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[28408] 習作「特三捜救」 オリジナル 異世界召喚者奪還物  改訂に伴い再投稿
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/06/18 00:05
 全面改定に伴い設定の変更や話数の減少がありますので再投稿という形を取らせていただきました。
旧版でいただいた感想は保存させていただきました。これからも糧と反省といたします。
 
 とりあえず小説の内容は、序から抜粋となりますが下記の通りです。  


 今から開幕する舞台は異界へと召喚されし勇者、聖女達の物語ではない。
 当たり前であった日常から大切な者達を異界へと連れ去られた者達の物語。
 彼等の気持ちを受け取り奪われた者達を奪還するために、数多くの異世界を駆け回る公務員達の話。
 すべての世界へと繋がる道の始まりの場所。
 日本国異界特別管理区第三交差外路が所属組織『特殊失踪者捜索救助室』
 通称『特三捜救』の物語である。


 要は異世界に乗り込んで、召喚者を取り戻す国家公務員達と残された者達が中心の物語となります。


 小説家なろう様に投稿していた『異なる世界で求められる物』の設定流用をしており、同サイト様にも当作品を投稿させていただいております。



[28408] 序  ありふれた日常の終わり
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/06/17 23:54
 夕日が差す板張りの道場は静寂に包まれ対峙する二人の剣士の影が長く伸びる。
 一人は大柄な剣士。大垂れには楠木と姓が刻み込まれている。
 構えは正眼。
 相手を真正面に見据えながらその一挙手一投足に対して僅かに竹刀の先を動かし牽制する。
 対するは小柄な剣士。大垂れには結城の姓。
 構えは同じく正眼。
 小刻みに竹刀を揺らしながら欺瞞した攻め気で相手に警戒を促す。 


 両者の体格や動きはまったく異なっていながら、基礎たる部分は何処か似ている。
 僅かなりとも剣の修練を積んだ者ならば、この二人が同じ師より教示を受けていると気づくだろう。
 互いに攻め手にかけるのか、それとも先手を取った方が不利になると判っているのか、どちらも己から仕掛けようとはしない。
 これが公式な大会であれば攻め気がないと両者とも指導の一つももらう所だが、今はそのような無粋な第三者は存在せず、ただ互いに全霊を傾け合うだけだ。 


「せぇぇぇぇっっ!」


 気勢を上げた小柄な剣士結城がすり足で前に出ながら、大柄な剣士楠木が前に出していた右小手に目がけて竹刀をくり出す。
 しかし結城の攻撃のタイミングは楠木に完全に読み切られていた。
 無造作に一歩踏み出し結城との間を詰めた楠木が、前進の勢いを持って結城の竹刀へと己の竹刀を打ち合わせかちあげた。
 甲高い音と共に竹刀を簡単に弾き飛ばされ、結城自身も棒立ちとなってしまう。
 楠木は竹刀をかちあげた状態から無防備になっていた結城の面へと容赦なく面を打ち込む。
 胸がすく快音を道場に響き渡らせながら二人の影が交差した。


「…………」


 余韻が消え去って静けさを取り戻した道場には床に弾き飛ばされた結城の竹刀が転がる小さな音だけが響く。
 竹刀が転がる音にようやく自分が負けた事に気づき力尽きた結城は、言葉もなくその場に崩れ落ちてペタンと座り込んでしまう。 
勝者である楠木も体力的にも精神的にも消耗していたのだろうか、大きく深呼吸して息を整えてから結城の側に寄ってくる。


「俺の読み勝ちだな」


 最後の一本は上辺だけ見れば楠木の完勝だが、あと僅かでも早く結城の小手が入っていたのならば、結城がもっとも得意とする小手から面への繋ぎ技の流れが出来ていた。
 楠木の声が嬉しそうに弾んでいるのは簡単に勝者は入れ替わっていたと判っているからだろう。
 

「で、ユーキこれで満足か? 10本勝負プラス泣きの5回。これ以上はいくらお前の頼みでも勝負しないぞ。部の追い出し会に遅れちまうからな」


 面を外した楠木は頭を保護していた手ぬぐいを使って汗まみれの顔を乱暴に拭く。
 今日中学校を卒業した楠木は体格だけならば大人にもひけはとらないが、その顔にはどこか悪ガキじみた幼さが残っていた。


「ったく。卒業式終わりに呼び出したかと思えば、最後の勝負ってお前もほんと剣道バカだよな。しかも昔懐かしい約束まで持ち出しやがって。こっちの都合も考えろっての」


 結城の頼みに嫌々付き合ったかのようにも聞こえる物言いに反して、楠木は実に楽しげに笑っている。
 しかし下を向いている結城は楠木の笑みに気づかない。
 ただ楠木の言葉を額面通りに受け止め悔しげに拳を握りしめる。
 楠木と結城は一つ違いの幼なじみだ。二人は近所の剣道場に同時期に入門した間柄。
 しかも偶然にも母親同士が同様に剣道をやっていた上に高校時代のライバルであった。
 入門当初は二人は背丈もさほど変わらず、剣道を始めたばかりの初心者同士であった事もあり稽古の際に組んでいたせいかすぐに仲良くなり、親友であり良い意味でライバルといった間柄となった。
 道場だけでは飽きたらず時間があれば二人で打ち稽古をし、切磋琢磨を繰り返し互いを磨き続けてきた。
 やがて強豪剣道部がある私立中学に入った楠木を追っかけるように結城も同中学に入学。
 一年も経つと開英中に楠木、結城ありといわれるほどに成長し、県内では負け無し全国大会でも上位常連となるほどまでに精進していた。
 しかし二人で行う勝負の戦績には、いつしか大きな隔たりが生まれていた。
 楠木の背丈が伸びると共に結城が徐々に負け越し始め、ここ最近では大人並みの体格を誇る楠木に、同年代から見ても小柄な結城ではほとんど勝てる事ができなくなっていた。
 極めつけは最後の稽古と称し挑んだ今日の試合だろう。
 最初に取り決めた10本勝負ではことごとく結城の打ち負け。楠木に頼み込んで何とか引き出した5本勝負でも結城は全敗を記してしまった。
 

「つーかよ。お前が幹事だろ。次期部長。とっとと着替えて先代部長を快く送りだせ。こちとら春からは上京して地獄の毎日なんだからよ」


 座り込んだ結城の面をうりうりと揺すりながら楠木はカラカラと笑う。
 楠木の態度と言葉に結城はさらに強く拳を握りしめる。
 自他共に認める剣道バカである楠木は、東京の剣道強豪校のスカウトの言葉に感銘を受けていた。
 それは九州でおこなわれる三大大会の一つ玉竜旗全国高等学校剣道大会が優勝旗。
 『玉竜旗を東京に』
 未だ成し遂げられていない目標に楠木は燃えたのか、幼なじみである結城になんの相談もせずに男子校であるその高校への進学を決めてしまっていた。  


「最後くらい楽しませろっての。それに15回分の命令権だからな。なにやらせるかな。久しぶりに楽しめそうだぜ」


 最後。
 楠木の言葉に結城の肩がびくっと震える。
 最後。そうこれは最後の機会だったのだ。
 もし……もしも勝ったのなら。
 東京へいくのは止めて欲しい。
 東京にいくのだとしても男子校では無く共学にして欲しい
 一年留年して同じ高校に通って欲しい。
 一緒に剣道を続けて欲しい。
 結城自身も無理難題だと判っている願いが幾つもあった。
 そんな事出来るはずがないと思いながらも、だがどうしても押さえきれない思いが、結城を最後の賭へと走らせていた。
それは幼いに時に交わしたたわいもない約束。


 勝負稽古で勝った方の命令に敗者は何でも従う。

 
 楠木は負けた事自体には悔しそうな顔を浮かべるが、結城の命令にはいつでも二つ返事で楽しそうに引き受けてくれた。
 勝っても負けても楽しむ事ができるこの幼なじみなら、自分の胸の中にある切なる願いを叶えてくれるかも知れない。
 そんなすがるような希望を結城は抱いていた。
 しかし負けてしまった。
 完膚無きまでに負ければすっぱりと諦められる。
 心のどこかでそんな思いがあったのかもしれない。
 しかしそれも無理だった。
 ただ無念で、悔しくて、どうしようもない気持ちが結城の中で渦巻き、ついには外へとあふれ出す。
  

「ユーキちょっとまて!? お前泣いてんのか!?」


 肩を振るわせた結城が押し殺した泣き声を漏らし始めたところで、楠木はようやくいつもと様子が違う事に気づいたのか慌てた声をあげる。


「まてまてこら! 俺は男で一つ年上! んでお前の方はいっこ下で女だろ! 負けてもしょうがねぇんだから泣き止めって! しかも俺の場合お前の癖が判ってるんだからある意味勝って当然だっての!」


「うっさい! あたしの事なんにも分かんない癖に! ユウ君のバカ!」


 自分は勝った負けた等で泣いているのではない。
 もっと大事な事。
 間近に迫っている別れが嫌で泣いているのに、なんでこの男は気づかないんだ。
 心の底からわき上がる怒りを怒声と共に吐き出し、身につけていた小手を楠木の顔面にむかって投げつけ結城由喜は憤然と立ち上がる。
すんでの所で小手を受け止めた楠木だが、体勢を崩して尻餅をついてしまう。


「おわっ! あぶねぇなユーキ! 防具は大事にしろよ!」


 打った尻が痛むのか擦りながら楠木が立ち上がって文句を言ってくるが、こんな時でも剣道の事がまず口に出て来ることに由喜の苛立ちはさらに募る。


「判ってる! あーもう! 東京でもどこでも好きにいけ! この剣道バカ!」


 倒れている楠木の手から、自分の小手を引ったくると由喜は道場の出口へと向かう。
 判ってない。なんにも判ってない。こんなにずっと一緒にいたのに。
 楠木に向かって叩きつけたい言葉が由喜の中に渦巻く。
 だが今更そんな未練がましい惨めな真似はしたくない。 
 楠木は由喜の太刀筋や足運びの癖。確かに剣道に関しては全て判っているだろう。
 だが結城由喜が楠木勇也にむける感情に対しては全く気づいてはいない。
 そうでもなければずっと一緒だった自分をここまで蔑ろにするわけがないと由喜は怒りを覚える。
 なんの相談もなく勝手に東京行きを決めて強豪高だから強い連中と稽古がやれるとずっと楽しそうに話していた楠木をみてどれだけが自分が落ち込んでいたと思っているんだと。
    

「ちょっと待てって! 負けたからって怒るな。手を抜いたらお前が怒るだろうが!」


「着替えてくんの! ついてくんな! これ以上近寄ったら襲われたって悲鳴あげる!」


 引き留めようと肩に伸ばされた楠木の手を由喜は邪険に振り払う。
   

「い!? 襲われたってお前!? ……悪い」


 一瞬驚きの顔を浮かべた楠木だが、面の下に隠れた由喜の顔が悲痛で歪んでいたのに気づいたのか払われた手を下ろして小さく頭を下げた。
 理由は分からずとも、自分が由喜を怒らせたのだと考えたようだ。


「…………」


 由喜は何も言わず……言えずきびすを返した。
 誰が悪いのかと言えば自分が悪いのだという事は由喜も判ってはいた。
 もっと早くに自分の気持ちを……ずっと一緒にいて欲しいと伝えていれば、楠木が東京へと行く事はなかったかも知れない。
 だがそれを伝えるには二人の距離はあまりに近すぎた。
 もし万が一にも拒絶されたらと由喜は恐れ伝える事ができなかった。
 最後の最後。この土壇場になっても出来ず、ただ叫き当たることしか出来ない自分の不甲斐なさが余計に情けなくなる。
 
 
「ったくしょうがねぇな。待ってるから着替えたら声かけろよ……こっちだってあんまりいい気分じゃねぇんだぞ。自分の彼女を滅多打ちにすんのは」


(何がいい気分がしないだ! あたしとやるときだけやたらと嬉しそうに全力で打ってくる癖に! 自分の女って何様だっ…………) 


 苛立ちを覚えていた由喜が、楠木の言葉の意味に気づくには数秒を要した。
 硬直し歩みを止めた由喜は驚愕の声をあげながら振りかえる。


「…………はぁぁっ!? ち、ちょっとそれって!? な……」


 何言ってんの!?
 言葉の意味を聞き返そうと由喜が振り返った瞬間、視界がまばゆい光に包まれる。


(剣に生きる勇者よ。我が願い。我が祈りによりこの地に現れたまえ)


 急速に薄れゆく意識の中で由喜の脳裏には同じ年頃の少女の声が響き渡っていた。


  








「っ!? 車のライトか?……あれユーキのやつどこいった? 怒って先に行きやがったか」


 目がくらむほどの強い光源に目をふさいでいたのは数秒ほどだろうか。
 武道場のすぐ横は学校の敷地外で細いが裏道として車の通りが盛んな道路がある。
 この道を通過する車のライトが飛び込んで来て、稽古中に邪魔されたのは二度や三度じゃない。
 それに目が眩んだ僅かな時間に先ほどまでいた小柄な少女の姿が消え失せていた事も、楠木はさほど不思議にも思わなかった。
 結城由喜という少女はとにもかくにもすばしっこい。
 ずっとその姿を見て練習をしてきたから対応が出来るが、初見でやり合ったら負けているだろうなと呑気に考えてから、理由は分からないが怒らせたなとばつが悪そうに頭を掻く。
 
  
「そこらの陸上部より早いってのがあいつの武器なんだけど、こういう時は参るよな」


 楠木としても一年間とはいえ一人地元に残していく年下の恋人と喧嘩別れというのは避けたい。どうやって機嫌をとるかと頭を悩ませるところであった。


 楠木勇也と結城由喜の間には大いなる認識の違いが存在した。
 いつも一緒に朝早く登校し学校で朝稽古。
 昼食を道場で一緒にとった後は昼稽古。
 放課後も最終下校時間まで夜稽古し一緒に帰る。
 休日ともなれば昼は部活。夜は昔なじみの道場で稽古。
 由喜の誕生日やクリスマスには新しい竹刀やら昔の剣術書を買い求めプレゼントする。
 大晦日には二年参りした後に道場の大人に混じって初稽古に一緒に参加。
 夏休みや冬休みの長期休暇ともなれば、毎日稽古の日々だ。
 四六時中一緒にいるのだから結城由喜が自分の恋人であると楠木勇也は認識していた。
 何より由喜が好意を寄せてくれている事も昔から楠木には判っていた。
 楠木にとって今更俺たち付き合っているよなと確認するほどの事でもなく、横にいて当たり前の存在だと思っていた。
 高校進学にしても、東京に出れば強豪と出稽古がしやすくなる最高の環境というのが強いが、由喜の腕ならば同じように東京の高校からスカウトが来るだろうと確信している。
 一緒に廻ってみるのが今から楽しみだと気軽に考えていた。
 つまりの所、楠木勇也の中にはとことんまでに剣道のことしか頭になく、結城由喜も同種だと思っていた。
 
 
「とりあえずとっとと着替えて自転車置き場で待ってるか」


 いつでも由喜に会うことができる。
 自分の認識が非常に甘い物であったことを楠木が痛感するのはこのすぐ後の事だった。 






 今から開幕する舞台は異界へと召喚されし勇者、聖女達の物語ではない。
 当たり前であった日常から大切な者達を異界へと連れ去られた者達の物語。
 彼等の気持ちを受け取り奪われた者達を奪還するために、数多くの異世界を駆け回る公務員達の話。
 すべての世界へと繋がる道の始まりの場所。
 日本国異界特別管理区第三交差外路が所属組織『特殊失踪者捜索救助室』
 通称『特三捜救』の物語である。
 
 



[28408] 依頼篇 山奥の名医 ①
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/06/17 23:55
 本日3月18日早朝。広陵市笹谷において、医師筑紫亮介さん(45)の住居兼診療所を全焼する火事が発生しました。
 この火事によって筑紫さんの住居兼診療所が全焼。
 筑紫さんの長女優菜さん(15)と次女優陽ちゃん(5)は自力で避難し無事でしたが筑紫さんは逃げ遅れたと見られ、現在捜索が続けられております。
 筑紫さんは若い頃からNPO法人国境なき医師団へと参加しアフリカ諸国で活動、帰国後は限界集落となった無医村へと志願赴任していた事から『山奥の名医』の愛称で親しまれていました。




 筑紫さん宅の焼け跡からは筑紫さんの遺体は発見されず、所在は未だ不明なままです。
 筑紫さんには多額の借金があった事が判明しており、警察では筑紫さんが何らかの事件に巻き込まれた可能性もあるとみて捜査を開始したとのことです。

 


 『山奥の名医』の黒い疑惑。

 筑紫亮介医師が理事の一人として以前に名を連ねていて破綻した『限界集落医療振興財団』には詐欺、出資法違反容疑で捜査が今も続けられており、捜査関係者の一部からは自宅に多額の火災保険が掛けられていたことから、保険金目的の自作自演ではないかと………………















「筑紫どうしても無理か? 最後の玉竜旗をお前も楽しみにしていただろ……それに生活面は援助してもらえるなら、引退する夏までは部活を続けても良いんじゃないか」


「すみません。小学校に入学したばかりの妹の面倒を見る時間と少しでも学費の足しにするためにアルバイトの時間が必要なんです。とても剣道を続けられる状態じゃなくて。先生に大将に選んでいただいた玉竜旗を諦めるのは……みんなに迷惑を掛けないためにも退部させてください」


 生徒指導室の椅子に腰掛けて対面する困り顔の部活顧問に対して、筑紫優菜は申し訳ない気持ちで長いポーニーテールが机につくほどに深々と頭を下げる。
『玉竜旗を広陵に』
 毎年7月下旬に福岡でおこなわれる高校剣道三大大会の一つ玉竜旗全国高等学校剣道大会。
 常に目標は高く優勝を目指せ。
 元は東京の強豪校にいたという顧問の口癖となっている言葉だった。
 優菜も感銘を受け鍛練を重ねてきたが、今の状況では剣道はこれ以上続けていけそうになかった。
 信頼していた人に騙され医療財団詐欺の主犯とされかかった父は、みずから借金を被ってまで被害者の方々に弁済をしていたぐらいのお人好しだ。
 金銭感覚に乏しい父に代わり優菜が辛うじて廻していた家計は借金だけでも大変だったのに、今回の火事と父の失踪で完全にパンクしてしまった。
 だが不幸中の幸いと言うべきか、人望だけはあった父のおかげで、親類や近所の患者さん。それに以前父が赴任していた村の方達からのカンパで高校卒業までの生活を援助してもらえる事にはなっている。
 今借りているアパートの大家のおばあさんも父の患者の一人で、部屋を格安で貸してくれた上に優菜達の保護者にまでなってくれた。
 おかげで姉妹揃って施設に入る事もなく、慣れ親しんだ街から引っ越しをせずに済んだ。
 周囲の人に恵まれていることに優菜は深く感謝すると同時に、ここまで援助をもらいながら今まで通りの高校生活を過ごすのは申し訳ないと思ってしまう生真面目さがあった。
 学生の本分として学業に励むのは当然のこととしても、それ以外の空き時間は、たった一人の家族となってしまった妹の為と、少しでも生活費兼学費を稼ぐための時間に当てると心に決めていた。
 とても今までのように部活動に割いている時間はとれそうもない。


「まぁ待て。ほら親父さんがひょっこり戻ってくるかもしれんだろ。そうなればいくらかは好転するだろ。決めるには早くないか?」


 面倒見のいい顧問の言葉は、優菜を気遣っての物だろう。
 だが顧問の慰めが優菜には痛かった。
 父は行方不明なのではない。この世にもういないのだと優菜は漠然と感じている。
 あの日。火事があった朝。優菜たちの目の前で父は燃えさかる炎に包まれて忽然と消え去った。
 父を一瞬で消し去った火は瞬く間に周囲に燃え移り、優菜は妹である優陽を連れて逃げるだけで精一杯だった。
 一瞬で炎に包まれ父が消えたという優菜の証言を警察も消防も保険会社も親類も信じてはくれなかった。
 可哀想に火事で恐慌状態に陥り幻覚を見たのだと、口をそろえて慰めて来るだけだった。
 しかし優菜はあの光景が幻覚だったと思う事などできない。出来るはずもない。父が消え去ったのを確かにこの目で見たのだから。
 しかし声高に主張する度に哀れみの目をむけられた。誰にも信じてもらえないとこの二ヶ月で優菜は学んでいた。
 だから信頼する顧問に対しても真実を告げず優菜は頭を下げるだけに留める。


「いえ……もう決めましたから。本当に申し訳ありません。妹を迎えにいく時間なのでこれで失礼します」


 優菜は立ち上がると横に置いてあった長年愛用していた竹刀と防具一式を担ぐ。
 愛用の道具達は部室に置いてあったために難を逃れたが、これを身につけるだけの余裕が再び訪れるのはいつになるのか……そんな日がまた来るのかすら今の優菜には判らない。


「筑紫。籍はそのままにしておく。いつでも戻れるからな」


 扉へと手をかけた優菜の背に顧問が呼びかけた。
 振り返った優菜は何も答えず、ただ深々と一礼をしてから生徒指導室を後にした。
 











 筑紫優陽は困っていた。
 高い高い木の天辺の枝に引っかかっている自分の帽子を見上げて、どうしていいのかわからず半べそをかいていた。
 帽子は風に飛ばされたのでも、優陽自身が引っかけたのでもない。
 同じ小学校に通う男の子達に小学校近くの公園まで無理矢理に連れ出され、被っていた通学帽子を木登りの得意な男の子によって天辺に引っかけられてしまったのだ。
 優陽は虐められていた。
 その原因は至極単純だ。
 憶測と悪意に満ちた週刊誌の記事。
 噂話で話す父母達。聞く子供達。
 保険金詐欺疑惑のレッテルを貼られた父。
 父=悪者。そしてその父の娘である優陽も悪者。
 子供達の単純で拙い判断力が、優陽を悪者だから成敗するという正義という名の虐めにあわせていた。
 小学校の先生達に泣きつけば少しは収まるだろう。だがそれは出来ないと優陽は子供心に思っていた。


(お姉ちゃん……泣いちゃう……そんなのいや)


 姉には知られたくない。知って欲しくない。
 優陽達の目の前で父が消え去った日から、姉が何度も泣きそうになるのを堪えて頑張っている姿を見ていた。
 大好きな姉をこれ以上悲しい目に遭わせたくない。
 それにあの帽子は優陽にとって大切な宝物だ。無くすわけにはいかない。
 優陽はごしごしと目をこすって涙を拭うと、何とか自分で木に登って帽子を取ろうと決意する。
 早く取って学校に戻らないと姉が迎えに来てしまう。
 地面に座り込んで靴と靴下を脱ごうとしたとき、優陽の目の前が暗くなった。


「こらこら。そこの泣いてるちび……まさかと思うが横の木に登ろうとかしてないだろうな? 危ないから止めとけ」


 いつの間にやら優陽の横に見上げるほどの大男が立っていた。
 短く刈った髪。春用の薄手のコート。その下には少し窮屈そうにスーツを着込んでいる。
 背中には姉の持つ竹刀袋によく似た長細い袋を担いでいた。
 大男はどこか意地悪な目で優陽と横の木を何度も見比べてから、にやりと笑う。
 これは無理だろうとでも言いたげだ。


「……おじさん誰?」


 優陽の率直な物言いに大男の顔が引きつった。
 どうやらおじさんと呼ばれたことがかなりショックのようだ。


「お、おじ……25ってもうあれなのか……通りすがりの正義の味方のお兄さんだ。前半は忘れてもいいからお兄さんの部分は覚えとけ。ちびっ子」
   

 だがすぐににやっと笑うと、泣いている優陽を慰めるように乱暴に頭をなでつける。
 優陽の数倍は身体は大きくて口調も乱暴。人見知りな所がある優陽は見ず知らずの大人を普段なら怖く感じるが、この大男は不思議とあまり怖いとは思えなかった。


「……帽子。取らないとダメなの……宝物」


 だからだろうか?
 優陽は帽子が取れなくて困っていることを大男に伝えてみた。
 大男の目線が帽子を優陽の指指す先を辿り木の天辺へと向く。
 弱い風でフラフラと帽子が揺れる。ただ引っかけてあるだけのようだが、自然と落ちてくるのは期待できそうもない。


「ん。あれか。お前が自分でやったのか?」 


 優陽は無言で首を横に振る。
 その目にじんわりと涙が浮かび、優陽がめそめそと泣き始めると慌てた大男はしゃがみ込んで頭をさらになでつけた。


「泣くな泣くな。なんか俺が泣かせてるみたいだろうが……ったく。しょうがねぇな。どうせ悪ガキ共だろ。まかせろ取ってやるよ。その代わり『お兄さんお願い取って』って頼んでみろ」


 優陽の目を真正面から見据えた大男は、意地悪な笑みを浮かべてみせる。
 優陽におじさんと言われたことが気になっているようだ。
 姉の優菜よりも年上の大人はずなのに、その顔はどこか子供っぽい。


「お兄ちゃん……お願い優陽の帽子を取って」


「よし任せとけちび。じゃねぇな。ユウヒ?ってのが名前でいいのか」


「うん」


「判った。お兄ちゃんに任せとけ。ユウヒ」


 優陽の頼みを大男は快諾してから横の木を再度見上げた。
 どうやって取ろうかと思案しているのか腕を組み、木をつぶさに観察しはじめる。


「途中の枝が細いな。俺が登ると折れるな……姫さん……は無理か。力を使わせるのは論外。かといって登ってもらって着物が破れたりした日にゃ何を請求されるか。縁様は……雑用をさせるなって怒るわなぁ。あの刀神様はほんとに日常でつかえねぇな」


 大男はぶつぶつ言い、たまに人の悪い笑顔を浮かべなにやらとても楽しそうだ。
 だが優陽の帽子を取ってやろうという気持ちが、子供の優陽にも伝わってくるくらいに目は真剣。
 真面目に楽しんでいるとでも言えばいいのだろうか。


「そうなると……怒鳴られるの覚悟でいくか。慣れ親しんでるのが一番ってな」


 考えが纏まったのか大男は頭を掻いてからにやりと笑う。
 片膝を突いて背中の長細い袋を降ろすと幾重に巻きつけていた紐をほどいていく。
 大男が袋から取り出した物を見て優陽は不思議に思い首をかしげる。


「それって竹刀?」


 胴がほっそりとした手元から剣先まで真っ直ぐ伸びる竹刀。しかも真っ黒だ。艶々と光沢が輝く墨で染め上げたような漆黒の竹が使われている。
 姉の持っている物とは形も色が違うが、その形はどう見ても竹刀だった。


「お。ユウヒよく知ってるな偉いぞ。ちょいと特殊な竹刀だけどな。縁って銘のな」


「えにし?」


「おう。関係とか繋がりとかを現すって言葉だな。まぁ。ここでユウヒにあったのも何かの縁ってな」


 大男はカラカラと楽しげに笑うとすっと立ち上がって竹刀を右腕に持って一振りしてから帽子へと目をむける。
 姉は竹刀も刀だと言っていた。まさか竹刀で木を切るつもりなんだろうか。
 優陽が見上げていると大男は全くの予想外の行動に出た。


「おりゃっ!」


 大男は右腕を大きく振りかぶったかと思うと、いきなり竹刀を空中に向けて投げつけた。
 黒い竹刀はくるくると回りながら宙を飛び瞬く間に木の天辺まで到達する。
 上手に投げられた竹刀が切っ先で優陽の帽子を弾き飛ばした。
 弾き飛ばされた帽子と勢いを無くした黒い竹刀が全く別の方向へと落ち始めると、大男は自分の竹刀には目もくれず、風に流される優陽の帽子を追いかけはじめた。
 巨体のわりに動作は機敏だ。
 大きなスライドであっという間に帽子の真下に着くと、コートの裾を軽く翻してジャンプして地面に落ちる遙か前に優陽の帽子を空中で軽々とキャッチする。
 

「お兄ちゃん凄い!」


 優陽の歓声に大男は帽子を高々と掲げて答えた。
 無事に取れたことが我が事のように嬉しいのだろうか、晴れ晴れした笑顔を浮かべている。
 

「破けてないよな……っと優に陽で優陽ね……ん?」


 帽子が無事なのか確かめ始めた大男は内側に書かれた優陽の名前を見て呟き、何か気になったのか目をつぶって軽く考えてからポンと手を打った。


「おぉ……こりゃほんとに縁ってやつだな。やる気が出るわ」


 小さく感嘆の声をあげた大男が優陽を見て興味深げに一つ頷いた。
 優陽を見る瞳は怖いほど真剣な色を浮かべていたが、優陽が気づく前にすぐに楽しげな色に戻っていた。
 

「ほれ優陽。取ってやったぞ」


「うん!」


 大男がこっちに来て取りに来いと手招く。
 笑顔を浮かべた優陽が大男の横に走り寄ろうとした時、鋭い声が公園に響く。


「優陽!」


 それは姉。優菜の声だった。











 小学校の図書室で待っているはずの妹がいつの間にやら姿を消していたと聞いた時、優菜の顔面は蒼白に染まった。
 父が消えてから下世話なマスコミや怪しげな者達から話しかけられたは一度や二度ではない。
 そんな輩は優菜は相手にせず追い払ってきたが、ひょっとしたら黙りの優菜に業を煮やし優陽の方に接触してきたのかもしれない。
 小さい優陽には父が消えた朝の記憶は辛すぎる。今でも夢でうなされているくらいだ。
 それに父が訳も分からずいなくなってしまったのだ。もしかしたら優陽まで…………
 想像したくもない最悪の予想に、優菜は気がついたら小学校を飛び出していた。
 当てもなく飛び出した優菜だったが、なぜか優陽の声が聞こえたような気がしその方向へとひた走っていた。
 微かに響きなんと言っているのかも判らない声。だが絶対に妹の物だと判る。理由は分からない。でも確信していた。
 声が聞こえる方向へとひた走った優菜は公園へと辿り着き、そしてこの世で最後の家族になってしまった妹を見つけを大声で呼んでいた。
 次いで妹が大事にしている帽子を持つ巨漢の姿を目にすることになり、優菜の心に怒りの火がつく。


「あんた! あたしの妹を勝手に連れ出してなにしてんの!!!!」

 
 優陽は良い子だ。待ち合わせをしているのに勝手に抜け出したりしない。状況から考えればこの巨漢が優陽を連れ出したに決まっている。
 一瞬で結論づけた優菜は背中に手を伸ばすと大切にしていた防具を投げ捨てる。
 次いで竹刀袋を引きちぎるように無理矢理外して中から愛用の竹刀を引き抜き、そのまま一気に距離を詰めて右上段からの袈裟切りを打ち下ろした。
 しかし優菜の渾身の一撃は、見た目とは裏腹に機敏な動きを見せる巨漢に簡単に躱さえた。 
 それどころか切り上げから突き。さらに右袈裟で再度打ち下ろしと優菜が打ち込む追撃もひょいひょいとかわしていく。
  

「いやいや。っと。ちょっと待て。なんか誤解があるぞ」


 何を言い訳がましい。
 巨漢が何かを言いつのろうとするのを無視して優菜がさらに追撃しようとし、


「楠木ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!!!!!!!!!」


 優菜よりも遙かに強く鋭く怒気を秘めた声が周囲に響きわたる。
 あまりの怒りの強さに優菜の動きも思わず止まった。
 怒声に反応した巨漢がなぜか空を見上げ、顔を青ざめさせる。 


「げ! 縁様。ちょい待て! 訳ありのうえ今取り込みちゅ! っが!!」


 巨漢は何かを言いかけていたが、次の瞬間矢のような勢いで天から降ってきた何かが喉元に食い込み、苦痛の声をあげて弾き飛ばされていた。
 地面に倒れ込んだ大男の首筋から離れると”それ”は音もなく空中へと浮かび上がる。
 

「貴様! 妾の神聖なる宿りを投げつけ、あまつさえ小娘の帽子を優先するとは何事じゃ! 我が神官としての心構えを骨の髄まで叩きこんでくれる!」


「え…………?」


 優菜は呆然とし驚きの声をあげる。
 古めかしい巫女装束を身につけ世にも恐ろしい形相で巨漢を睨みつける掌大の年若い少女が空中に浮いていた。
 あまりに現実味のない少女の姿に、自分は白昼夢でも見ているのかと疑ってしまう。


「……お人形さん?」


 いつの間にやら近付いていた優陽にも同じ物が見えているようだ。首をかしげている。
 人にしてはあまりにも小さすぎる。
 人形にしてはその肌の色艶や血色の良い唇が生々しすぎる。
 みた事のない生物。たとえるなら羽のない妖精とでもいえばいいのだろうか。
 姉妹の様子に怒り心頭といった表情で怒鳴っていた少女が反応した。
 

「ん? なんじゃお主ら妾が見えておるのか……待てこの気配は……木偶の坊! 接触は後日という話では無かったのか? とっとと立て説明せよ」


 優菜達の顔をまじまじと見た少女は眉根を顰めると、空中を歩くように移動し未だ倒れて咳き込んでいる巨漢の頭へと近づき蹴りつける。


「ごっ!……ほっ!……無茶しないで貰えると大変ありがたいんですけどねぇ。偶然ですよ偶然。たぶん例の姉妹だと思いますけど、ちょっと写真と違うから……ちょい待っててください。確認しますんで」


 最初に蹴りつけられた喉をさすり巨漢は立ち上がると 地面について汚れたコートを軽く手で払いながら言うと、宙に浮かぶ小さな少女が鷹揚に頷く。
 スーツの襟元をただした巨漢は優菜へと目をむけるそして深々と一礼する。


「お二人は筑紫亮介さんのご息女。筑紫優菜さん。それに妹の優陽さんですね? 私は日本国外務省特殊事案担当局に務めています楠木勇也と申します。どうぞこちらをご確認ください」


 巨漢……楠木と名乗った男は名刺と顔写真が載った身分証明署を提示し、優菜へと差し出す。
 手帳サイズの身分証には男が言った所属名や名前が記され、いくつかの印章が押されていた。
 

「お兄ちゃん……なんか違う人みたい」


 急に改まった口調となった巨漢を見て、優陽が目を丸くする。
 先ほどまでの乱暴で気安い口調から、使い慣れていないと優菜にもすぐに判る下手な敬語。
 さらに不信感を強めた優菜は一歩前に出て優陽を背中に隠し、手に持っている竹刀を再度突きつける。


「……嘘っぽい。何が目的? この小さな子って何者?」


 こんな身分証を見せられても、本物かどうかなんてただの女子高生である優菜には判断のつけようがない。
 空中に浮かぶ人間ではない少女を連れた正体不明の人物の言う事など、信じられるはずもなかった。
 それに不可思議なことは……炎に消えた父親の事を嫌でも連想させて、余計に苛立つ。


「ふん。ガラでもない格好つけしおって、全く無意味ではないか。時間の無駄じゃ」


 少女が小さく鼻を鳴らし無駄なことをしていないで話を進めろと巨漢を剣呑な瞳で睨みつける。


「そうは言いますがどうみても怪しいでしょうが俺。つーか縁様が主に。だから態度を真面目にしてみたんだけど…………今更あんま意味ねぇわな」 


 がしがしと頭をかいた楠木は元の口調に戻すと、受け取っても貰えない名刺をくしゃっと握りつぶして身分証を無造作にポケットにしまってから優菜へと再度目をむけた。


「外務省職員ってのは嘘だが一応日本の公務員で仕事は警察関係みたいなもんだと思って欲しいんだが……無理っぽいよな。悪い。ちょっと待っててくれ」


 睨みつけてくる優菜に対して苦笑を浮かべた楠木はコートのポケットから携帯電話を取り出すと飾り気のない携帯を太い指で器用に次々にボタンを押していく。
 どうやらメールを作っているようだ。


「とりあえず本物の警察を呼んで俺の身元保証してもらうから。お嬢さんも知っている人にするからよ。やれやれ先に所轄署に挨拶回りしておいて正解だったな……目立たない方が良いか。サイレンは単なるパトロール中って事にしてもらってと……」


 ぶつぶつと呟きながら楠木がメールを手早く製作し送信する。
 それから10分も経たずに黒と白のツートンカラーのパトカーが公園へと姿を現した。




[28408] 依頼篇 山奥の名医 ②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/06/17 23:57
「俺が見かけよりは怪しくないこと判って貰えた……ってはいかないみたいだな」


 優菜が浮かべる険しい視線にはまだ不信感が溢れ出ているのを感じ取ったのか楠木はポリポリと頭を掻く。
 確かに楠木がメールをしてからすぐに警察は現れた。
 しかも優菜も知っている人物を呼ぶという楠木の言葉も間違いはなく、訪れたのは火事の時に何かと親切にしてくれた年配の警察官だった。
 老警官も詳しくは知らないようだが、楠木と名乗るこの男がある種の国家公務員である事は間違いないと保証はしてくれた。
 警官が来るまでに優陽に聞いた話では風に飛ばされた帽子が公園の木に引っかかってしまった所を取ってくれたとの事だがその話も怪しい。
 小学校で待ち合わせしていた優陽の帽子が、小学校の近くとはいえそれなりに離れたこの公園まで飛ばされたとはどうにも信じがたい話だ。
 ひょっとしたら楠木が縁様と呼んでいる少女が優陽の帽子を持ち去って、ここまで妹を連れ出したのではないかと疑ってしまう。
 その縁は不機嫌そうな表情を浮かべながら楠木の右肩に腰掛けている。
 

「優陽はしんじるよ。助けてくれたもん。お姉ちゃん。このお兄ちゃんいい人だよ」


 しかし無邪気な優菜はこの怪しげな人物をすっかり信じ切っているようだ。
 右袖を引いて信じてあげてと目で訴えてくる。
  

「おう。ありがとうよ。信じてもらえ…………」


 優陽の言葉に嬉しそうに笑った楠木が優陽の頭へ手を伸ばしてきたので優菜は竹刀を突きつけ威嚇する。
 大切な妹の頼みでもこんな怪しげな男を易々と信じるわけにはいかない。
 もし妹にまで何かあったら…………最後の家族まで失う事への恐怖心が優菜の心を意固地にさせていた。
 

「判った判った。離れるから竹刀を突きつけるなって。しょうがねぇな。順序立てて説明するつもりだったんだが結論から言う」


 降参だとばかりに両手を挙げた楠木が、口元に張り付いていた笑みを消す。笑みが消えただけだというのに雰囲気が一変する。
 先ほどまでの軽薄な胡散臭さが形を潜め、真摯で誠実な大人の顔がそこにはあった。
 

「あんた達の親父さんは生きている。でも帰れない場所にいる。だが俺は……俺達は親父さんを助けることが出来る」
  
  
「……………っ!?」


 予想外の言葉に優菜は息をのみ硬直した。
 楠木が何をいっているのか理解できない。
 父が生きている?
 そんなわけがあるはずはない。父は炎に包まれて跡形も無く消え去った。
 この世にはもう父はいない。どんなに望んでも帰ってこないと優菜の本能は理解していた。
 横の優陽も驚きと悲哀の混じった表情を浮かべて優菜の顔を見上げながら手をぎゅっと握ってくる。楠木の言葉に父が消えた日の朝を思いだしたのだろう。


「驚くのは無理ないと思う。だけど本当の事だ……話だけでも聞いてもらえないか」


 優菜に向かってかなり年上のはずの楠木が恥も外聞も無く背が見えるほどに深々と頭を下げる。
 なんとしても聞いてもらいたい。
 無言で頭を下げ続ける楠木の姿は言葉は無くとも雄弁に語っている。
 

「…………判った。頭上げて。話聞くから」


 優菜は小さく頷き答える。
 楠木に対する大きな不信感が消えたわけではない。
 だがあまりにも必死にも見える楠木の姿に優菜はそう答えるしかなかった。 
 

「助かるよ……少し内密な話になるから場所を変えさせてほしい。っと、その前に優陽を小学校に一度戻してからの方が良いか? あんたの様子だといなくなった事になってるんだろ。いろいろ悪評はあるが俺もさすがにロリコン誘拐犯はごめんなんでな」


 安堵の息を一つ吐いた楠木がまた口元に笑みを浮かべ、先ほどまでの真摯な表情は演技だったのではないかと思ってしまうほど軽薄な軽口を一つはき出した。

 









 姉を待つ間に近くの公園でかくれんぼをしていて途中で眠ってしまった。
 多少苦しい言い訳で先生に頭を下げて謝ってから小学校を後にして、少し離れたところで待っていた楠木の案内で優菜たちは駅の方にある商店街へと向かうことになった。
 楠木曰く、密談にはもってこいの秘密の隠れ家的な店があり、しかもそこに行けば優菜達も楠木の言葉を信じたくなるはずだと。


「いや縁様が出てきたときはどうなるかと思ったが、なんとかなって上出来上出来と」


「何が上出来だ阿呆」


優菜達の前をゆったりと歩く楠木の右肩には縁が腰掛けている。
 商店街に入ってからすれ違う人が増えてきたが、しかし誰も縁には気づかない。  
 どうやらこの少女が自分そして妹。楠木の3人にしか見えていないようだと優菜は気づく。
 結局この少女が何者なのかも、後でまとめて説明するとまだ教えてもらっていない。
 ここまでの会話を聞く限り、楠木が自分よりも遙かに小さな縁を常に敬っている事が窺い知れる。
 しかしその割には楠木の口調はたまに気安くなり、縁の方も気にしている様子はない。二人の関係性はいまいち不明だ。


「楠木。そういえば玖木の娘は放っていて良いのか? 周辺調査をさせたままだぞ」


「……やべぇ」


 縁の言葉に楠木が立ち止まり呻き声を上げた。
 どうやら近くに他にも仲間がいるようだが、その人物のことを完全に失念していたようだ。


「姫さんの事すっかり忘れてた……っていうか縁様。あんたが一緒だったんじゃないのかよ」 
 

「貴様がしでかした狼藉を忘れたわけでは無かろうな。すっ飛んできたから玖木の娘がどうしたかなど知らん」


「仕方ねぇな。電話してみる……一通り使い方は説明したから携帯の使い方は判るよな? 掛かってきた電話ぐらい出ると思うんだが、あの姫さんだからなぁ。判らなくて出ないか、遊びで出ないか微妙なんだよな」


「まったく……貴様は世話を焼きすぎる。放っておけ。あやつなら根の国からすらも平然と帰ってきおるわ」


「そう言うわけにもいかないでしょうが。これは全面的に俺が悪いんだし。第一後が怖い。二人とも悪い。ちょっと電話するけどそのまま付いてきてくれ」


 うかない表情を浮かべて振り返った楠木は軽く頭を下げて優菜達に断ると携帯を取り出し、歩いたまま何処かへと電話をかけ始める。


「…………………………あー俺だ。楠木だ。良かったよ出てくれて…………姫さん今どこだ?…………悪い迎えに行けねぇ……いろいろあって被害者の姉妹と接触した…………今から説明……姫さんのこと?……忘れてない。忘れてない………………すみません。忘れてました……後で謝るから勘弁してくれ……ともかくマヨイガの出現位置をメールで送るからGPSで位置確…………いやそれじゃなくて……だからその左にあんだろ…………左…………そうそれ………………それは切断だ。つーかそのボタンは右じゃねぇか……遊んでんだろ。姫さん……場所がわかったら来てくれ。判らないなら駅で合流だ」


 電話を切った楠が大きく溜息を吐く。
 僅かに二、三分の電話だというのにまるで生気を吸われたかのようにげっそりとしている。
 よほど苦手な相手なのだろうか?


「楠木……あやつがはぐらかした意味は分かっておるな? 甘い顔をみせるでないぞ。調子づく」


「つべこべ言わずに迎えに来いって意味だろ。全く仕事中くらいは勘弁してくれ」


 苦笑混じりの顔で楠木は携帯を弄る。先ほど電話で言っていた店の位置をメールで送っているのだろう。
 しかもマヨイガという風変わりな店名は、この商店街によく買い物に来ている優菜に聞き覚えがなかった。
 一体自分達はどこへ連れて行かれるのだろうと不安が過ぎる。


「仕事中以外でもじゃ。全く貴様はあやつに甘すぎるのだ……止まれ楠木。ついたぞ。あそこじゃ」


 優陽はアパートに連れ帰って大家さんに預けて来ればよかったかと思っていると、縁が楠木の耳を軽く引っ張って立ち止まらせた。
 優菜も目で追ってみると、縁は横道の薄暗い路地を指さしていた。
 そこにはこぢんまりとした店が建ち並ぶ。しかしなぜか路地はぼんやりと揺らいでいて存在感が希薄にみえた。
 有るはずなのに無いように見える。無いはずなのに有るようにも見える。
 どちらにもとれそうな印象はまるで蜃気楼のようだ。
 こんな所に路地などあったか?
 希薄な気配を優陽も感じ取って不安を覚えたのか、ぎゅっと優菜の手を握ってくる。
 だが路地に向かうのを躊躇する優菜達を他所に楠木は平然と足を踏み入れて、一番手前の店の扉に手をかけた。


「安心しなって。ちょっと外れたってだけで害はねぇから」


 優菜の不安を見透かしたかのように、楠木はにやっと人の悪い笑みを浮かべて手招きした。









 
「なにこれ……」


 意を決して扉を潜った優菜は予想外の光景に唖然とする。
 古びた木の扉をくぐった先は何処かのショッピングモールのエントランスホールのようになっていた。
 吹き抜けとなったホールからは上に連なっているフロアが見えるが少なくとも40階以上はあるようだ。
 看板が連なり無数の店が並ぶ通路も果てが見えず、この建物の中は一体どれくらいのお店が入っているのか検討もつかない。
 建物の外観と中の容量が釣り合っていないにもほどがある。
 しかも不気味なことにこれだけの広さがあっても人っ子一人の姿もなく、静まりかえっていてあまりにも静かすぎて耳が痛くなってくる。


「マスター。ちょっと席を貸してもらいたいんで出てきてもらえますか」


 優菜と優陽が呆然としていると楠木が誰もいないホールに向かって話しかける。
 声を張り上げたわけでもないのにすぐに一番手前の店の扉がチリンチリンと小さく鳴るベルの音と共に開き、中からウェイターの格好をし顎髭を生やした中年男が出てきた。
 

「やぁ楠木君じゃないか。久しぶりだな。それに縁様も」


「どうもご無沙汰してます。マスター」


「なんじゃその言い方は。まるで妾がこの木偶の坊の付属品のようじゃな。妾がこの木偶の坊に貴様を紹介した事を忘れたわけではあるまい」


 出迎えに現れたウェイターに楠木が神妙に頭を下げ、その肩に座る縁が憮然とした顔を浮かべた。
 

「おっと。これは失礼。ようこそ縁様。『マヨイガ』は古来よりの顧客であるあなた様の来訪を心より歓迎いたします」

 
 顎髭を一撫でしてからウェイターは頭を下げて改めて出迎えの言葉を述べるが、縁は白々しいと言わんばかりに鼻を鳴らす。
 

「さてこちらは新しいお客様ですね。ようこそマヨイガへお嬢様方」


 肩を竦めたウェイターはついで優菜達へと目をむけてにこりと笑って会釈してきた。
 優菜が小さく会釈を返すと、横の優陽も姉を真似て小さく頭を下げた。


「こちらのお二人はご姉妹かな。楠木君が連れてきたということは」


「……まぁね」


 目で問いかけるウェイターに楠木が小さく頷いて答えた。
 短い今のやり取りで楠木が何を伝えたのか優菜には判らない。しかし一瞬だけ先ほど公園で見せた雰囲気を楠木が漂わせたのを優菜は感じる。
 だがそれは本当に一瞬だけ。次の瞬間にはまたも軽薄な笑みを浮かべている。


「お、そうだ。優陽。何食いたい? 何でも良いから口に出さないで思い浮かべてみな。マスターが予想しておいしい店を紹介してくれるから。俺が奢ってやるよ」


 不安そうな顔を浮かべていた優陽に対して楠木はニカッと笑って見せた。







 優菜たちが顎髭のウェイターに連れられて入ったのは入り口から少し奥に進んだ甘味所だ。
 店内には客の姿どころか店員の一人も見あたらず、顎髭のウェイターが優菜たちをそのまま奥のテーブル席まで案内すると、3人分のメニューとお冷や、そして縁用の小さなカップとメニュー表を持ってきた。


「おい楠木。阿密哩多が入っているぞ。妾は所望する。良いな」


 優菜の小指の爪ほどの大きさのメニューを見ていた縁が顔を上げると楠木に告げる。
 その口調は頼んでも良いかと尋ねているのではない。もう決定したということだろう。
 

「さすがは縁様。お目が高い……楠木君これくらいだけど大丈夫かい?」


 顎髭を生やしたウェイターは縁に世辞を言いながら掌に何か書き込み、その手を楠木に見せる。


「また高いもんを……一杯だけですよ」


 縁の頼んだ物は相当高額らしく楠木は頬を引きつらせるも、しょうがないと苦笑を浮かべてオーダーを通す。
 

「お兄ちゃん。優陽クリームあんみつ」


 優菜の横に座る優陽がニコニコしながらアイスの乗ったあんみつを指さす。
 

「おう。頼め頼め……んでお姉さんの方はどうするよ? ここまで来といて断らんよな」


 どうにもいけ好かないまるで人を試すかのような、にやにやした笑みを楠木が浮かべる。
 あまりに胡散臭く怪しい男と怪しげな店。
 どう考えても普通ではない。
 しかし父親のことを知っているという男。助けられると断言する男。
 

「……妹と同じ物で」


 毒を食らわば皿まで。
 あの怪しげな扉を潜ったときから……いや父親がいなくなったあの日から、自分が摩訶不思議な非日常世界に放り込まれたのだと優菜は認めはじめていた。






 頼んだ料理が運ばれてきたところで、楠木がネクタイを弛めワイシャツの一番上のボタンを外した。
 どうやら窮屈な正装があまり好きでないのか落ち着いたと言わんばかりに息を吐く。
 アイスが溶けると心配しているのか、食べたくてうずうずしている優陽を見て楠木はにやっと笑う。


「食って良いぞ。優陽には難しいから判るところだけ聞いてればいい……ちゃんといただきますしてからだけどな」 


「うん……お兄ちゃん。ありがとうございます。ご馳走になります。」


 楠木の薦めに優陽が手を合わせて楠木にお礼を言ってからスプーンを手に取った。


「礼儀正しいお嬢ちゃんだ事で……さて。んじゃあまずは俺の本当の役職から説明する。これが俺の仕事だ」


 懐から銀色のカードを取り出しテーブルに置いた楠木は指で小さくカードを叩く。
 するとカードが淡い光を放ち、ついで優菜の脳裏に直接映像が浮かび上がってくる。
 

『日本国異界特別管理区第三交差外路 特殊失踪者捜索救助室 専任救助官 楠木勇也』


 優菜の脳裏に浮かぶのは楠木の役職といくつもの記号や印章が浮かんでくる。
 その中にはパスポートなのにも使われる菊花紋章の姿もあった。
 隣に座る優陽にも見えているのか、アイスの乗ったスプーンを口に加えたまま目を丸くしている。


「便利だろ。俺らの相手は文化や種族が違うとか目や耳が無いどころか、気体生命体やら精神生命体やらがいてな。視覚情報も聴覚情報もあまり役にたたねぇんだ。これが。だから相手の存在その物に語りかけるこのカードが重宝する」


 カードを手にとって胸にしまった楠木がにんまりと笑う。
 それはいたずらに成功した子供が浮かべるようなやんちゃな笑みだった。


「要するにだ……世界の外には異なる世界がいくつも、それこそ無量大数に連なり繋がっている。異世界ってやつだな。異世界間移動及び関連事項対応に特化した組織が日本では異界特別管理区交差外路って呼ばれている。俺は日本が所持する交差外路の三つめ。通称
特三に所属している。んでこっちのちっこい御方は」


 我は関せずと極上の笑みを浮かべて杯をちびちびと舐めている縁を楠木が指さす。


「ちっこいとは無礼な奴め。妾はこの木偶の坊の守護刀にして、万物を司る八百万の御霊が一柱『縁』じゃ。苦しゅうない。縁様と崇めるがよい」


 杯から顔を上げた縁が胸を張る。
 一見傲慢な態度と言葉だが傲り高ぶっているとは優菜は感じない。
 そういう存在だと本能が感じ取っているのだろうか。
 

「簡素に言えば神様って御方だ。ちなみにさっきのマスターも。この空間自体がマスターって事らしい。遠野物語には妖怪で紹介されてるけどな。厳密には超高密度世界干渉力存在って俺も良くしらねぇ世界の理の一つ」


 楠木は理解しようとしても無理だと言わんばかりに、そういう風なもんだと思っとけと言いたげだ。 


「異世界……神様……」


 なんだその御伽噺は。
 鼻で笑って否定してしまいそうな与太話……とはいえない。
 人外の縁という少女とこの有り得ない空間を実際に目にした後では。


「ここらは信じても信じなくても本人の自由だ。でもここから先は信じてくれ……本題になる。あんた達の親父さんは今は異世界にいる。召喚っての知ってるか? 小説やゲームとかにある所謂魔法だ」


「優陽知ってる。妖精さんの国のお花を呼び出す魔法でしょ。図書室の本で読んだよ」


 優菜が迎えに来るまで小学校の図書館で時間を潰している優陽が手を挙げて答えた。


「平和でいいなそりゃ……まぁそんなもんだ。他の世界の存在を呼び寄せる魔法って奴だ。優陽よく知ってるな偉いぞ」


 楠木は皮肉気な笑みを浮かべたかと思うと、手を伸ばして優陽の頭を押し下げる用に撫でた。


「ちょっと!………」


 楠木の乱暴な扱いに怒鳴ろうとした優菜は思わず言葉を失う。 
 笑みを浮かべてる楠木の目には寒気を覚えるほどの悲しみと怒りが浮かんでいたからだ。
  

「親父さんはそいつでどこかの異世界に召喚……要は誘拐されたんだよ」


 優陽には見せないようにしている固い瞳と優菜にだけ囁く冷えた声。
 父親は異世界に攫われた。これが真実だと告げてくる。
   

「おい。木偶の坊。小娘の背が縮むぞ。そろそろ離してやれ」
 

 急に空中に飛び上がった縁はそう言ってから、楠木の右肩に止まって耳に顔を近づた。


「……そりゃそうだ。縁様のサイズまで落ちたら可哀想だな」


 楠木が一瞬目を閉じてから息を吐いて口元に、にやりと笑みを浮かべて優陽から手を離す。その顔からは先ほどまで見せていた暗い感情は消え失せている。
 縁が何を言ったのか判らないが、その言葉が楠木を落ち着かせたようだ。


「ふん。妾のどこが可哀想だ。この木偶の坊が」


 悪態を吐きながら縁はテーブルには戻らず、そのまま楠木の肩に腰掛ける。


「まぁ、召喚つっても悪いことばかりじゃねぇんだがな。一般には伏せられてるけど異世界との交流ってのは結構昔から盛んなんだよ。それにもいろいろ理由はあるんだが。ここ最近の主流は召喚主と召喚者の間で条件と折り合いをつけて、ちょいと変わった能力を持つ人間を異世界に紹介する異世界派遣業ってのだな。日帰りの異世界アルバイターって奴もいるみたいだわ」


 明るく話す楠木は裏の世界って面白いだろと笑顔を浮かべて饒舌に喋りはじめる。
 一気にまくし立てる様は、まるでいつもの自分を必死に取り戻そうとあがいているようだ。


「交流が盛んになるにつれて数多くの異世界と条約も取り交わされてる。安心安全な異世界旅行ってな。そのルールの中で断りのない無断召喚ってのも禁じられてんだよ。ただ、たまに起きちまうんだ。無断召喚ってのが……ルール外の遠い異世界ってこともあるし、条約内異世界での犯罪や事故とかって場合もある。運悪くそいつに親父さんは巻き込まれたんだよ」


 楠木はそこで言葉を切ると、一気に喋って喉が渇いたのかコップを取り水を飲み干した。
 そしてにかっと笑う。


「でも安心しな。異世界に攫われた国民様を救い出すために、あっちの世界こっちの世界乗り込んで力ずくでも助け出す正義の味方。それが俺達『特三捜救』だからよ」
 

 楠木は詠うように高々と宣言すると快活にカラカラと笑いはじめた。


「じゃあお父さんが帰ってくるの?!」


「おう。任せろ」


 楠木の言葉をよく判っていないのだろうが優陽が嬉しそうな歓声を上げ、アニメのヒーローを見るかのようなキラキラした目で見る。
 だが先ほどの目を見てしまった優菜からは、どうしても楠木のそれは無理矢理な笑い顔に思えてならなかった。
 この男は何かを隠している。
 それが何かは分からないが、重たく暗い物を感じさせる。
 

「……楠木」


 証拠と言うべきなのだろうか。
 楠木の右肩に乗る縁が楠木の名を小さく呟き首を優しく撫でていた。まるで幼子をあやすかのような優しく、そして悲しげな顔だ。


「あの……」


 楠木が隠している物を尋ねようと優菜が口を開こうとした時、店の入り口の扉が開く音が響いた。
 この怪しげな空間に一体誰が?
 思わず入り口の方を向いた優菜は言葉を失う。
 舞い散る桜を柄に施した純白の着物。
 しっとりと濡れるように輝く黒髪。
 薄桜色の唇は色気を醸し出す。
 ほっそりとしながらも女性らしさを主張する小柄な身体。
 強い存在感を放つ二十才ほどの和装美女がそこに立っていた。
 



[28408] 依頼篇 山奥の名医 ③
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/06/17 23:58
 強い存在感を放つ女性を、不躾と想いながらもつい注視していた優菜と女性の目が合う。
 優菜の視線に不快感を感じている様子は見せず女性はにっこりと微笑んで会釈した。
 女性が浮かべるのは汚れを知らない清楚な笑み。
 しかし仕草の一つ一つに艶やかな色気がにじみ出る。
 聖女と妖婦。相反する印象を優菜は抱く。
 呆然としていた優菜は慌てて頭を下げ、隣で呆気にとられていた優陽も釣られて軽く頭を下げていた。


「あら…………」


 ついで和服美人は黒瑪瑙の瞳を驚きで見開き声をあげる。
 楠木がいることに今気づいたと言わんばかりの態度だが、ラッシュ時の駅でも目立つであろう巨漢の楠木を見落とすはずがない。
 女性はあまりにも白々過ぎる驚き顔のまま、
 
  
「楠木様でしたか。どこの怪異が下劣な嘲笑をあげているのかと急ぎ来てみれば。野蛮で粗野な声で気づくべきでした。申し訳ありません。下僕である私を忘れた上に見捨てる最低で低脳な独活の大木といえど主。判らなかったとはお恥ずかしい限りです。また仕置きでしょうか? 楠木様からの罰であればどのような恥辱でも受け入れますのでお見捨てないでくださいませ」   


 辛辣なことを宣い、悲しげに顔を俯けつつも小さく舌を出し、最後には目元へと袖を当てて泣き真似をしながらクスクスと鈴の音のような忍び笑いを漏す。
 先ほどまでの神秘的な雰囲気からがらりと変わり楠木を心底楽しそうに罵倒し始めた。
  

「あー姫さん忘れていたことは謝る。好きな物頼んでいいから俺の悪評をねつ造する遊びは勘弁してくれ。あと主と下僕じゃなくて上司と部下な」


「貴様はこやつに甘すぎるのだ。少しは怒れ」


 笑顔で辛辣な言葉を投げかけられた楠木は怒るどころか苦笑混じりに椅子から立ち上がって済まなかったと頭を下げている。
 むしろ縁の方が苛立った様で、先ほどまでの優しげな表情から一変してしっかりしろと怒り楠木の耳を引っ張っている。


「今回は俺が悪いって。玖木姫桜(くききおう)。今回からチームを組むことになった俺の部下だ。でだ姫さん。此方が筑紫さんの娘さん達だ。説明の途中だからとりあえず座ってくれ」


 今だ呆然としていた優菜達に向かって端折った説明をしてから、楠木は隣の椅子を引いて手招くと、姫桜がこくんと頷く。


「店主様。私は京都山織の栗蒸し羊羹。それと佐山の手もみ茶をお願いいたします」


 店の奥に向かって注文をしてから姫桜が裾を乱さず静々と歩む。
 絵に描いた様な令嬢然とした立ち居振る舞いや歩き方が姫桜の育ちの良さを感じさせる。
 姫桜がゆっくりと腰を下ろすのにあわせて楠木が椅子をそっと前に押す。上司と部下といったが、まるで姫桜の方が主で楠木の方が従者のようだ。

 王と雑兵。

 二人の姿を見た優菜はそんな言葉を思い浮かべていた。  


 










「さて楠木様。それでご説明はどこまで進んでいるのでしょうか? いつもお仕事優先の楠木様のことですから、ほとんど終わってますよね」


 ネズミをいたぶる猫のような微笑みをうかべながら姫桜がたずねる。
 しかも姫桜はなぜか蒸し羊羹に添えられていた楊枝を楠木にむけて差しだしていた。


「とりあえず異世界と召喚あたりまで……姫さん勘弁してくれ。真面目にいきたいから」


 ばつが悪そうな顔を浮かべた楠木が爪楊枝から目を逸らすと、姫桜がまたも目元を隠して下手な泣き真似をはじめた。


「初めての街で右も左も判らず心細くか弱い私を見捨てるほどの時間と引き替えなのですから、当然全ての説明を終わっているのかと思えばまだそれだけとは……楠木様。大男総身に知恵は廻りかねとはどういう意味でしたかしら?」 
  

「…………1回だけな」


 深い溜息をついてから苦虫をかみつぶしたような顔をした楠木は楊枝を受け取った。
 肩に腰掛ける縁が甘い顔をしおってときつい目で楠木を睨みながら耳を引っ張っている。
 楠木は薄切りになった羊羹をさらに半分に切り一口大にすると、姫桜の口元へ差しだし、


「あーんして」


 苦悩している楠木をそれはそれは楽しそうに姫桜は見つめ右手で口元を隠しつつ羊羹を口に含む。
 人に食べさせてもらうなど不作法も良いところのはずなのだが、姫桜がおこなうと愛嬌と優雅さを感じさせる。


「帰るわよ優陽」
  

 左手で机を叩いた優菜は椅子を蹴り倒すように勢いよく立ち上がり、突然の姉の怒声に目をぱちくりとさせていた優陽の手をとる。
 自分はこんな巫山戯た茶番を見させられるために付いてきたわけではない。
 父のことを心配している自分達を馬鹿にしているのかと、楠木をキッと優菜は睨みつけてささっとここを立ち去ろうとテーブルの上の伝票を引っ掴む。 


「待て待て。ここから先が重要なんだよ。姫さんもあとでちゃんと謝るから勘弁してくれ」


 優菜の右腕を掴んで慌てて止めた楠木は、ついで姫桜に懇願するように頭を下げる。
 

「仕方ありませんね」


 僅かに舌を出した姫桜が童女のような笑みを浮かべて楠木の手から楊枝を取り上げすっと目を閉じた。
 店内の空気が変わる。
 悪寒と恐怖が優菜の背中を駆け上がり優菜の全身に鳥肌が立つ。
 優陽も怖がっているのか小さく震えながら優菜の手をぎゅっと握ってきた。


「大変失礼いたしました。改めましてご挨拶させていただきます。玖木家現当主玖木姫桜と申します。非礼はお詫びいたします。どうか席についてくださりますか?」


 目を見開いた姫桜が巫山戯ていた先ほどまでとまったく違う凜とした声と鋭い眼光を発する。
  

「っ……判っ……りました」


 震える声で答え優菜は席に戻る。
逆らうことの出来ない存在。逆らえば殺されると身体が自然と理解する。


「だから遊ぶなって……姫さんしかも趣味が悪い。優陽が怖がってるじゃねぇか」


 だと言うのに楠木は全く気にもせず冷徹で恐怖感を醸し出す姫桜に手を伸ばすと頬をつねりあげた。


「子供にだけはいつもお優しいことで。そのお優しさを私にもう少し向けていただければより尽くしますのに」


 楠木への文句を楽しそうに漏らしながら姫桜が目をつぶると場を支配していた恐怖が霧散する。
 どうにも疲れた顔を浮かべ楠木は優菜へと目をむける。


「悪い。俺の凡ミスで姫さんを放置してたお詫びだったんで勘弁してくれ……これこの通り」


「判ったから……続き。きかせて」


 テーブルに手を着き頭を下げる楠木を見ながら、優菜は中断していた話の続きを促す。
 胡散臭く元々無かった信頼も限りなく零に近づいているが、父の行方を知るためだと優菜は我慢する。


「悪いな話の腰折れまくって……俺たちは親父さんが召喚された世界までは掴んでる。専門的な話になるんで省略するが、痕跡が通常より遙かに多く残ってたからすぐに判ったんだ。いなくなって二ヶ月で居場所を発見するなんて滅多にない。少なくとも一年はかかる。十年、二十年経ってもどこの世界に召喚されたか判らないってのもざらでな。だから……不幸中の幸いってやつだ」

  
 楠木は深く息を吸う。何か強い感情を飲み込んでいるようだ。
 居場所がすぐに分かった事が幸いなど楠木は微塵も思っていないのだろう。
 

「だからあとは乗り込んで、召喚先世界での居場所を探り助け出すだけだ。ただ厄介な事が一つ。親父さんが親父さんの姿でいる可能性が極めて低い。本来の状態。この世界での姿形のままだと異物として世界に弾かれる。召喚世界に合わせた姿形や存在に召喚主に変えられてる事が多い。あんまりその状態が続くと馴染んで元に戻すのが難しくなったりするが……俺が絶対に何とかするから安心しろ」


「安心しろって。そんな話を聞かされて……安心なんて出来るわけないでしょ」


 優菜は呆然と呟くしかなかった。
 父が全く別の存在になっているかもしれない。
 この話のどこに安心しろと言うのだ。
 
 
「まぁ、そうだわな。どういや信じて……」


「具体例をお見せしましょう。あの子も楠木様にお会いしたがっておりますし」

 
 楠木が頭をがじがじと掻いていると、横の姫桜がクスクスと笑い出しぽんぽんと軽く手を叩きだした。


「げっ! 姫さんちょっとまって! 今はあいつは喚ぶな。空気を読まないんだから」


 楠木の制止を無視して姫桜が楽しげに詠声をあげる。


「鬼さん此方。手の鳴る方へ」

  
 姫桜が詠い上げた直後、テーブルの上の姫桜の影がざわめいた。
 影はまるで空気を入れた風船のようにふくれあがっていき瞬く間にサッカーボールほどの大きさになると影が弾けた。
 弾けた影の中には縁と同じ位の体長で和式の鎧を身につけた若武者が立っていた。
 若武者の額には白く尖る角が生えている。小さいが鬼と呼ぶべき物なのだろうか。
 影が弾けて鬼が登場するいきなりの超常現象に優菜と優陽が呆気にとられていると、鬼が目を見開き姫桜に対して膝を着いた。


『姉上お呼びですか。桜真(おうま)。姉上のお呼びとあらば、いついかなる場所においても駆けつける所存』


 やけに時代がかった口調でそう言った桜真と名乗った鬼が一礼する。
 喚びやがったと額を押さえる楠木や、楠木に諦めろと言わんばかりに肩を叩いていた縁の姿に桜真が気づく。


『これは縁様。それに楠木殿もお久しぶりにございます』


「相変わらず暑苦しい奴じゃな。鬼となりてもかわらんのお主は」


『しかり。例え姿形は変わろうともこの桜真。己が心を貫きます故に』


 縁の嫌みに対して鬼は全く気にした様子がない。と言うよりも嫌みとも思っていないのだろう。
 鬼は優陽と優菜の方を向いて一礼する。


『初めてお会いする方々もいらっしゃるようで。拙者玖木桜真にございます。以後お見知りおきを』


「え……えと……優陽です」


 優菜は呆然と桜真と名乗る鬼をみていたが、優陽は少し躊躇してから自己紹介を返した。


『優陽殿とおっしゃるか。ふむ良き名にございますな』

 
「……久しぶりだな桜真。随分そっちに馴染んだみたいだな。楽しそうじゃねぇか」 


 妙にテンションの高い暑苦しい桜真を楠木がジト目で見る。
 桜真の挨拶が終わるまで話しかけるのを待っていたのか、それともあまり話したくなかったのだろうか。


『なに。多少狭いですが住めば極楽という物でしょう』


 破顔一笑した桜真はカラカラと笑う。


「此方は私の正真正銘の弟。桜真です。いろいろありまして異界の存在である鬼になってしまったのですが、楠木様と縁様のお力でほぼ元に戻りました。今は完治するまで別世界におります」


『ふむ。これも全ては玖木総崩れの危機よりお救いいただいた楠木殿と縁様。そして仮初めの異界を用意してくださった特三の八菜様のおかげ。我ら玖木一党。特三の方々の為とあらば命も掛ける所存ですぞ。楠木殿も己の武の無さを恥じることなく、我らをいつでもお遣いくださいませ。楠木殿の強さとは心にあります。剣には我らがなりましょうぞ』


「良かったのう楠木。貧弱なお主を守ってくれるそうじゃぞ。妾の神官であるお主を……なんたる屈辱」


「奪還前に弱いって事ばらすなよ。不安がるじゃねぇか……悪気がねぇのがさらに質が悪い。へいへい。俺が悪いんだよ」


 縁に睨まれた楠木はもう好きにしてくれと捨て鉢の笑い声をあげる。


「……弱いって」
 

 優菜は唖然とする。
 190㎝は優に超える巨体。
 首回りまで太くなりスーツ越しにも判る鍛え上げられた身体。
 公園で優菜の連撃を軽々と躱した反射神経。
 何よりも父を取り戻すと語った自信ありげな言動。
 楠木は己の実力に自信があるのだと思っていた。


「お兄ちゃん弱いの? だって公園で凄かったよ」


「いいか優陽。異世界にはな。素手で岩山を砕く強力や刀一本で流星を切る化け物がうようよいるんだよ。ただの人間で勝てるわけねぇっての」


 優陽の率直な物言いに楠木はにやりと笑って答える。
 その笑みは自分が弱い事を恥じる負け犬の笑いではない。
 どうしようもない事に対しても、それがどうしたと笑ってみせる不敵な笑みだ。


「この楠木様は争い毎に関してはそれこそ足手まとい以外の何者でもなく心苦しくはありますが、おとなしく私の背中に隠れてがたがた震えていて欲しいくらいのお荷物です」


 クスクスと笑いながら姫桜が鈴のような声で楽しげに楠木をこき下ろし始めた。
 楽しげな幼女のような笑みが印象的だ。
 

「まぁ事実なんだが姫さん。もうちっと言い方ってもんを」


 苦笑を浮かべる楠木をちらりと見てから、姫桜が悪戯好きな猫の様な笑みを優しげで微かな熱の籠もった微笑へと変化させた。


「ですが異界に攫われた方。異界に染まった方を奪還する事に関しては、我が主の右に出る者はいません」


「…………褒めるか貶すかどっちかにしてくれ。反応に困る。あと上司と部下な」


 急な姫桜の褒め言葉に楠木は大きな手で自分の口元を隠すように頬を撫でる。
 手の下に秘められた感情は何か。
 褒められた事に緩む唇を隠しているのか。
 貶された事を耐えるための歯ぎしりを隠しているのか。
 ……それとも全く別の表情か。
 この楠木という男はどうにも読めない。
 快活に笑い、人の悪い笑みを浮かべ、苦笑で真意を誤魔化す。
 この男が見せる表情は種類は違えどほとんど笑みで形成されている。
 喜怒哀楽。人の感情を表す4つの中で、喜を出す割合が異常に多い。
 しかし先ほど優菜たちの父親の真実を告げた時、その瞳を染めた怒と哀の色は深すぎて、強い衝撃を覚えた。
 だが悲しみを隠すために無理矢理に笑っているのかというと、また違うような気がする。
 確かに無理に笑っている様も見受けられるが、妹の優陽に向ける柔和でからっとした笑みは心からの物だろう。
 暗く深い怨念を抱えながらも、心から笑う事も出来る。 


「とにかくだ。確かに俺はこの天才怪物様共と比べるのも恐れ多いほど弱い。だが切り札を一個だけ持ち合わせてる。でもこいつを発動させるには条件がある。その為に……」


 自分の事を弱いと断言しながらも楠木は強気な笑みを浮かべ、横に立てかけていた竹刀袋をちらりと見る。
 おもむろに姿勢を正し表情を引き締めると強く優しげな眼光で優菜と優陽を見つめた。
 

「筑紫優菜さん。筑紫優陽ちゃん。あんた達の協力が必要だ。親父さん筑紫亮介さんは絶対に俺たちが奪還してみせる……だから俺を信じてもらえないか」


 優菜と優陽の顔を真正面から見つめ言い切った楠木は、テーブルに額が着くほどに深々と頭を下げる
 目。
 顔。
 声。
 そして姿。
 楠木の存在その物が、優菜たちの父親を助けるという言葉が嘘偽りのない物だと強く物語っていた。



[28408] 依頼篇 山奥の名医 ④
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/06/17 23:59
「……判りました。信じます。あたし達は何をすればいいんですか?」


 怪しい巨漢。楠木に対して優菜は気がつけば初めて敬語を使い答えていた。
 楠木が怪しいことに変わりはない。
 だが信じられる。
 優菜自身も口で説明するのは難しいが、信じられる何かが楠木にはあった。


「優陽も信じるよ。お兄ちゃん正義の味方なんだもん。おとうさん絶対助けてくれるんだよね」
 

 優陽もにっこりと笑顔をうかべて答える。
 おそらく幼い優陽の方がより純粋に楠木という男の本質を感じ取っているのかも知れない。


「信じてくれてありがとな……おし!」


 楠木が柔和な笑みを一瞬浮かべてから、気合いを入れるように自分の頬を両手で叩いた。
 

「なに別に一緒に異世界に来いとかそんな無茶な話じゃない。異世界内で親父さんを探すためと、親父さんを元に戻すために……親父さんとの思い出。親父さんも強く覚えていて、あんたらも大事にしている物を俺に譲って欲しいんだ」


「物……ですか? それを何に」


「ふむ。妾からそれは説明してやろう。心して聞け娘」


 楠木の頼みに優菜は意味が分からず聞き返すと、楠木の肩に止まっていた縁が音もなく宙を移動して優菜たちの前に立った。
 役割を奪われた楠木は、相変わらずおいしい所もってくの好きだよな我が神様はと、呟きながら口元に小さな笑みを浮かべていた。


「物質としての物が必要なのではない。必要なのは物に宿る絆の力『縁(えにし)』じゃ。召喚という戯けの妖術は、高貴にして神聖なる心にして親なる真たる縁を無理矢理に断ち、邪なる偽りの縁を結び異界へと連れ去る邪法じゃ」


 縁の説明で優菜ますます困惑してしまう。
 横で聞いている優陽も言葉の半分も意味が分かっていないのか首を捻っている。
 困惑している姉妹の様子に縁が楠木を指さしついで指先を優菜たちへと向けると、楠木がかみ砕いた説明を始める。


「要はいろんな繋がりだな。人と人。人と動物。人と物。この世の全てにご縁って繋がり『縁(えにし)』がある。糸みたいなもんだと思えばいいさ。よく言うだろ縁結びの赤い糸ってな。これが繋がっているから俺たちは互いの存在を認識し繋がる事ができる。召喚ってのは縁をぶった切って召喚先世界との繋がりを強めて連れて行っちまうのさ……さて縁様、続きをどうぞ」 


「うむ。ご苦労木偶の坊。此奴が申す通り邪法の担い手は古来より現世から無数の者を奪い去っておったのじゃ。じゃが妾がおる限り異界の輩の好きになどさせぬ。妾の名は救心神刀『退魔捜世救心縁』。邪なる縁を斬り、親なる縁を辿り、真にして心なる縁を紡ぐ神じゃ。妾に供物を捧げよ娘。妾達がその方の願い叶えてしんぜよう」


「そういうこと。こちらの御柱である縁様はいってみれば召喚者奪還を専門とする神様ってことさ。ただそのありがたいお力を賜るには真なる縁が宿った物が必要なのさ。だから親父さんとの思いで。縁が詰まった大切な物を譲って欲しい」


 楠木は一度息を切るとテーブルの上のコップに手を伸ばし軽く唇をしめらせた。
 コップの水はほとんど減っていないので喉が渇いたのではなく、優菜が意味を悟るまでの時間を与えてくれたのだろう。


「……必要なことは判りました。続きお願いします」


「了解……ただし受け取った物は返してやることが出来ない。縁を捧げるってのはあらゆる繋がりを無くすって事でもある。簡単に言えばこの世界から消滅しちまう。二度と帰ってはこない……だけど大切な物と引き替えにする変わりに、絶対に俺たちが親父さんを取り戻す」


「…………大切な物」
 
 
 父との思い出の品と言われても……
困惑している優菜を見て楠木が頭をがじがじと掻いた。


「あーちょい性急か。もう少し詳しく説明すると」


 楠木が再度説明をはじめようとする前に優菜は言葉を絞り出す。
 父との思い出は心の中にはたくさんある。
 だが現実には……


「あの火事で……焼けて無くなってしまって。父との思い出の品も全部」


 父を飲み込んだ火は瞬く間に周囲へと燃え広がった。
 優陽を連れて着の身着のままに逃げるのが精一杯で荷物を持ち出す暇などありはしなかった。


「……そうか。何でもいい。写真の切れ端でも。服の一部でも。何とかしてみる。何か無いか?」


 優菜たちを優しげな目で見ながら楠木が促す。
 思い出の品……父との思い出の品。
 部室に置いてあって難を逃れた剣道の防具一式?
 ダメだ。忙しい父が試合を見に来たことなどほとんど無い。あまり繋がりがあるとは思えない。
 今借りているアパートに置いてある生活用品はほぼすべてが貰い物。
 父が触れたことのある物。父との思い出が残っている物などない。 


「おにいちゃん。これ……」


 何か無いかと必死に優菜が考えていると、優陽が小さく声をあげて膝の上に置いていた大切な帽子をテーブルの上に置いた。
 なんの変哲もない小学校指定の真新しい通学帽。だが優陽はなぜかそれを気に入っており布団の中にまで持ち込んでいた。
 そのおかげで火事の時も持ち出せた唯一といっていい物だが、まだ買ったばかりの帽子に父との思い出などあっただろうかと優菜は疑問を抱く。


「…………帽子の優陽のお名前。おとうさんが漢字で書いてくれたの。優陽はこういうお名前って書くんだよって教えてくれたの。優陽も早くお名前が書ける様にっていつも見てた大切な物なの。これじゃだめ?」


 大切な物を差し出す優陽は泣きそうな目を浮かべ、それでも泣かないように堪えている。
 父との思い出の品よりも父本人に帰ってきてほしい。
 優陽が抱く思いが優菜にも痛いほど伝わってくる。


「…………縁様。いけるか?」


「ちと弱い。じゃがなんとかしてみせよう。小娘の気持ちを汲まず何を汲む」


 渋面を浮かべる楠木の問いに苦しげな顔で縁が答えた。
 楠木と縁にも優陽の覚悟、想いは十二分に伝わっている。
 だが彼等のいう縁が足りないのだろう。しかしそれでも何とかして見せようと答えてくれた。
 何か自分にはないのか。
 妹が泣きたいのも堪えて大切な物を捧げようとしているのに見ているだけなど出来ない。
 自分には何か父との繋がりが残っていないのか。
 思い出せ思い出せ。父との会話。父との思い出。父の好きな物。
 甲斐性はないしお人好しで損ばかりする娘から見ても心配になる父。
 だが優しくて人のためにいつも一生懸命で自慢だった父。
 そんな父を……大切な父を取り戻す事ができるかもしれないのだ。
 遡る。記憶をどんどん遡る。
 高校入学、中学時代、どんなことでもいい思い出せと自らに言い聞かせる。


「……っ」


 母が生きていた頃まで遡ったところで優菜はようやく一つの思い出へと辿り着く。
 あった……あれなら。
 自分も父も絶対に覚えている思い出。
 思い出が宿った”それ”は大切なとても大切な物だ。
 だが父を取り戻す為ならば”それ”すらもおしくはない。
 優菜はテーブルの上に目を走らせる。
 何か刃物はないか。何でもいい……ある一点で優菜は目を止める。
 優菜の視線の先には会話の邪魔をするべきではないと考えていたのか、テーブルの上でピンと背筋を伸ばした姿勢で正座する玖木桜真の姿があった。

 
「桜真さん……ですよね。先ほどは失礼いたしました。あたしは筑紫優菜です。いきなりで済みません。あなたにお願いしたいことがあるんですけど」


 先ほどは呆気にとられて挨拶すらしていなかったと思いだした優菜は名を名乗ってから、自分の掌大ほどの大きさしかない桜真へと頭を下げる。


「拙者に出来ることがあれば喜んで。何なりとお申し付けください優菜殿」


 優菜のいきなりの不躾な頼みにも、桜真は嫌な顔をせず即諾する。
 桜真が腰に差した小さな刀を一瞥した優菜は軽く息を吐いてから縛っていた後ろ髪を掴んで顔の前へと持ってくる。
 黒く艶々とした長い髪で束ねたポニーテールは優菜の自慢だ。
 子供の頃からずっと伸ばしてきた。その理由は……


「お願いします。あたしの髪を斬ってください。死んだお母さんが好きだった髪型で、お父さんがお母さんに似ているって褒めてくれた髪なんです。お父さんとの繋がりがあたしは髪に……そしてこの髪型にあると思います」


 優陽を産んですぐに亡くなってしまった母。
 母が亡くなってから父は信念であった満足に医療を受けられない人達のための医者になるという生き方を変えた。
 無医村に単身赴任するのを止めて、優菜達が暮らしやすい様に街で診療所を構えるようになった。
 そんな父はよく優菜の髪をいじりながら、母と同じ綺麗な髪だと褒めてくれた。
 その時の父が浮かべていた寂しげな顔を忘れる事は一生無いだろう。
 以来優菜は父の慰めになればとポニーテールを続けてきた。
 父との思い出の品は無くなってしまったかも知れない。
 だが父との思い出は、縁は優菜自身に宿っている。


「……女姓にとって髪は命。よろしいのですか?」


 優菜の頼みに桜真が躊躇する。
 長く色艶もしっかりしている髪。
 優菜がどれだけ大切にしているか見抜き気遣っているのだろう。
 
 

「桜真。気持ち汲んでやれ……良い縁だと思うよ俺は。親父さんは良い娘さんがいるな」


 楠木が腕組みをして桜真に促してから、優菜へと優しげな笑みを向けた。楠木の笑顔はよく決心したなと言外に褒めている。
 楠木の言葉に桜真も決心がついたのか立ち上がり優菜の髪へと目をむけた。


「分かり申した。優菜殿。髪留めをはずして中程を手でお持ちになって私の方へと向けていただけますか」


 優菜はいわれた通りに髪を縛っていたゴム紐を外してから、長く伸びた髪の半ばほどを軽く手で握り首を傾けてテーブルの上に立つ桜真の方へと向ける。
 刀を引き抜く鞘走りの音が静寂に包まれる店内へと響く。


「しからば……御免」


 桜真が合図を告げると共に刀を一気に振り抜く。
 優菜の髪が一瞬にして肩口ほどに切り落とされる。
 優菜にはなんの感触も痛みも無かった。それが小さいながらも鋭利な刃を持つと桜真の持つ技量の高さを指し示す
 急に軽くなった頭部が優菜に消失感を感じさせる。
 肩口ほどになった髪がぱらりと垂れ下がる


「…………ありがとうございます」


 桜真へと頭を下げてから優菜は切り落とされた髪を見た。
 艶々した黒髪。手にずっしりとくる重さはずっと髪を伸ばしてきた年月その物。この長さだけ父との思い出が詰まっている。


「楠木さん。縁様……これでお願い出来ますか」


 髪を優菜は差し出して楠木達へと頭を垂れる。


「優陽からも……おねがいします。おねえちゃんの髪はおねえちゃんの宝物なの」


 姉の行動に目を丸くしていた優陽も優菜の様子をみて、改めて頭を下げて再度帽子を差し出す。


「うむ。いける……お主らの髪と帽子を合わせれば、父との縁を取り戻すなど造作もない。安心せい。楠木!」


 差し出された髪と帽子を見つめた縁が強く頷いてから、宙へと浮かび上がりながら鋭い声で楠木の名を呼ぶ。
 縁の呼びかけに楠木はスーツの内ポケットから折り畳まれた真っ白な懐紙を取り出す。


「了解しました……優菜、優陽。二人の思いは確かに受け取った。絶対に俺たちが親父さんを取り戻してくる。じゃあ俺たちは先に出るが二人はゆっくりしてくれ」


 楠木は髪と帽子を受け取ると懐紙に丁寧に包み大事そうに懐にしまい強い言葉で宣言し席を立ち上がった。
 背もたれに掛けていた黒いコートを羽織り、横に立てかけてあった竹刀袋を担ぎあげてから姫桜の背後へと回る。


「優菜さん。優陽さん。私たちにお任せください……桜真。見事な髪斬りでした。戻します。次は異界でよろしくお願いします」


 楠木が椅子を引くのにあわせて立ち上がった姫桜はにこりと微笑み言葉を掛けてから、桜真をねぎらう。


「御意。優菜殿。優陽殿。楠木殿ならば必ずやお父上をお助けして下されます。ではお急ぎとなるようですので私はこれにて失礼つかまつる」


 背筋を伸ばした桜真が別離の挨拶を述べ一礼してから姫桜が手を一つ叩いた。すると次の瞬間、煙をかき消すように桜真の姿がテーブルの上から消え失せた。



「縁様。お待たせしました肩へどうぞ…………いくぞ姫さん」


「畏まりました楠木様」


 楠木がコートの右肩を軽く手で払って形を整えると宙へと浮かんでいた縁がふむと頷いてから肩へと腰掛ける。
 どうやら楠木の右肩は縁の指定席のようだ。
 姫桜も軽く裾を整えて手早く身なりを整えていた。
 二人と一柱は準備が終わると店の出口へと向かう。
 挨拶もそこそこに立ち去ろうとする楠木達が一日でも、一分でも、一秒でも、一瞬でも早く異世界召喚者を取り返すために異世界へと向かおうとしているのだと判る。


「あ、あの! 楠木さん」


 無駄に声をかけて楠木達の時間を浪費させない方がいいのかもしれないと思いながら、優菜は立ち上がり巨漢の背中へと声をかける。
 
  
「おう? 何か気になることがあるか? 金とかならいらないから。俺等は公僕なんで無料だ。税金泥棒って言われない様に一生懸命やらせてもらうさ」


 振り返った楠木が口元をにやりとさせながらつまらない冗談を口にする。
 先ほどまでの優菜であれば巫山戯た態度に苛立ちを覚えていただろうが、楠木の態度は胸の奥底を隠すための物だと優菜は気づいている。
   

「公園ではすみませんでした! いきなり殴りかかってしまって」

 
 今ここで謝らなければ機会を逃すと考えた優菜は深々と頭を下げて公園での狼藉を謝った。
 優菜の謝罪に楠木は頭をポリポリと掻き困った顔を浮かべる。
 謝られるとは考えてなかったのかしばし言葉に詰まっていた。
 

「あー……まぁしゃーねぇからいいって。客観的に見れば不審者だしな俺。ほれこんな小っこい御方を肩に乗せてるしよ」 


「娘。妾が許す。次は脳天をかち割ってやれ。さすれば少しはまともになるじゃろう」


「クスクス。大丈夫ですよ優菜さん。楠木様は痛いのが大好きな御方ですから」


 縁が鼻を鳴らしながら楠木の耳を引っ張り、姫桜は口元を隠して実に楽しげな笑みをこぼす。


「ひでぇなおい……だそうなんで気にすんな。俺も気にしてないからよ。っとそうだマスター。この中に美容院もあったよな。優菜の髪を整えてやってくれ。料金は俺のつけで頼む。このままじゃマスターのお仲間の座敷童だ」


 最後に店の奥に声をかけた楠木はおかっぱ頭になった優菜の髪を指さしてから、人の悪い笑みを残して店を出て行った。














「さてお嬢さん。席を変えようか。どんな髪型にしたいかな。出来るだけご希望に添うよ」


 楠木が店を出ると入れ替わりに顎髭のウェイターが店の奥から出てきて優菜に尋ねる。
 しかし優菜は楠木達が出て行った入り口をじっと見ていた。
 その目には不安げな色が浮かぶ。


「……楠木君が信用出来ないかい?」


 問いかけに優菜は小さく首を横に振って無言で答える。
 人をからかうような笑みを浮かべ、にやにやと笑っている軽薄そうな印象が強い。
 だがたまに覗かせるその真摯な言葉は強く重い。
 信頼は出来る……はずだ。
 だが楠木は自分の事を弱いと云っていた。
 そして姫桜も気配は恐ろしかったが外見は強そうに見えず、彼女が呼び出した桜真は人形のように小さかった。
 彼等は大丈夫なのだろうか。
 拭いきれない不安が優菜の心によぎっていた。


「お嬢さんの心配は判るよ。楠木君は確かに力という意味では弱いからね」


 優菜は何も言っていないのにウェイターが優菜の葛藤をピタリと言い当てる。
 どうして判ったのだろうと優菜が驚いているとウェイターが右手の人差し指をたてて小さく振った。
 するとウェイターの左手にシルバーのトレイと湯気を立てる紅茶が入ったカップが二ついきなり出現する。
 何処かに隠し持っていたとかではない。文字通り忽然と出現した。


「おじさん。マジックの人?」


「いやいや違うよ小さなお嬢さん。私は彼等ほど器用ではないから。楠木君も言っていたけど私は縁様の同種だからこの程度なら出来るのさ。と言ってもあの方には遠く及ばないけどね。それよりこれは私からのサービスだ。これを飲むくらいの短い時間。彼のことをちょっと話してあげようか? 当たり障りのない程度だけどね」


「……聞かせてもらっていいですか」 
 

 ウェイターの提案に優菜は乗る。
 本人がいない所で話を聞くのはマナー違反ではあるが、優菜はどうしても気になっていた。
 楠木勇也と名乗る人物のことを。 


「縁様や私が君たちには見えるね? でも本来は普通の人間には、私達の姿は見えないんだよ。元々そういう力を持っているか……異界の力。光、炎、水、雷なんかに姿を変る事が多いかな。まぁどっちにしろちがう世界の力だね。それを見てしまった者は見えるようになってしまうんだ。周波数が合うとでも思えばいいよ」


 ウェイターの言葉で優菜は父を攫った炎を思い出す。
 あの不可思議な炎。
 あれを見たから自分達は縁を見られるようになったということのなのか。


「楠木君も元々普通の人間。でも彼は私たちが見える。見えるようになってしまった…………意味は分かるだろ」


「っ!」


 優菜は息をのむ。
 まさか……楠木も大切な誰かを? 


「そう……でも彼はさっきも言ったとおり普通の人間。比較的安全な異界に渡るならともかく、違法召喚なんてする輩は、その世界でよほど強い権力を持っているか、強い力を有す者。危ない世界が多い。普通なら死んだと同義だと諦めて悲嘆に暮れるよ……でも彼は諦めない。出来ることをやるって、雑用から使い走り。何でもやって異世界に関わり続けてきたんだ……まぁそこから先が凄いけどね」


 ウェイターは軽く笑いを浮かべる。
 それはとんでもないことをしでかした子供を見るような驚きを含んだ顔だ。


「がむしゃらに前に進んでいくうちに、好かれたり、憎まれたり、一目置かれたり、軽蔑されたりと、いろんな人や存在と繋がりをもっていき、今じゃ古今無双退魔神刀『縁斬り』の史上最弱の継承者なんて裏の世界じゃちょっとした有名人にまでなってるくらいだ……もっとも私達八百万の存在にとってはもっと違う意味で有名だけどね。名も姿形も変わってしまわれたが”あの”縁様が選んだ神官だってね」


 ウェイターの言う事の意味は知識を持たない優菜には半分も理解出来ない。
 だがただの一般人であった楠木が大きな存在となっている事だけは判る。
 


「『当代鬼王』である玖木の娘さんも楠木くんは誑し込んでいるし、特三には『異界創』である金瀬八菜様の後ろ盾がある……彼なら大丈夫だよ。絶対にお嬢さん達の家族を取り返してきてくれる。そういう男だよ」
 

 ウェイターの言葉には不思議なほどに優菜達を安心させる響きが籠もっていた。



[28408] 第三交差外路
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/06/18 00:00
 夕暮れの地方都市の駅前広場は、学校帰りの学生や家路に向かう会社員達が行き交い混み合いはじめていた。
 徐々に増え始めている人混みの中で目立つ人影が二つ。 
 一人は窮屈そうなスーツの上に黒いコートを羽織、なぜか背中に竹刀袋を担いだ大男。
 もう一人は大男のその三歩後ろでその影を踏まず静々と歩く純白の白地に舞い散る桜が描かれた艶やかな着物を身に纏う和装の美女。
 周囲より頭一つ飛び抜けた巨漢に、深窓の令嬢然とした大和撫子は人通りの激しい駅までも目立つ存在だ。
 名家のお嬢様と護衛とも見受けられる二人は、駅を目指して雑踏の中を進む。
 巨体の放つ威圧感と和服美人のもつ圧倒的な存在感が、群衆をかき分け彼等の行く先に道が自然と開いていく。
 スーツ越しでも判る鍛えられた肉体にどこかのプロ格闘家と、巨漢の顔を車内からまじまじと見るタクシー運転手。
 駅前のコーヒーショップの二階席で雑談をしていた男子高校生の集団が、艶のある色気を醸し出す女性を無遠慮にも携帯で写真を撮り始める。
 周囲から集まる好奇の視線。
 大男が僅かな苦笑を口元に浮かべる一方で、美女は全く気にせず静かに歩んでいく
 さほどの苦もなく自動改札の前に辿り着くと大男が胸の内ポケットからカードケースを取り出し、銀色に鈍く光るカードを取り出し、背後の美女へと振り向き一言、二言話しかける。
 男の言葉に軽く頷いた美女は腰帯からぶら下げた巾着の口を開いて中から同じ色のカードを取り出した。
 大男はそれを見てから自動改札へと向かいカードをかざし通り抜け、次いで女性も男の後を追って改札を抜けていく。
 だがこの時少し勘の効く者がいれば、違和感を覚えただろう。
 改札口を抜けた途端に二人の放つ威圧感と存在感が極端に弱まっていた。
 二人にあれほど好奇の視線を向けていた周囲の者達も既に興味を失い各々家路へと足を急ぎ、タクシー運転手は客はまだかとぼやき、男子高校生達は元通りの雑談を再開しはじめる。
 急に気配の弱まった異質な二人。だがそれにたいして誰も違和感を覚えない。
 いつもの夕暮れの駅前。ただ混み合う雑踏だけがあった。










 人が行き違うのがやっとな狭い踊り場と上下に続く薄暗い階段が姫桜の前に出現していた。
 両側には茶色い壁。つい先ほどまで前を歩いていた楠木やカードをかざした自動改札機の姿はない。
 どうやら楠木はこの階層とは違う場所へ転送されたようだ。待っていればどうせすぐに来るだろうと姫桜は踊り場へと移動する。
 薄汚れた雑居ビルの一角のような場所であっても、姫桜が立っているだけでどこか華やかに感じさせる。
 玖木姫桜という女性はそれだけの存在感……空間すらも従わせる力を持っていた。


「本当に……無駄に凝っておりますね」

  
 ここに来るのはもう四回目だが、いつも同じ感想を抱かされる。
 姫桜は右手に持ったままのカードを見る。
 先ほど自動改札に触れさせたそのカードは、JRで使われているSuicanaなどの主要なICカード同じ大きさ。
 表面はシルバーの鏡面処理が施されており姫桜の顔を映すだけで、何も情報は記載されていない。
 裏側には日本語表記とローマ字表記の姫桜の名前が刻印されているだけの飾りっ気のない物だ。
 これは正式に『特三捜救』の一員となった姫桜に支給された日本国異界特別管理区第三交差外路への正規の通行証である。
 第三交差外路への入り口。それはJR、私鉄、主要路線、僻地を問わず全国の駅の改札口だ。
 鉄道と駅というキーワードを発動条件にして発生する転移陣。
 大仰すぎる仕掛けを施したのはそれを茶目っ気と宣う一人の女性。
 国鉄からJRに変わるときのどさくさ紛れに、当時はまだ政府未公認で非合法だった第三交差外路への転送陣を各地の主要駅へと設置したのを切っ掛けに、某鉄道ゲームのノリで拡張していったそうだ。
 自動改札が主となる前は特製の定期券型呪符を洒落で使っていたそうだが、年々増えていく関係者に合わせて作るのが面倒になったので、特製のICカードにデータをコピーしての簡易製造という。
 これは昔気質の術者達(秘術を神聖な物と位置づける者達)にとっては忌々しい事この上ない挑発といっていい。
 姫桜を初めとする玖木一族が本来所属していた異能を代々受け継ぐ名門家系が統べる日本国異界特別管理区第二交差外路『特二』のお歴々が、『特三』を毛嫌いする理由の主要因の一つだろう。
 『特三』はとにもかくにも型破りな交差外路として知られている。
 第三交差外路がいつ出来たのかは定かではない。ただ気づいたら存在していた。
 いつの間にやら発生して徐々にはみだし者が集まり異界へと渡り、異界より来訪者が訪れ、それを危険視した『特一』『特ニ』の度重なる侵攻や妨害行為もはね除けて異界への道を開き続けてきた。
 ついには日本公認の地位まで掴み、正式な交差外路と認められてしまった。
 集まる者もまた一風変わっている。
 名門家系のはぐれ者。
 一代だけの超常者。
 なんの力も持たないただの一般人。
 国を捨てた異国の者。
 ありとあらゆる人種が集まり……世界の理が違う遙かに遠い異世界の者達すらも常駐している。
 現世にいくつも存在する交差外路の中でも来歴は異端中の異端。
 忌み嫌う者は今でも多く、姫桜も道化共の巣窟と昔は蔑んでいた……それが今では。 
 


「名門玖木の当主たる私も落ちるところまで落ちましたわね」

 
 姫桜はクスクスと笑いながら心にもないことを呟く。
 今が楽しくてしょうがない。
 それが姫桜の正直な心情だ。
 姫桜だけでない。弟や玖木に連なる者達。皆が九鬼としての軛を解き放たれ今を楽しんでいる。
 そんな自由を楽しめるようにしてくれたのも…………
 
 
「姫さん。ここにいたか。動かずにいてくれて助かるよ。はぐれたら困るからな」


「一本道ではぐれるか戯け。否……此奴の場合遊びでやりかねんか? ええい! とにかく貴様は此奴に甘すぎる!」


 階下から上がってきた楠木が姫桜へと声を掛け、肩に腰掛ける縁は小言をクドクドとしながら楠木の耳を引っ張っている。
 この騒がしい一人と一柱が姫桜をこの場所へと導いてくれた。


「楠木様。縁様。お待ちして降りました。私一人投げ出されてあまりの寂しさで泣きそうになりました」


 口元に笑みを残しながら姫桜は下手な泣き真似をして見せると楠木がにやっと笑った。
 

「なら大丈夫だ。ここは面白いからな。つい最近模様替えした所だし。すぐに笑うさ……さてと行こうか」


 楽しみにしてなと呟いてから楠木が階段を登りはじめ、姫桜もその後に続く。
 緩やかな階段を薄暗い灯りの下に上がっていくと、不意に楠木が首だけ振り向いて姫桜に目で謝る。


「本当なら今日は再調査の後は事務所に戻って姫さんの着任挨拶と歓迎会のつもりだったんだが、悪いが予定変更だ。着いたらすぐに向かう」

 
「いえ。お気になさらず。判っておりましたから……楠木様は女子供にだけはお優しいですからね」


 姫桜が意地の悪い声で答えて見せると、楠木が勘弁してくれと言いたげに頭をがじがじとかいた。
 楠木が筑紫姉妹の願いを……悲痛で切実な祈りを受け取った以上、一刻でも早く叶えるために動くことは判りきっていた。 
 姫桜の目の前をふさぐ壁のような大きな背中。
 この背に背負える想いはいかほどの物だろうか。
 絶望、悲哀、憤怒。
 親しき者を攫われた者が抱く悲痛で重い感情を楠木は依頼人から譲り受け背負い続ける。
 ただの人間には過ぎたる重圧だろう
 だがこの男は決して潰れない……それは姫桜もよく知っていた。
 

「……あらそうすると私は女としてみられておりませんのかしら? こんなに尽くしておりますのに。今日も楠木様のご命令通り周辺を調べておりましたのに忘れ去られましたし、それともこれが巷でいう放置プレイという物でしょうか? 後で特三の皆様方に挨拶ついでに尋ねてみますね。それとも特二の長老方の方がいいでしょうか?」

 
「悪かった。戻ったら派手にやるから勘弁してくれ。特二に姫さんをそんな扱いしているなんて思われたら命が幾つあっても足らねぇっての……さてとそろそろ室長に最終連絡を入れとくか」


 姫桜のクスクス笑いに楠木はばつが悪そうに頬を掻いてから、携帯を取りだしてどこかへと電話を掛け始める。


「楠木です。今戻りました……えぇ姫さんも一緒です…………いえ。さっきも言ったとおり公園から直接向かいますよ……だから許可の方と向こう側に連絡を……宴席のキャンセル料?……だからまだ予約は取るなって……いやいやそこは室長の誠意って事で……はっ?! 八菜さんも来るつもりだった!? っていうか幹事!? ……イベントも準備って……なにやってんだあの人は。そんなに暇じゃねえだろうが」


 電話の向こう側からは姫桜にも聞こえるほどの大きさで女性の怒鳴り声が響いてくる。
『勝手なことするな』やら『どーすんのよ準備終わってるのに』と漏れ聞こえる声はどこか悲痛だ。


「やれやれ与太者共が。玖木の娘よ。喜べ。どうやら特三は親玉を筆頭にお主を大歓迎のようだぞ」
 
 
 携帯から漏れ聞こえる怒鳴り声を煩わしく思ったのか縁が辟易とした顔を浮かべ姫桜の肩へと移ってくる。
 

「あら。それは嬉しいですね。何度か殺し合いになりかけた方もいらっしゃいますのに」
 

「ふん。奴らがそれくらいのことを気にするか。その筆頭が楠木じゃがの。全く……たった一度お主の気まぐれで命を救われたくらいで完全に気を許しおってからに。終いには引っ張り込みおって。何度お主の所為で死にかけたか。忘れておるのではなかろうな……」


 縁がぐちぐちと愚痴をこぼしながら、苛立ちを現すかのように姫桜の耳を引っ張る。
 

「仕方ありません。楠木様の存在は邪魔だったんですもの……昔の私からすれば本当に忌々しいくらいに。幾度か陥れたのも立場の相違という物ですよ。『戒めの九鬼』としての理念に従ったまでです」


 耳を引っ張る心地よい痛みに姫桜はクスクスと笑い声を漏らした。
 


「ちぃ……判っておるわ。お主らがお主らのやり方で現世を守ろうとしてたのは。ただしここは『特三』お主もここの一員になったのじゃ。妾達のやり方に従ってもらうぞ」


「それはもちろん。今の私は身も心も楠木様の下僕ですので……あら。縁様に私は嫌われていると思いましたのに、お仲間と思っていただけていたとは。玖木姫桜光栄の至りです」


「白々しい……楠木と貴様の今の縁が良き物でなかったら、縁切りしてやるというのに」


 縁は膝を組みあごに手を当てて不満げな顔でぶつくさと文句を言う。
 どうやら姫桜の答えが手応えがなさ過ぎてつまらないようだ。


「背後の一柱と一人。これから実戦だってのに揉めてるな。縁様もいい年なんだから新人虐めしないように。あと姫さん。上司と部下な」


 いつの間にやら電話を終わらせていた楠木が振り返って苦笑を浮かべている。
 どうやら電話をしながらも姫桜達の会話には耳を傾けていたらしい。
 姫桜の肩から飛び立った縁は楠木の後頭部を一発蹴りつけてから、その肩へとまた戻った。


「ふん。貴様が此奴を躾けぬから妾が苦言を呈したまでよ」


「これから姫さんには俺を守ってもらうんだ。なるべくご機嫌伺いしとかねと命に関わるからな」


「えぇ……おまかせください。私が楠木様をお守りいたしますので」


「楠木! 情けないことを申すな! 玖木の娘も嬉しそうな顔を浮かべるでないわ!」


 縁の怒声に肩をすくめていた楠木が不意に足を止める。
 薄暗い階段の登り切ったに明るい光が差し込む入り口が見えていた。
 会話に夢中になっているうちに、いつの間にやら階段の一番上まで上がっていたようだ。
 彼等と交わす会話が楽しく、姫桜はもう少し階段が続けばいいのにと心の隅で思っていた。


「っと、着いたな。さすがの姫さんもこれはちょいと驚くぜ」


 楠木が秘密基地を自慢する子供の楽しげな笑みを浮かべていた。









「……」


 階段から外へと出た姫桜は眩しさに顔の前に手をかざして光を押さえると、間武tらを細めてしばし光に目を慣らす。
 水気を含んだ冷たい風が頬を撫で、僅かな草花の香りが鼻孔をくすぐる。
 20秒ほど経ってから姫桜がゆっくりと目を見開き周囲を見渡す。
 どうやらここはすり鉢状になった公園の底に作られた東屋のようだ。
 よく手入れのされた花壇には色とりどりの花が咲き乱れて、周囲には幾つもの樹木が植えられている。
 しかしその季節感はバラバラだ。
 春の菜の花が黄色を染めて咲いていたかと思えば、その横では夏の薄紫色の朝顔が蔓を伸ばし、秋のキンモクセイの甘い香りが漂い、冬の梅が枝一杯に白い花を咲かせている。
 ふと姫桜が背後を振り返ってみると先ほど上がってきたばかりの階段は消え失せていた。
 

「あら……普通ですね。以前お邪魔させていただいた時は確かバベルでしたでしょうか? 砂漠の中に天に届くような塔がそびえ立っている様に驚きました」


 東屋の外でにんまりとした笑みを浮かべている楠木に、姫桜は些か拍子抜けした感想を伝える。
 季節を無視した艶やかな草木の共演は確かに見事な物だが姫桜がそれほど驚愕を覚えるほどの物ではない。
 楠木がこの程度のことを自慢するだろうかと姫桜は小首をかしげる。


「そりゃあたぶんドルアーガ。バベルは元ネタの神話の方だな。ありゃあ八菜さんが懐ゲーに嵌っててた時の構造なんだが、内部にエレベーターつけねぇし、謎解きが多すぎるわで身内には大不評だったな……ほれ姫さんこっちだ。視線は地面に向けてくれ」

 
 うんざりした顔の口元に笑みを浮かべた楠木が手招きをして姫桜を呼び寄せる。
 楽しげな楠木の顔を見るにどうやら本命はまだまだのようだ。
 姫桜はクスクスと笑いながら一体どのような物を見せてくれるのだろうと楽しみに思いながら足元を見ながら楠木へと近付く。


「さて姫さん……ご覧あれ」


「………………」


 弾んだ声で楠木が空を指さす。指につられて空を見上げた姫桜はしばし言葉を失う。
 空が丸かった。
 丸い空には張り付く大地があった。
 逆さまの大地には木が生い茂る森が点在し、森からは巨大な水路が延びている。
 水路はいくつにか枝分かれして森の外に広がる農地へと水を運んでいる。
 農地の傍らには牧草地まであるのだろうか。ごま粒のような点で動く家畜の群れまで見えた。
 農地を両断するように石畳が敷かれ、石畳の道は農地を頂点とし曲線を描きながら左右に伸びていく。
 道の先には背の低いビル群で形成された商業街や繁華街が姿を現す。
 球状になった世界の内側に存在する世界。
 

「……相変わらず恐ろしいまでの事を平然とやってのけるみたいですね。特三の管理人である金瀬八菜様は」


 自分が立っている場所の正体にようやく気づき理解した姫桜は、思わず止まっていた息を吐きだす。
凄いがあまりにも馬鹿馬鹿しい光景に呆れるやら感心したりといった所だ。






「まぁな。いつも通りっていえばいつも通りだがよ。戻ったら挨拶にいくか」


 珍しく素の驚きの顔をさらしていた姫桜の様子に楠木は破顔する。
 肝の据わっている姫桜を驚かせるのは並大抵の事では難しいのをよく知っているからだ。
 自分の思い描いた世界を自由自在に……しかもたった一人で作り出し、維持管理すらも平然とこなす人に似た何か。
 正体不明の女性であり、希代の遊び人。そして異世界への誘い人。
 日本国異界特別管理区第三交差外路管理人であり『異界創』と呼ばれる金瀬八菜。
 この世界は一人の女性が、世界の半歩外に作り出したまるでおもちゃ箱のような箱庭世界である。


「元ネタは地球内部空洞説ってやつだな。本当は深夜アニメのロボット物に嵌って宇宙コロニーを作りたかったみたいなんだけど、次期世界構想選挙の投票で負けてな。こっちになった。八菜さんは相当残念がってたけどな」


 八菜が自由自在に作れる世界といっても、そこは利用する側の意見もある。
 どうせやるなら面白くしようという発案で不規則に開かれる世界構想選挙は特三の名物企画の一つとなっている。
 あるときは蒸気の煙漂うスチームパンクな機械都市。
 またあるときは呼吸できる水で満たされた海底都市。
 はたまたあるときは足元を溶岩の川が流れる火山都市。
 その時折に脈絡なく姿形を変える特三は、とらえどころのない管理人である女性と何処かだぶる。
 

「ふん。あの戯け異神め。最終的には『ころにー落とし攻防戦』とやらのイベントも画策しておったようじゃ。負けて当然じゃ。そんな物に付き合わされる妾の身になれ……この間など、どこぞの小娘を引き込んで伝説の勇者ごっごとやらをやりおって。お供の妖精役なぞやらされたのじゃぞ。この妾が」


 つい先日も八菜の悪ふざけに付き合わされた縁が忌々しげに呟く。
 普段の巫女服ではなく水着のような薄手の服を着せられた上に背中に羽の飾り物をつけられたのだが、それがよほど嫌だったらしい。


「あの格好は縁様に似合ってたけどな…………まぁそれはともかくだ。姫さん改めて歓迎するぜ。特三にようこそな」


 楠木はにやっとした笑みを浮かべ姫桜に笑いかけ……そして表情を改める。
 ここは既に異世界への道の始点であるからだ。
 異世界へと移動する力さえあれば今すぐにでも跳ぶことができる。
 この道の先に助けるべき人。連れ帰るべき人達がいる。
 奪還者である楠木勇也が生きる今がある。
  
 
「こちらこそ改めてよろしくお願いたします。楠木様。縁様。玖木姫桜の力。ご存分にお遣いください」


 楠木の雰囲気が変わった事を察した姫桜も薄い笑みを浮かべつつも背筋を伸ばして小さな会釈で返す。


「ふん……歓迎してやる。じゃから気合いを入れて励め。玖木の娘」

 
 勝ち気な笑みを浮かべた縁が姫桜に答えてから、楠木の肩を軽く蹴って身体から離れた。
 そのまま音もなく空中を移動した縁は楠木の前でピタと止まると、真正面から楠木の目を見つめる。


「楠木。控えよ」


 楠木に命じた縁が普段は押さえている絶大な神格を開放していく。
 ピシリピシリと音を立てて大気が震える。
 噴水の水が波を立ててざわめく。
 神気をはらんだ縁の声が周囲の空間を清めて瞬く間に清廉な空間へと浄化していく。
 黒瞳が徐々に神の力を含む銀色に染まっていく。
 その目は深い。
 楠木を見つめる小さな瞳は楠木の全てを飲み込んでも決して埋まることのない虚無の深さだ。
 この深さが縁の持つ底知れぬ器を示す。
 これから始まるのは儀式。
 崇め奉る神である縁の慈悲を奪還者として、そして神官として請う神聖なる儀式
 縁の命に従い楠木は片膝を着くと深々と頭を垂れる。


「妾が選びし神官楠木よ。妾の目的をつげよ」


 荘厳たる声が楠木の全身を揺さぶる。
 嘘偽りは許さぬと楠木の魂までも縛り付ける。
 だが縁に欺く虚偽などない。
 縁の問いかけに楠木は懐へと手をいれて折り畳んでいた懐紙を取り出しゆっくりと開く。
 納められているのは先ほど捧げられた優菜の髪。そして優陽の帽子だ。
 二人の姉妹の思いが込められた父親との大切な縁を宿す絆その物。
  

「二人の娘の切なる願いを受け、偽りなる悪縁を斬り真なる縁を再度紡ぐ為。向かうは十二の聖書が森羅万象の理を統べる世界『カルネイド』 我が神。救心神刀『退魔捜世救心縁』 我にお力をお貸しください」


 髪と帽子を載せた懐紙を楠木は両手で縁へとさっと差し出す。


「承知した」


 縁が力強く頷き答えると共に一陣の風が吹いた。
 風が懐紙の上で渦を巻いたかと思うと、乗せられていた髪と帽子がさらさらと風化していき、風と一緒に縁の身体へと吸い込まれていく。
 あっという間に懐紙の上から髪と帽子が消え失せた。
 縁が軽く目を閉じる。
 髪と帽子に籠められた『縁』。
 そして楠木の伝えた地の真名。
 二つを合わせ異界への道を開くために集中していく。
  

「捉えた……………ふん。半人前が。口上だけは多少は様になったと褒めてやるわ。ではいくぞ」


 しばらくして目を見開いた縁は口調とは裏腹に満足げな顔で一つ頷いてから楠木の肩へと飛び乗る。 


「そりゃ縁様にあれだけ仕込まれりゃね……姫さん失礼」


 縁の褒め言葉に楠木は嬉しげに笑みを返して立ち上がると、姫桜に一言断ってから腰に腕を這わせて抱き寄せる。
 姫桜も何も言わず楠木へとぴたりと身体をつける。


「では参るぞ……真なる縁を辿り道を開く。我は八百万の御霊にして絆を司る一柱……世を断絶する壁に在りし道よ! 我らを導け!」


 縁が強い言霊を込めて両手を振り下ろすと共に、二人と一柱は現世から消え去った。




[28408] 奪還篇 山奥の名医 ①
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/06/18 00:01
 体中の細胞が一つ一つ引きはがされ己が拡散する。
 小指の爪よりもさらに身体が小さく圧縮される。
 心から大切なものがこぼれ落ちていく恐怖。
 心へと次々に浸食してくる異物に対する嫌悪。
 視界は闇に染まり静寂が辺りを覆いつくす中で、引きちぎられ、圧縮され、引き抜かれ、詰め込まれるという相反する感覚が楠木勇也の心身を苛む。
 異世界とは文字通り異なる世界。
 自然法則も、原理も、在り方すらも違う。
 矛盾する感覚とはそんな異界へと対する純然たる拒否反応が生み出した産物だ。
 ある程度異世界へと渡り歩き経験を積めば大抵の者ならばそのうちに自然と慣れて、拒否反応を示す事もなくなるはずだが、未だに楠木は慣れることが出来ずにいた。
 才能がないのか、向いていないのか、それとも単にそういう体質なのか。
 考えてみた所で答えなど無い。
 だからただ耐える。
 この苦行が始まったのは一瞬前のような気もする。
 一時間前だったかも知れない。
 否それとも数日、数ヶ月、数年、それとももっともっと長い年月か。
 どれもが正解で、どれもが間違っているような曖昧な時間感覚がさらに苦痛となる。
 しかしそれでもただ耐える。耐えることが出来る。
 別に苦痛が好きなのではない。
 痛みは人並みに遠慮したい物であり、ましてや痛みを喜ぶような特殊性癖を持っているわけでもない。
 だがこの痛みだけは別物だ。
 この痛みの先にこそ今の楠木の根幹を司る目的、目標が存在する。
 いつまでも慣れる事ができずにいる偶然に楠木は感謝している。
 この痛みこそが失った者の心。
 この痛みこそが引きはがされた絆。
 己の存在が壊され汚され犯される嘆き。
 常に痛みを感じるからこそ、異なる世界へと攫われた者を取り戻す奪還者として歩み続けていける。
 

 






「……き。……の坊。いい加減目覚めぬか。着いたぞ」


 右の耳を引っ張られる軽い痛みと聞き慣れた声が、朦朧としていた楠木の意識を覚醒させた。
 頭蓋骨の裏側に鉛が張り付いているのではないかと思うほどに頭が重く、喉がひりひりと渇き胃は落ち着き無く上下する。
 背中にはやけに冷たい汗がだらりと流れてシャツがべったりと張りつく。
 異界渡り後の肉体、精神状態は相変わらず最悪だ。
 それでも倒れないだけマシ。
 二日酔いと風邪が同時にきたような悪寒を覚えながらも、楠木はまだ良い方だと重苦しい肺に無理をして息を吸う。
 吸い込む空気はひんやりと冷たく微かな湿り気を帯びており、熱を帯びていた身体には心地良い。
 異世界に赴いてまず楠木がするのは深呼吸だ。
 気持ちを落ち着けようとする意味もあるが、もっとも大きな理由は 所謂”異世界人”である自分が活動可能なのか確認する為だ。
 異世界とは文字通り、理が異なる世界である。
 現世とは大気も物質も自然法則さえ異なる世界。
 そんな所へ何の準備もせずに行けば呼吸も出来ず身体を維持することも出来ない。 
 それどころか異物である楠木に世界が防御反応をみせれば一瞬で消滅するか、取り込まれ食われる可能性もある。
 そうでなかったとしても世界の外へと弾き飛ばされ、世界と世界の狭間の空間。
 世界を変える力の総称『世界改変力』で出来た海に溶け込み永遠に彷徨う羽目になるだろう。
 そうならないために異世界に滞在する為に訪問者達がとる方法は、大まかに転生、憑依、結界の三つに分かれる。
 転生は目的世界の生物や存在へと、自分や他者を生まれ変わらせる術法。
 憑依とは肉体は元の世界に残したまま、精神体だけを目的世界に既存する生命、物質に宿らせる術法。
 この二つは存在その物を変質させ世界へと適合させる方法で比較的に楽な方法であるが、自身の肉体精神を変化させることに抵抗を覚える者は多い。
 その為に今現在もっともポピュラーな方法は第三の方法、結界である。
 己が周囲を常に本来所属する世界の法則へと書き換えながら、同時に滞在世界に取り込まれたり排除されないように調整し続ける高等術。
 一昔前はよほど高等な術者でなければ結界の担い手とはなれなかったのだが、今では神機融合技術に基づく神殿結界機と呼ばれる神の宿りし機械が出回り、それこそ異能を持たない一般人であろうが異界への旅行は可能となっている。
 だが楠木の場合は違う。
 楠木も携帯電話型神殿結界機を一台保有しているが、これはあくまでも非常用でしかない。
八百万の御柱の中でも旧き強き神である縁に使える神官である楠にはその庇護により、理之転(ことわりのてん)と呼ばれる最高位の結界術が常に張られている。
 理之転は精神生命体しか存在できない虚無世界であろうが、超高温超高圧環境の煉獄世界であろうが、現世と同じ感覚で活動することを可能とする現世においても数人しか使い手がいない超高等結界術だ。


「…………おいおい勘弁してくれ」


 ゆっくりと瞼を開いた楠木は周囲の光景を確認して微かに頬を引きつらせた。
 市民体育館ほどの広さと高さを持つ何処かの建物内。
 天井にはまばゆい光を放つ文字が幾つも浮かんでおり、真昼のような明るさで屋内を照らし出す。
 楠木達が立つ場所は水を張り巡らせた対岸までは5メートル以上はありそうな堀で囲まれて池の中に浮かぶ島のようになっている。
 足元に目をむければ黒光りする硬い石の表面を、まるで電光掲示板のように無数の文字が緩やかに流れていく。
 だが楠木が驚いたのは、今立っている場所や乱舞する文字ではない。
 問題は対岸。
 対岸で陣取る目算で50人は軽く上回る西洋風の鎧に身を包んだ完全武装の殺気だった戦士達。
 少し変わっているのは対岸にずらりと並んだ戦士達の手には剣や槍といった武器はなく、その代わりに豪華な装飾が施された大きな書物を左手に持っていることだろうか。


「……縁様。モーニングコールのおかげで心地良い目覚めです。それと理之転毎度毎度感謝です」


 対岸の武装集団をとりあえずあえて無視した楠は、右肩に腰掛けている縁へと顔を向けると軽く目礼する。


「妾には些事じゃ。礼などいらんといつも言っておるだろうが。それよりもはよ横の狸娘も叩き起こさんか」


 眉をしかめた縁は不機嫌そうに顎で楠木の左を指し示す。
 縁の指し示した先では異界へと渡る前に抱き寄せていた姫桜が楠木にピタリと身を寄せ少女のようなあどけなさを残し眠っているかのように瞼を閉じているが、名前通りの桜色の口元からはクスクスと小さな笑みをこぼしていた。
 どうやら本人も隠す気のない狸寝入りをしているようだ。
 

「はいよ。姫さんお目覚めを。ひょっとしたらお仕事のお時間になるかもしれないんで」


 姫桜の腰から左腕を離した楠は、その華奢な肩をポンと軽く叩いて声をかける。
 ちなみに姫桜も理之転を使っているが、こちらは姫桜本人が自ら張っている。
 
 
「目覚めの口づけの一つでもいただけると思いましたのに……おはようございます楠木様。ご気分はいかがですか?」


 吐息をこぼしてみせた姫桜は一歩離れるとクスクスと楽しげな笑みをこぼしながら楠木の顔をのぞき込んできた。
 姫桜が動いた事が原因か相手側から向けられる鋭い警戒心がより強まる。
 冷徹な刃を首筋に押し当てられたような寒気に楠木の首筋を冷たい汗がゆっくりと落ちた。


「……そりゃ縁様と姫さんと美女二人に挟まれてたんだ悪い気はしないわな」


 今にも襲いかかってきそうな相手を前に楠木は目を逸らさず観察しながらも、平常心を保とうといつもの軽口を叩く。


「ふん。軽口叩いている暇があったら話を進めよ。相手方は熱烈な歓迎じゃぞ」


「そのようで。あれが聖書の写本だとするとあちらの方々が魔導騎士で、ここはカルネイドで間違いないと思いますけど」


 『十二聖書』
 そう呼ばれる巨大な十二冊の本が世界カルネイドを形作り構成する基本要素である。
 この世の全ての動物。この世の全ての植物。この世の全ての現象。
 時の流れすらも記載し制御する強大にして絶対なる理を管理する書物。
 そして十二聖書を司る聖人達より高位写本を与えられ超越の力を振るう者達が魔導騎士と呼ばれている。
  事前情報ではカルネイドは異世界間協力条約加盟世界で、今回の奪還においても協力を得られると楠木は聞いていたのだがどうにも話が違う。
 何か情報伝達に間違いでもあったのか?
 現地の情勢が急変したか?
 あるいは自分達の服装や姿形がこの世界では忌避されるものなのか?
 敵意にも近い警戒心を向けられる理由を探ろうと楠木は視線だけを動かし、


「あー……何となく判った」


「あら私の顔に何かついてますでしょうか?」

 
 楠木の視線を受け止めた姫桜が軽く小首をかしげる。だがクスクス笑いは健在のまま。
 視線の意味を完全に見抜いた上でとぼけているのは見え見えだ。
 
 
「姫さんほどの美人を横に侍らせてりゃ羨望と嫉妬の目線を向けられるなって話さ……まぁこのままお見合いしててもしょうがないんで、とりあえずは日本人らしく名刺交換といきましょうかね」


 余裕があると見るべきか、それとも心底から楽しんでいるだけのか。
 姫桜の剛胆さに楠木は呆れ半分感心半分で嘆息してから、スーツの左襟に手を掛けてゆっくりと開いていく。
 対岸の騎士達の一部が微かに動いたのが見えたが、楠木は気にせずゆったりとした動作で右手を内ポケットへと入れ一枚の名刺サイズのカードを取り出す。
 取り出したカードはマヨイガで優菜達にみせた銀色のカードだ。
  視覚情報、聴覚情報、色情報、電気情報、はたまた言霊や精神波。世界によって使われる伝達手段は千差万別。
 だがこのカードは相手の存在へと直接語りかけることによって、どこの世界であろうとも身の証を証明する事が出来るので重宝していた。
 カードを頭の横に掲げた楠木が軽く指を弾くと淡い光を放ちはじめ、楠木達が属する世界や組織名を騎士達へと伝えていく。
 もっともカルネイドは比較的現世に近い近似世界。
 理之転が有する翻訳機能によって直接会話も可能である。
 それでもあえて楠木がカードを使ったのは、騎士達の注意を姫桜から自分へと向けるためだ。
 騎士達の意識がこちらに移った瞬間を見計らい楠木はおもむろに話を切り出す。
 

「日本国異界特別管理区第三交差外路特殊失踪者捜索救助室専任救助官楠木勇也。他一柱と一名。事前にご連絡させて戴きましたが、召喚被害者の捜索救助の為に伺わさせていただきました。どなたか責任者の方にお取り次ぎをお願いいたします」


 友好的だろうが敵対的だろうがまずは交渉。それが楠木の基本スタイルだ。
 玖木姫桜という強力な鬼札を手に入れた今でもそれは変わらない。むしろ交渉の重要性はより増したというべきだろうか。
 楠木の呼びかけに対岸の騎士達の一部が左右に分かれて道が開かれ一人の中年男性騎士が姿を現す。
 中肉中背。茶色がかった髪。他の者達と同じ鎧姿だが兜を被っておらず素顔を晒していた。
 これといった特徴のない西洋系と似たような顔立ちだが、現世の者とは明らかに違う点が一つあった。
 男性の目は硬質な輝きを放つ宝石のような石で出来ていた。
 

『お待ちしておりました。クスノキユウヤ様。エニシ様、クキキオウ様。管理者である四月の聖人リドナーより貴方方の歓待役を仰せ付かった魔導騎士ファランです』


 中年騎士は名を名乗ると軽く一礼する。
 周囲の他の騎士達がみせるような強い警戒心は表面上はでていないが、姫桜を警戒しているのか名を呼んだ時に僅かに声の質が変わっていた。


『誠に申し訳ございませんが聖人リドナーはただいま別件の会議に参加しており席を外しております。食事と部屋をご用意させていただいておりますので、戻られるまでしばしお待ちいただけますでしょうか』


 口調だけは丁寧だが有無を言わせぬ雰囲気がファランの言葉の端端にはあった。


「……判りました。じゃあお言葉に甘えて待たせていただきます」


 僅かに考えてから楠木は相手の提案に乗ることにする。
 楠木の回答にその肩に座る縁も、横の姫桜も口は挟まず異議も唱えない。
 交渉事は楠木の役割であることもあるが、おそらく楠木と同じ判断だろう。
 

『ではこちらへ』


 ファランが腰の本を手に取りぱらぱらと頁を捲ると夥しい文字があふれ出す。
 出現した大量の文字が空中を飛び堀の上に集まると互いに結びついていったかと思うと、あっという間に一本の頑丈な石橋が出来上がる。


「んじゃあ……いきますか」


 武装した騎士達。
 歓待という名の強制的な誘い。
 何らかの事情があるのは間違いないだろうなと考えながら楠木は出来上がったばかりの石橋へと迷うことなく一歩踏み出した。












魚らしき外観で茸のような形の足の生えた生物の炭火焼きグリルを丁寧にほぐし皮と骨と身により分ける。
 ねじくれた螺旋を描く中骨。
 石のように硬い瞳。
 弾力がありすぎるゴムのような皮。
 食欲を著しく減退しそうな部分を持参した箸でより分けると、身を僅かに摘んで添えつけのソースに絡めて、口へ運びゆっくりと咀嚼し味を確かめる。
 僅かな苦みと繊維質の食感。そして春を感じさせる香り。


「……春菊のごま和えに近いな。姫さんも食べるか?」


「えぇ。いただきます。楠木様。こちらの薄紫の水飴のような食感のソースは牛肉のお味がいたしますがいかがですか? 少し食感が物足りませんが」


 向かい側で別の料理を試していた姫桜はにこりと微笑むとソースの入っている器を持ち上げてみせる。


「お。じゃあさっきのゴボウみたいなのと組み合わせるか。あれ食感は分厚い肉で味はコンニャクだったからな。合いそうだ」


 四人掛けのテーブルの上に収まらんばかりに料理が広がる。
 皿数は多いが一皿一皿の量が少ないので、どうやら多くの味を楽しませる趣向のようだ。
 ただ異界の素材を使った料理の為、見た目とは裏腹な味や食感の物ばかりだ。
 そこで楠木と姫桜の二人は少しずつ吟味しながら、食べ合わせることで自分達の嗜好に合う料理へと変えていた。
 いきなり食べると驚くような味もあるので、その食事はゆっくりとしたペースだ。 


「全くお主らは酔狂じゃの。この状況下でわざわざ異界の料理を楽しむ事に気を取られおって……情報確認が進まぬではないか」


 楽しげに料理を批評し交換し合う二人を見ながら縁はぼやく。
 最初は食事をしながらこちらへ来る前に仕入れていた情報の確認をしていたはずだったが、いつの間にやら話の中心は出てきた料理へと傾倒していた。


「第一じゃ。異界におる間は飲み食いせんでも力を取り込める『理之転』を張っておるのじゃから無理して食べる必要はあるまいに」


 本来は楠木達は食事を取る必要など無い。
 結界『理之転』により楠木達は直接的な飲食や排泄行為などの必要もなく、周囲から力を取り入れ不要物を自然と外へと放出する事が出来、適切な睡眠さえ取っていれば十分である。
 しかし『理之転』の機能の一つ、異界の物質の本質を見極め、現世の物質から似たような物を探し五感に刺激を与える力。
 簡単に言えばは比較的に似た味に変換することが出来る機能を、最大限に活用して異界の食事を楽しんでいた。


「あら。この玖木姫桜。おもてなしとしてお出し頂いたお料理を残すなどの不作法は出来ませんわ」


 姫桜はクスクスを笑いながら薄緑の蛍光色を放つスープをスプーンで掬い口に含む。
 上質なごまの香りと朧豆腐のような食感が広がり、思わぬ美味に姫桜が満足な吐息を漏らす。
 姫桜の仕草一つ一つには天然の色気が滲む。


「これはこれで面白いからな……縁様にはこいつはどうだ? かりんとうの食感で大福の味がするぞ。好きだろ? 和菓子」


 楠木は肉らしき料理の端に添えられたスティック野菜の味を確かめると、箸で小さく切って縁にあわせた大きさして目の前に差し出す。


「ふん……所望する」


 軽く小鼻を鳴らした縁だったが、箸の先から乱暴にもぎ取った野菜を口に含んだ途端押し黙った。
 どうやらこの野菜をお気に召したらしいと、楠木はにやりと笑う。
 縁との付き合いも随分長い。縁に捧げる供物として料理や酒を買いそろえておくのが普段からの日課となっているので、縁の好みならほぼ判る。
 どうやら今回もその判断に間違いはなかったようだ。


「一々勝ち誇った顔をしおってからに…………妾に今の食物をすべて捧げよ。ありがたく受け取ってやろう」


「はいはい。身に余る光栄です」 


 縁の言葉を予想していた楠木は既に小皿に分けていた野菜スティックを縁の前に置くと、不機嫌そうな顔のままだが僅かに目元を弛めた縁がかぶりつきはじめる。


「さてと縁様にも怒られたんでお仕事の話と参りますか。姫さんどこまで話したっけ?」
 

「確か十二聖書に記載されていない薬草が見つかったという辺りだったかと」


「はいよ。んじゃ続きだ。十二聖書ってのはこの世界の全てを記載してあるはずだ。ところがだ一年ほど前に正体不明な薬草と傷薬が少量だが裏の市場に流れているのが摘発されたそうだ。異界から持ち込まれた物でなくてこの世界の物って反応付きでな。聖書に記載できるのは選ばれた十二人の聖人だけ。しかも新たな記載する際には大々的に公表されるのが慣例だが、今回見つかった薬草にはない」


 姫桜へと視線を戻した楠木は説明の続きをはじめる。
 カルネイド世界と現世では時間の流れは大幅に違う。
 現世では一ヶ月の時間の流れが、カルネイドにおいては約一年に該当する。医師筑紫亮介が消え去った二月前はこの世界での二年前に該当する。


「問題視したこの世界の異世界機関は調査を開始。各聖書の記載を確認しようとしていたらしいだが、ところがそれからすぐに別の大事が起きて調査は中途半端になってる。それでも一応は発見された植物に該当する存在が他世界にあるかどうかを条約加盟世界に問いあわせはしていたらしい。そいつがビンゴって訳だ」

 
 若い頃から海外の最貧国などへと赴任していた筑紫亮介は常に不足する薬や医療器具に苦労していたという。
 その所為か日本に帰国後は無医村に赴任すると共に地元の老人や猟師から薬草の見分け方や栽培方法や伝来の薬の師事を受け、現代医療との融合を目指していたとの記録がある。 薬草の生育と薬の再現。一年でそこまでの準備は出来るだろうか?
 期間は短すぎる気はするが、同じ異世界に薬草学を学んでいた医師がおり出所不明の現世の薬草。繋げて考えるのが自然だろう。 
 
 
「ふふ……私たちの世界の植物や薬がいつの間に聖書には記載されていたんでしょうね?」


 姫桜は楽しげに食事を続けながら疑問を口にする。
 だがそれは楠木に対する問いかけではない。
 別の者へと対するボールだ。 
 

「さてな。そうする為には世界の理を変える事ができるほどの大物。聖人が関わっているはずだが薬の密売。しかも少量。そんなけちくさいことするのかって問題だわな。この大規模な城塞持ちのリドナーさんって聖人と同等なんだろうから、相当強い権力を持ってるみたいだからな」


 ファランの先導で部屋を出た楠木達はすぐに螺旋階段をグルグルと上に向かって登る事になった。
 その時に途中にあった出窓から楠木はちらりと外をみて、ここが巨大な城塞である事を確認していた。
 そして登っていたのがその中でも極めて高く大きな中央塔である事も。
 位置や上がった距離から見ても最初に降り立った場所。この世界における交差外路は塔の真下である地下にあったようだ。
 これだけの規模と掛かる維持費を考えれば、違う世界であろうとも城の持ち主が強い権力を有することは自ずと判る。  


「それと今回の件と関連しているかは判らないが、リドナーさんとやらが出ている会議の内容だ…………最近なこの世界にもいくつかある交差外路の、っとこの世界じゃポータルポイントって名前か。ほとんどのポータルポイントの力が著しく落ちているそうだ。今までなら直接渡れた世界に渡れなくなった。それどころか世界改変力の流入量までが落ち込んできたそうだ」


 リドナーとすぐ面会できない理由をたずねた楠木に対してファランの返答がこれだった。
 内容を聞いてみれば確かにこの理由ならそちらを優先するのもある程度なら納得は出来る。
 それほどに交差外路の出力低下という問題は大きい。


「あらあら。それは大変ですね……世界の終末が近いと?」


 世界を変える力『世界改変力』。これが尽きて終った世界は凍り付く。それは世界の終わり……死だ。
 交差外路とは異界へ渡る道であると同時に、世界改変力が世界の外側から流れ込んでくるパワースポットでもある。
 交差外路から流れ込んだ世界改変力が世界を変えていく力となり、世界は変化していく。
 もし流入する量が落ちれば他世界への出入り口は狭まり道は細まり、熱を失った世界も徐々に死に近付いていく。


「所がそうでもないようだ……これから先は特三の情報だけどな。カルネイド世界全体で見た場合の総改変力は変わっていない。もっとも改変力の総量変動なんて観察を続けてないとそうそうは調べることが出来ないんだが、八菜さんが”たまたま”この世界を観測してたから判ったんだがよ…………ったく。相変わらずどこまでが冗談で、どこからが本当か良くわからねぇ人だよ」


 楠木は苦笑を浮かべる。
 星の数ほど世界が存在する無量大数世界から、近いうちに召喚事件が起こるカルネイド”だけ”を見ていたのか?
 それとも無量大数世界の”全て”を観察していたのか?
 普段が普段だけに畏怖を覚えることはないが、金瀬八菜と名乗る存在がどちらにしても人知を越えた存在である事に間違いはない。
 

「とりあえずはここの異世界機関もそれは掴んでいて、どこかに新たなポータルポイントが、それも周囲の力すら引き寄せちまうとびきり強力なのが出来てるんじゃないかって所らしい。そのだいたいの場所も予想はついている。ただ極秘情報だから俺たちに教えていいのかって揉めてるって所かね?」


 事前に得た情報、ファランより与えられた情報から辿り着いた推測。
 もっともこの程度のこと姫桜ならば自分が話さなくてもとっくに判っているだろう。そう思いつつも楠木は口にする。
 今必要なことは手札をみせる事。全てをさらけ出すわけではないが、それなりの信頼を得られる所までカードを開いていくことだ。
 

「ふん。回りくどいぞ楠木。妾の感じる縁は、大きな世界改変力を感じる方向と同位にある。とっとと向かえばいいのじゃ。あの姉妹に父親をすぐに取り返してやると大見得を切っておったくせにもたもたしおって」


「いや俺もそうしたい所ですけど…………さすがにこの状況で無理矢理抜け出したら纏まる話も纏まりませんよ」


 苛立ち混じりの縁に対して楠木は室内を見渡し肩を竦める。
 部屋の隅には魔導騎士が幾人も控えていた。
 給仕役という名目だが、それにしては警戒心が極めて強く監視役である事は間違いない。
 塔の外にも彼等と同位の騎士が幾人も待機し警戒していることだろう。
 幾つもの世界を渡り歩き荒らし回る龍とすら臆すことなく闘うはずの精鋭達。
 だが今の彼等はどこかおびえの混じった視線で一点をただ見ている。
 視線の先にいるのは楠木ではない。彼等の視線の先にはがにこりと微笑み食事を楽しむ姫桜の姿があった。
 姫桜が僅かに動くだけでびくりと震え、何度も本へと手を伸ばしかけては戻す様は滑稽を通り越して哀れになってくる。


「姫さんの悪名高さは知ってたんだが、まさかここまでとは。ここらの異世界にも響いてんのな。さすが最凶の抑止力。有無もいわせず拘束されることになるとは思わなかった。さすがに」


 がじがじと頭をかいた楠木は喉を潤そうと杯をとったが、それが醤油味だったことを思いだしそのままテーブルに戻す。
姫桜とは以前にも臨時で組んだ事があるが、その時には所属が違うので現地集合現地解散がほとんどであった為、楠木もいきなりこのような対応を取られるとは夢にも思っていなかったのが正直なところだ。


「戒めの玖木。別名殲滅の苦鬼。違法召喚した輩を一族郎党、場合によっては国諸共まとめて叩き潰してきた玖木の中でも群を抜いて悪辣非道な娘じゃからの……気持ちは判らなくはないが。おい楠木。此奴を放置して妾達だけ先行するか?」


 花林糖の食感で大福味の野菜をかりかりと囓りながら、縁が深い溜息を吐く。
 長い年月を生きる縁は代々の玖木の当主達とも幾人も面識があり関わったこともあるそうだが、その縁をしても姫桜は別格扱いするほどに、数多の世界から恐れられている。


「できませんっての……無駄に死にたくないから俺も」


 姫桜の護衛なしで違法召喚者に面会するなど、自他共に認める弱者である楠木にとっては自殺行為も良いところ。
 まずは姫桜が自由に動ける環境を作らなければしょうがない。
  

「模倣者が出ないように叩き潰してきただけですのに……何か後ろめたい所でもあるのでしょうか? いつもならここまで大事になる事はありませんのに、少し話し合って終わりなんですけどね」


 元凶の姫桜はこの対応をさほど気にもせずにこりと微笑んでいる。
 その外見だけ見れば深窓の令嬢そのものだが、中身は悪鬼羅刹といっても生温いほどに苛烈にして凶悪と知る楠木からすれば、この微笑み自体も一種の罠だ。
 

「姫さん……あんたはやっぱ大物だよ」


「あら、ありがとうございます。でも楠木様。お急ぎのようでしたらこの程度なら城塞事破壊するのも容易いですよ。楠木様がお望みなら下僕の私はいつでもやらさせていただきます」
 

 姫桜は楠木のぼやきに礼を言ってから、身を乗り出して楠木に顔を寄せると物騒なことを囁いた。
 おそらく冗談だろうがここで楠木が頷いたら本当にやりかねないのが姫桜だ。
  

「無しだっての。後上司と部下」


 溜息を吐いた楠木は姫桜の額を指で少し強く弾く。
 所謂デコピンだが、楠木の行動に部屋の隅にいた騎士達が身じろぎざわめく。
 命知らずやら、何者だという途切れ途切れの言葉が聞こえてくるが、姫桜に対する接し方を見られる度に言われ慣れていた反応なので特に気にも掛けない。
 第一肝心の姫桜がこういうやり取りを楽しんでおり、楠木自身も軽口のやり取りは嫌いではないのだから、他人にどうこう言われる筋合いはない。


「楠木様のお手伝いをしたいだけですのに、楠木様にとってはやはり私は身体だけの女なのですね」 


「はいはい姫さんのことは頼りにしてますよ。訳ありだとは思うけど、そろそろその辺も含めて説明が欲しいところ何だけど……っと動いたか」


 額を押さえて楽しげに下手な泣き真似をし始めた姫桜の頭をおざなりに撫でていた楠木は、扉が開く音を聞き入り口側へと目をむける。
 部屋へと入ってきた歓待役の中年騎士ファランが微かに青ざめた顔を浮かべながら一礼する。


『大変遅くなり失礼いたしました。聖人リドナーが皆様方のお話を伺いたいとのことです。おこしいただけますか?』


「えぇ。すぐにでも」

 
自分のみせたカードの効果か。それとも姫桜の直接的すぎる脅しの成果か。
 どちらにしろ事態が動いた事に変わりはなく望む所だ。
 楠木は食事を中断するとすぐに椅子から立ち上がった。



[28408] 奪還篇 山奥の名医 ②
Name: タカセ◆f2fe8e53 ID:4e98e308
Date: 2011/06/18 00:01
『お出しした料理は楽しんでいただけたようで。そうと判っていれば毒を混ぜとけば良かったと後悔してね、茶には入れといたけど飲んでもらえるかい?』


 邪気のない笑顔で対面に腰掛ける三十路そこそこの女性は薄水色の液体が入ったカップを掲げながら、表情とは裏腹な毒を投げかける。
 異世界人といっても女性は楠木達と一見変わらない姿形だが、その両眼は接待役である騎士ファランと同じく石のような物質で出来ている。
 赤色の宝石とでも呼べばいいのだろうか。硬質な光放つ石がその眼孔にはぴたりと収まっていた。先ほどの魚もどきも眼は石となっていた。
 文字が強い意味を成すこの世界において石のような目が何らかの優位性があり、生物が持つ特徴となったのだろうかと楠木は暢気に考える。
 リドナーと名乗ったこの女性が十二聖書に選ばれた聖人の一人であり、カルネイド世界にいくつかある交差外路を一元的に総管理し、異世界関連事項に関する責任者だという。
 彼女の執務室に通された楠木達は、応接用のソファーで腹の探り合いを早速開始していた。
  

「あぁ、それなら大丈夫ですよ。俺はともかく姫さんに毒なんて通用しませんからね。きっかり貴女とそのお仲間をまとめてぶっつぶして、敵を取ってくれますから」


「あら……楠木様に信用されておりませんのかしら? 楠木様を失ったなら悲しみの余りこの世界その物を潰しますのに」


 敬語をまぜた言葉遣いでリドナーと同種の友好的な笑顔を装った楠木が、これまた直接的な毒を投げ返すと、合いの手を入れるように左隣に座った姫桜が下手な泣き真似を始めた。
 だが手の間から覗かせる両眼は、楠木に手を出したらただじゃ置かないと雄弁に物語り、全身からは寒気とおぞましさを含んだ鬼気を滲ませる。
 リドナーの牽制と姫桜の気配に耐えかねたのか、背後に控えているファランが胃のあたりを気にしていた。
 一方で姫桜の横に座る楠木も心臓をわしづかみにされたような恐怖感を感じ笑顔を引きつらせる。
 遊び半分といえ姫桜が醸し出す威圧は小動物なら殺し、植物も枯らしてしまうほど。背筋を伝わって這いずり上がってくる冷気は正直身体に悪い。
 影響を受けまくっている男二人に比べて女性陣は平然な顔を浮かべたままだ。
 発生源である姫桜は未だ下手な泣き真似を続けており、内心は判らないが変わらない笑みを浮かべるリドナー。
 そして楠木の右肩に腰掛ける神様に到っては、下らんとばかりに欠伸を浮かべる始末だ。


「まったく……痴れ者しかおらんのか。話が進まん。玖木の娘。無駄に喧嘩を売るな」


 縁いわくこの程度の鬼気『黄泉比良坂』で慣れたとの事だが、そんな大層な物と比べられても感心すればいいのか、勘弁してほしいと思うべきなのか判断に困る。
 縁の注意に姫桜がクスクスと笑うと、室内に充満して気配があっさりと霧散した。
 

『……って事はあんたに何か無い限りは、クキの姫君の事はそう心配しなくても良いってことかい?』


 気配が収まった所でリドナーが笑みを潜めて真剣な顔を浮かべる。
 返答次第では一戦やり合うのも仕方がないとでも思っているのか、赤眼が放つ光が強まった。
 やはり一番の心配事はそれか……
 予想した通りの状況にどう答えた物かと一瞬思い、結局いつも通りにいこうと楠木は口元に人の悪い笑みを浮かべる。


「今の姫さんは特二じゃありませんからね。俺と同じ特三。正義の味方ですよ」


 巫山戯た物言いをはき出した楠木はソファーの背へとその長身を預けながら、横に座った姫桜の頭へと左手を伸ばして、その頭をぽんぽんと軽く撫でて、ほれこの通りと示してみせる。
 もっとも楠木のこの行動は、唸り声をあげている猛獣の口の中に頭を突っ込み安全性を示すパフォーマンスとさほど変わらない。
 相手がどう捉えるかは微妙な所だ。


「えぇ今は楠木様と同じ”自称”正義の味方ですので、貴女方が私共の世界に仇なす悪者でない限りご心配なさらずに」
 

 クスクス笑いながら姫桜がそっと楠木へと身を寄せる。
 先ほどまでの鬼気を身体が覚えているのか、反射的に思わず姫桜から逃げようとする身体を楠木は無理矢理押さえつける。
 このくらいのことで姫桜が傷つくわけはないのだが、逃げないのは姫桜を誑かし利用している楠木としての最低限の誠意だ。
 もっとも客観的に見れば姫桜の方から好き好んで誑かされ利用されているとも言えなくもないのだが。
  

「姫さん。そろそろ遊びは終わりにしてくれ。あとで相手してやるから」


「あら。では楽しみにしておきます」

 
 乱れる脈を静めながら楠木が軽く頭を下げると、思っていたよりもあっさりと姫桜が身を離す。 
 2人のやり取りを真剣な顔つきで見ていたリドナーは軽く息を吐いて緊張感をとくと手に持っていた茶を一気に煽った。
 

『失礼したね。この通り毒なんて入れてないさ。安心して召し上がってくれ。この辺りじゃ一番上等な茶葉だよ』


「そりゃどうも。ご馳走になります…………」


 安全性を示すと言うよりも喉がからからに渇いていただけではないかと思いつつも、楠木もテーブルの上に置いたままだったカップへと手を伸ばして口に含む。
 薄水色の液体は泡もないのに炭酸のような刺激があり何処か薬品くさい。中途半端なぬるさが香りを余計に引き立てる。
 だがこの一度飲んだら忘れられない懐かしい味。
 まだ小学生だった時の幼なじみと繰り広げた稽古勝負のなかでもっとも過酷だった罰ゲーム。


「ドクターペッパーホット風味……縁様、姫さんどうする?」


 カップに口を付けたまま楠木はリドナー達に聞こえないようにそっと囁くと、縁は懐から小さな巾着を取り出し中から飴玉を取り出し転がし始め、姫桜はにこりと微笑み楠木に自分のカップを差しだした。


「……リドナーさん。俺好みの味なんでポットに残っているお茶全部戴いてもかまいませんか」


 友好の茶を拒否して敵対も馬鹿らしい。楠木は口元に引きつった笑みを浮かべながら覚悟を決めた。


 









「……いやはやそれにしても焦ったよ。召喚の相手国がニホン。しかも来るのが噂に名高いクキの姫君って聞いた時は。生きた心地がしないとはこのことだね』


 先ほどまでの一見友好的な態度は形を潜め、近所の定食屋のおばちゃんといった愛想のよい雰囲気を出しながらリドナーが息を吐いた。
 どうやらこちらが地のようで件の茶をすすりながらリラックスした表情を浮かべている。


「気持ちは分かります。しかも姫さんの場合は噂はまだ温い話ですからね。なんせ噂が立つって事は生き残ってる人がいるって事ですから」


リドナーに相づちを打ちながら楠木はちびちびとドクターペッパー茶を片付ける。
 噂が立つくらいの生存者がいるならまだ良い方。姫桜の本領は噂すら残らないほどの徹底的な殲滅にある。
 村、街、国、大陸、状況によっては世界丸々一つ。
 姫桜がどれくらいのことをしてきたのか楠木も正確な数は知らないが、少なくとも楠木が知り合ってから姫桜によって壊滅した召喚主一味は両手両足の指を全て足しても足らない。
 リドナーの立場からすれば姫桜の来訪は、大魔王降臨といった所だろうか。
 

「あら? 楠木様違いますよ。生き残ったのではなく無関係だったからです。いくら私とて無辜な方々まで手に掛けたりいたしません」


 その大魔王といえば楠木の言葉に拗ねた顔を浮かべながらクスクス笑うという器用な真似をしていた。
 

『無関係ね。そうするとあんた達的にはあたしはどっちなんだろうね?』


 リドナーが意味深な言葉を吐くと。楠木を試すかのようにその紅眼で見つめる。
 どうやら本題に入ったようだと空気を察した楠木も微かに表情を改め、 


「まぁ、こっちは素直に返してくれさえすれば、なるべく大事にしないってのが方針ですが……で、筑紫先生は返してもらえそうですか?」


 一拍間をおいてからぐっと一気に踏み込む。
 リドナーが筑紫亮介を召喚した人物を知っており接触しているという確信を持って。


『回りくどい腹の探り合いは嫌いじゃないが、そうも言ってられないしね。腹を割ろうか…………どこまでこっちのメッセージを受け取ってもらえたのか教えてもらえるかい?』


 踏み込んできた楠木の言葉は予想していたのかリドナーは焦る様子も見せず茶を飲みながら尋ね返す。


「そうですね。貴女方は召喚した犯人。聖人を知っている。その聖人に対して姫さんが暴挙に出る事を恐れている。貴女方自体には俺たちと敵対する気は無く、むしろ味方となり得る……って所までは。いろいろ訳ありのようですし。ちなみにこちらも現時点で貴女方と敵対する気はありません。協力できることがあれば協力します。その方が筑紫先生を早く返して頂けそうですので」


『そこまで信頼して頂けてるとはねぇ。恐悦至極』


 楠木はにやっと人の悪い笑顔を浮かべて予測と希望を話してみせると、リドナーも僅かに口元に笑みを浮かべ答える。
 どちらも浮かべるのは善人とはとても言えない性格のひねくり曲がった、俗に言うイイ性格をしている人間が浮かべる笑みだ。


「この狸共め……もっともこちらの女狐に比べれば幾分かましか」


 楠木とリドナーの笑いにどうやら根っこの部分が似ているらしい同種の性格を感じた縁は一つぼやいてから、忌々しそうに姫桜を見る。


「あら。そうでしたの。お恥ずかしながら私全く気づいておりませんでした……”後ろめたいこと”が本当にお有りだったのですね。そうと知っていれば”城塞事破壊”していたのですが」


 縁に女狐と評された姫桜は、楠木達の会話に驚いた表情を浮かべ口元に手を当てていた。
 白々しいにもほどがある下手くそなわざとらしい演技。
 それを楽しそうにやっている姫桜に楠木も肩をすくめる。


(ほんと大物だよ。このお姫さんは…………)


 心の中で呆れ混じりの賞賛を贈っていた。






 楠木がこの世界の異世界機関に敵対の意志はなく、むしろ消極的な協力者であるかもしれないと思いはじめたのは塔へと案内されている途中のことだ。
 ファランは会話の中で、楠木達へと情報を与えようとしている節が所々にあった。
 それ以外にも塔最上階からの眺めを説明するときにも、違和感は存在した。
 綺麗に整えられた中庭がよく見える南側ではなく、遠くの平凡な山並みしか見えない北側のテラスへとファランはなぜか案内した……それは縁が、筑紫一家の『縁』と、大きな力を感じている方角であった。
 そして極めつけは料理だろう。
 豊富な種類と華やかな飾り付けと手の掛かったとおぼしき料理。
 異世界人である楠木達に味は別としても、見た目だけでも楽しんでもらおう。
 創意を凝らして歓迎しよう。心から歓待しようという意図が見受けられたのだ。
 だが軟禁するという楠木達への対応はそれらの予測と相反する。
 兵士の一団に囲まれて、そのまま歓待という名目で身柄を拘束された事。
 わざと情報を与えてきた騎士。
 玖木姫桜の悪評を知っているとみられる騎士達の反応。
 まぎれもない歓待の意志……ご機嫌伺いの意図が籠められている料理。
 
 
 以上の点を踏まえ状況を読みリドナー側からの『少し待って欲しい』という無言のメッセージと受け取った楠木は、『待つので状況を説明しろ』と言う返答を投げ返していた 
 それが姫桜との食事中の会話である。
 あえて此方の知っている事、判っている事、予想できたことを姫桜と話す事で、盗聴しているであろうリドナーに、楠木達に協力するのなら強行的に進める意志はない事を伝えてみせていた。
 もっとも楠木は差し障りの少ない話で適度に刺激しようとしたのだが姫桜は違った。

『後ろめたいところをすべて明かせ。さもないと城塞諸共破壊する』

 言外に挑発して決断を促した姫桜の大胆不敵さには楠木は舌を巻いていた。
 それに関してはリドナーも楠木と同様の感想を抱いていたようだ。







『さてお姫さんが怖いから単刀直入にいうよ……私達は違反者を確かに知っている。そして違法召喚に気づいてからは、召喚者をすぐに返還するようにと説得をし続けている。だが本人がうんと言わないのさ。そうこうしているうちに、あんたらが来ちまったんだよ。しかも殲滅のクキ……とりあえずしばらくはあんた達に逗留してもらって、その間に何とか説得して丸く収めようとしていたってわけさ』


 サバサバとした調子でリドナーは話を始める。
 その説明は楠木が予想していた状況とほぼ変わらない。


「なるほど……それで召喚主はどこのどなたさまですか?」


『ディアナ・クラントっていう私の馬鹿弟子。そしてもっとも新しい十二聖人の一人でもある娘さ……』


 リドナーは深い溜息を吐きながら、召喚主の名前を口にし掻い摘んだ説明を始めた。



 十二聖書に選ばれし十二聖人とは、この世の全てを現す聖書に新たなる記述を書き込む事が出来る者達の事をさす。
 彼、もしくは彼女たちが新たな理。新たな概念。新たな生物、新たな技術を書き記していく事で、カルネイドにも新たな理が根付いていく。
 彼等十二聖人は聖書に書き込むべき新たなる記載。
 カルネイドをよりよき方向に導く理を求め異世界を旅し、深く学び、持ち帰る事が義務づけられている。
 しかしディアナは聖人はその義務を嫌がり出奔、行方をくらましていたという。
 それが三年前の事。
 十二聖人の失踪など、この異世界の根源を揺るがす大事件を公表出来るはずもなく、表向きは知識をもとめ異世界に渡ったとし、裏では必死の捜索を続けていたという




『ともかく能力だけは高い子でね、私らの探知にも引っかからないでずっと行方がつかめなかった。ところがだ。裏市場で発見されたみた事もない薬草と傷薬を調べていくうちに、ディアナが学び知った事しか書き込まれない十二聖書の一つ『二月の書』にそれらが新たに記載されてた事が判明したんだよ。どうやら異世界から、何かもしくは何者かを無断で召喚して知識を得たんだろうって考えるのは難しくなかったよ。私がこの世界の異界渡り全般を管理しているからね。そこで調査は表向きには一端中止。一応どこの世界と繋がっているかも問い合わせたんだけどまさかニホンとは思いもしなかったけどね。秘密裏に流通経路を辿りあの子の居場所を割り出したんで、私が直々にわがまま娘にきつい灸を据えてやろうとしたんだけど……」


 一端言葉を句切ったリドナーが非常に不機嫌そうに顔を歪める。
 どうやら余り思いだしたくないのか、声に苛立ちが混じる。


『ポータルポイントを自力で製作していたらしくて、そこから膨大な力を引き出していたディアナに返り討ちになっちまってね……あんの小娘め。力じゃ勝てないってのは判ったんで、今度は交渉で何とか馬鹿な事を止めさせようとしたんだけど、言う事を聞きもしない。その内ディアナのポータルポイントはより強大化。他のポイントにまで影響を与えて、そして今に至るってわけさ……腐っても愛弟子。クキの姫様に殺されるようなことだけは避けてやりたい。だからあんたらに少し待っていて欲しかったのさ。悪かったね。まわりくどい真似して』


 説明を終えたリドナーは申し訳なさそうに頭を下げる。
 この様子を見ていれば今の話が嘘が本当かを見分けるのはそうは難しくない。
 楠木は真偽を確かめるでもないと判断し、気になったことを問う。


「そのお嬢さんが、何で聖人の義務を嫌がったのか教えてもらえますか?」


『まぁあれだね。要するに色恋沙汰さ。義務として異世界に渡っている間に、自分の男が違う女の所に行くんじゃないかとか、時間の流れが違う世界で過ごすことで年齢が離れるのを嫌がったりとかね…………ちなみに相手の男ってのはディアナと一緒に行方をくらました私の馬鹿息子。だから公人としても、師匠としても、私人としても私が何とかしなくちゃいけないのさ』


「……そいつらの年は?」


『いなくなったのは両方とも12才の時。駆け落ちするって書き置きを残してね。今は15才になったのかね……あの色ガキ共。親にこんだけ心配掛けさせやがって。捕まえたら死ぬほど後悔さ』


 説明しているうちにどんどん表情が険しくなったリドナーの額に青筋が浮いてくる。
 どうやら相当腹に据えかねる物があるようだ。


『リドナー様。その辺は後で私が聞きますので』


 話が脱線し掛かっているのを察したのか背後の騎士ファランがコホンと小さく咳をして話の腰を折る。


『あ……すまないねファラン』


 溜息と共に表情を沈めて後ろの騎士に向かってリドナーが軽く手を挙げて礼を伝える。
 やけに態度が気安い。
 この中年騎士を腹心として扱っているのだろうか。それにしては少し距離感が近い気もする。


『逃げ込んだ先の山奥の村で世話になったらしくてね。今はそこに暮らす連中の為にってのも目的でいろいろ小細工しているみたいだね。それが薬草の育成や薬の製造とかのようだね。でも正直なところ私からすれば目先しかみない子供の浅知恵って奴だよ。狭い目線でしか物をみない。世界のことを考えてない。その果てに今度の大騒ぎを起こしちまったんだからね。どう言い繕っても師である私の責任だ…………少し甘やかしすぎたかも知れないね』


 自分を取り戻したリドナーは落ち着いた口調で話しを続けると、最後に僅かに後悔の残る表情を覗かせながら息を吐いた。
 その顔は師というよりも心配を掛ける子供達を心配する母親の成分が幾分か強い。 
 

「なるほどの。力だけはある童か。拙い技を補うために力任せに召喚しおったな。それで跡があれほど残っていたというわけか……どうする。此奴を信じて待つか?」


 今回の召喚先が早く判った理由に合点がいったのか縁が小さく頷きながら、楠木へとこれからの方針を問う。
 奪還者はあくまでも楠木であり、自らは力を貸し与える存在であるというスタンスを縁が貫いているからだ。
 楠木は即答せずに口元に手を当ててしばし考える。
 今の話を聞く限り相手側に強い悪意はないように思える。
 召喚者が非道な目にあっている可能性は、今までの経験から極めて少ないと勘が訴えている。
 しかしだからといって何もせずにいるわけにもいかない。
 優菜、優陽には早く連れ戻すと約束した以上、手をこまねいているのは楠木の主義ではない。


「姫さんのことは? 『殲滅の九鬼』が来たって事を伝えれば少しは考えが変わるのでは?」 


『言ってはみたさ。鬼が来たよって……まぁ、そうしたらさ。今から言うのは本人の言葉だからね。私の言葉じゃないよ……誰それ? 鬼なんてつくぐらいだから不細工な術者でしょ。どこの誰だか知らないけど、あたしに勝てるわけ無いじゃん。師匠も耄碌したね……だと。怖い物知らずの天才だからね』


 肩を竦めたリドナーは姫桜の気分を害さないように気をつけなるべく感情がこもらないようにしているのか淡々とディアナの言葉を伝えるが、鼻っ柱の強い小娘という雰囲気が言葉の端々からどうしても滲んでくる。


「あらあら。そうですか」


 リドナーから伝えられた言葉に、姫桜は口元を隠してクスクスと笑い出す。
 心の底から楽しそうである姫桜の忍び笑いに、楠木はげんなりとする。
 姫桜という人間は、誰かに罵倒を浴びされても、侮辱されても怒ることはない。
 なぜならそういった言葉を吐いた人間を、徹底的にいたぶるのが心底楽しいという性癖の持ち主であるからだ。
 侮辱されれば侮辱されるほど、後の楽しみが増す。
 それに怒る理由はないというわけだ。


「あー姫さん。背筋が寒くなってくるんで、そろそろ止めといてくれ。つってもあれか要はガキの我が儘としょあーない。リドナーさん。ここからは俺の本音っていうか提案だ。俺達に任せてくれねぇか? 奪還ついでにそのお嬢ちゃんにちゃんと反省させてやる。二度と無断召喚なんてしないようにな……だから協力してくれ」


 楠木としては一刻も早く奪還してあの姉妹の元に父親を帰したい。
 リドナーとしても、問題をなるべく早く出来れば穏便に解決したい。
 両者の望みを叶えるためには力尽くで行ってみるのが一番早道だろうと楠木はにやりと笑う。


『ん? 聞こうじゃないか』


「調子くれてるガキに大人の怖さを教えるって事で、ここは玖木の怖さを骨の髄まで知ってもらうってのはどうだい? ……死ぬほど怖い思いをしてもらうのさ」


『なるほどね。あんまり遅くなると他の十二聖人も痺れをきらしちまうから、早めに片を付けるに越したことはないさね……でも強いよ。あの娘は。クキを恐れないって言うのも信じちまいそうになるくらいに。勝てるのかい?』


 楠木の言葉に同意の意思を覗かせながらもリドナーは僅かに顔を曇らせる。
 それだけディアナという少女が強いのだろう。
 だが楠木は心配などしていない。
 姫桜は確かに絶対的な強さもあるが、それ以上に得意なことがある。 


「なに大丈夫さ。相手がどれだけ強かろうと関係ないさ。姫さんほど人に”恐怖”を与えるのに長けた人物はいないって俺は信頼しているからな。姫さん。そのガキに自分がしでかした事で、優菜と優陽が負った”失う恐怖”ってのを10倍返しで教えてやれ……もちろんいけるよな?」


「心得ました。楠木様の頼みとあらばこの玖木姫桜。鬼でも蛇にでもなってみせます」


 人の悪い笑みを浮かべる楠木に対して、姫桜がにこりと微笑み返す。
 楠木の企みを詳しく聞かなくとも、だいたい判っていると姫桜の笑顔は物語っている。
 召喚者奪還の為ならば手段を選ばない楠木と、違法召喚主を罰する為ならば何でもしでかす姫桜。
 

「その娘に同情しとうなってきた。妾が知る限り此奴らほど悪辣な者達は無量大数の世界においてもそうはおらんからの……」  


 そんな楠木と姫桜のやり口を一番間近でみてきた縁は、死ぬほど後悔させられる少女を思い哀れんでいた。  


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