4月からの4,5回の授業は、東日本大震災からの復旧・復興について考えることから始めた。この問題を考えようとするとき、生活の再生には収入面とともに自己の存在の有意義さを裏付ける仕事の確保を外すことはできない。
少し考えて見れば気づくことだが、高度経済成長における産業の発達は太平洋ベルトと呼ばれる地域に特に有利に進展した。逆にみると、その他の地域にとっては人口の社会的移動によって過疎化することとなった。
産業の発達がない場所には仕事がない。仕事がないから人は離れていく。こういうことの繰り返しがあったということだろう。
当然、そのままで仕方がないと考えるはずはない。「なんとかしろ」ということになる。
その「なんとか」の一つが国土開発計画だった。産業のないところに産業を発達させる条件を創り出す。工業の発達に必要なインフラ整備を地方公共団体が行い、その財源を中央政府が手当てする。道路・鉄道・港湾設備・空港に給水・排水設備、送電設備といったものの整備だけでなく、工場用の整地まで用意した。
それでも失敗した。その理由は財政学者の神野直彦によると、企業経営のあり方が巨大組織運営を前提にした形態になっていて、生産部門はどこであってもよいが、管理部門は消費地に近い方が適しているという傾向になっていたため、大都市に仕事場が集中し、その結果人口の大都市集中がみられた。1990年前後の状況を指すものと思われる。
ここでわれわれは東北の置かれた状況に視線を戻してみるのがよい。
そもそもなぜあの地に東京周辺に電気を供給するための原子力発電所が作られたのか? 過疎地だったからだ。万が一重大な事故が発生したときのことを慮ったからかもしれないし、地価が問題だったのかもしれない。それ以上に、金で面を張り倒して原発建設を地元住民に説得するには、他に働く口のない場所だからこそなのだった。矢部史郎『原子力都市』(以文社)には、震度6強の中越沖地震に襲われた柏崎刈羽原発訪問の記述がある。人口10万人に満たない小さな都市、柏崎には大学が2つ、地方紙が3つ、そのほか農業も漁業も工業も娯楽も観光業もすべて揃っている。なんでもあるはずなのに、地元住民は、自嘲気味に「ここには何もない」と言う。
矢部は、その意味をそこが「見えない東京」になっていること、「原子力都市」であることと読み解く。
柏崎刈羽原発や福島原発は、東京の電力の一部を原子力発電都市として担っているのだから、東京なのである。そこは首都圏の電力エネルギーのバックヤードで
あり、政界と東京電力のシナリオに乗った「擬似トーキョー都市」なのだ。
そして、地域都市から原子力都市に変貌してしまうということは、徹底した情報管理が「嘘と秘密を全域的にも恒常的にも利用する」ようになってしまったのだった。
矢部によると、このような「嘘と秘密の大規模な利用」は人間と世界との関係そのものを変え、「感受性の衰弱と無関心の蔓延」を促進するという。なぜそんなふうになるかといえば、巨大な“indifference(無関心)”が都市の新たな規則そのものとなっていくからだ。
ここまで読み込むのは深読みしすぎかもしれない。しかし、東北地方の過疎地域も、結局のところ失敗に終わる公共事業の下請け仕事に地元住民の相当数が雇われ、雇用機会は建設業にしかない状態であったり、農業や漁業が減反政策や原発建設などによって不可能になることに対する補償金や補助金が最も安定した収入源であったりするかなり歪んだ状態を常態として生きてきたところがある。
他方、今回の震災は、被災地域に日本の生産を支え、その成否を左右する程の工業部門の発達があったことを広く知らせるものともなった。一つは、自動車産業が減産体制を余儀なくされた。それほどある種の部品はこの地域に頼っていたのであった。また、紙及び印刷産業がこの地域を頼っていたこともわかった。さらに、薬品の一部も供給不足が伝えられた。
また、福島県飯舘村が放射線量増加で自主待避を迫られ、報道が続いたが、平成の大合併にも屈せず、独自の産業、生計を立てる道を模索し、成功させてきていた自治体が存在したことも判明した。農業から酪農をベースにした加工品と観光で生き延びる道があったのだ。国からの補助金頼りではない道があったのだ。
たしかに国土開発計画の第五次計画では、もう日本中の都市や町、地域をミニ東京、東京まがいにするような事は止めて、むしろ地域特性を活かした町づくりをしようという意欲が語られている。「一極一軸型の
国土構造」から「多軸型の国土構造への転換」を長期構想とする「21世紀の国土のグランドデザイン」を提示するという表現が取られている。「自立の促進」などの基本的課題の達成に向け、「多自然居住地域の創造」「地域連携軸の展開」など4つの戦略を推進
していくと述べている。おそらく、この第五次全国総合開発計画が発表された1998(平成10)年には、それなりの未来予測があったものと推測されるのだ。
しかし、残念なことに、われわれは未だその優れた成果を見ていない。戦後最大最長の不況に襲われ、財政難に喘ぐ中で十分な成果の出しようがなかったということなのかもしれない。あるいは、その計画の建て方そのものに根本的な誤謬があったのかもしれない。
そして、はっきりしていることは、われわれは国民的な合意をこの未来社会のあり方について、仕事と生活と自然とが調和した生き方のできるような生活空間つくりについて、未だ形成していないということだ。そのことはつまるところ、震災からの復旧復興後の町のあり方をイメージしきれないということに繋がるものと私は理解している。
ちょっと違った角度からの説明を試みた。同じ内容に対する別様の説明なのだ。続きはまた今度。(6.18)
何しろ担当している種類が多いので試験問題を何種類も作成しなければならない。計画的に処理していく必要があるんです。
H1は、震災対策と国土計画・都市(地域)再生の問題を4月からやっていて、その後、古代ギリシア思想でした。(そのうち簡単なまとめをしたい)
村上龍の『カンブリア宮殿』で六甲アイランドに本社のあるP&Gジャパンの社長(44歳)が出演していて、あの会社の徹底したトレーニング優先思想、本格的な性差・国籍・人種による区別の撤廃、嘘のないフレックスタイム制、自主的な職種選び、面接調査による顧客満足度あるいは商品開発調査などについて教えられるところが多かった。新しい事が出てきたというよりも、経営学の教科書に出てくるようなことを実践している凄さがわかった。なるほどG&P出身の経営者が大企業経営者として転身していくのも当然だと感じた。
要するに、社員たちの自主性尊重と、自主的に仕事に専念し、技術を磨くために圧をかける工夫をしているのだ。モチベーションを高めるというけれどこれほど実践しているところは少ないだろう。
私も同じようなことをしたい。生徒の自主性を高めるためには、それをやってのけるだけの訓練が必要なのだし、同時に自信に繋がるような評価をしていく必要がある。また、失敗続きだとしても、それを支えてやる言葉が必要になるだろう。褒める必要はないと思う。正確に自己認識させればよい。今年の生徒面談ではあまりうまくいかなかったような印象を受けた。彼らが担任の評価など気にしていない状態になってしまっていれば、たとえば、母親の評価の方をより気にしていたり、塾や外部模試などの成績の方をより重くみていれば、効果はなくなる。そうした状態がもしも発生していれば、集団全体としての志気は低下する。実は危機の状態なのだ。
そうはなっていないとは思う。しかし、一部に少しおかしな手応えは感じる。この危機は回避させたい。
また、学習面以外の学校行事などにより関心が集まってしまっている場合にも、上と同じ現象は起こる。昨年度の受け持ちクラスでは概ねよい反応が返ってきて、ほとんどの生徒の成績は上がった。しかし、例外が数名いて、そのうちの一人は今朝も昼休みにも生徒会選挙の応援に笑顔で参加していた。楽しんでいることはよくわかる。それはよいことと云って良いだろう。しかし、そのこととバランスをとるような学習面への反応はなかったことを思い出す。むずかしいものだ。(6.17)
現在、日替わりでいろんな学年に授業に出ています。ここ数年、どうにもやりきれない思い、拭いきれない違和感に悩まされていたのがようやく生徒の入れ替わりによって落ち着いてきました。やっとホームグラウンドに戻ったという感覚です。
その正体は未だ明確ではありません。
ただ、過去の話を嫌い、利益の話や効率の話、成功の話を好む人たちの多い学年層を突っ切りつつあるのかという印象派受けます。あの小泉−竹中路線が支配した「空気」で育った層を抜けつつあるという感じです。
われわれの時代は、本当は真剣に未来選択を迫られていたのだと思います。例えば、少子高齢化から人口減少という傾向は20年も前にわかっていたことだし、その当時、すぐに選択し、決断しなければならなかったいくつかの政策があったはずです。特に、外国人労働力導入の問題や国債発行額抑制と税制変更、社会保険制度変更や社会保障制度の抜本的変更は当時も議論されていたにも関わらず、冷静で論理的な、そしていずれかの勢力に偏向しない公論の提示と整理は十分に広がらないままだったように思います。
そして、未だにその曖昧に放置された状態は続いています。
私のささやかな願望は、若い人たちに冷静に彼らが生きていく時代のための問題点と選択肢の検討をしてもらうことができればというだけです。20年後のために今決断しなければならないような事項を20年前からの延長線上に置いて確かめてみる。そういった作業を繰り返してきました。環境問題、人口問題、都市(地域)再生問題、財政問題、社会保障制度問題などを基礎知識とともに取り上げてきたと思います。
こうしたポレミック(polemic)なテーマとともに、古典的なと表現すべきでしょうか、紀元前3世紀以来人類の共通知的資産とされてきたテーマや内容に立ち戻るということを繰り返してきたのですが、近頃、後者を大切にしようという態度が若い人たちに見られなくなっているような気がしてなりません。不動の立脚点を失った社会を反映しているのかと思ったりもします。「自分」というものを身体的な一個人としてしか捉えられず、何千年物人類の知恵の集積の継承の上に断っている自己をイメージできなくなっているような印象を受けます。
昔、少年期に「巨人の肩に乗っているこびと」といった表現で「だから自分は非力でちっぽけだけれど、総体としては巨大であり得るのだ」といった教訓を与えられたような記憶があります。それが「学ぶ」ことの意義だと教えられたのでしょうか。人は世の中の役に立つために学ぶと諭されてもいたと思います。ただ、その当時、「世の役に立つ、他人の役に立つことが、最大の歓びでもある」という事実を実感を伴うかたちで教えてもらえなかったのではありますが。
人類の歴史とは、苦悩の積み重ね、迷いの連続であって、成功の記録ではありません。苦悩懊悩の細部にまで分け入って学ぶことはなかなか困難で、わずかばかりの授業時間ではそこまで到達できないのが普通です。ただ、高校時代にロシア文学から入った私にとっては、たとえば、ショーロホフが描いた世界は圧倒的な迫力とリアリティをもっていまでも迫ってきます。広大な大地を馬で駆け回るコサック兵たちが故郷に戻ってきたときに、夕陽を背景に歌い始め、それに呼応して女たちが合わせ、壮大な合唱が発生するような大自然に調和して生きる人たちが、付き従った皇帝や貴族たちの権威が否定され崩壊した後にも戦い続け、なぜ戦うのかと苦悩します。何が正義か。どこへ向かうべきか。突き詰めたところ、どう生きるべきなのか。
アウシュビッツの強制収容所で、生存を支えるにはあまりにもわずかの食料しか得られず、そんな中ですら同胞ユダヤ人のために励まし、きつい労働を肩代わりしようとする者がいるかと思えば、同胞を裏切ることで生き抜こうとする者もいる世界を描いた『夜と霧』はショックでした。極限状況で生き抜くことがわれわれ人間の本質を浮かび上がらせる。それをその30年後も淡々と観察し続けるV.フランクルの落ち着きぶりには感心しました。
初代文部大臣の孫として生まれ、東大哲学科助教授という恵まれた境遇でフランス留学をし、パスカル研究に没頭していた人間が、そのままパリに残ろうとして東大を去ります。彼の五感を通じて感得した世界をそのまま映し出したエッセイは、パスカルを学ぶと言うことはこういうことかと感じさせます。森有正の穏やかなパリ生活は、パスカルが人間の悲惨さに敏感に反応しながらも、享楽娯楽に気張らし・気散じを退けようとしたことに通じるものがあります。
理解できないままにシモーヌ・ヴエイユの『重力と恩寵』の講談社文庫版を読み進めようとしていた二十歳の頃を思い出しもします。自は恵まれた環境にあり、大学を出ながら工場労働に従事し、抑圧に苦しむ人々の立場に身を置いて行動し、抑圧を生み出すものの正体を暴こうとした彼女は、カソリック信者であることを辞めませんでした。
こうした人類の懊悩を切り捨てて、単純な幸福や快楽が存在しているかのような空想はどうも違和感があります。しかし、メディアの振りまいている幻想はそうではないような気がします。物質的豊かさを与えさえすれば人間は幸福になれるのであればどれほど話は簡単でしょう。
そしておそらく、われわれ日本人は、懊悩の果てにそれを超えてしまうような境地を知っているのではないかという気がします。心穏やかな境地の存在を知っている。そこで得た落ち着きが大人の特徴であり、その穏やかさが社会問題の解決しきれていない状態であるにもかかわらず、なんとか落ち着いて生きていける状態を創り出してきたのかもしれません。
その部分を切り捨て欧米人のごとくに合理主義的行動を求めることは、本当に大丈夫なんだろうかと心配しているところであります。(6.16)書き殴りでごめんなさい
かなり気づくのが遅れて読みました。私にはとても共感できる内容でした。私共日本人は、「人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方」「そのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました」とする感覚は、私が自分も共有していると思うものです。四季の花々に感動する力や自然の猛威にもめげない行動など挙げられていますが、日常的に起こる悲惨な出来事に対しても、そのような受け止め方で対処してきた日本人は多かったと思います。
彼は、今回の東日本大震災に触れ、津波の凄まじさ、地震被害がいつくるかわからない恐ろしさについて触れ、東電の原発事故についても触れます。そして、次のように述べます。
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。
そして、その批判はわれわれ普通の日本人つまり上で批判した指導層以外にも向けられます。
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。
原爆投下の被害にあって、戦後日本の歩みには二つの根幹があったとします。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。広島にある原爆死没者慰霊碑に刻まれた 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」という言葉には、「我々は被害者であると同時に、加害者でもある」という意味が込められていたわけです。今回の原発放射能漏れ事故の方こそ、そのような二面性が強いのではないかと村上春樹は言いたいわけです。
しかし、多くの日本人が、経済復興から経済繁栄につながる効率性の強調のために、平和に暮らすことを犠牲にする力を引き出してしまったとすれば、それはわれわれも加害者であるという認識が薄れたことと無関係ではないかもしれません。
彼は損なわれた倫理観の再生について語ります。
損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
私は、アメリカ式ポジティブ・シンキングの弊害に日々悩んでいる人間です。われわれの伝統的な「人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方」「そのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出」す感覚が好きで、共感を感じる者です。「我欲」や「こだわり」はどうも美的でないという思いが強いようです。「なるようになる」と受け入れ、ならなくとも「それが運命」と感じるようです。
村上春樹は、カタルーニャ国際賞の授賞式でのスピーチにおいて「滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。」としています。これに私は共感します。
私たちの伝統的精神が、原発放射能漏れ問題に対してもきっちりとした解を出すものと信じています。(6.13)
『倫理』教科書に入り2回目となった。人類の共通資産を継承させようという目的なのだ。
古代ギリシアこそは、西欧世界の精神的支えだと大きくくくることができる。われわれは明治期に西欧(に対する劣等)コンプレックスのようなものに罹ってしまったため、話は少々ややこしくなる。
そして、古代ギリシア思想が尊重されるのは、その合理精神であり、ロゴスでわれわれが生きる世界を説明しようとしたからだ。それならば、他の地球上の地域で類同の営為は行われてこなかったのかというとそうではない。ただ、次回触れるソクラテス−プラトンのように「自己」に強く言及していく伝統は持ち得なかったことが大きく事情が異なるということなのではないかと思う。
そもそも私の授業スタイル、つまりどこまでも「この私が見て、知って、考える」ということに拘泥する、教科書(という些か頼りない権威)が正しいとしていようと、新聞、テレビの大マスコミが何と伝えようと、その情報を吟味することなく受け入れることはしたくないのだ。これを「情報リテラシー」などとふやけた呪文を唱えてよしとする軟弱な精神はもちたくないのだ。
その姿勢こそが古代ギリシア人思想家たちに共通した姿勢であり、ソクラテスにおいては純粋な結晶と化していると感じる。
イオニア自然学の連中にしても深く学べば興味深い思考が伺えるものと思う。
私は専門的に哲学や古代ギリシア思想を学んできたわけではなくほとんど独学である。20歳前後では田中美知太郎や山本光で学んできたのだが、教えなければならなくなって、斎藤忍随『プラトン以前の哲学者たち』(岩波書店)に衝撃を受けた。東大哲学科教授として古代ギリシア哲学の講義を続けてきた斎藤氏は、毎年、講義ノートに手を加え、インクの色を変えて加筆し、ついには紙を貼り足して書き加えている。そのノートが残され、多くの弟子たちが集まって整理された。弟子たちの取った受講ノートも参照され、註として整理された。そうして斎藤忍随先生の死後まとめられた本が『プラトン以前の哲学者たち』というわけだ。
イオニア自然哲学の著作にしろプラトンの著作にしろ、まともなかたちで残されていたわけではない。プラトンを学び始めたときに「バートン版によると」とか「アーネスト版によると」などという文句が頻出するのに気づいたのだが、つまりは現代のわれわれに残された膨大な断片、後世の書物に残る痕跡、つまりは引用部分などだが、そういったものを寄せ集め、照らし合わせて復元していくという根気の要る作業がまずあるのだ。そして、その前に語学の壁が立ちはだかる。一つの言語で書かれている資料群などではないのだ。
古代思想史を始める者は、複数の古代言語を学ぶところから始めるというのは常識のようなものらしい。印度哲学の中村元、イスラーム神秘思想研究の井筒俊彦、古代中国思想(東洋学、金文文字研究)の白川静といった人文学の巨人の業績に接するとその努力の凄まじさはまず異言語の習得に感じる。
彼らに共通しているのは、ただひたすら自分の関心に向けて追求を続けているところだろう。真理を確認するというその一事に生活のすべてをかけられる凄さにたじろぐ。
それで利を得ようとか、有名になろうとか、何かの役に立つといったせせこましいこととは無縁の生き方をされている。ひたすら学び、ひたすら追いかけるべきものを追いかけている。
今回の授業補足は、一部のクラスでしか触れられなかった斎藤忍随の一冊の本の紹介が中心でした。(6.11)
田園都市構想のことにもちらりと触れたことがある。その補足。
杉浦日向子『江戸塾』(PHP)という対談集に収録されている石川英輔との対談の中で、石川は、次のような指摘を行っている。[石川英輔は印刷関係の技術者で、SF小説家でもある。特に、1980年代頃から東京から科学ライターが江戸の街にタイム・スリップして、そこで10代後半のイナ吉という深川芸者と一緒に暮らし始めるというシリーズを書き始めた。私は若い頃の『SF西遊記』などから彼の作品には親しんでいたが、このシリーズには惹かれた。彼は、江戸について技術者の眼で調べた結果をエッセイ集として発表し始め、やがてそれらはいずれも講談社文庫に入ることになる。『江戸空間』(評論社)なんか2400円したのに、文庫だと500円程度になった。その勢いでNHK『お江戸でござる』の解説役として登場した。杉浦はその後継解説者となった。エコ・シティ江戸という視点で、われわれの生活は1965年当時程度の物質・エネルギー消費レベルに戻すのがベストなのではないかと石川は主張した。杉浦日向子は、時代考証家。江戸漫画がヒットした。私が読み始めたのは筑摩文庫ら入ってからだから少し遅れての読者だったが、なんともいえない洒脱さに惹かれた。酒豪としても有名で、飲めないとこの場面は描けないよなあという場面が彼女の漫画にもよく登場する。もう少し生きて活躍してほしかった方だ。]
江戸朱引内(東は中川、北は荒川、西は神田上水、南は黒川に囲まれた地域)の半分が農地だった。120万人の人口を支えるには、冷凍冷蔵技術のない時代、4里(約16キロ)程度の距離から野菜は運んでくる必要があった。
しかも、農地以外に武家地の半分が庭園だったため、全体の7割程度が緑地帯だったと推定できる。
ここでは循環型社会の完成形が維持されていた。堆肥というのはその典型でしょうな。
それに対して、現在の日本人の年間に棄てている食べ物は、コメ換算で550万トン。江戸時代の人は一人一年一石(150キロ)必要だったので、これは3700万人分の食料を毎年ゴミとして棄てている計算になる。しかもそれを燃やすのにかなりのエネルギーをかけている。
太陽エネルギーだけで生きていく江戸の生活の方が優れていたのではないか。── このように石川さんは言うのだった。(6.11)
今年もいかに短い時間で保護者会を終えるかに努力した。私自身は進行役に徹し、まとまった話はしないことにした。話の方向の舵取りはしたいと考えていた。サッカーでいうボランチの役割だ。現実問題として一週あたり時間数の多い科目がどうしても主力のようにみえる。ところがどうして、不思議なことに生徒の雰囲気を決めていくことができなくもないところがあるのが面白いところだ。その辺りもついでに伝わるとよいと思っていた。
われわれにとって重要なことは、生徒たちが、自分の生きるべき道を意識し、目標を見つけ、その達成に向けて真剣に励む意欲を湧かせることに尽きる。あの場で必要なことは、ただ一つ、保護者をして、われわれが為そうとしていることを直感的に知ってもらい、ほんの少しばかりの共感を抱き、生徒たち(彼ら彼女らにとっての子ども達)の支えになってもらうことだ。生徒たちのサポーターになってもらうのであって、教師や学校へのそれでもなければ、生徒たちの管理者やオーナーになってもらうことでもない。
それは私自身にとっても利益になるからではなくて、純粋に生徒の成長という仕事の目標達成に関わるからだけなのだ。人間生きてきた以上何か人の役に立ちたいと願う。仕事の上でそれを求めるならば生徒が生き生きと生きることに少しでも寄与できればよいということだ。
親たちはおそらくあの後集まってお茶などを飲み確認し合う。そのときにわれわれの期待とは正反対の確認が為されるようであれば失敗なのだろう。
われわれ教師個々の能力などたいしたことはない。ただ無視してもらっては困るのは、伝統などの後ろ盾のもとに働く不可思議な大きな力があり、われわれの、特に長年ここでの生活を経てきた者には、それらの働かせ方をよく知っているという事実とその力があるということだ。賢い親ならば、そこのところに気づく。それを期待した1時間ほどであった。
来年についてはそんなに短くは期待できまい。(6.7)
高2の選択授業で人文主義の説明などをしていて、かつては小論文指導も試みていたことを話した。
そのついでに触れたのだが、フランスの一般系バカロレアつまり大学入試は、哲学の比重が重い。4時間の試験で、「幸福かどうかは本人次第か?」といったような問題に対して論理的に考え、想定される反論に対する再反論をしなければならない。要するに説得を求められるのだ。
「認識は教育されうるか」「生命体の科学的認識は可能であるか」それにサルトルのマラルメ論のテキストの解説が文系。「アートはわれわれの現実意識を変えうるか」「ひとつの真実を確立するためにデモンストレーション以外の方法はあるか」、ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』からの抜粋テキストの解説が科学系の出題例だ。「人は苦しむことなしに欲望しうるか」「他者を知ることは、自己を知ることより簡単か」、トクヴィルの『アメリカの民主主義』抜粋テキストの解説が経済・社会系。テクノロジー系でも「私の幸福を法が決定しうるか」とかカントとかに答えなければならない。
そもそも理系と云えども高3では極めて多くの時間数を哲学に当てて訓練している。それ以前に国語力をつけ、外国語も学ばせている。
近年、我が校生徒といえども、表面的に華やかで騒々しいディベイトは好むものの、しっかりした思考の訓練には耐えられなくなっている。
表面ばかり飾り立てる教育の時代なんだと思ってしまう。
ただし、シラっとした嘘をつくことは得意になっているかもしれない。総理大臣とか幹事長とか、防衛大臣とかがグルで前総理をペテンにかけたという話も聞こえてくる。大新聞の記者もその詐欺に協力したという人もいる。別の人は皮肉な口調で騙される側も騙されたかったのではないかと指摘していた。あるテレビ番組でのことだ。
繰り出すことばの巧みさは結構磨かれているのかもしれない。真理への遡及が足りないだけだ。アメリカ式教育にはこの傾向を強める作用がありそうな気がする。(6.3)
補足:実は3年前まで定期試験のいずれかで論述式問題を出していた。50分という枠を外すことは困難なので無理を承知で4頁分ほどの誰かの文章を読ませた上であるテーマについて論じるという形式のものだ。短い時間にもかかわらず何とか書いてくる。しかし、採点期間が限定されていてそちらに困難がある。また、年々議論が単調になり、読んでいて「なるほど。こんな視点があったか」と感心する答案が少なくなってきた。どれを読んでも似たような一律の反応か完全なピント外れや白紙が増えてきた。
それに私自身の不勉強もあると認めてもよい。上の「認識は教育されうるか」など哲学的背景が即座にわかるわけではない。(考えて見ても面白そうだけどね。)これも素直に認めておかないと不公平だろう。
それにしても、ショーペンハウアーは高3か高2のときに読んだが、トクヴィルは大学2年の時に読んだし、カントも実は30歳過ぎるまで理解できなかった。偉そうなことを云う資格は私にはなさそうだと認めざるを得ない。フランスの大学生ってやはり日本の旧制高大生のような社会の「エリート」って感じだね。
トクヴィルもカントもショーペンハウアーも読めないで、テレビゲームやカードゲームばかりしているエリートなんてありうるのかね? 勿論、「ショーペンハウアーやカント読んだからって何が偉い」という立場もありうる。けれども物事を本質から考えようとする人間がちゃんと存在して、人間の幸福をどのようにとらえて、そこから社会のあり方をどのように構築するか議論できる政治家がいるとすれば、多少はましな社会になるかと想像したりもする。
とはいえ、フランス社会の階層性や移民の子や孫世代とフランス在来国民との格差の大きさなどに対する政治的救済のむずかしさなどを考え合わせると、果たしてどこまで日本よりましだと云えるかは疑問になる。
日本には日本の東洋思想の深みを継承してきた思想的伝統が創り出したような良さがあり、しかも大衆にまでかつて浸透していた強みがある。
ああそうか! 原発事故対応と同じだな。指導層は弱いけれど現場は強い。昔から、軍隊でも日本の将校は駄目でも下士官は世界一なんて云われていた。あれだね。現場主義というか、別の教育システム、隠れた教育システムがあるんだよ。(6.7)