仙台市のプールから放射性物質は不検出 |
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仙台市は、市内の小学校と中学校のプールで行った放射性物質の測定調査の結果、放射性物質は検出されなかったと発表しました。これを受け仙台市は、見合わせていた小中学校などのプールの使用を開始することを決めました。仙台市は、保護者の間で放射性物質への不安が広がっていることを受けて、市内の小中学校の中から最も早くプールの水を満水にした学校を各区から1校選び、今月13日から放射性物質の測定を行いました。仙台市は、その測定結果を17日公表し、いずれのプールからも放射性ヨウ素と放射性セシウムの放射性物質は検出されなかったとしています。これを受けて仙台市は今月6日から見合わせていたプールの使用を開始することを決定し、仙台市立の小中学校など合わせて195校に今日付けで通知しました。仙台市では今シーズン、プールが使用される9月までは毎月1回市内の10校のプールで定期的に測定を行っていくということです。また県が各市町村の小中学校などおよそ50校で行っている測定結果は20日にも出る見込みです。
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文科省 「放射線」で県内初の説明会 |
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東京電力福島第一原発の事故を受け、文部科学省が100キロ圏内にある県内16の市と町などを対象に、初の説明会です。この中で、文科省側は、土壌に蓄積した放射線量などの調査を行うことを明らかにしました。県内初の説明会で、文科省の担当者が、「放射性物質の蓄積量を調べることで、宮城の安全・安心を確保したい」と話し、調査への理解を求めました。調査の対象は、福島第一原発から100キロ圏内にある丸森町や山元町や、仙台市よりも南に位置する自治体と、仙台市、七ヶ浜町、東松島市を加えた、あわせて16の市と町です。これらの自治体のあわせて302ヵ所から土壌を採取し、放射線量を測定する「土壌調査」をするほか、航空機に線量計を設置して県内全域の空気中の放射線量を測定する、「航空機モニタリング」も行うということです。文部科学省原子力安全課の石井敏満専門官は、「これだけ大々的に隣県にまたがる調査は初めて。当面は放射性ヨウ素と放射性セシウムのマップを作るということで、線量がどうなっているかを測る」と話しました。この調査は、今月27日から3日間の日程で行われます。文科省では調査結果を元に、100キロ圏内の放射線量がひと目でわかる、「放射線量分布マップ」を作成し、8月中旬をめどに公開したいとしています。
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気仙沼で被災の80代夫婦が無理心中か |
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津波で自宅が壊れ、避難していた気仙沼市内の80代の夫婦が4月に、避難先の親戚の家で死亡しているのが見つかりました。警察は、無理心中の疑いがあるとみて調べています。警察の調べによりますと、死亡していたのは、気仙沼市内の80代の夫婦です。2人は、震災による津波で自宅が壊れ、気仙沼市内の親戚の家に避難していましたが、4月中旬、その家の離れで死亡しているのが見つかりました。夫は首を吊った状態で、布団に横たわっていた妻の首には、絞められたようなあとがあったということです。妻は震災前から介護が必要な状態で、夫が介護していたということです。また「ありがとう。世話になった」という内容の遺書が見つかっていて、警察は、無理心中の疑いがあるとみて調べています。
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横綱白鵬 県庁・セントラルを訪問 |
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大相撲の横綱白鵬が17日、青葉区の勾当台公園を訪れ、江戸時代の大横綱「谷風」と対面しました。午後には大衡村のセントラル自動車の工場を見学しました。横綱白鵬は、宮城野親方などとともに17日午前、村井知事のもとを訪れました。横綱の宮城県訪問は、震災後2回目。村井知事が「相撲を通じて県民を勇気付けて欲しい」と話すと、横綱は、力強くうなずいていました。そのあと横綱は、勾当台公園にー。お目当ては、仙台出身で江戸時代に活躍した、第4代横綱「谷風」の等身大の像です。「谷風」は、白鵬関と同じ歴代2位となる63連勝の記録をもつ、大横綱。偉大なる先輩に敬意を表していました。午後からは、大衡村のセントラル自動車の宮城工場を訪れました。工場では、年に10万台以上を製造できる生産ラインを見学。そして、今回の津波で家族が亡くなったり、行方不明となっている従業員と握手を交わしました。18日は大崎市の鳴子温泉で子供たちの相撲大会に出席するほか、東松島市で炊き出しも行う予定だということです。横綱・白鵬は、「うちの部屋は宮城野部屋なので同じ宮城で縁があると思う精一杯活動したいと思います」と話しました。
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レンゴー新仙台工場 安全祈願祭 |
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仙台港にあった工場が津波で被災した段ボールメーカー。震災からわずか2週間で大和町への工場移転を決め、17日、新工場建設の安全祈願祭を行いました。異例の速さで決断した背景には、地域経済の復興へ向けたトップの思いがありました。大和町の第一仙台北部中核工業団地。段ボール製造大手・レンゴーはここに7万3500平方メートルの土地を確保、新しい仙台工場を移転することになりました。「レンゴー」の大坪清社長が、新工場の建設予定地に鍬を入れた。驚くのは、新工場移転を決めたスピード。大坪社長は津波で被災した仙台港の工場を閉鎖し、大和町へ移転することを震災からわずか10日で決断。新工場の投資額はおよそ100億円。被災した企業の県外流出が今も心配される中、トップの素早い決断に注目が集まっています。レンゴーの大坪清社長は、「撤退は考えは全くありません。東北地区の中心地は宮城県」仙台に工場を作って53年なんですよ。53年も経っているわけでその間、やはり宮城県を中心にしたお取引先というのはカチッとした関係がありますので当社が撤退するわけにはいかない」と話しました。レンゴーの「仙台工場」は宮城野区大梶から、1990年(平成2年)、宮城野区港へ移転。段ボールを一日に8万から10万ケース製造し、東北各地に供給する、レンゴーの主力工場の一つでした。しかし、段ボールを製造する機械はすべて1階にあったため、工場はすべて機能停止。仙台工場の1階の壁や窓は津波によって破壊されたまま、今も、その姿をさらしています。震災から3ヵ月が経過し、片付いたというものの、津波の爪あとは、工場にいまも数多く残っています。仙台工場に7つあった段ボールの製造ラインは、すべて海水や泥水をかぶり、使い物にならなくなりました。当時、働いていたおよそ70人のうち、津波で1人を亡くしました。被災した工場でもう一度働くことに、不安を訴える従業員もいたということですが、仙台港の工場を閉鎖し、移転すると決断した際は、従業員も驚きを隠さなかったということです。レンゴー仙台工場堀井徹工場長は、「レンゴーとしてこの東北の地で、地域経済の復興のために、即断即決で経営トップが(移転を)決めていただけたということは、従業員を代表しまして、本当にありがたいと思っています」と話しました。再建に向けて動き出したレンゴー。来年3月の生産開始を目指している。大坪社長は一番守りたいのは、「人材」だと話します。「私は企業経営の基本は土地と労働と資本と言っています。労働が一番重要だということです。雇用の重要性というのを経営者の中でもう一度見直してもらえれば、いいのではないでしょうか。そうするとさらに日本が復活してくると思いますけれどね」今回県内で被災した企業で、県内の別の場所への新工場建設を決めたのは、この「レンゴー」が、初めてとなりました。
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気仙沼市 陸の大型漁船を海に |
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気仙沼市で、17日、震災に伴う津波で陸地に打ち上げられた大型漁船をおよそ3ヶ月ぶりに海へ戻す作業が行われました。これは津波で気仙沼市魚浜町の岸壁に打ち上げられた長さおよそ40メートル、重さ400トンのサンマ漁船「第一明音丸」など5隻を海へ戻すもので、作業は、17日午前8時半から始まりました。第一明音丸は、巨大な2基のクレーンで吊り上げられ、2時間半ほどかけて震災からおよそ3ヶ月ぶりに海に戻されました。船を所有する池田水産の池田博人専務は、「震災から1ヶ月後に一度陸上解体を決定したので船は海にいてはじめて船なので感無量です。嬉しいの一言です」と話しました。第一明音丸は、18日、新潟に曳航して修理などを行い8月下旬のサンマ漁で復帰する予定です。
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