ゲームに込められた魂、メッセージ性に関しては、どちらも変わることはない。
今回、ここで語るのは、『ルナ』の1の方、それも『SSS』のストーリーに基づいての話である。
『ルナ』をプレイした人の感想を聞いてみると《オーソドックスな》RPGというのが多い。他にも、《どこにでもありそうな》話とか、《普通の》ファンタジーといった意見をよく聞く。
しかし、そういった感想の述べた人の誰もが、ほとんど例外なく《でも》とか《だけど》、《けれど》といった「逆接」から始まる話を後に続けることになる。
曰く。
「泣けた」
「いいお話だった」
「人々の想いに感動した」
「主人公アレスの優しさ、一生懸命さに心を打たれた」
このゲームに冠するに相応しい言葉は《王道》だと思う。
一見、どこにでもあるRPGのように見える。
でも、ゲームプレイ後に、春の日差しのように暖かさ、優しさが心に染み渡るような作品が一体どれほどあるだろうか。『ルナ』が創り出す独特の雰囲気は、決して凡百のゲームには為し得ない唯一無二のものなのである。
【The Saga of Silver Star】
冒険の舞台になるのは、天に青き星の輝く神秘の世界「LUNAR」。
青き星を巡るこの星は、かつて空気すら存在しない死の大地だったという。遥かな昔、創造の女神アルテナの強大な魔法力によって緑多き台地に変えられたのだという話だ。
今ではその恵みが各地に満ち、ほとんど人間が力の大小の差はあれ、魔法が使うことができるのである。
そして、神話、英雄の物語といったものがただの伝説ではなく、身近に存在する世界でもある。創造の女神アルテナは今も生きていて、アルテナ神殿の奥に鎮座している。とは言っても、彼女は正確にはこの地に最初の恵みをもたらした女神自身ではない。絶大な魔力を持つといっても、アルテナは不老不死の存在ではなく、寿命が近づく度に転生を繰り返して来たのである。
そんな彼女に仕える英雄がドラゴンマスターだ。
女神アルテナを守護する地水火風の精霊の王、四匹のドラゴン。その彼らの試練をくぐり抜け、力と人格を認められたものだけがなれる、一時代一人限りの不世出の戦士。人々の期待と羨望と憧れを一身に受ける人間だ。
約15年前、女神アルテナのもと、世界に訪れた危機を救ったドラゴンマスター・ダインを含めた四英雄の物語は、まだ記憶に新しい。
ダインは既に亡き人となっているが、他の英雄たちはまだ現役だ。
自由都市メリビアを治める怪力無双の獣人、メル・デ・アルカーク。
魔法都市ヴェーンの魔法ギルドの当主、エミリア・オーサ。
そして、ダインのいない今、世界最強の魔法戦士と言われるヴェーンの宰相、ガレオン。
神や英雄は、母親が子供たちへ聞かせる寝物語に登場するだけでなく、今も世界に生きているのである。
【旅立ち】
北方の開拓民の村ブルグ。
そこは、先代のドラゴンマスター・ダインの生まれた地。
村はずれの丘には彼を称え偲ぶ塚があり、その場所にはかつて彼の使っていたとされる剣が突き刺さっている。多くの人がそれを抜こうと試みたが、それを果たした者はまだ誰もいない……。
ブルグの村に住む主人公のアレスは、ダインに憧れ、彼と同じようにいつか冒険の旅へ出ることを夢見る15歳の少年だ。
そんな彼には幼なじみの少女がいる。
彼女の名はルーナ。15年前、赤ん坊だった彼女はアレスの家の前に捨てられていたのだが、アレスの両親に拾われ、以来、彼と一緒に兄妹のように育てられてきたのだ。
英雄に憧れる、夢見がちな少年。
明るくちょっとおてんばな、歌の上手な少女。
このどこにでもいそうな二人は、やがて、波乱に満ちた時代の激流に飲み込まれていくことになる。
最初のきっかけは、悪友のラムスがアレスに、村の南にある「白竜の洞窟」へ「竜のダイヤ」を探しに行こうと誘ったことだった。なんでも、ずっと氷に閉ざされた「白竜の洞窟」だが、最近の異常な天候による暖かさから氷が溶け、中に入れるようになったという。
いつか、冒険の旅に出たいと思っていたアレスは、彼の提案に賛同することになる。
その探検の中で伝説の白竜ファイディに会い、彼の試練をくぐり抜け「竜のダイヤ」を手に入れることに成功するアレスたち。しかし、それを村の道具屋に売ろうとしたら、あまりにも高額すぎるので、とてもじゃないが換金できないとのことだった。
そこで、アレスたちは「竜のダイヤ」を売りにいくために、ブルグの村のあるホンメル島を出て、大都市のあるカタリナ大陸に向かうことになったのだ。
お伽噺に出てくる「竜のダイヤ」を見つけにいくという子供じみた探検。
それが彼らの冒険の始まりだった。
【冒険】
小説の基本的な技法の中に「視点の統一」というものがある。
これは、一つの場面では一人の人物の視点で固定して、他の人の視点からの描写を極力排除するというものだ。「視点の統一」は、読者の登場人物への感情移入を高めるのに欠かせないものである。逆に、それが守られていないと、読者の感情移入を阻害する要因になりかねない。
例えば、あるシーンでAという登場人物の視点で物語が進んでいたのに、突然、Bというキャラクターの立場から見た描写が入ると、読んでいる人は「あれ? 私はAという登場人物のつもりでいたのに……」と違和感を覚えてしまい、現実に引き戻らされることがある。感情移入とは、言ってみれば読者がそのキャラクターになったつもりでいるという状態のことだ。だから、「視点の統一」が守られていないと、物語にうまく没入できなくなってしまうことが多いのである。
テレビで映画を見ていて主人公の手に汗握る冒険にハラハラしていたら、突然、ニュース速報がテロップで現れて、現実に帰って一気に興ざめしてしまう、という瞬間を想像してもらえばよくわかるだろうか。
小説を書きなれていない初心者が、「私」とか「僕」とかいった一人称で物語を書くと、わりとうまく書けることがあるというのは、一人称という形式が、否が応でも「視点の統一」を促すからである。
『ルナ』では、世界が常にアレスから見た視点で丹念に描かれている。
そのこだわりは、冒険への実感として跳ね返ってきて心地よい。ゲームをしていくと、プレイヤーはまるでアレスと一緒に旅をしているような気分になっていくのだ。
辺境の町ブルクから、新たな地へと辿り着くごとに、自分の知らない世界が少しずつ開けて感覚はあまりにも鮮やかだ。
ホンメル島の港町サイスから、カタリナ大陸へと向かう船出に期待と不安を抱く。
自由都市メルビアの大勢の人と活気に満ち溢れた空気に、田舎者よろしく圧倒される。
巨大な魔法力によって天空に浮かぶ魔道都市ヴェーンの神秘的な姿に心を奪われる。
初めての場所に赴く度に世界に広がりを感じ、アレスと同じように、まだ見ぬ地に期待を寄せてしまう。それは、プレイヤーに童心を呼び戻すワクワク感に満ちた冒険の旅だ。
実際、全体マップで見るとそれほど広いわけではないのだが、世界作り、街作りがしっかりと為されているので、そんなことは微塵に思わないのである。マップが無駄に広いということがなく、各地が独自の特色に溢れているのだ。
また、旅先で冒険を共にする仲間、出会う人々も、世界に数多の彩りを与える存在だ。
ブルグの村を出たばかり頃、未熟なアレスたちにとって、ゴートの森を抜けることは大変な危険を伴うものであった。その森で出会った髭面の剣士レイク。卓越した剣技で、軽々とモンスターたちを切り裂き、森の出口へと力強くアレスたちを導く彼の姿は、この上もなく頼もしい限りだ。
四英雄の一人、最強の魔法戦士ガレオンと旅をした時は、彼の持つ魔力の凄まじさに驚くことになる。アレスたちが抜けるのに散々苦労した森を、平地でも歩くかのように簡単に抜け、てこずってきたモンスターたちを、霧雨でも払うかのように易々と薙ぎ払う。英雄というものがどんなものかを、まざまざと見せつけるとてつもない力だ。
彼らとの冒険は、アレスが所詮は戦士としてひよっこの少年だということを気付かせる。そして、大人たちの手の大きさ、力強さを肌で知ることになる。自分の力の至らなさが、ゲームの中とはいえ世界が自分のためだけに存在しているわけではないことを知らしめ、世界の懐の大きさをプレイヤーに感じさせるのである。
アレスはゲーム最初から、世界を救うなんて大層な使命を持っているわけではない。冒険は少年らしいささやかな探検から始まり、それが序々に変化を遂げていく。唐突に、重大な使命を帯びるというようなことはなく、アレスは自分の気持ちに素直に従って行動を起こしているだけなのである。製作者のストーリーの都合に合わせて、無理に行動を決めさせられているような感じは、『ルナ』にはない。だからこそ、プレイヤーはアレスと視点で旅を続け、物語に没入し続けることができるのだ。
技法的な話をさらに言うと、『ルナ』は物語の盛り上げ方がうまい。
導入は静かに始まり、少しずつ展開が早くなっていき、最後にクライマックスを迎える。
穏やかに抑えるべきところは抑えて、重要な場面ではしっかりと盛り上げる。その緩急のつけ方がうまいのだ。ストーリーが全編盛り上がりっぱなしというのは理想的に見えるかもしれないが、実際は盛り上がっていないのと一緒である。それでは、本当に大事なシーンが目立たず、盛り上がっているように見えなくなってしまうのだ。その点、『ルナ』はストーリーを効果的に見せるための文脈をしっかりと押さえていると言えるだろう。
中でも、物語後半の機械城と機動要塞ヴェーンの戦いの演出は見事である。
静寂の中に潜む緊迫感。
静から動へと移り変わり、光が交錯する激しい戦いに突入する瞬間は、圧巻の一言である。
【旅の中で T】
<警告!>
ここから先の文章は露骨なネタバレが含まれています。
もし、これから『ルナ』をプレイするのでそういったことは知りたくないというのであれば、ここで文章を読むのをやめて下さい。
ただ、このゲームのもたらす感動は、予めそれらを知っていたからといって薄れるような類のものでないことは保証します。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
ブルグの村を出て、アレスたちは各地を旅する。
深い霧に包まれたゴートの森、海の男たちの町サイス、自由な気風漂う大都市メリビア、天空に浮かぶ浮遊都市ヴェーン……。
様々な地を巡り、アレスたちは、放浪の剣士レイク、元海賊で四英雄の一人のメル提督、プライドの高い魔法使いナッシュ、ヴェーン当主の娘ミア、アルテナ神殿の神官長フェイシア、ナンザスの山賊の頭キリー、メル提督の娘のおてんば少女ジェシカ、四英雄の一人でヴェーンの宰相であるガレオンといった数多くの人たちとの出会いも果たしていく。
それは、心躍る旅であった。
しかし、そんな旅の中でアレスたちは、いくつもの不穏な噂も耳にする。
「最近、各地で歌姫が攫われている」
「辺境に住む魔族の動きが活発化しているようだ」
暗躍する魔族の陰で見え隠れする、謎の「魔法皇帝」の存在。
人々の不安を煽るように、こんな噂も流れる。
「今、アルテナ大神殿には女神アルテナがいない。その証拠に、ダイン亡き後、新たなドラゴンマスターが誰一人誕生していなではないか」
そうした中、アレスたちはヴェーンで起きた事件に巻き込まれる。ヴェーンの当主のレミリアは幽閉されていて、魔族が姿を変え彼女に成りすましていたのだ。
事態を重く見たガレオンは、白竜ファイディに会って話を聞くことを決心し、アレスたちに白竜の居場所への案内を頼むことになる。
ブルグの村へと帰還し、「白竜の洞窟」へと向うアレスたち。
やがて、「白竜の間」に辿り着いたガレオンは、ルーナに関する奇妙な話をファイディと交わした後、突然、白竜に向って強力な魔法を発動し、その肉体を奪ってしまう。
なんと、ガレオンこそが魔法皇帝だったのである。
こうして、人間と魔族の壮絶な戦いの幕が切って落とされた。
ルーナを攫おうとするガレオンにアレスは必死に抵抗するが、力の差は歴然だった。一方的にやられて、アレスはルーナを奪われてしまう。
命を失いかけたアレスだが、剣士レイクによって救われ、なんとか死は免れる。
ダインの塚の前で、これからどうするかをレイクに聞かれたアレスは決意する。
「もちろん、ルーナを助けにいく!」
この日からアレスの新たな旅が始まる。
【旅の中で U】
魔族との戦いは熾烈を極めた。
四英雄の一人メルは石化され、ヴェーンの当主レミリアはガレオンにつけられていた仮面のせいで魔力を奪われていた。
かつての四英雄は、もう魔法皇帝にかなわない。
彼に対抗できるものがいるとすれば、それはドラゴンマスターのみであろう。
白竜ファイディが失われてしまった今となっては、もうドラゴンマスターになれる可能性があるのは、白竜の試練を抜けたアレスだけ。こうしてアレスは、残り三匹の竜の試練を受けドラゴンマスターになるべく、ナッシュ、ミア、キリー、ジェシカといった仲間たちと一緒に世界を渡ることになる。
行く先々でレイクなどの手助けを受けながら、いくつもの試練を乗り越えていったアレスは、様々なことを知る。
その一つに、魔族についてのこともあった。
邪悪の象徴のように言われる彼らだが、決して、そういうわけではなかった。
辺境に住む魔族は、女神アルテナの恵みに乏しい不毛の地で、苦しく貧しい生活を送っていた。人間たちに虐げられ、荒涼とした大地で生活することを余儀なくされていた彼ら。
魔族たちは、ただ、人間たちの住む緑の大地に憧れていただけだったのだ。
アレスはこの世界を、人間と魔族が共に手を携えて生きることのできるものにできないかと考え始める。
しかし、ガレオンはあくまでも力による「LUNAR」の改革を目指していた。
彼は驚異の軍事力を持つ機械城による侵攻を開始する。その激しい攻撃により、浮遊都市ヴェーンは地に墜ちた……。
やがて、全ての竜の試練を抜け、魔法皇帝との戦いに向う一行。
苦しい戦闘を経て、何とか魔法皇帝を倒すことに成功したアレスたち。
だが、その先には驚くべき展開が待ち受けていた。
ルーナと再会したアレスだが、彼女の様子がどうもおかしい。アレスたちのことを知らず、自らを女神アルテナと名乗る彼女。
そして、困惑するアレスたちの前に、本当のガレオンが現れる……。
数々の冒険を通してアレスたちは強くなっていた。
ただ、ガレオンの強さは人間のレベルを遥かに凌駕する、神の領域にまで到達していた。
その圧倒的な力の前に、アレスたちは為す術も無く敗れ去るのであった……。
【ホンキーダンス】
ちょっとここでコーヒーブレイク。
軽い、というかおバカな話。『ルナ』は感動的ないいゲームなのだが、それでもいくつかツッコミたくなる箇所がある。
まず、避けて通れないのがルーナの歌。
彼女は国一番の歌姫で、わざわざ遠くの地からその歌声を聞きにくる人がいるという設定だが、その割には声優の氷上恭子の歌はあまりうまくないぞ、と正直な人間であれば誰しもそう思うだろう(禁句?)。
声優さんには気の毒だと思うけど、何とかならなかったのかねえ。
フウ……(溜め息)。
あと、各キャラクターが敵か味方か、顔を見ただけで判断できるのもまずいと思うのだが。つ〜か、敵が悪人面しすぎ。
そうそう、闇の女神アルテナになったルーナとか、女魔族のゼノビアなんかがやたら露出度が高くて煽情的な激しい服を着ているけど、あれってガレオン様の趣味ですか?
最後に、ゲーム本編ではないんだけど……。
アレスがダインの塚で剣を引き抜きドラゴンマスターになるシーンをパロッて、おっさんが大根を引き抜く雰囲気ぶち壊しのテレビCMを作った方。このCMのおかげで、あの感動的なシーンがギャグにしか見えない体になってしまいました。
この恨みは一生忘れません。
【試練を乗り越えて】
このゲームに登場する仲間は、みんな弱くて不完全な存在だ。
キリーは強くて気のいい奴だが、だらしないところがあり、本当の困難にぶち当たると挫けて諦めてしまう。
ジェシカは後先考えずに行動をし、いろいろな問題を引き起こしてしまう。
家柄、才能にも恵まれ、人柄にも文句の付けようにないように見えるミア。でも、優しすぎる性格は押しの弱さとなり、自分に対して自信の無い彼女は、いざというときに率先して行動を起こせない。
そして、プライドだけはやたら高いくせに大した実力も無く、エリート意識むき出しで人を見下すような言動を繰り返していたナッシュは、正に弱い人間の筆頭だ。彼は密かにガレオンと通じていて、アレスたちの情報を裏で流していた。そして、物語の途中では、ミアたちの命の安全を保障してもらうことを条件に、仲間のことを裏切る行動を起こすのである。
だけど、私はナッシュを強く責めることはできない。
何故なら、彼こそガレオンと自分たちの彼我の実力差を、誰よりもしっかりと把握していたのだから。比べることすら無意味な、圧倒的に強大な力。それに挑むことは、無謀以外何物でもない。ナッシュこそ、一番常識的な考えを持った人間だったのかもしれない。
しかし、そんな彼らも、主人公のアレスに感化され少しずつ変わっていく。
あまり口数が多いわけでなく、どこかなよっとした風貌のアレス。
でも、ひたむきに、真っ直ぐに行動を起こす姿はどこか頼もしい。彼は自分を少しも飾らないし、偽らない。自分の心に正直に行動を起こし、少しの迷いも見せない。そんな彼は、側にいる人間からは自信に満ち溢れているように見える。
ただ、ルーナを助けたいという想いだけで一生懸命に行動する彼の姿は、全てを託してでも応援したい気持ちにさせるのだ。
彼の純粋さは、他の人間たちを引っ張っていく。
ガレオンに敗れて自暴自棄になっていたナッシュとキリーも、ミアやジェシカに説得され自分を取り戻すと、再び、アレスたちとガレオンに挑む勇気を手に入れるのである。
そんな彼らの前に、レイクが現れる。
もし、アレスたちがガレオンと再び戦う気があるのなら、話すことがあるという。
彼に導かれ、ダインの塚へと向う彼ら。
そこでアレスたちは、レイクから15年前に起きた真実を聞かされる。
世界の危機をひとまず回避した後、女神アルテナはある重大な決意をする。自分の魔力を「LUNAR」に住むあらゆる生き物たちに分け与え、自分自身は人間に転生し、この地を神が統治する世界ではなく、人間たちが自らの力で幸せを切り開いていける世界にしたいと考えたのだ。
ダインはその彼女の計画のために自身の魔力の全てを捧げ、ドラゴンマスターたる力を失ってしまったのだという。
レイクこそが、かつてのドラゴンマスター・ダインその人であったのだ。
そして、ガレオンがずっと探していた女神アルテナが人間として転生した姿、それがルーナだったのである。
ガレオンは、ルーナを憑代に古代のアルテナの魂を降臨させ、闇の女神として復活した彼女を操ることで、神の力を手に入れようとしているのだという。
全てを知ったアレスに、レイクは真のドラゴンマスターになれと告げる。
誰一人として抜くことの叶わなかったダインの塚に突き刺さった剣。
今、それはアレスによって少しずつ引き抜かれていった……。
【最後の戦い】
最後の決戦の前、メリビアの街ではダインとガレオンに関するある昔話を聞くことができる。
世界の危機を救うための旅の途中、ダインたちは川で一匹の犬が溺れているのに遭遇した。
一時を争う緊急の状況だったので、ガレオンは無視して先に進むことを主張した。
だが、ダインは制止するガレオンを振り切って川に飛び込み、その犬を助けたという。
理屈から言えば正しいのはガレオンだろう。結果として世界は無事に救われたが、この失われた時間のせいで取り返しのつかない事態が起きていたかもしれないのである。
けれども、ダインの行動がこんなにも胸を打つのは何故だろう……。
このエピソードには、ダインとガレオンの二人の違いがはっきりと出ている。
ダインは物凄く単純な人間である。助けたいと思ったから助ける、ただそれだけだ。純粋な気持ちのままに、行動を起こしているだけなのである。
一方のガレオンは、非常に責任感の強い人間だ。目的を果たすためには最大限の努力をし、そのためにはあらゆる犠牲を払ってでも成し遂げようとする強い意志が感じられる。世界が危機に陥った時、普通の人にはない力を持っている自分たちこそが何とかしなければならないと考えていたのだ。
だからこそ、アルテナが女神であることを捨てて、ただの人間になろうとした時、ダインがその彼女に力を貸すためにドラゴンマスターの力を投げ打った時、彼らを許せなく思ったのだろう。
弱い者たちだけでは何もできない。強い力を持つ者が道を切り開き、弱き人々を導いてやらねばならない。彼は、アルテナ、ダインなどが率先して「LUNAR」を、魔族などを含めたあらゆる生き物が幸せになれる世界へと変えていかなければならないと信じていたのだ。それは、魔族であることを隠しながら、人間たちの中で疎外感を感じて生きてきたガレオンだからこそ思い至った結論だったのだろう。かつて、アルテナに辺境の地へ追放されたという魔族は、彼女を恨んでいる者も多い。しかし、そんな彼らでさえ、この星ではアルテナの力にすがらなければ生きていけないのである。
おそらくガレオンには、アルテナ、ダインの行動はひどく無責任に見えたことであろう。
また、彼がアルテナを許せなかった理由はもう一つある。彼女が人間になりたいという自分の都合のために、彼から親友ダインを奪ったと思えたからだ。
多くの人々にとってダインが英雄であったように、ガレオンにとってもダインは英雄だった。常人の力を超越した魔力を持つガレオンと対等以上に付き合える唯一の親友。ガレオンですら諦めてしまうような困難が目の前にあっても、それを軽々と乗り越えていく強き男。
ダインと一緒ならできないことはない、きっとガレオンはそう思っていたことであろう。これから先、彼と力を合わせて「LUNAR」を理想の世界にしていくことが、ガレオンの夢だったに違いない。
でも、ダインはそんなガレオンを置いて、ドラゴンマスターの力をあっさりと捨ててしまった。後は個々の人々に任せる、と、歴史の表舞台から姿を消してしまったのだ。
ガレオンはポツンと一人取り残されてしまい、かつて、ダインと出会う前に抱いていたような孤独を、またもや感じるようになってしまったのである。
そして、もはや自分がなんとか世界を導いていかなければならないと考えたガレオンは、全てを一人で背負い込み行動を起こすことになる。
彼を狂わせたのは、自分が世界を変えなければならないという、強い責任感だったのだ。
アレスたちがガレオンを倒したとき、キリーが口にした次のような台詞がひどく印象的だ。
「もう少し、周りの人間を信頼しても良かったのに……」
【センシティヴ・ドリーム】
夢を叶えるというのは難しい。それが大きなものであれば尚更である。
漠然と憧れているうちは、がむしゃらにそれに向かって突っ走ることができたかもしれない。だが、夢に近づくに従って、自分とその夢との間の距離が正確に測れるようになってくると、実現の困難さに挫けそうになる。
足が早い少年は世界一の陸上選手になることを夢見た。子供の頃はただ一生懸命に努力していけばそれで良かった。しかし、大人になっていき、百分の一秒を縮めるために試行錯誤を繰り返さない世界に突入すると、どうしても自分の限界というものが見えてくる。百メートルで十秒を切るということは、完全に次元の違う場所の話。どんなに頑張っても、とても到達できるとは思えない。今まで散々努力し、自分の力をよく知っているだけに、夢に近づけば近づくほどその差は絶望的に思えてくる……。
この世には、努力だけではどうしようもならない壁というものが、確かに存在するのだ。
ふと、私はこんなことを考える。
英雄というものは、愚か者だけがなれるものではなかろうかと。
普通の人ができないことを成し遂げたから、彼らは英雄と呼ばれる。しかし、人に為し得そうもないことに挑むのは、ひどく無茶な行為だ。冷静に、客観的に自分を見つめられる賢い人間には、そんな無益に思えることはできないであろう。
無理だ、できない、そう思っていても、実現のために努力を繰り返す愚直さ。
どんなに無謀な行いとわかっていても、それでも繰り返してしまうひたむきさ。
英雄になるには、そのような資質を持っていなければならないのかもしれない。
物語の最後、アレスはルーナを救うために、ドラゴンマスターとしての力を捨ててしまうことになる。
それはひどくもったいないことだ。ドラゴンマスターになることは、幼い頃からの彼の夢だったはずである。一人の少女のために彼は、栄誉、名声、社会的な地位、その他、様々なものをなげうってしまうのである。
だが、彼にはそのことを惜しむ気持ちは少しもない。
だって彼には、大好きなルーナを、この幼なじみの少女を救うことしか頭にないのだから。まるでただの馬鹿のように、彼女と二人で一緒にブルクの村に戻ることしか考えていなかったのだから。
今まで、アレスの視点から物語を眺め、彼と共に冒険をし続けてきたプレイヤーなら、その彼の気持ちに嘘偽りのないことを心から信じることができるであろう。
なんという愚かな……しかし、愛すべき存在であることか。
全てを終えたアレスとルーナは、英雄と女神でなく、ただの少年少女としてブルクの村にそのまま帰郷する。そして、これから二人は、お互いのことが好きな普通の恋人同士として、平凡な人生を歩むことになるのである。
ただ、一人の少女を救うために、多くの苦難を乗り越えたアレス。
そんな彼は、ルーナにとってどんな人間にも勝る英雄だ。
そして、プレイヤーたる私にとっても…………彼は、間違いなく英雄なのである。