閔妃暗殺事件の主犯・動機を探る(上)

【新刊】金文子著、キム・スンイル訳『明成皇后殺害と日本人』(テハク社)

電信網掌握が狙い…軍出身の三浦公使に指示

背後から操った川上操六・陸軍参謀次長

三浦公使は主犯ではなく従犯

 「在日韓国人2世の私は、成長すると、日本式の名前(通名)を強要されるという屈辱に見舞われた。痛みを抱えて歴史を読み、怒りを持って歴史を書かなければならないと考えた」。歴史学者の言葉にしては意外だった。著者が出版インタビューで語った言葉だ。電子メールでさらに問い掛けた。

-歴史に私情を挟むと、客観性が失われるのではないか?

 「韓国人が韓国近代史を全く感情抜きに読んだり書いたりすることの方が、むしろ不思議だ。私は日本の史料を読むたびに、心が痛むほど怒りを感じる。何も感じない人は、その史料の意味すら分からないに違いない。歴史研究の客観性? 違うレベルの問題だ。客観性とは、厳密な資料批判、論証の合理性によって支えられる検証過程の問題だ。史料を根拠とする歴史研究において、客観性は基本ではないか」

 本書は、著者の言葉どおり「痛みと怒り」を込めながらも、終始「厳密な資料と論証」で武装している。何が著者の心を痛め、怒らせたのか。それは、116年前にソウルの中心部で発生した、いわゆる「朝鮮王妃殺害」事件(乙未事変=閔妃〈びんひ〉暗殺事件)だった。

 1895年10月8日未明、日本刀を携えた一群が景福宮に乱入した。高宗は庭園側の応接室に出て、前に立ちふさがった。侵入者たちは国王を押しのけ、真っすぐ進んでいった。向かった先は、王妃が眠っていた長安堂。日本人士官は、立ちふさがった宮内大臣の李耕稙(イ・ギョンジク)に向け拳銃を撃った。李耕稙は必死に王妃のそばまで行ったが、ついには切りつけられて倒れた。王妃は、敵の目を避けるため、宮女と同じ服装をしていた。宮女3人が庭園に引き出され、刀で斬られた。その中に王妃もいた。仰向けに倒れた王妃の息遣いは荒くなっていた。刺客たちは、持っていた写真と照らし合わせた。王妃は両手で顔を覆った。後に、遺体は火で焼かれた。享年45歳だった。

 当時、日本人領事すら「古今前例のない凶悪」と表現したこの暴挙は、日が昇って明るくなるにつれ輪郭がはっきりしてきた。外国の駐在員たちは、日本全権公使の三浦梧楼(写真右)の指示に基づく日本人一味による犯行だとささやき合った。関係者らは日本に召喚された。ところが最後には、全員釈放された。事件は、少なくとも刑事法廷に関する限り、それで終局となった。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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