12月15日 午前八時整列して宿営地を変更の為中山路を行く。 日本領事館の横をとって外国人の居住地たる国際避難地区の一体の 残敵掃討である。 (中略) 四拾余名の敗残兵を突殺してしまふ。 (中略) 此の日記を書いていると人の部屋で盛んに歌う、手を叩く盛んに やっている。 |
壱拾弐月拾六日 午前拾時から残敵掃蕩に出かける。高射砲一門を捕獲す。午後又出かける。若い奴を三百三十五名を捕えてくる。避難民の中から敗残兵らしき奴を皆連れて来るのである。全くこの中には家族も居るであろうに。全く此を連れ出すのに只々泣くので困る。手にすがる、体にすがる全く困った。新間記者が此を記事にせんとして自動車から下りて来る……十重二十重にまし来る支那人の為、流石の新間記者もつひに逃げ去る。 (中略) 揚子江付近に此の敗残兵を連れて他の兵が射殺に行った。 この寒月拾四日皎々と光る中に永久の旅に出る者そ何かの 縁なのであろう。皇道宣布の犠牲となりて行くのだ。日本 軍司令部で二度と足腰の立て得ないようにするために若人 は皆殺すのである。 |
壱拾弐月弐拾弐日 (前略) 夕闇迫る午後五時大体本部に集合して敗残兵を殺しに行くのだと。 見れば本部の庭に百六十一名の支邦人が神明に控えている。後に死が近づくのも知らず我々の行動を眺めていた。百十六余名を連れて南京外人街を叱りつつ、古林寺付近の要地帯に掩蓋銃座が至る所に見る。 日はすでに西山に没してすでに人の変動が分かるのみである。家屋も点々とあるのみ、池のふちにつれ来、一軒家にぶちこめた。家屋から五人連をつれてきては突くのである。うーと叫ぶ奴、ぶつぶつと言って歩く奴、泣く奴、全く最後を知るに及んでやはり落ち着きを失っているを見る。戦に敗れた兵の行く先は日本人軍に殺されたのだ。針金で腕を締める、首をつなぎ、棒でたたきたたきつれ行くのである。中には勇敢な兵は歌を歌い歩調をとって歩く兵もいた。突かれた兵が死んだまねた、水の中に飛び込んであぶあぶしている奴、中に逃げるためにしがみついてかくれている奴もいる。いくら呼べど下りてこぬ為ガソリンで家屋を焼く。火達磨となって二・三人が飛んできたのを突殺す。 暗き中にエイエイと気合いをかけ突く、逃げて行く奴を突く、銃殺しパンパンと打、一時此の付近を地獄のようにしてしまった。終わりて並べた死体の中にガソリンをかけ火をかけ、火の中にまだ生きて動いている奴が動くのを又殺すのだ。 (偕行社「南京戦史資料集」P469) |
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