オフィス街(紫)

マッカラムの日記

 


1月8日
 4、5名の新聞記者が収容所の入り口へ来て菓子やリンゴを配給し、避難民へ若干の金銭を手渡した。そして活動写真がこの親切な行為を映写しました。
 同時に日本兵の一団が囲内の裏壁をよじ登って来て12人位の女子を強姦しました。取り消された写真は少しもありませんでした。建設団が電気と水道を回復するべく希望します。「ラビ(John H.Rabe)」氏を通じて職人を仕事に就かせるように最後の取り決めがなされた前日に、下士官を長とする陸軍の一体が英国輸出会社の工場へ行きました。そして電気会社所属の庸人四十三名を整列させて彼らを機銃掃射しました。
 この電気会社は個人経営の団体でした。該当兵士たちは、調査もせずに射殺された者達は政府の庸人であると主張しました。そんなことが一ヶ月後の一般的状態で、殆ど回復の望みはありませんでした。
 今、日本兵は安全地帯における我々の努力を信用せぬように試みております。
 彼等は貧賤な支邦人を脅迫して,我々が言ったことを否認させようとします。支邦人の或者は容易に略奪・強姦及焼打等は支邦軍がやったので,日本軍がやったのでは無いと立証すら致します。
 我々は今狂人や馬鹿者を相手にしているのだと時々考えます。
東京裁判速記録第59号」(日中戦争資料集8」所収 P161)

1937年12月29日
(中略)
 礼儀正しく、而も尊敬して、私共を処遇してくれました、若干の大変愉快な日本人がありました。他のものは非常に残忍で、私どもを脅迫し殴打したり、平手打ち等をやりました。『リッグス』氏は最もひどく平手打ちをされました。私は時々、一日本兵が、若干の支那人を助けたり、また、遊ぶ為に支那人の赤子を拾い上げているのを目撃しました。日本兵が一人ならず、戦争は嫌いだ本国に帰還したいと私共に語りました。 日本大使館員が親切で、私共を救い出そうとしましたが、彼らは無力でありました。
 而して良心的な日本兵はごく少なく、全然有るか無いかです。さて病院を巡回する時間です。職員が百人も居ります。私共が水と燈火を再び得るならば、仕事は非常に容易になるでしょう。その訳は探し出す燈火と汲み出す水があれば、毎日、
私共の仕事がはかなり増加されますから。

 「東京裁判速記録第58号」(「日中戦争資料集8」所収 P119)

  

マッカラムは南京国際安全区委員会の委員です。
マッカラムの日記は東京裁判でも証拠として提出されています
原文は旧仮名遣いですが読みやすくするために現代仮名遣いに直しています。
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