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ワタシは、「心のケア」が嫌いだ。 社会では、マスコミを中心に二言目には「心のケア」が出てくるくらい心のケア流行の昨今、特に震災後にはそれに輪をかけてかまびすしい。 が、いったい「心のケア」って何だ、と問いつめてみたことがあるか。問いつめていくとそこにはなにもないということに気がつく。心のケアなど存在しないのだ。 再び被災地に入るチャンスがあった。前回訪れた時から2ヶ月がすぎている。復興に向けた動きがあることをあちこちで耳にするようになってはいるが、しかし現実は、被災地が近づくにつれ自衛隊の車両や他県からの警察の応援、がれきとそれを運ぶ重機などが目に付くようになり、あらためて被災地は今もオンゴーイングで被災地なのだということをあらためて感じる。 この地に子どもの心のケアセンターが立ち上がった。なにを隠そうワタシは心のケアが大嫌いなのだが子どもの心の診療を生業としている立場なのだ。立ち上げには現地の医師と行政機関がとても努力した。その背景には「心のケアをなんとかせい」という周囲の圧力?のようなものが強くあった。行政側としても「心のケアやって升」という看板を出さないと示しがつかない、みたいなところはあるようだ。ともかくその「子どもの心のケアセンター」で診察をするのだ。 今回もそれなりに高いモチベーションで被災地に入ったのだけれど、被災地では「心のケア」のあまり芳しくない風評を聞いた。 いわく、 ・震災直後に「心のケア」と称して多くのカルト教団らしい人たちが避難所を回っていた。 ・心のケアチームが各地からぞくぞくと押し寄せたが統制があまりなくケアチームどうしの連携や地域との連携が必ずしもうまくいっていなかった。 ・エライ先生(大学教授レベルの職階の御大)が「現地でなにかやりたいから準備するように」という要請に地域の保健師たちが時間をとられて実際の支援に手がまわらなくなった。 ・エライ先生が直接来てしまい、そのお守にとても人手と時間がかかった(これはどこぞの業界でもみられたことだが)。 ・心のケアに必要と言われて、いろんなチームから似たようなアンケート調査に5回も回答させられた被災者がいた。 ・心のケアチームどうしでの縄張り争い?のような状況が発生した。 ・チームが入った地域で自殺者や自殺企図が発生したが、心のケアチームはかかわっていなかった。そんな話は聞いていない、とチームのリーダーがのたまった。 ・心理士のチームが活動しようとしたところ、その地域を管轄していると主張するチームが「勝手なことをするな」と激怒した。 ・勝手な行動をさせないとして心理士の活動を許可せず、心理士であることを隠したまま避難所の巻き割りやお風呂当番、チームの移動のための運転手などをやらされた。 などなど。 子どもの心のケアについてレクチャーを頼まれて保育所を訪問した。 訪問した保育所にはワタシがくる前に某テレビ局が「子どもの心のケアについて取材したい」と言ってきたらしい。いわく「できるだけ悲惨な状況の子を取材したい」と。その保育所は高台にあって実際に大きな被害はなく通っている子どもたちにも大きな問題を抱えた子はいない、と説明したところ「じゃあ悲惨な状態になった保育園か幼稚園を教えろ」と言ったらしい。ハイエナの姿をみる。 時は震災から3ヶ月。人は復興を口にする時期になった。しかし、そうは言ってもがれきはまだまだたくさん町中を占領している。仮設住宅が子どもたちの遊び場にどんどんたてられて行く。保育士さんの中にはやはり被災し避難所で生活しながら保育にあたっている人もいる。 「心のケア、心のケアって周りの人が言うし、お預かりしているお子さんの親からも心のケアに配慮してほしいって言われます」疲れはてた顔をした若い保育士さんが教えてくれた。「まあ、そんなこと言われてもねえ」と苦笑いするワタシをみて彼女は急に顔をくしゃくしゃにゆがませ大粒の涙をこぼした。彼女もまた家族を津波で失った被災者なのだ。 「なにもなくなってしまったんです。命が助かったからよかったって言われるけど、助からないほうがよかったと思う。ここにはなにもない。なにもみつからない」 泣きじゃくりながら途切れ途切れに彼女は言った。 「心のケア」 被災地でなんと空虚に響くことか。 心のケアなんて存在しないのだ。 心のケアをする、できる、とのたまう人の傲慢を思い知る。 ワタシは今後一切「心のケア」ということばを使わない。 |
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