2009-05-21 23:11:13

同じ空の下で

テーマ:ブログ


標高6500mの空気が一層重く感じる。


全ては繋がっていることを感じてもらうために生中継を行ったが、
いつもならリラックスして登れるところが緊張のせいか、
呼吸が荒く、体に力が入った。


ヒマラヤの青空はどんな風に見えているのだろうか。


短い時間だが、日本の空とヒマラヤの空を繋げられた喜びは大きい。


生きていく中で一番怖いのは夢を達成した瞬間かもしれない。
昨日の生中継で眠ることはできなく、
そして全ての力を使い果たした感じだ。


標高5800mの広い雪壁から高く聳える塔のようなダウラギリが見える。


ここからはだれのためでもない。
そして自分のためでもない。生きて還るため。
ただそれだけのためにあの頂に向かう。


ダウラギリに風が当たり、
雪が雲もように舞っていた。


ここからは時と山に身を任せて進むしかない。


5月16日。


朝の午前5時にキャンプ2に向けて
温かいテントから外に出た。


まだ外は暗く、薄っすらとトュクチェ。


6920mの向こう側の空が青くなっていくのがわかる。


C1への行動時間は6時間だからもっと遅く出発しても大丈夫なのだが、
ヒマラヤの山々に太陽が当たるとダウラギリが
小麦色に輝く瞬間がある。


そのわずかな小麦色に輝くダウラギリを望みながら登りたいからのだ。


気温が低いせいか、クレバスはまだ起きていない。
自分が落ちかけて穴も開いたままであった。
こんな小さな穴に。山は何が起こるのか本当にわからない。


午後、13時に無事にキャンプ2に到着する。


前にデポ(荷物)を埋めておいた竹の竿が矢印なのが、
それがきちんと雪に刺さっていた。


竹が目印となりだけ雪が積もったかがわかる。
他にインド隊のテント跡はすべて雪で流されていた。


テントに入り、食事を済ませるとすぐに温かい寝袋に入った。


明日からは標高7200mのキャンプ3一泊するが、
滞在時間は短く、そして軽量化のために
寝袋も温かい食事ももって行かない。


ここが最後の休養だ。朝、強風がテントを叩きつけ起こされた。


風が弱まるのを待ち、8時に出発する。


ダウラギリの上から降り注ぐ強い風が雪を積もらせていた。


山で一番体力を使うのはこの溜まった雪のラッセルだ。


雪を掻き分けて進むのを覚悟しながらテントから出てみると雪は硬く、
重たい荷物を背負った自分が乗っても沈むことはなかった。


昨日からの冷たい風が雪を凍らせアスファルトのようになっていた。


ここでスリップしたら
標高5600mのダウラギリのクレバス地帯に落ちていくだろう。


ストックとピッケルで慎重の登っていく。


標高7000m。ここからダウラギリの未知なる領域に入っていく。


見渡すと標高8091mのアンナルナⅠ峰が
小さなピラミッドのように見える。


そして、遠くには砂と雪のチベット高原が見え、
標高7000mからは人間の領域じゃないように思えた。


午後14時頃。7238mの急な雪壁にキャンプを張ることにした。
本来であれば、7500m地点なのだが、
これ以上高度を稼いでも酸素の薄い所では体力を消耗してしまう。


ここで体力を温存して、深夜一気にアタックをかけてみよう。


周りを見渡すと雪崩で襲われながらも
奇跡的に逃れた韓国隊2人のテントがあった。


その他にテントの残骸や跡地らしきものがあるのが、
どれも快適なテント場には見えない。


またいいところを発見しても後続で来る
ドイツ隊にツバを付けられていた。


仕方がなく、新しく雪を掘り起こし、
テントを建てようとするが、
雪が硬く、スコップの歯が立たない。


ピッケルで氷のような雪を削るが酸素が薄く
体に力が入らない。

強風で吹き飛ばされないようピッケルで
体を支えているのがやっとだった。


思っていた以上に時間がかかりそうだ。


回りは濃い雲もかこまれ、
寒さが除所に増してきた。


アタックの行動時間は10時間は予定している。


ここで早く寝なくては。よく見ると、
韓国隊のテントの横に小さなテラス(平らな所)見える。


明らかに韓国人のトイレ場になっているところだが、
これ以上いいところは望めない。


横になれるそれだけで最高の贅沢だ。


設営しようとするが、
強風でテントが何度も凧のように空を飛びそうになる。


それでもテントに体をねじ込ませ、
テントを飛ばされないように体で支えた。


テントの中に入って、テラスは平らでなく下向きに
斜めになっていることがわかった。


しかも3分の1が、岩の外に出ていることが分かった。


もし落ちればドイツ隊のテント場に落ちて助かるかもしれない。


そんなことを考えながらも
自分の体がジリジリと下に落ちていくのが分かった。


体を斜面にこすらせながらお湯を沸かせ、
猫のように丸くなり、出発の時を待った。


日が暮れて、テントに当たっていた光が消えてく。


体内の火も消えていき、凍りのような寒さが襲ってくる。


軽量化のための寝袋も温かい食事もない。


ここからは自分の体内にあるエネルギーをどれだけ燃やせるか。


頭の中で暖炉をイメージしながら体と体をこすり付けた。


その暖炉に温まりながら寝ようとしていると
上から叫び声らしきものが聞こえてきた。


その声は徐々に大きくなりテントにぶつかった。


テントは益々急斜面の下に吹き飛ばされそうになった。


辛うじてピッケルとテントを繋いた紐で助かったが、
何事かと思いテントから出てみると
ドイツ隊のシェルパが滑落して上から落ちて
きたのだ。テントはシェルパのアイゼンで穴が開き、
自分も落ちていきそうだ。


仮に落ちたとしても下にいる
ドイツ隊のテントに受け止められそうだが、
もしこのテントがなければ彼はそのまま滑落し、
もう上がってくることはなかったかもしれない。


彼は呆然としながらボソボソと何かを呟き、
そして強風の中下山していった。


テントを治してくれと言いたくてもただでさえ
分からない英語に強風と低酸素で言葉というものはなにもなかった。


テントをもう一度張り治し、
休養とは言えない短い時間の休みを全身で感じていた。


しかし、眠ることはできなかった。


これから起きる重労働を考えると1分1秒気になり、
何度も時計を見ていた。


夜11時に、
ベースキャンプの児玉さんとの交信時間となった。


予定では12時に出発予定だが、
風が収まる気配がない、
ベースキャンプの無線にもテントが
バサバサと今でも飛ばされそうになっている音が伝わっており、
こちらの言葉が聞き取りずらそうだった。


12時にもう一度交信しますと伝え、
無線を切った。


風もそうだが、他の隊の動向が気になっていた。


それは彼らも同じことだろう。


このキャンプ3にいるのは韓国人2人とドイツ隊の8人、
そして、日本人の僕だけだ。


ルートがよくわからない者にとって、
先に行ってくれるものは心強い。


そして、この深い雪を掻き分けて進んでくれれば、
後はその雪の後を追っていけば楽に進める。


考えていることは皆同じだ。


しかし、12時を過ぎても誰も出てこない。


単独登山は想像以上に力と時間がかかる。


これ以上、誰かをあてにするのはやめよう、
深い雪と強い風それらダウラギリの全て受けとめて登ろう。


 深夜1時、ヘッドランプの光を頼りに壁のような雪壁を登っていく。
風が当たり底についている氷の粒が顔に当たる。
冷たさと痛さで眼を開くことはできない。
山は巨大でルートを間違えることはなだろう。
手で探りながらひたすら上に進んだ。


ようやく稜線にまで上がると更に風が強くなり、
全身で受け止めなくてはいけなかった。


とても顔を上げることができない。
下を向きながら登っていくと自分の足元から
小さな光が動いているのが見えた。


後続のドイツ隊と韓国隊だ。


予定した時間に出発にしたのか、
それとも僕に触発されたのか、
白い蛍ような小さな光がジリジリと上がってきているのがわかった。


ここでは人間も蛍も皆同じだ。


標高7700m位から徐々に
夜空の星をオレンジ色の光が包んでいく。


ヒマラヤの高所から見る星空は都会では
決して見ることのできない星空だ。


星は上だけはなく横にも広がって見える。


しかもその一つ一つにはっきりとした光を感じる。


地球から星が見えるのではなく、
地球が星に包まれて見えているのだということが
山に登って実感できる。


その星が一つ一つ、東の空から消えて行き、
そして、6000mや7000mの山々が眼光の下に見えた時、
自分は空を飛んでいるように思えた。


雪は除所に深くなっていく。


先ほどまでの硬い雪に光が当たると少しずつ
柔らかくなっていくのがわかる。


そして、ずるずると雪が膝まで覆うようになってきた。


ここから前に進みたくても進めない。


まだ目の前には山頂が見えず、
見えないゴールを目指しているかのようだ。


午前6時頃、オレンジ色に輝き始めた
ダウラギリの岩峰を見つめながら山頂を探し登っていくが、


その岩峰が一つの点に見え、
岩なのか、ただの点なのか良くわからない。


サングラスが曇っているのだろうか。


サングラスを外し拭いて見てみるが何も変わらない。


外しても霧のような靄で前が良く見えない。


低酸素のせいだろうか。
それとも強風に眼が当たったせいだろうか。


無線でベースキャンプと連絡を取る。


ベースキャンプの児玉さんは低酸素の影響で目が見えなくなり、
亡くなった人を知っている。


「無理をしないで降りた方がいい」

「わかりました。自力で下山できるところまで頑張ります」


単独登山の最大の条件は自分の力で生きて帰ることだ。


その領域をすでに越えているのかどうかは
今までの経験にかかっている。


それでも尚、山頂に行きたい。


しかし、それは正しい判断だろうか。


自分の中に山に対する執着が目の前を遮っているように思えた。


そして、雪も深くなり、
一歩一歩の前進が後進し始めた。


後ろにはドイツ隊らしき人達が見える。


彼らは僕がラッセルしてきたルート状にいるが、
けして僕を越して前に行こうという気配がない。


山では皆自分が中心だ。
それが人間の本性である。
山で生き、そして他人を助ける。


人間と人間の狭間には欲がある。


そして自分もまた山に向かう時に欲がある。


それでもなぜ登るのかというと
最後にはその欲が大切ではないこということがわかるからだ。


もう山頂はどうでもいい。


ただ眼を回復させることに必死だった。


お湯をのみ、複式呼吸で沢山の酸素が体中に充満している自分を
イメージしてみた。手は冷たく、ガチガチに震えながらも深く
呼吸をしてこのダウラギリを全身で受け止めていた。


眼は回復していないが、少しでも前に進みたい。
それが今の正直な答えだった。例え山頂に行けなくても
山頂が見えるところまでいってみたい。


ただそれだけの気持ちで動き続けた。
気付つくと目もだいぶ回復しており、
岩峰の細かい本数も数えられるようになってきていた。


岩峰が良く見えるようになれば、山頂が見えるはずだ。


挑んできた人達で山頂についても正式な山頂とは認められない
人達が沢山いる。上を見上げれば、3つほど山頂らしき岩峰が見える。


付近の写真を何枚か見せ事前にルートの確認をとった。


そして、わかったのは巨大な白いクロワール(岩溝)の上に稜線があり、
そこにポーランド人の遺体がある。


遺体があれば正解でなければ間違いだそうだ。


そして、その遺体の左登れば山頂だということだ。


目の前には数本のクロワールが見えるが、
写真で見た巨大なクロワールは左に奥に見える。


だれもが手前のクロワールの方が大きく見え、
山頂が近くに見えてしまう。


極限では物差しがそのようになってしまう。
それでもその近くの山頂は幻だと思い、ひたすら奥へ奥へと進んでいく。


高度計はすでに8000mは越えていた。


先ほどまであった強い風もなくなり、
快晴無風の中、雪を踏みしめていく。


山頂が目の前だというのに体が思うように動かない。
一歩出すのに深呼吸を10回以上もしないといけない。


わずか5メートルの距離を歩くのにも心臓が張り裂けそうだ。


振り返ると後続のドイツ隊の姿が見えない。


彼らはあきらめたのだろうか。
「生きて下山」
それを頭の片隅にいれながら前へ進んでいく。


無線で最後のクロワールの位置を確認する。
高さ50mぐらいの最後のクロワールだ。


クロワールは思っていたより雪が深く、
体重を乗せると砂時計のように下に流れていく。


全身の体重を四方八方に散らせ、
少しずつ登っていく、

このクロワールの向こう側は今だ見たことの景色が広がっているに違いない。


はやる気持ちとは逆に体はどんどん動かなくなっていく。


細胞の一つ一つが息切れをしているかのようだった。


それでもなんとかクロワールを出て稜線の向こう側を覗かせてみた。


先ほどまで見えていた雪の壁はなくなり、
青と白銀の山々が地平線の置くまで進んでいた。


稜線は温かく、陽の当たる岩に触れることができた。


最後の力いっぱいで前進を持ち上げて登ってみると、
岩の上で仰向けて寝ている男が見みえる。


服はボロボロで顔が良く見えなかったが、
あきらかに遺体であることは間違いなかった。


雪もない陽の当たる快晴無風の稜線。
もしかすると小さな花が生えているじゃないかと思えるような
暖かい所で男は両手を広げて寝ていた。


疲れてきった自分もこのまま寝てしまえば
同じようにのようになるかもしれない。


その戒めとして男はいつまでもここに居るような気がした。


ここから山頂は目の前に見えていた。


雪がなく先の尖ったアイゼンがガリガリと音を立てながら
最後の岩を登っていく。


「まさかここまで来られるとは思わなかった」


いつも頂上につく瞬間に思えることだ。


登る前に自信はあってもそれは本物でないことは知っている。


いつも山は自分から傲慢を取り除いてくれる。
最後の岩に両手を付けて、深く頭を付けた。


岩は温かく、岩の隙間から今ままで登ってきた自分の足跡が見えた。
もうこれ以上登るところはない。

「ありがとう」それ以上もそれ以下の言葉もでなかった。


ただ、無線でベースキャンプの仲間に
「無事登頂」を伝えたかった。


これは自分だけの登頂ではない。


世界が繋がっていることを感じてもらうために
中継を支えてくれた仲間だ。 


やはり登山は一緒に感動できる仲間がいてこそ登頂の喜びが大きい。


山と人の無機質な関係に「絆」を作るのはまた「人」だ。


感動に浸るのは一瞬。
この感動を生きてベースキャンプに戻してこそ、
「本当の登頂」だ。


写真を数枚撮り、
山頂と遺体に手を合わせて下山をし始めた。


クロワールに体重を乗せると、
登りの時よりも体が重くなっているように感じた。


一歩一歩が崩れるようにして降りて行く。


思っていたよりも時間がかかる。


登りの時は、時間というものはあまり気にしていなかったが、
帰りは陽がくれるまでにどれだけ安全地帯に戻れるか。


南西の方に巨大な積乱雲が見える。


標高7000m以上の山々をすっぽりと覆っており、
山に更に大きな黒い山が飲み込もうとしている。


天候が悪くなるのは分かっていた。
早めに降りようしても足に力が入らない。


しばらく降りるともう諦めただろうと思っていた
ドイツ隊が見えた。軽く挨拶をする程度で彼らも
こっちを見ている余裕がなかった。
皆、生きるのに必死だ。


午後17時。ついに太陽は暮れてまた夜のアタックの世界に戻り始めた。
風は冷たく、ガリガリの凍った雪面を降りて行く。


標高6700mのC2に食料や温かいダウンがある。
そこまで降りてこの夜を過ごせば生きて帰れる。


喉が渇ききっているが、空腹感はない。


家に帰り、温かいご飯を食べていることを何度も考えてしまう。


そして、ちょっとしたショックで2度嘔吐をしてしまった。


嘔吐をしたショックよりも限り少ない水分を外に出してしまったことに
後悔をしてしまった。真っ暗のルートの中にヘッドランプ明かりだけで
氷の傾斜に一本の細いロープを探していく。


この細いロープが下山を見失わないための生きる道だ。


下降を続けていくと、オレンジ色の光が見えた。


どこかの隊のテントかもしれない。


キャンプ2までそう遠くはないと思い、
もう足ではなくストックが足代わりになろうとした瞬間。



アイゼンが滑り、転がるように前に倒れた。


早く起きなくてはと思い、両手で体を起こそうとすると
手が滑って起きられない。


気が付くと自分の体が、この暗闇の中、
徐々にスピードを上げて落ちていくのがわかった。


この先は1000m近く切れ落ち、
そして巨大なクレバスがあるのかわかっていた。


ここで止めなくては命がない。


最後の力を出し、両手と両足で止めよとした。


そして、最後は顔面を氷の表面に突き刺し、
体全身で止める必死だった。


しかし、スピードは益々大きくなり、
もう自分の体も力が入らない。


ただ流れに身を任せ。
せめて仰向けになりたいそれだけを思うだけだった。


ミスや事故、そんなことよりもこれから起きることを
中どちらが上でどちらが下なのかわからなくなっていた。


ただ、ヘッドランプで回りを見渡すと黄色や赤の
小さなが旗が体に巻きついているのが分かった。


僕は生きている。



しばらくたった後にだれかが僕を呼んでいた。
栗城隊シェルパのギャルツンだった。


彼は標高5800mのキャンプ1にいる
山岳カメラマンのサポートのはずが、
上に上がってきていたのだ。


それはベースキャンプが栗城の目が見えなくなったことを気遣い
シェルパを上に向かわせていたのだ。


起き上がり、顔のかすり傷を拭くとまた嘔吐を繰り返した。


何も口にできなかったが、
少しずつ蘇るよう感じていた。


朝、風のない静かなダウラギリが見える。


昨日僕はどれだけ滑落したのだろうか。


そして、わずか幅1.5mのタルチョ(祈り旗)にひかかったことが
偶然ではないように思えた。


もしこれがなければ僕はもういない。


僕はダウラギリに生きる運命を教えられたような気がする。


まだ山では死んではいけない。僕がまだやることが沢山ある。


ここが山でもどこでも自分の限りある命を最大に使わなくてはと思えた。


下山路、最後のヒマラヤの青い空を見つめていた。


この青い空もまた自分が戻る都会の雑踏の空も同じ青い空下である。


どこにいても自分が光り輝かなくてはいけない。


そう諭すしかのようにダウラギリは再び雲覆われ始めていった。


栗城史多

コメント

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1 ■無題

その通りです☆

栗城さんの帰りを待っているひとが、たくさんいます。

今、寝ようとしたところ。。。メッセージが届きました。


☆☆☆ありがとうございます☆☆☆

2 ■ノンフィクション小説

・・・です、このブログ!

読んでいて
自分が一緒に登っているように、
稜線にいるように、
そして滑ってしまったように、
文字のみでヴァーチャル体験させて
頂きました。

旗が、お月さんが、自然も人工物も
全てが栗城さんの味方になってくれたのでしょう。

素晴らしいブログを書いてくださって
有難うございます。

小説としても是非発表してください*:..。o○☆

3 ■カラダで・・・

栗城さん、
ただただ・・・コトバにならず、
でも、文字から伝わる状況や栗城さんが体験していた無というものが、
ひしひしと伝わってきました。
欲を超える瞬間や、自分がすべき役割のこと
ただ生かされている感覚、
だからこそ、生きて還らねばならず、
闇の中で光となって輝き照らしていくこと・・・
これを山に登るたびに、いろいろな角度からメッセージをいただいているのかと思ったら、
自然の雄大さに改めて尊敬の念でいっぱいになりました。
本当にありがとうございます。
私の役割を全うするためにも、頑張って生きてゆきます。この瞬間を、日本で共有することができ、みなさんに感謝申し上げます。

4 ■感謝

胸がつまって言葉が思い浮かびませんが、ただ、生きて戻る事、生き抜く事への思いと全てへの感謝が伝わってきました。

自分が今生きていることへの感謝の気持ち、忘れないようにしなければ、と思います。

5 ■・・・すごいです。

文字だけで極限の緊迫した状態が伝わって来ました。

すごいです、滑落を奇跡的に回避し生還したのも山の神様と栗城さんの力強さですね。

ありがとうございます、

6 ■ありがとう

自分も経験できたかのようなリポート
感動しています


なぜ山に登るの?

聞いてみたかったけど
もう必要なくなりました


いろんな偶然が重なって
登頂し生還したのですね

いや、偶然ではなく必然



「自分のやるべきこと」
これからも応援します
文太郎の思いもこめて!

栗城くんの挑戦を知ることができて
本当によかった
偶然、ブログを見つけたけど
これも必然だったかも(^^)
全てはつながっているから!


私も小さな山をヒーヒー言って登ります
私の見ることのできない世界を
また教えてください

7 ■ありがとうございました♪

生きることの素晴らしさ。
力いっぱい生きることの大切さ。
命はかけがえのないものということを、改めて栗城さんのメッセージから教えて頂きました。
本当に本当にありがとうございました!!

私も、私を産んで育ててくれた父と母に感謝しながら、精一杯、力強く生きたいと思います。

そして、全然規模が違いますが…夏に念願の富士山に登ろうと思います(^-^)
山が一層だーいすきになりました♪

8 ■無題

同じ空の下。。。栗城さんのダウラギリ登頂成功に続き、我が家では、更なる感動が起こりました☆+


今日は、仕事終わりで子供達の買い物(習字道具やら…)をしました(仕事関係少々)。大荷物を自転車に積み込み、出発しようとすると。。(;O;),後ろのタイヤがパンクしているではないですか!!。。。(〃_ _)σ∥

近くに自転車屋無いし★

遅くなったうえ、主人も夜勤で入れ替わる様に家を出てしまう時間になってしまい…『急いで帰らねばっ″″″』ならないのに、急いでる風で進まない自転車。
泣きそうになりながら。。。『栗城さんの山での大変さに比べたら、こんなのは、“へ”でもない!』。。。(比べものにならん。)

ぐったりしながら、とりあえず…夕飯(あ。そういえば、マグロだった☆―とっても安くて美味しいのがあるんですヨ♪千葉には。)を済ませ、子供達がうつ伏せのあたしの全身を踏み踏み(マッサージ)してくれながら。。意識を失いました。

先ほど、目が覚めると。

あたしの身体には、毛布がかかって。。テーブルの上の片付けもしてありました。台所の洗い物をしようとすると。流し台の前に丸いすがあり、お手紙がありました。

【おかあさんへ。。。いつもありがとう ずっとあかるいお母さんでいてね☆】

下の弟に追いつかれた娘は、小さくて、流し台は少し高いので…丸いすが必要でした。
流し台の洗い物もしてくれたようでした。
(>_<)゜゜・。


もっと頑張ろう。

たとえ少しずつでも頑張っていると、こんな身近な日常にも、感動があります。

マグロ。。。美味しかったです☆子供達も大好物です。食べる時、数えなくてもいい位食べさせてあげたいのです☆☆☆


栗城さんも、とびきり美味しいマグロになってくださいね~~~~~!!!

9 ■無題

生中継やブログ、動画を見て、心は栗城くんと一緒に登っている気ではいたけど、やっぱり登山中に湧き上がる感情や出来事は、チャレンジしている一握りの人だけが経験できる特別なものだと思っていました。


でも栗城くんが書いてくれたこの文章を読むと、孤独感や登頂への思いなど、ホントによく伝わってきて、以前よりももっとダウラギリ登頂を近く感じられました。

そして、生きていることへの感謝や喜びを改めて感じました。やっぱり生きているのには、何か意味があるんですよね。

私も輝けるようにがんばりたい!って思うようになりました。

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