南京事件FAQ

Q4
 何十万人もの人間を短期間で殺すためには組織的な準備が必要である。ナチスの収容所のような所でも、一度に殺すには限界がある。ちなみに広島の原爆で人口30万6500人のうち24万7000人が死んだ。それに匹敵する人数を、数日間で行うことは物理的に不可能である。仮に東京を絨毯爆撃しても7〜8万人が限界であると考えられている。しかし、もちろん日本軍はそのような準備はしていなかった。


A4 事実
(1)日本軍はほんの数日で大量虐殺したのではない。

 南京での虐殺は12月13日の南京陥落から約二ヶ月間の長期間にわたって続いた。何万人も死んだのは虐殺がそれだけ長期間続いたため。
 虐殺が長期間続いた事は、極東軍事裁判で日本に有利な判決を主張したパール判事でさえ認めている。

南京における日本兵の行動は凶暴であり,かつベイツ博士が証言したように,残虐はほとんど三週間にわたって惨烈なものであり,合計6週間に渡って、続いて深刻であったことは疑いない。事態に顕著な改善が見られたのは、ようやく2月6日あるいは7日すぎてからである。
  「共同研究 パル判決書」東京裁判研究会(講談社学術文庫)P600

当時海軍航空隊に所属し、南京爆撃に参加した奥宮正武氏は南京攻略から13日たった時でも虐殺が行われていることを目撃している。

   そこで、翌25日から、市の内外を調査する事にした。
  第一日目は、通訳時計開閉1名を伴って、市の東部を巡回する事にした。
   (中略)
  そこから、更に車を北西方に走らせて南京城外に出て、揚子江岸にある下関(シャーカン)に行くことにした。そこで、そこで、図らずも、陸軍部隊が多数の中国人を文字通り虐殺しているのを見た。
  江岸の処刑場と思われるところにはいると、それぞれ30数名をのせたトラックが次々と城内から到着していた。そして、陸軍兵たちは、彼らを処刑所の一隅に連れて行って、後ろ手に縛ったのち、江岸に引き出してきて、流れに沿った場所に一列に並ばせたのち、日本刀や銃剣で殺害していた。そして、死体を江上に投棄していた。それでも死にきれないものは銃撃で止めを刺していた。
 (中略)
 翌々日の巡回のさいにも、下関で同様な光景を目撃した。それにしても、多数の中国人を大した混乱もなく、下関まで連れてくる事に疑問を感じたので、処刑場の入り口を警戒して一人の下士官に尋ねた。彼の答えは、
「南京場内で跡片付けをさせている中国人に、腹の空いた者は手を挙げよ、と言って、彼らを食事の場所に連れて行くかのようにしてトラックに乗せてくるとの事です」
 ということであった。
 (中略)
 そのような処刑が、南京占領後二週間以上もたってからも、連日手順良く行われているとのことであった。そのことから察して、それが戦場特有の一時的な興奮状態であるとは私にはどうしても思われなかった。言い換えれば、それはある種の統制のとれた行動であると感じざるをえなかった。
   奥宮正武 「真珠湾までの50年 真実の太平洋戦争前史」(PHP)P314-318

(2)30万人を殺すのに原爆が必要だというのは嘘。
 広島の原爆で24万人も死んでいない。広島での原爆による死亡者は以下に示すように7万人で、長崎の死亡者と合わせても10万人にしかならない。

広島 7万8150人 1945年11月末広島県警調べ
長崎 2万3753人 1945年11月25日長崎市調査
「戦史叢書 本土防空戦」P642,P649

(3)原爆なしで何万人も殺せる。
  一方通常の空爆で死亡した死者の数は、以下の通り。何万人もの人間を殺害するのに原爆など必要ない事が判ります。ドレスデン爆撃では広島より多くの死亡者が出ています。
 原爆を使わなければ無理などというのはウソです。

東京大空襲 7万2000人 警視庁消防部調べ。「東京大空襲・戦災誌3」、「日本防空史」
ハンブルク爆撃 5万人 「攻撃高度4000」(カーユス=ベッカー)、「ドイツ空軍、全樹発進せよ」(ジョン=キレン)
ドレスデン爆撃 13万5千人 「ドイツ空軍、全樹発進せよ」(ジョン=キレン)、「続ドイツ空軍戦記」(S・W・ミッチャム)、「ヒトラーの戦い9」(児島譲)

 

ポイント

(1)日本軍は2ヶ月間かけて大量に殺害を行った。
(2)広島の原爆で24万人も死んでいない。
(3)何万人も殺害するのに原爆は必要ない。