2011年4月20日 11時55分 更新:4月20日 12時12分
東日本大震災で津波に襲われた宮城県沿岸部の視覚障害者のほとんどが、満足な支援を受けられない状況になっている可能性が高いことが、社会福祉法人「日本盲人福祉委員会」の現地調査で分かった。県が個人情報保護の観点から、支援団体に氏名や住所などを提供していないためで、多くの視覚障害者が震災で失ったつえや音声パソコンなどの補助機器を補充できないまま、避難生活を強いられているとみられる。
県などによると、石巻市や名取市など沿岸部13市町には全盲などの重度視覚障害者は約1250人。一方、日盲委が把握している視覚障害者は、日本盲導犬協会や旧点字図書館の利用者名簿などから抽出した約280人だけ。震災後、日盲委が設置した東日本大震災視覚障害者支援対策本部が、安否確認や支援の目的で県に障害者リストの提供を求めたが、県は「個人情報なので出せない」と拒んだ。
対策本部のメンバーは280人のリストを頼りに自宅や病院、300カ所近い避難所を歩き、地震から1カ月以上過ぎてようやく計2人の死者と行方不明者を除くほぼ全員の生存を確認した。この間は安否確認に手間取り、継続的支援や他の障害者の捜索はできなかったという。
280人の中の一人、全盲で左耳が聞こえない気仙沼市の阿部勇吉さん(85)は家族と避難所にいた。情報源のラジオと補聴器を失い、外界との接点はわずかに聞こえる右耳と家族の言葉に頼るしかない。前立腺がんのためトイレに通うにも介助が必要だが、避難所の職員や看護師は阿部さんに障害があることは知らなかった。
同市の全盲の女性(53)は独居で、地震後に知人に連れられ避難所にたどり着いた。直後に家は津波で全壊し、つえや文字読み上げ装置など生活必需品すべてが流された。1カ月以上がたった17日にメンバーが訪れるまで、満足な介助を受けられないまま1人で暮らしていた。
多くの障害者は着の身着のままで避難したといい、必需品の音声パソコンやラジオを失い、必要な情報が得られていないとみられる。県は沿岸部13市町の残り約1000人の支援状況を確認しておらず、生活が改善されない懸念もある。県障害福祉課は「障害者手帳を持つ人すべてに支援が必要とは限らず、必要なら要請があるはず。個人情報に当たるリストは提供できない」としている。
対策本部宮城県コーディネーターの原田敦史さん(39)は「本来優先すべき社会的弱者の支援が後手に回った阪神大震災の教訓が生かされていない。宮城県は早く情報を提供してほしい」と話している。【鈴木梢】