― 異文化受容?それとも文化のグローバル化? ―
木村 英二
昨年(2002年)夏も、「ドイツ語海外研修」の引率で3週間半、ドイツに滞在した。ある日、学生数人とヴュルツブルクの街中、Dom(大聖堂)にほど近い書店Hugendubelに出向いたときのことである。入り口近くの案内表示にLiteratur(文学)という文字がないのを不審に思っていると、1階中央のある棚のあたりで、学生たちが騒ぎ出した。その背の低い棚全体が日本のマンガで占められていたのである。そこには、『ドラゴンボール』42巻を始め、単行本のシリーズや月刊の雑誌などが並べられていた。そのMangaと名づけられた棚と背中合わせになっているのがKlassiker(古典作家)のコーナーだった。ギリシア神話から近世、近代の世界文学やトーマス・マンやヘッセ、リルケといった20世紀ドイツ文学までを合わせてMangaと同じスペースということになる。まさに象徴的な光景だった。
ドイツ文学研究者としては複雑な気持ちもしたが、現代のドイツ文化を考えるには非常に刺激的なことだった。月刊誌『MangaPower』を5ユーロ(約600円)で買って、寮の部屋で日本語では読んだことのない『ちょびっツ』、『金田一少年の事件簿』、『ピーチガール』、『ターンAガンダム』などを新鮮な気持ちで、興味深く読んだ。帰国後もドイツ・アマゾン(Amazon.de.)から月刊雑誌や『電影少女』、『名探偵コナン』、『なるたる』などの単行本を取り寄せて「現代ドイツ語、とくに若者言葉」、「ポップカルチャー」、「異文化受容」研究などと称して、楽しみながら読んでいる。
振り返れば、私自身、小学生時代、放課後、毎日平均1冊、文学や伝記などを読破する「文学少年」であると同時に、小学3年のときに『少年サンデー』(当時30円)を愛読し始め、翌年には『少年マガジン』(当時40円)の創刊号を心待ちにしていた「マンガ少年」でもあった。あれから40年、『出版指標・年報』の2001年版(出版科学研究所)によると、日本における「マンガ」の2000年の推定販売金額は2372億円、雑誌扱いが前年比4.7%増の2035億円、書籍扱いは同6.2%減の337億円である。(ちなみに、「マンガ」というジャンルは、雑誌扱いと書籍扱いが混在しており、出版物をどちらの書店流通コードで販売するかは、各出版社の自由裁量に委ねられている。また、この資料には、取次店を通さない同人誌等は含まれていない。)確かに98年以降、それまで右肩上がりで成長していた市場は一見、「頭打ち」ともいえるデータを残している。だが、それは、ここ数年間におけるマンガ喫茶の普及やブック・オフに代表される古本市場の拡大の影響であろう。また、インターネットの普及等の若者の娯楽の多様化や不況といった全般的な状況も背景にあると考えられる。つまり、数字の「頭打ち」は、けっして「マンガ離れ」を意味するものではない。出版物全体におけるマンガの占有率は販売金額で20%、販売部数で35%を超えており、いぜんとして高い数字を残しているのである。
より具体的に言うと『少年マガジン』や『少年ジャンプ』はピーク時の653万部(『少年ジャンプ』1995年)以来、下降気味といっても、毎週350万〜400万部もの部数を誇っているし、より上の世代が読む『ヤングジャンプ』や『ヤングマガジン』が約130万部、また私自身が愛読している『ビッグコミックオリジナル』もほぼ同じ数字を挙げている。これはマンガの量的な面だけではなく、世代層の広がりを端的に表している。かつてマンガを読んでいた子どもが青年コミックへ移行し、さらには私のような年代に至るまでマンガを読む世の中になった。こうしてマンガは、現在では、日本人の生活のかなりの部分を占めるようになり、「マンガこそが日本の世界に誇る最高の文化である」(呉智英)とまで言われるようになった。そのような評価については意見が分かれるところであろうが、ここでは私自身が目の当たりにしたドイツにおけるMangaブームについて紹介し、文化受容について少し考えてみたい。
ドイツでは、日本のマンガやアニメを従来のコミックやディズニーの映画などと区別してMangaあるいはAnimeというのが一般的で「マンガ」というカタカナ表記もけっして珍しくない。
まず、Animeという表記が定着した『蜜蜂マーヤ』、『アルプスの少女ハイジ』、『ラスカル』などの日本製アニメは、すでに70年代後半からドイツのテレビに登場していた。『ハイジ』は2002年で放送開始から25年を数えたということである。そう言えば、私がミュンヒェン大学に留学していた83〜84年当時も、けっこう流行っており、自分でも白黒のテレビで何度か見た記憶がある。これらは、言わば「逆輸入」の形となった『ハイジ』(原作:ヨハンナ・シュピリJohanna Spyri)や『マーヤ』(原作:ヴァルデマール・ボンゼルス Waldemar Bonsels)を始めとして、ヨーロッパの土壌にしっくりと受け入れられ、「日本発」ということは、あまり意識されなかった。もっとも、画の美しさ、またリアリスティックな描写とファンタジーの結合、新鮮な心理描写などはドイツ人にとって新鮮なものであり、彼らがやがてその後、幅広く日本製AnimeやMangaを受け入れる素地を形成したことは確かである。2002年ベルリン国際映画祭(ベルリナーレ)における宮崎駿『千と千尋の神隠し』の金熊賞受賞もその延長線上にあると言えるだろう。
一方、マンガは、アジアやアメリカに、さらにフランスやイタリアなどヨーロッパ諸国に普及していった80年代から90年代にかけても、ドイツには上陸して来なかった。確かにその間も1982年に出版された『はだしのゲン』はヒットしたが、その背景にはヨーロッパに広がっていた「Hiroshima」に対する思い、反戦、反原爆の意識があることは間違いなく、例外的現象と言えるだろう。基本的にはドイツは海外における日本のMangaブームに関して「後進国」だったのである。
その後、『アキラ』(1991年)などの単発的ヒットを経験して、20世紀から21世紀への世紀転換期がManga受容の転換期にもなった。1997年に刊行が始まった『ドラゴンボール』(カールセン社)のシリーズは、未曾有のヒットとなり、販売部数は現在、合計600万部を超えている。ブームの常で、友だちが読んでいると自分も読みたくなる。口コミで広がる。インターネットで広がる。ブームに乗らないと自分ひとりが取り残されるような気持ちに襲われる…といった具合にブームが爆発した。もちろん、一方で「仕掛け人」がいたことも確かである。従来17〜25マルク(約1000円〜1500円)と高かった価格を、ヒットを見越して、一挙に9.95マルク(約600円)に引き下げたことがブームを加速させた。98年に発売された『セーラームーン』(エグモント・エハパ社)も、200万部を超える大成功を記録した。こうして、2000年には、業界最大手カールセン社のコミック全体の中で日本のMangaは欧米系のコミックを一気に追い越し、さらに2002年末現在、ドイツのコミック市場の総売り上げの80パーセント以上を占めるまでになったのである。
Mangaブームを象徴的に表すとともに、それを不動のものとしたのが月刊誌の刊行である。二大マンガ出版社は、日本のマンガ雑誌に範をとったマンガ雑誌を相次いで創刊したのである。カールセン社の『Banzai!』は、週刊ジャンプと同じB5判、いわゆる電話帳スタイル、約250〜270ページである。月刊誌として2001年11月に創刊、毎月約7万部が売れている。一方、ライバル社のエグモント・エハパは、「エグモント・マンガ&アニメ・ヨーロッパ」(EMA)という部門を設立し、『MangaPower』を2002年3月に創刊した。こちらは、A5判、少し小型だが厚さは480ページ、幅広いジャンルを収めていて、先行の『Banzai!』を凌駕する勢いである。カールセン社はまた、これに対抗して2003年1月に『Daisuki』という少女向け漫画雑誌を創刊することになっている。
2001年から02年にかけて大きく変わったという、冒頭で述べた私自身の印象には、実際、この背景があったのである。こうして月刊雑誌が普及すると、出版社側は雑誌での人気や読者の声を知って、好評のものを単行本として刊行できるようになった。つまり、雑誌が「マーケティング」の役割を果たしているのである。最近2年間にドイツで発売されたMangaは1000冊を超え、毎月約80冊が刊行されている。売り上げも、カールセン社を例に取ると、2000年が430万ユーロ(約5億円)、2001年には800万ユーロ(10億円)、2002年には、2000万ユーロ(約25億円)を超す見込みである。また、テレビでも日本発のManga優位の傾向は変わらない。例えばRTLUというテレビ局は、平日12時5分から17時までKinderprogramm(こども番組)というアニメ番組を放映している。そこでも10のうち7〜8は『ドクタースランプ』、『ドラゴンボール』、『名探偵コナン』、『らんま1/2』、『クレヨンしんちゃん』などの日本製が占めているのである。
日本のマンガが最初からドイツにすんなり受け入れられたわけではなく、若干の抵抗感もあった。主なものは次の2点である。
1)これまで慣れ親しんだコミック ― あるいは伝統的に一般の書物も含めて ― が左開きであるのに対して日本のマンガは「後ろ」から読み始める。(以前は、ドイツ式の読み方に合わせる印刷もあったが、コストが嵩むので、『ドラゴンボール』あたりから、日本のものをそのまま印刷するようになった。ただし現在でも、ドイツ式で言う「最初」のページには「ストップ(あるいは「注意」)。ここは本の最後です。この本は日本式に書かれているので、反対側から読んでください。」と書かれていて、コマ送りの順序が図で示されている。)
2)アニメやアメリカのコミックはカラーが多いのに対し、マンガは白黒である。
しかし、Mangaファンは、今や次のように言っている。
1)に対して、すぐに慣れた。慣れれば、むしろ「カッコいい」と思えるようになった。
2)色を付けることによって値段が上がるなら、むしろ必要ない。想像力で補えるところがマンガの魅力である。
こうして、形式的な抵抗は、Mangaの「新しさ」に転化し、新たなジャンルとして受け入れられることになる。伝統的にドイツには「風刺漫画」はあったが、Mangaは未知のもの、いわば異文化である。以前から人気があったアメリカのコミックが主に子供を対象としているのに対し、Mangaは様々な年齢層を対象とし、様々なテーマを扱う。キャラクターの善悪やストーリーが型にはまったものではなく、豊富である。特に恋愛ものはまったく新しいジャンルである。加えて女性読者を惹きつけたことも大きく、実際、読者の約6割が女性である。
具体的にどんなMangaがドイツ人に人気があるか、見てみよう。EMAは毎月ホームページ(manganet.de.)で単行本のヒットチャートを発表している。次に挙げるのは2002年11月の売り上げベスト10である。
マンガチャート 2002年11月 (manganet.de)
順位 タイトル 作者 出版社
1 らんま1/2 高橋留美子 EMA
2 DNエンジェル 杉崎ゆきる カールセン
3 剣心 和月伸宏 EMA
4 D・N・A 桂正和 カールセン
5 ラブひな 赤松健
EMA
6 聖魔伝 氷栗優 カールセン
7 名探偵コナン 青山剛昌 EMA
8 妖しのセレス 渡瀬悠宇 EMA
9 Bronze 尾崎南 カールセン
10 電影少女 桂正和 カールセン
このチャートは、当然ながら、毎月変動し、新作が続々登場しているが、ホームページや雑誌の編集部に寄せられた「読者の声」を読むと、Mangaのどんな点がドイツ人読者を惹きつけているのかが分かる。以下のように要約できるだろう。
1)人物を始めとして画そのものが、ファンタスティックでありながらリアリスティックでもあり、魅力がある。また、作家によって個性があって、自分の好きなものを選べる。
2)画の流れがスピーディーで、独特の擬声語、擬態語の効果も大きく、アニメのようなダイナミクスを生み出している。
3)ストーリーやテーマが非常に多様である。ひとつの作品の中でも、身近な日常とファンタジー、恋愛とセックス、友情、主人公の成長、アドベンチャー、アクション、ユーモアなど様々な要素が盛り込まれている。
4)台詞とともに人物の内面の声がテクストの構成要素になっている。そのような細やかな「心理描写」が非常に新鮮である。
もちろん、上に挙げたのはファンの声であって、ブームが高まれば高まるほど、Mangaに対する批判も強くなってきている。曰く、「低俗」、「過激な暴力やセックスのシーン」、「オタク化」、「活字離れ」、「学力低下に対する影響」等々、日本でも、またアメリカなどすでに日本マンガが定着してきた国々でも繰り返された論議である。また、例えばフェミニズムの立場から「マンガは性役割を固定化する働きをする」、あるいは一般的に知識人から「マンガは結局、現在の社会関係を確認する意識を生み出す働きをする」といったような批判があることも確かである。これらについても機会があれば考察したいと思うが、ここでは今回の特集テーマである「異文化受容」について少し考えてみたいと思う。
02年11月26日、アメリカで『SHONEN JUMP』が創刊された。25万部でスタートしたが、集英社編集部としては、3年後には100万部を目指したいと言っている。創刊号は288ページで、『ドラゴンボールZ』、『遊☆戯☆王』、『サンドランド』など5作品を掲載している。最近のインターネットの情報によると売れ行きは非常に好調だそうだ。これまで日本から輸入した日本語の漫画を日本語がわからなくても、オンラインで流される英語訳を見て楽しんでいたアメリカのファンにとっては英語版『SHONEN JUMP』は心待ちにしていたもので、4ドル95セント(約600円)と比較的高い値段も気にならないようだ。また、これまでアメリカでは翻訳された日本マンガはふつう左右を逆転していたが、今回は日本式そのまま右開きにした。これについて朝日新聞11月23日朝刊で集英社第三編集部部長・鳥嶋和彦氏が述べている。「もちろん不安がないわけではない。広いアメリカでどう販売するか。左開きで本読むことが文化の国で、右開きの本が読んでもらえるか。課題は多い。でも希望もある。それはドイツでの成功だ。1年前にドイツの出版社から、ジャンプ作品を集めた『BANZAI!』という月刊誌を出した。ドイツの子供たちは面白いと買ってくれた。右開きか左開きかも関係ないようだった。子供は面白ければ、それがどこの国から発信されたかは気にしない。『ドラゴンボール』も『ハリー・ポッター』も、同じように好きなのだ。」
これを出発点に、少し考えてみたい。まず、注目したいのは大衆文化の伝播の問題である。第二次世界大戦後、ドイツから日本、日本からドイツへ大衆文化が伝わる場合、しばしば中間項として「アメリカ」が存在していた。例えば、かつての西ドイツのロックグループNENA、またSHOGUN、SUSHI−BARが流行ったときも、まず日本からアメリカへ、アメリカからヨーロッパへ広がっていったのである。それが「少年ジャンプ」に関しては日本からマンガ後進国ドイツへ、それからアメリカへと普及していったのは非常に興味深かった。
次に「子供は面白ければ、それがどこの国から発信されたかは気にしない。『ドラゴンボール』も『ハリー・ポッター』も、同じように好きなのだ」という点について考えてみよう。鳥嶋氏も挙げている『ハリー・ポッター』は小説が現在、第4巻まで刊行、日本国内で計1700万部以上、全世界では130カ国以上で1億2000万部の売り上げ、また映画も第1作『ハリー・ポッターと賢者の石』に続き、第2作『ハリー・ポッターと秘密の部屋』が現在、封切られ、国内全スクリーンの3分の1で上映される(2002年12月現在)という「一極集中」の人気を誇っている。
私なりに人気の要因を考えてみると、まず、ここでも「身近な日常とファンタジーの結合」が見られる。家庭や学校を舞台に、ごく普通のメガネをかけた少年が、いじめっ子、がり勉タイプの優等生、気弱な劣等性、友情、様々なタイプの先生との人間関係の中で成長していく…といったストーリーは、イギリスだけでなくアメリカや日本、多くの国々の少年少女にとって身近なものである。さらに、「家庭内不和」や「いじめ」、「成績」などといったモチーフがシリアスに、あるいは重苦しく描かれることはない、という点でも多くの人気マンガと共通している。現実の世界で抑圧を感じている読者は、潜在的に、作品の中で、それらから解放されたいという欲望を持っている。だからといって、非日常的な自由な世界があらかじめ描かれることは珍しい。たいていの場合、ある瞬間、抑圧を一気に解消するファンタスティックな状況が出現したり、非日常的な能力が授けられたりする。それがリアルな状況の中で起こるからこそ、「カタルシス」を体験することができるのである。ハリーの場合、それが「魔法」ということになる。「子供は面白ければ、それがどこの国から発信されたかは気にしないで、受け入れる」という言葉は以上のような「異なる文化の中の同質性」に裏打ちされている。
しかしまた、ブームというものは自然発生的に生じ、大きくなるとは限らない。そこには「仕掛け人」がいるという事実やブームがブームを呼ぶという側面も、まさに『ハリー・ポッター』にもあてはまることは言うまでもないだろう。「文化産業」が「勝ち馬」に乗ろうとするのは自然であり、大衆が、いったんブームになったものは、内容そのものよりもブームそのものを体験しようとするのも世の常である。ただし、そのことで結果的に文化の多様性を排除し、文化全体の疲弊に繋がるのではないだろうかという危惧も、真剣に考えなければいけない。それは、いわゆる「文化のグローバル化」に通じる今日的問題である。90年代は、米国が世界経済をリードし、アメリカン・スタンダードが全世界を席巻した時代であった。エアーマックスやスターバックス、ハリウッド映画など、アメリカ製ヒット商品は、世界の多くの地域の人々に受け入れられた。国境を越える商品の生産の背景には豊富な資金と人材の投入を可能にした経済力がある。例えばフランスのシラク大統領はハリウッド映画による自国映画ひいては文化一般に対する侵食を批判し、警告を鳴らした。マンガや『ハリー・ポッター』のブームもまた、こういった「グローバル市場における文化産業」といった問題と無関係ではない。
それでは、翻って、これらの世界的ブームが、すべてネガティヴな「文化のグローバル化」にのみ帰結するのだろうか。私は必ずしも、そうは思わない。先ほど「異なる文化の中の同質性」という言葉を用いたが、しかしまた「同質なものの中の差異」も、やはり存在している。例えばハリーの「魔法」は、何といっても固有の文化環境から生まれた奥行きと広がりを持っているではないか。キングズ・クロス駅のホーム、9と4分の3番線、ホグワーツ特急、ハリーが入学することになった「ホグワーツ魔法魔術学校」… 物語の舞台だけを取っても、それらが「ファンタジーとリアリティの結合」であるからこそ、読者・観客を魅了するのである。また、学校もそこでの生活もイギリスの全寮制の学校の伝統に則っている。それはイギリス人にとっては身近なものであり、日本人には憧れや興味を抱かせる対象である。実際、日本では、『ハリー・ポッター』に魅せられ、イギリスの伝統的風土や文化に対する関心を抱き、知識を深めようとする少年少女や大人が増えているようだ。
それとちょうど同様のことがMangaに熱中しているドイツの読者にも起こっている。つまり、日本のポップスや日本文化、日本事情に興味を抱き、日本語を勉強したいという青少年が急増しているのである。2000年の宝塚歌劇ドイツ公演も大成功で、多くのファンを獲得した。インターネットの文通サイトには、「Konnichi Wa!」とか「Hajimemashite!」という呼びかけで始まる10代〜20代の若者たちのドイツ語日本語交じりの自己紹介が掲載されている。彼らは単に好奇心やエキゾチシズムから日本を知りたいと思っているわけではない。MangaやAnimeから出発しながら、自分にとっての「新しい世界」を開いてくれた「ワンダーランド」日本に全般的な興味を抱いているのである。マンガ週刊誌も日本紹介に、かなりのページを割いている。『BANZAI!』12号を例に取ると、この1冊だけでも、「日本の地理、人口」、「日本人の高い平均寿命」「円とユーロ」、「カプセルホテル」、「食生活 ― SUSHI、SASHIMIからファーストフードまで ― 」、「「地下鉄網、料金、切符」、「カプセルホテル」、「アイボ」、「まんだらけ(世界最大のまんが書店チェーン)」等々、テーマは多岐に渡っている。
ドイツや他の多くのヨーロッパの大学では、20年ほど前には日本経済や産業の発展を契機に日本に興味を持ち、「日本語」や「日本学」のブームが起こった。日本経済の低迷でそういう動機で日本語を勉強し始める学生は減ったが、現在、それを補って余りある数の学生がMangaゆえに日本語・日本文化を勉強しようとしている傾向は、やはり、喜ばしいことである。ドイツの大学教授の中には、Otakuはマンガにしか興味を持たないという偏見を抱いている人も数少なくないが、実際はそうではない。「日本学」を学んでいる学生の多くはかつての「マンガ少年少女」であり、今なおMangaやAnimeも好きだし、現代日本の小説(例えば村上春樹)も読んでいる。それらは、より専門的な古典や近現代文学研究あるいは文化研究への扉なのである。
(人間環境学部 教授)