南京事件FAQ

Q6
 南京事件は東京裁判ではじめて持ち出された。それまでどこのマスメディアでも報道していない。


A6 事実
(1)南京事件は当時ほぼリアルタイムで報道されていました。
 事件発生当時、NYタイムズをはじめとする外国のメディアが、南京での日本軍の蛮行を報道していました。
 報道されなかったのは日本だけ。

ニューヨークタイムズ
1937年12月15日

《ニューヨークタイムズ》特電
 12月15日、水曜日、上海発。日本側によれば南京の完全占領からすでに二日近くたったのにも関わらず、不思議なことに日本陸海軍、大使館報道官はいずれも南京の状況に関する情報が全くないと称している。
(中略)
このように日本は大勝利にもかかわらず不思議にも詳しい情報を封鎖しており、南京の30万の市民は包囲攻撃で恐るべき惨禍を被ったのではないか、という上海での疑いを強めている。
(「南京事件資料集 アメリカ関係資料編」p413)


 F・ティルマン・ダーディン
12月17日、上海アメリカ船オアフ号発
ニュヨーク・タイムズ宛て特電




ニューヨークタイムズ
1937年12月18日

捕虜全員を殺害、日本軍、民間人をも殺害、
南京を恐怖が襲う。

アメリカ大使館を襲撃
蒋介石総統のお粗末な戦術、
指揮官の逃亡、首都陥落を招く

 F・ティルマン・ダーディン
12月17日、上海アメリカ船オアフ号発
ニュヨーク・タイムズ宛て特電

 南京における大規模な虐殺と蛮行により、日本軍は現地の中国住民および外国人から尊敬と信頼を得られる筈の、またとない機会を逃してしまった。

中国当局の瓦解と中国軍の崩壊により、南京の大勢の中国人は、日本軍の登場と共に打ち立てられる秩序と組織に応える用意が出来ていた。日本軍が南京城内の支配を掌握したとき、これからは恐怖の爆撃もやみ、中国軍の混乱による脅威も除かれるであろうとする安堵の空気が一般市民の間に広まった。
 少なくとも戦闘状態が終わるまで、日本の支配は厳しいものになるだろうという気はしていた。ところが、日本軍の占領が始まってから二日で、この見込みは一変した。大規模な掠奪、夫人への暴行、民間人の殺害、住民を自宅から放逐、捕虜の大量処刑、成年男子の強制連行などは、南京を恐怖の都市と化した。

(「南京事件資料集 アメリカ関係資料編」p442)

 日本軍の砲弾が、新街近くの一角に落ち、100人以上の死傷者を出した。それ弾による死者は他にも100人はいるものと思われる。一方、安全区という聖域を見いだせずに自宅に待機していた民間人は5万人以上を数えるものと思われるが、その死傷者は多く、ことに市の南部では数百人が殺害された。安全区の非戦闘員の食糧は、中国軍の瓦解により供給が完全に絶たれた。

(「南京事件資料集 アメリカ関係資料編」p442)


ニューヨークタイムズ
1937年12月15日
 南京の沈黙に上海は戦慄
《ニュヨーク・タイムズ》特電
12月15日、水曜日、上海発。日本軍側によれば南京の完全占領からすでに二日近く経ったのにもかかわらず、不思議なことに日本陸海軍、大使館報道官は何れも南京の状況に関する情報が全くないと称している。
 提供されて唯一の情報は、昨日飛行機から、市内の大部分が燃えているが戦闘は停止した旨報告してきた、というものである。諸報道官は、南京在留外国人の運命、大使館財産の状況、一般人の殺戮、捕虜の数、そして財産破壊の程度に関するいかなる情報も提供できない、と語った。
 この占領した首都からの情報がない理由の説明を強く求められて、報道官は上海・南京地区の日本軍司令官松井岩根大将の司令部が上海からかなり遠くに移動したため、伝達が遅れているのだ、と述べた。
 月曜日には日本軍艦数隻がすでに南京に到着したはずだが、と指摘されると、海軍報道官は、軍艦からは当地停泊の旗艦出雲になんら電報を送ってきていない、と主張した。
 このように日本は大勝利にもかかわらず不思議にも詳しい情報を封鎖しており、南京の30万市民は包囲攻撃で恐るべき惨禍を被ったのではないかという上海での疑いを強めている。(「南京事件資料集 アメリカ関係資料編」p412)

ニューヨークタイムズ
1938年1月9日
 中国軍司令部の逃走した南京で日本軍虐殺南京行為
     F・ティルマン・ダーディン
中国軍の崩壊により、不来るのネズミとなった兵隊があらゆる犯罪を犯すのではないかと、都市内の外国人たちは恐れたが、火災が少し発生しただけであった。中国軍は哀れなまでにおとなしかった。

(「南京事件資料集 アメリカ関係資料編」p436)


ニューヨークタイムズ
1938年1月25日
 南京の無法状態
   ハレット・アベンド
《ニューヨーク・タイムズ》特電
1月24日、上海発。軍事的必要その他の日本軍側の口実を全て剥ぎ取ってみるに、日本軍の中国前首都攻撃から一月と十日経った南京の現状は、日本当局が外交官以外のいかな
る外国人の南京訪問をも許可できないほど無法で蛮虐であるという赤裸々な事実が残る。12月26日、上海の日本側高官達は南京で掠奪、暴行が続いていることを残念ながら認めると言い、記者に対し、軍紀劣悪、命令不服従の部隊は小部隊ずつ長江北岸に移動されているところであり、その守備地域は精選された軍紀厳正、行動良好の部隊によって替わられる、と約束した。
 さらに1月7日にも日本当局は記者に、遺憾ながら南京はまだ嘆かわしい状況であると認め、統制を逸し、日々に何百という婦人や少女へ暴行を働いている軍の師団は2、3日中に南京から退去される見込みだ、と保証した。
 
 無法の支配続く
 
 だが1月20日に遅きに至っても無法の支配は何ら抑制されることなく続いている。もし約束通りに部隊の交代が行われたのならば、新来の部隊も旧来本市に駐屯して法と秩序の擁護者を持って任じてきた部隊と同様無規律であるということになろう。
 先週金曜日夜、上海の日本当局は率直に、この状況に関する電信報告は検閲を通過しないと通告し、事実上、日本軍の声威力を傷つける恐れのある「悪意有る」報告の海外打電を禁止する旨を宣言した。
 包囲、攻撃の間ずっと生命をかけて難民キャンプの運営に当たってきた宣教師や福祉活動家が上海に宛てた南京概況報告や、現在南京駐在の領事当該高官の報告が、全て悪意あるものとはとうてい考えられない。これらの報告は何れも一致し、日本軍の残虐行為と無統制の放縦についての目撃者の証言を含んでいるのである。
 これらの報告は、その主要部分は印刷不可能であるが、当地ではきわめて厳重な憶測を呼んでいる。南京地区の軍隊の中には事実上の反乱状態が存在するのではないか、蛮行を重ねる部隊は市外への撤去、北進して徐州方面へ進撃中の日本軍に合流せよとの命令服従を拒んでいるのではないか、と観察する者もいる。
 また、いまや無規律は長江デルタ地帯の日本軍全師団に広がったのか、松井岩根大将など指揮官はこれを制御できないほど無力なのだろうか、と考える者もいる。
 上海の外国人特派員は日本の検閲により、上海諸新聞の外国人所有者の編集コメントの海外打電を禁じられた。それは南京地区の現状は日本軍の軍服に泥を塗り、その礼儀、行動良好の評判をまったく地に落とすものだ、ということを恐れることなく宣言するものであった。
(以下略)
(「南京事件資料集 アメリカ関係資料編」p442)

ポイント
(1)南京事件はほぼリアルタイムで世界に報道されていた。