Q7
日本軍が南京に入場した直後に日本の新聞記者らが南京に入場している。その新聞記者らは虐殺を目撃していない。本当に虐殺があったのなら目撃しているはず。
A7.事実
実際に目撃している。
毎日新聞の佐藤記者の手記に当時目撃した虐殺が記されている。
一夜が明けると12月14日の朝だ。筆者が昨夜寝ていた建物は、中山門内の中国軍将校の社交機関・励志社である。
(中略)
そんな時、連絡員の1人が励志社の先の方で、何かやっていると知らせてきた。何事がよくわからなかったが、カメラ持参で真相を見極めようと出かけた。
行った先は大きな門構えで、両側に歩哨小屋があったので、とりあえず、その全景を撮った。
中へ入ってみると兵営のような建物の前の庭に、敗残兵だろうか百人くらいが後ろ手に縛られて坐らされている。彼らの前には5メ‐トル平方、深さ3メートルくらいの穴が、二つ掘られていた。
右の穴の日本兵は中国軍の小銃を使っていた。中国兵を穴の縁にひざまザかせて、後頭郡に銃口を当てて引き金を引く。発射と同時にまるで軽業でもやっているように、回転して穴の底へ死体となって落ちていった。
左の穴は上半身を裸にし、着剣した銃を構えた日本兵が「ツギッ!」と声をかけて、座っている敗残兵を引き立てて歩かせ、穴に近づくと「エイッ!」という気合いのかかった大声を発し、やにわに背中を突き刺した。中国兵はその勢いで穴の中へ落下する。たまたま穴の方へ歩かせられていた一人の中国兵が、いきなり向きを変えて全力疾走で逃走を試みた。気づいた目本兵は、素早く小銃を構えて射殺したが、筆者から一メートルも離れていない後方からの射撃だったので銃弾が耳もとをかすめ、危険このうえもない一瞬だった。
銃殺や刺殺を実行していた兵隊の顔はひきつり、常人の顔とは思えなかった。緊張の極に達していて、狂気の世界にいるようだ。戦場で敵を殺すのは、殺さなければ自分が殺されるという強制された条件下にあるが、無抵抗で武器を持たない人間を殺すには、自己の精神を狂気すれすれにまで高めないと、殺せないのだろう。
後で仲間にこの時のことを話すと、カメラマンとしてどうして写真を撮らなかったかと反問された。「写真を撮っていたら、おそらくこっちも殺されていたよ」と答えることしかできなかった。
このような事件を見たのは筆者だけではなかったようだ。東京から第百一師団に従軍するため、大阪から同じ軍用船で上海へ渡った記者伸間に「東京朝日」の足立和雄君がいた。
阿羅健一著『聞き書・南東事件』(図書出版社刊)の中に足立記者との次のような問答が記されている。
−南京で大虐殺があったといわれていますが、どんなことをご覧になっていますか。
「犠牲者が全然なかったとは言えない。南京へ入った翌日だったから、十四日だと思うが、日本の軍隊が数十人の中国兵を射っているの見た。塹壕を掘ってその前に並ばせて機関銃で射った。場所ははっきりしないが、難民区内ではなかった。」
筆者が見た場所と足立記者が見た場所は、同じ場所ではないようだ。しかし、同じ十四日の出来事であった。
「上海・南京 見た 撮った 従軍とは歩くこと」
佐藤 振壽(元毎日新聞記者)
南京戦史資料集II p610
ポイント
(1)複数の新聞記者が虐殺を目撃している。