南京事件FAQ
Q17
 南京は国際都市で、非戦闘員を集めた「安全区」があり、欧米人が管理していた。当時日本に反感を持っていた米,英,仏も外交的な抗議を行ってはいないし、「安全区」を砲撃せず、院長の病院に肉などの食料を贈った日本軍の行為に対して安全区委員長のラーベは感謝状まで贈っている。


A1.事実

  ラーベが感謝状など送っていません。ラーベらが実際に日本軍に渡したのは以下のような抗議文です。安全区を砲撃しなかったことは抗議文の冒頭に置かれた外交辞令にすぎないことがよく分かります。

南京安全区国際委員会
寧海路5号

1937年12月14日
南京日本軍司令官殿

 拝啓
 貴軍の砲兵部隊が安全区に攻撃を加えなかったことにたいして感謝申し上げるとともに、安全区内に居住する中国人一般 市民の保護につき今後の計画をたてるために貴下と接触をもちたいのであります。

 国際委員会は責任をもって地区内の建物に住民を収容し、当面 、住民に食を与えるために米と小麦を貯蔵し、地域内の民警の管理に当たっております。
 以下のことを委員会の手でおこなうことを要請します。

  1. 安全区の入口各所に日本軍衛兵各一名を配備されたい。
  2. ピストルのみを携行する地区内民警によって地区内を警備することを許可されたい。
  3. 地区内において米の販売と無料食堂の営業を続行することを許可されたい。
    • a われわれは市内の他の場所に米の倉庫を幾つかもっているので、貯蔵所を確保するためにトラックを自由に通 行させて頂きたい。
  4. 一般市民が帰宅することができるまで、現在の住宅上の配慮を続けることを許されたい。(たとえ、帰宅できるようになったとしても、多数の帰るところもない難民の保護をすることになろう。)
  5. 電話・電灯・水道の便をできるだけ早く復旧するよう貴下と協力する機会を与えられたい。

 昨日の午後、多数の中国兵が城北に追いつめられた時に不測の事態が展開しました。そのうち若干名は当事務所に来て、人道の名において命を助けてくれるようにと、我々に嘆願しました。委員会の代表達は貴下の司令部を見つけようとしましたが、漢中路の指揮官のところでさしとめられ、それ以上は行くことができませんでした。そこで、我々はこれらの兵士達を全員武装解除し、彼らを安全区内の建物に収容しました。現在、彼らの望み通 りに、これらの人びとを平穏な市民生活に戻してやることをどうか許可されるようお願いします。
 さらに、われわれは貴下にジョン・マギー師(米人)を委員長とする国際赤十字南京委員会をご紹介します。この国際赤十字会は、外交部・鉄道部・国防部内の旧野戦病院を管理しており、これらの場所にいた男子を昨日、全員武装解除し、これらの建物が病院としてのみ使用されるように留意いたします。負傷者全員を収容できるならば、中国人負傷者を全員外交部の建物に移したらと思います。
 当市の一般市民の保護については、いかなる方法でも喜んで協力に応じます。
  敬具

南京国際委員会            
委員長 ジョン・H・D・ラーベ
( John H. D. Rabe)

南京安全区国際委員会         
寧海路5号          
電話 31961−32346−31641

『日中戦争史資料9』 P120

A2.
 日本軍は病院に肉など送っていません。それどころか、以下に示すように安全委員会が食料を調達することを邪魔していました。

第14号文書
 第二十二号文書
             甫京安全区国際委員会
             寧海路五号
             一九三七年一二月二十七日
             
 南京日本大便館 御中
 福井氏の配慮を乞う

 12月14日に付けの南京日本軍司令官に宛てた手紙で、当委員会は市内の他の場所に貯蔵米をもっており、それを確保するためにトラックの自由通行許可が欲しいと言うことに、貴軍司令官の注意を喚起しました。
 2月25日正午の会見で、貴軍特務機関長は、既に輸送した一万担の米は自由にしてよいこと、そして他の倉庫に関してはその場所を調査し警備に当たる旨を述べたのでした。今日に至るまでわれわれは市の他の場所へトラックを運行させて貯蔵米を確保する許可を得ておりません。中国軍は10万担の米(当方の3万担とは別に)を南京郊外に保管しておりましたが、その大部分は南京占領のさい貴軍の手中に落ちました。それで、20万市民を養うために、前記期二万担の米をわれわれが確保することを、許していただけるようお願いします。
  
ティンパーリ「戦争とはなにか」(「日中戦争資料集 9」p145,147)
 第二十二号文書
             甫京安全区国際委員会
             寧海路五号
             一九三八年一月十七日

 南京日本大便館 御中
 福井氏の配慮を乞う

 拝啓
 貴下に公信三通を送って以下のような要請をおこないましたが、その件につきいまだに何の回答も得ておりません。
(1)一月十四日、米と石炭の売員価格での配給が再開されるのはいつになるか知らせてほしいこと。自治委員会の手を経て米を配給するという取決めが失敗してから、明日で一週間になるが、それ以来、正規の配給は行なわれていない状況です。
(2)一月十三日、当方が上海商業貯蓄銀行から買い付けた米と麦を運搬するために必要な通行証を与えてほしいこと。
(3)一月十五目、上海から六○○トンの食糧を船で運ぶのに必要な通行許可証を与えてほしいこと。(昨夜、上海からえた伝言によれば、当方が必要な通行許可証を入手次第、直ちに予定の食糧を送る準備をしているそうです。)
 住民の苦痛がはげしくなることを避けるためには、これらの件につき早急に行動すべきであります。(2)の点に関しては、米と小麦の運搬を明日開始したいと思います。(3)の点に関しては、今日、上海に電報を送って、当方は必要な通行許可証を持っているから、船積み準備を進めてもいといってやりたいと思います。
 このことにつき、御協力頂けるようお頗い致します。 敬具
 
 (署名)委員長 ジョーン・H・D・ラーベ
 
 追伸 今朝この手紙を書いたのですが、その後、昼になって、(1)の点に関しては、日本軍当局が自治委員会に対して米一○○○袋を割当てたこと、その引き渡しが今朝始まったことを知りました。この量が早急に日米一○○○袋に増量されて、二五万人の需要をもっとよく満たすことができるようになるものと信じます。
  J・R

ティンパーリ「戦争とはなにか」(「日中戦争資料集 9」p145,147)